林檎と飛行機

 1
 デスクの上に、小旅行がばらばらに広がっている。
 エントリヒはそれらを一個一個、持って眺めたり、抱えて撫でてみたり、匂いを嗅いでみたりする。そうしていると段々と、今まで放念していた小さな物事の全てが、くっきりと立体になって浮かび上がってくるのだった。
 珈琲を持ったエネーロが静かに部屋に入って来て、忘我の境地にいるエントリヒに声をかける。
 「エントリヒさん、珈琲が入りましたよ。どうしたんです、そんなに小旅行を広げて」

 エネーロはエントリヒが雇っている秘書で、身体の小さなやせっぽっちの少女だ。彼女は身体は小さいのに氣が強い。短く切った黒髪と硝子玉のような美しい眸を持った、山椒の粒。
 旅をする理由など、あってないようなものだろう?
 エントリヒには口がない。なのでエントリヒはテレパシーを使う。エネーロは少し呆れたように、テーブルの上の翌年の秋にいく半島の横に、淹れたばかりの珈琲を置いた。

 「こんな家の中でじめじめしていないで、お外に出られたらどうです? 外は良い天気ですよ。太陽も輝いているし、星々だって煌めいてるわ。特に今日はスピカがよく光ってる」
 ああ、そうだね。エントリヒは持っていた小旅行を机にそっと置いて、窓のブラインドを上げる。限り月の紺碧の彼方に、太陽の恵みと星影がきらりと笑っていた。
 エントリヒはスーツのポケットに幾つかの小旅行を詰め、エネーロの淹れてくれた珈琲を持って外に出ることにした。

 星影の下をぽつぽつとエントリヒは歩く。手に持った珈琲を零さないように、少しだけ慎重な足取りで。
 街を過ぎ行く人々は様々な色をしている。赤い人。青い人。黄色い人。黒い人や白い人。透明な人。透明に少し黒が混ざっている人。白が徐々に透明になりつつある人。
 エントリヒの前頭葉の前で、蝶々が二匹じゃれあうようにくっついては離れて、飛び交った。

 エントリヒは街の途中にあるベンチに腰掛けて、珈琲を隣に置く。そしてポケットからひとつの小旅行を取り出した。
 太陽の下では小旅行は更に美しく、とても懐かしかった。
 彼が光を屈折させて潤む小旅行を眺めていると、その奥から老夫がやってくるのが見えた。揺れる麦わら帽。
 それは農夫のモナルカだった。モナルカは麦わら帽を脱いで、エントリヒにお辞儀をする。
 「エントリヒさん、こんなとこで何やっとるだ?」

 やあ、モナルカ。小旅行を見つめてたんだ。ほら、見てご覧。これは再来年のイゾラの波打ち際だよ。此処にいるのが、私の母だよ。そしてこれがエネーロ。
 「ほんに綺麗だねえ。エネーロはしっかり働いてますだか?」
 ああ、それはもうしっかりと働いてくれているよ。この珈琲も彼女が淹れてくれたんだ。良い匂いだろう?
 エントリヒがにっこりと笑って珈琲を指差すと、モナルカはどれどれと言って珈琲をぐいと飲み干した。

 「うん。うめえね。エネーロにこれ、渡してやってください」
 モナルカは手に持っていた、土のついた大きな大根をベンチの横にどんと置く。その衝撃でエントリヒは少しだけ、ぴょんと宙に浮いた。
 いつも悪いね、モナルカ。
 「なぁに、儂に出来るこたぁこの位だしね。それにこれだって、神様からの恵みものだ」
 大根についた土から小さな虫が顔を出して、もう春かとエントリヒに訊ねる。エントリヒはもう少し寝てて大丈夫だと虫に二度寝を勧めて、小さな彼を指先に載せ柔らかな土の所まで運んであげた。そして振り返ると、もうモナルカはいなかった。

 さて、また小旅行だ。エントリヒは目の前の美しい球体に意識を戻す。過ぎ去っていて、尚かつまだ来ていない未来。時間は朧であり、我々はどこにも存在し、どこにも存在しない。
 旅行中の自分をエントリヒはじっと見つめる。ぼうっと空を見上げる間抜け面。こんな顔をしてるのか。それは氣恥ずかしいような、もしくは懐かしいような、嬉しいような、複雑な感情だった。
 やがて目が疲れて空を見上げると、エネーロの言ったようにスピカが空に浮かぶ真珠のように輝いている。

