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生きがいとは人に必要とされること

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在宅医療の現場から感じた思いや患者さんに教えられたことをエッセイにまとめています。
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記事一覧

「たんぽぽのおうち」を作った理由

たんぽぽクリニックは2000年に在宅医療に特化したクリニックとして開業しました。24時間いつで…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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「治す医療」と「支える医療」

私は医療には「治す医療」と「支える医療」があると考えています。  私が医者になった頃、上…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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本人の食べる権利は?〜たんぽぽ寿司〜

 余命1週間と宣告され、当院に転院後、わずか1週間で箸やスプーンを使い、自ら食事ができる…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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余命1週間からの復活

 88才の妹さんと二人で暮らす91才の男性サトシさん(仮名)は、認知症を患っていましたが、身…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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在宅医療のグローバル化

 世界各地への航空網の広がりや、インターネットなどの情報通信技術の普及により、近年、世界…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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開業20周年!感謝!

 介護保険制度が始まった2000年、私は在宅医療専門のたんぽぽクリニックを開業しました。それ…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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恩返しの俵津プロジェクト

 「診療所がなくなってしまう。何とかしてくんなはい!」俵津住民の男性が、この窮地に私のことを思い出し、へき地診療所を立て直す「俵津プロジェクト」が立ち上がりました。  小さな診療所の閉鎖は、町の人の生活や人生までも脅かす大問題でした。たんぽぽ俵津診療所の前身である国保俵津診療所に勤めていた約5年間、若い私を医師として、人間として育ててくれた俵津住民の皆さん。私が新たな志を抱き、診療所を去る日、診療所の駐車場から続く道を埋め尽くし、野福峠の沿道からも車が見えなくなるまで見送って

桜とみかんの野副峠~へき地診療所への道~

 私は松山市にある「たんぽぽクリニック」で在宅患者さんの診療をしていますが、毎週木曜日は…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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私の在宅医療の原点

 私は松山市にある「たんぽぽクリニック」で在宅患者さんの診療をしていますが、毎週木曜日は…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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「亡くなるまで食べる」ことの意味

 四季録執筆を開始してから、毎回記事を切り抜いて保存しているとか、家族で記事を元に話し合…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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納得できる最期とは何か?

 96歳の一人暮らしの女性のお話です。この方はヘルパー等の在宅サービスを利用しながら穏や…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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一人暮らしでの看取り

 「老々介護でも在宅医療は可能ですか?」とよく聞かれます。老々介護で在宅医療を開始する時…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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命のバトン

 ある70代の男性のお話です。末期癌で余命(残された命の期間)があと数日となった頃、県外…

TAMPOPO NAGAI
4年前
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死に向き合う

 今の時代、「がん」という病名の告知が本人にされることは一般的になりました。しかし、病名は告げたけれど、その後本人との対話が十分になされておらず、本人も家族も、そして医師すらも死に向き合えていないと感じることが多くあります。  家族には「年は越せないかも」「お盆まで持つかどうか」などと、亡くなる頃を予測する話をしますが、本人にはその真実を告げられないことがまだまだ多いと思います。「本人に本当のことを知らせるのはかわいそうだ」という家族の思いから、本人の意思は蚊帳の外となって治