親父とオカンとオレ 16〜ラフティング後編〜
今回は11話の続きでラフティングの話から書こうと思う。
通常はゴムボート3艇ぐらいが、連なって川を下っていく。
先頭のボートが瀬を無事に通過すれば、次にくるボートを流れの緩かな所で待つ。後から来るボートが転覆したり、落ちた人を救出するためだ。
たまにだが、先頭のボートが転覆することもある。
その時は2番目が急いで瀬に入って助けなければならない。
もちろん2艇目、3艇目も連続して転覆することもある。
それはとても悲惨な状況で、誰かが全力で下流まで泳ぎ、一人一人を救出するのと、ボートとオールも回収しなければならない。
夏を謳歌していた。秋の気配に目を背けて、まだまだ夏は終わらないと思い込んでいた。
だが紅葉がはじまり、川の水が死ぬほど冷たくなってきて、お客さんもいなくなってしまった。
アリとキリギリスで例えれば、完全に後者である。社長が突然、みんなに解散を告げた。
「また来年4月からで良かったら、一緒にやろう」
ほとんどの人は実家に帰った。そんな中、愛媛県の宇和島市にミカンを収穫する、季節バイトに行くという強者がいた。
ケンさんと呼ばれ、みんなから慕われている先輩で、今までいろんな所で季節バイトをやってきたという。
彼は電話1本で翌週からの仕事を決めてしまった。
「来週からだけど、みかん狩り、今年もやっとる?? な、何、ええっ?人が足りてない、、」
ケンさんは僕の方を見た。僕は少し悩みながらもうなずいてしまった。すると彼は農家の人に
「わかった。もう1人連れて行くわ、じゃあ来週ね」
呆気にとられていた僕に、ケンさんが「三度の飯と風呂と布団がついて、月30万もらえる」
と魅力的な内容を伝えてきた。ラフティングの給料と比べれば破格な値段だ。
空家を管理している大家さんに
「来年の4月に、また戻ってくるけん」
と伝え、部屋を片付けた。
そして愛媛へ行く準備をしていたら、1週間はあっという間に過ぎた。
宇和島市のはずれに、みかん農家の集落がある。僕はケンさんが泊まる隣の農家さんに、お世話になることになった。
日の出とともに、バケツのようなカゴを背負い、ひたすら、みかんを取る。
「ほーなん、カゴがいっぱいけんねー」
と(カゴが一杯になれば)それをコンテナに移し換える。
そのコンテナが満杯になったら軽トラに積み上げる。
この作業を日が暮れるまで繰り返し、山積みの軽トラで家に帰る。
最初の頃は老夫婦と僕の3人だけだったが、数日して東京から若い男女2人が、やってきて5人になり、にぎやかになった。
ケンさんの所にも東京から何人か来ていた。聞くところによると宇和島市とフロムエーがコラボをして、観光バス数台を貸し切り、全員一緒に新宿からやってきたらしい。
農家のお父さんから
「あの子らには、自分が貰うお金の話をしちゃいかんよ」
と僕は口止めされていた。
東京から来た2人は力仕事に慣れておらず、みかんをカゴからコンテナに入れることは出来るが、コンテナを軽トラに積み上げることが出来なかった。
昼ご飯は農家のお母さんが作ってくれた、昼時になるとお父さんが
「お弁当を食べんかね」
と風呂敷に座って、みんなで食べた。
おにぎりと1、2品のおかずのみだったが、最高に美味しかった。
夜は基本的に自由行動なので、集落で1番お金持ちの家に集まり、毎晩のように宴会をして、酒瓶を片っ端から空けていった。
朝起きて軽トラでついて行ったら、違う農家の畑でみかん狩りをしており、それが昼の休憩まで気が付かないという事もあった。
温暖な気候で知られる宇和島でも冬の朝は寒い。小雨のなか、カッパを着てみかんを採る手が凍りつきそうな日もあった。
基本的にみかん畑は山の傾斜地にあるのでコンテナを担いで軽トラまで運ぶのが一番大変な仕事である。
老夫婦と東京のもやしっ子2人がチームメイトなので必然的に運ぶ役割は僕にまわってきた。
みかんが満杯のコンテナなど、ラフティングのゴムボートに比べれば軽い物でほとんど1人でトラックを満載にした。
1ヶ月が過ぎ、もやしっ子2人は東京へ帰った。老夫婦から
「もう1ヶ月延長してもらわれへんやろか?」
と頼まれ、僕は残ることにした。ケンさんも隣で、1ヶ月延長するらしい。
季節は冬に向かって、日々寒くなっていたが、宇和島のみかん農家はとても暖かく接してくれた。
やがて年が暮れようとしていた。僕は60万の現金と段ボール一杯のみかんを手に入して、実家に帰ることにした。
このお金を元手にまた旅に出るのだが、その話はまたいつか書くとして今回はこの辺で筆を置こうと思う。
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