 2
 昔の人たちって、随分と乱暴で残酷だったのね。
 エネーロはエントリヒの本棚のチャンネルを国際図書館に合わせて、その膨大な蔵書たちの中から一冊を選んで読んでいる途中だ。
 彼女が今読んでいるのは《全ては必要だが、必要がなくなれば淘汰される》というカスメロディウス・アルブスという鳥類が書いた本だった。彼女はこの作家が好きで、特に好きなのはカスメロディウス・アルブスが器用に嘴の先にインクをつけて、さらさらと執筆していく姿だった。

 《全ては必要だが、必要がなくなれば淘汰される》には鳥類から見た、人類やその他の動物の今までが描かれている。死んで行った仲間や寿命を全うした家族を近くで見ながら、カスメロディウス・アルブスはその小さな眸から見た世界を細かく描写していった。
 この本によると人類はその昔、随分と乱暴で、多くの動物や虫たちから嫌われていたらしい。様々な生き物を殺して、地球を汚して暮らしていたからだ。

 毛むくじゃらで顎の骨がごつごつとした、動物の毛皮を羽織った野蛮人をエネーロは想像する。手には木の棍棒だ。原始人。
 だが、カスメロディウス・アルブスは白茶けている再生紙の上で、静かにその細い首を横に振る。
 「エネーロよ、その頃の人類はこんな姿をしていた」
 ホログラムで浮かび上がって来た人類は、エネーロの想像しているものとは全然違った。スーツを着ていたり、ひらひらしたスカートを履いていたり。

 「こんな人たちが、動物を監禁して殺したり、戦争をしたり、お金が全てだと思ったりしていたっていうの?」
 エネーロが驚きながら文章を追っていくと、カスメロディウス・アルブスはその細い足を再生紙のページの上で交互に動かす。教室を歩き回る大学教授のように。
 「エネーロよ。世界は長い時間をかけて変わって来た。賢者たちは時が来るのをじっと待っていたし、人々は長い間洗脳されてきたんだ」
 「この時代にはこの時代の良さがあるのかしら?」
 「ああ、勿論あったよ。自然はいつだって素晴らしいしね。人間社会はほとんど腐敗していたけれど、それもまた必要だったんだ。だがやがて悪は淘汰された。淘汰される必要に迫られて」

 その時、玄関の扉が開く音がして、エネーロは本を閉じた。
 「エントリヒさん、おかえりなさい!」
 エントリヒはただいま、と微笑みながら珈琲カップをエネーロに返す。しゃがんで靴紐をほどいているエントリヒに、エネーロは絡み付く。彼が帰って来た悦びを身体で表現したくて。
 「私ね、今カスメロディウス・アルブスの本を読んでたの! エントリヒさんは知ってる? 読んだことあるかしら?」
 ああ、あの白鷺の本か。とても興味深い本だ。グーシニツァとの共著もすごく面白いよ。読んでみるといい。後半部分はグーシニツァが空腹のカスメロディウスに怯えて、議論にあまり集中できていないがね。

 エントリヒがまた書斎に入ったので、エネーロは風呂を沸かして食事の用意をすることにして、エネーロはクレアーティオに相談をする。
 クレアーティオは肉体を持たない意識体だ。エネーロやエントリヒに多くのことを教えてくれる為に、いつも通信を繋げてくれている。
 ”今日は寒いから、暖かい食べ物のレシピを送ります。あとはエントリヒに必要な食材をいれた小鉢のメニューも何個か”
 「ありがとうございます!」
 エネーロは飛び跳ねるように風呂に湯を沸かして、炎のエネルギーをキッチンコンロにもわけてもらい、鍋に水をいれてぐつぐつとそれも沸かしはじめた。

 3
 本棚のチャンネルを古書店に合わせる。音もなく本棚がスライドし、多くの古い本たちが現れた。チャンネルを回す時のガチャン、という音はレトロな雰囲気が好きなエントリヒの為に、敢えてつけられた飾り音だ。
 彼は本棚からもうすぐ朽ちてしまいそうな、古い本を何冊か取り出す。ぺらぺらとめくると本の頁は薄くなり、日焼けや紙魚に文字たちがもうすぐ食われそうになっている。

 四角い木箱に水を貯め、その中にそれらの本を十数冊ほど浸す。
 水の中に本が沈んで、中に含まれていた文字が空気と共に水面に浮かび上がってくる。インクの滲む、先人たちの声をエントリヒは静かにそっと漉桁とすあみで掬う。すあみの上でぴちぴちと踊る文字たちを、エントリヒは静かにひとつひとつ、柔らかい布の上に置いた。
 それを何度か繰り返して、ひとつ残らず文字を掬い取れたら、次は水に溶けた紙たちを掬う作業だ。

 漉桁をゆらゆらと器用に動かして、エントリヒは紙を漉いていく。
 漉いては板の上にのせ乾かす、を何度も繰り返す。紙を漉き終わる頃に、エネーロから声がかかる。
 「食事ができましたぁ! 早く来ないと冷めまぁす!」
 食堂では小さなエネーロがくるくると回転しながら、あちらこちらへ駆け回っていた。
 「エントリヒさんが持って来てくれた、叔父さん家の大根も入ってますからね!」
 あの大きな大根、とエントリヒは思い出す。土のついた、大きな生命。ふっくらとしていて、白く、まるで美しい女のようだった。
 それはそれは、美味しいだろうね。見ているだけで瑞々しい大根だったものなぁ。
 エントリヒがテレパシーを送ると、エネーロは満面の笑みで頷いた。

 白い皿から立ち上る、甘くふくよかな湯気。エントリヒはそれを肺いっぱいに吸い込む。美しいデザインの馨り。まるで唐紅に染まる紅葉に似たふるさとの夕焼けのようだ、とエントリヒは思う。思い、そして涙ぐむ。
 「美味しいですか?」
 幼い頃を思い出す味だね。エネーロも暖かいうちに食べなさい。
 エネーロはエントリヒの目の前の皿にフォークとナイフをさしいれ、ほろりとほどけた大根の欠片を口に運ぶ。ほふほふ、と口を動かして中の食べ物を覚ますエネーロの顔に微笑みが咲いた。
 美味しいね。
 口いっぱいに料理を頬張ったエネーロが、熱さに翻弄されながら喜ぶ姿を見てエントリヒは更に嬉しい気持ちになる。

 エントリヒの仕事は作家だ。といっても、無から有を生み出す作家ではなく、さきほどもしていたように古書を一度溶かし、それを漉き、構築し直すことを生業としている。エントリヒは自分のことを《再生作家》もしくは《持続可能書籍製造業》と名乗る。
 言い古されたことばをわかりやすく現代風に構成しなおし、使える材料を再利用し続けることによって、文化も資源も死滅することなく後世へ引き継ぐことができる。エントリヒはそう考えている。

 百年ちかい昔に紡がれた物語をひと筋ひと筋、ゆっくりとほどいていく。そこには過去の作家の魂や執念、思索の糸が光る。文字や溶けた紙と一緒に、エントリヒは作家たちの思いも汲み取ろうと努力していた。
 ぽつぽつと、大雨が降る前の雨のように、最初は戸惑いがちに、そして徐々に津波のようにことばたちは踊り始める。笛がなり、太鼓がなり、舞い踊ることばたちの行方をエントリヒは目で追う。どこへ、どこへ、どこへ、どこへいくのか。そして辿り着いた約束の地には、次は一体なにが書いてあるのか。

 ことばの種類が一緒で、思想を再構築するだけならば、翻訳と同じようなもので、そこに書いてあることも新旧の差はあれどけっきょく一緒ではないかとあなたは思うだろう。ところが、そうはいかない。ことばは整列を一度崩されて、再構築されると全く違う顔を見せる。ことばにも魂があり、それは言霊と呼ばれる。言霊はその物語を編む人間によって、まったく違うものへと昇華されるのだ。よきにつけ、わるきにつけ。本当は翻訳だってそうだ。言語が変われば、それは全く違う物語になってしまう。よきにつけ、わるきにつけ。
 文字やことばは全く不思議だ。並びや語尾、発する音、発する人間の性格によっても、様々に色合いを変える。まるで不思議な宝石かのように。

 繰り返し、がエントリヒは好きだ。繰り返し、は、循環だ。はじまりは終わりへと繫がり、終わりははじまりへと繫がる。The beginning of the end. それは本来、全てのはじまりが冠するべき名称だ。はじまりを迎えることは、終わりを迎えることだから。
 しかし読み終わった文末の尻の先から、新たな行が新芽のように生み出され、ことばは連鎖していく。それらは繫がっていないように見えて繫がっていて、繫がっているようで独立もしている。
 全てが繫がっていて、繫がりながら個々としても独立している世界で、うねった文体の波に飲み込まれてエントリヒは時々、息をするのを忘れてしまう。
 出口のない変化し続ける文に翻弄されながら、あやつることも制御することもかなわず、大波に飲み込まれて運ばれていく。そうして辿り着いた先の浜辺で、エントリヒは自分の作品の完成を目にするのだ。

 今宵の作業を終えたエントリヒは、眼鏡を外して席を立ち、洗面所の蛇口を捻った。洗面所は家の中に何個もある。今エントリヒが水を出したのは作業部屋の洗面所で、彼は何かをした後に冷たい水でじゃぶじゃぶと顔や手を洗うのが好きなのだ。
 蛇口から水がざあざあと出る。鏡の前の顔は少しぼやけている。疲れた目を閉じ、手で椀を作り、水をざぶっと顔にかけた。
 流動体の冷たさが顔を被って、さっと下に落ちる。雫が頬や瞼を伝う。はぁっと口から溜め息がこぼれ、エントリヒの胸の中で清々しい風が吹いた。

 今日から紡ぎ始める物語は、どんな道をたどり、どこへ辿り着くだろう? 今までに紡いだ物語は、今頃誰かの家の枕元や薄暗い鞄の底で、読み途中のしおりを探る指を待っているだろうか?
 そう思いを馳せてみても未来は未来、過去は過去で、今この瞬間には結局のところ今しかなかった。
 尻ポケットからハンカチを取り出して、濡れた顔をそっと拭く。柔らかな布が顔についた水滴を、抱き上げるように引き取ってくれて、エントリヒはやっと滲んだ現次元に戻って来た。
 
 4
 エネーロの休みは、週に一度だけある。その日は、エントリヒが執筆/再構築をしない日なのだ。彼にとっての休息日に、彼はエネーロも解放する。エネーロは別に休みなどいらないと言ったのだが、実家やモナルカのところへも週に一度は顔を見せるべきだとエントリヒに言われてしまい、渋々休みを引き受ける形となった。
 そして今、エネーロは休みを持て余している。目の前には広大な畑と青空。モナルカとその家族や仲間が畑の作物の世話をしているのを、何をするでもなくエネーロは見つめているのだった。
 
 「ありがたいことじゃねえか、休みをいただけるなんて」
 モナルカが土のついた自分の顎を、親指でごしごしと擦って空を見上げる。エネーロは大きな磐の上に腰かけて、モナルカの息子のプリンチペから貰った生野菜を齧っていた。
 「でも毎週、ここにきて、こうしてモナルカたちの仕事を見てるだけだよ」
 一度ならず、モナルカたちの仕事を手伝おうとしたこともあるが、モナルカに逆に𠮟られてしまった。エントリヒさんの心遣いを無駄にするな、身体を休めて明日からの仕事に万全の体調にするのも仕事のうちだ、と。

 エネーロの口が大きく伸びをして欠伸が出る。そこへどこからかそりを曳いた鹿がゆっくりと現れて、磐の近くに腰を下ろした。
 「おう。きたか、シュトライフェン。これ持ってけ」
 プリンチペが野菜をそのそりに載せて、鹿の近くに置く。鹿は長い睫毛を伏せて、微笑んだように見えた。エネーロの見間違いだったかもしれないが。
 「こいつ、縞模様があるだろ。だからシュトライフェン。最近子鹿を生んだんだ。ほら、あそこに」
 プリンチペが指差した先の叢林に幼い子鹿が数匹、こちらの様子をうかがっていた。
 「いつもあいつらをあそこに待たして、シュトライフェンだけ来るんだ。だからこうしてそりに野菜を載せてやるってわけ」
 広大な大地と太陽さんは、とんでもない数の命を養ってくれてるのさ、とモナルカが笑う。エネーロは自分の手の中にある食べかけの野菜についたぎざぎざの歯形を見つめて、瑞々しい野菜の中に大きくて清々しい太陽の姿を見たような氣がした。

 シュトライフェンの小さくてきらきら輝く黒目の中に、広大な宇宙が輝いている。彼女は今エネーロの足下で太陽の光をその毛皮に浴びながら、その細い身体に宇宙を内包してゆっくりと呼吸をしている。シュトライフェンが合図をすると、子鹿たちも恐る恐る、エネーロの座る磐の近くに集まって来た。
 「あら、珍しい。子鹿たちはいつもは来ないのに」
 モナルカの仕事仲間の中年女性が、驚いたように笑顔を見せる。
 子鹿たちは最初は緊張していたようだったが、じきに自分たちに危害が加えられないと知ると虫を追ったり、兄弟同士でじゃれあって遊ぶようになった。
 シュトライフェンは子鹿たちを、宇宙を含む輝く黒目で見つめる。その視線は慈愛に満ち溢れていて、エネーロは暖かい野菜スープを飲んでいるような氣分に包まれた。
 
 親が子供を見つめるまなざしってのは、いつ見ても良いもんだよなぁ、とモナルカがタオルで汗を拭きながら言う。一所懸命に働くプリンチペを横目に。
 「昔の人間はこういう動物たちを、大量に檻に入れて遺伝子を操作して、虐待して殺してきたんでしょ。この前、本で読んだ」とエネーロ。
 皮を剥いだり、内臓を食ったりしてな。そう言って土の上に、モナルカは鍬を置く。
 「そうするしかない、と騙されて思い込まされてきたんだとさ。人々も可哀想だな。それに較べて、今は良い時代だよ。大量虐殺をしなくとも、儂らは笑って暮らせている」
 エネーロはカスメロディウス・アルブスの本のタイトルを思い出していた。
 《全ては必要だが、必要がなくなれば淘汰される》
 見上げた穹窿はどこまでも広く、彼女の眸ではその果ては見極められない。彼女にはわからない。この空がどこまで続くのかも、なぜ青いのかも。わからないこともあるということと、氣分がいいということだけ、彼女にはわかっている。

 モナルカたちの作業を数時間見てから、エネーロは実家へと顔を出した。休みの日は夕食は実家でとることにしている。
 実家の扉を開くと、母が忙しそうにくるくると回転しながら、あちらこちらへ駆け回っていた。小さな家に小さな母。エネーロによく似ている。
 明るくて、おっちょこちょいで、それでいて善良な女性。
 「おかえりなさい! 先に手を洗ってらっしゃいな! もう少しでご飯だからねえ」
 くるくる回る母の横をすり抜けて、エネーロは洗面所にいく。亀裂の入った石鹸を手の中でくるくると回して蛇口をひねると、蛇口に石鹸がついて、水がちょろちょろと顔を覗かせる。埃や古いもので構成される小さな実家は、エントリヒの家のように掃除が行き届いてはいないが、エネーロにとってはとても落ち着く空間だった。

 エントリヒくんの新刊を読んだよ。
 エネーロに父がそう言ったのは、母の作った野菜ポトフの芋が彼女の頬の内側でくすぐったそうにきゃっきゃっと笑っていた時だった。
 「新刊といっても、再編成された昔の本なのだろうけれど。彼の本は面白いな。ファンタジーにも、哲学書にも、荒唐無稽なナンセンス小説にも、純文学にも読める。そしてそのどれでもない」
 エネーロは自分のことを褒められたように嬉しく、しかしその気持ちを両親に氣取られるのがなんとなく恥ずかしくって、んーとかあーとか言って誤摩化した。口の中の芋が邪魔で喋れない風を装って。

 エネーロの父は昔、凄い問題児で、若い頃は時間管理局を相手にテロまがいのことをしていたのだという。
 「俺も時間と仲違いをしていたんだ。まるであのエントリヒの本の中に出てくるナスカって若者みたいに」
 父の昔馴染みのロンジェヴィタなど、今でも家にやってきて父が酔っていたりすると、慌てて逃げ出してしまう。昔のことを思い出すのだそうだ。
 続ハイリヒトゥームとアデオダトゥス二世がエネーロの脛に、自分の小さな頭をこすりつける。この子たちは父の飼い猫で、昔に生きていた猫たちの生まれ変わりなんだそうだ。エネルギーが一緒だから、すぐに見つけられたよと父はおおいに笑った。
 エネーロの父はよく笑う。母がそそっかしい真似なんかをすると、それを見てげらげらと笑う。
 「笑うことは良いことだ。免疫をあげるんだぞ、お前もよく笑えよ」
 
 エネーロの父は今では時間管理局の局長をしているが、父が局長になってから時間というものの概念は大きく変わったのだという。
 「よく不正時間旅行なんてしまくってた人が、時間管理局の局長なんかになれたね」
 エネーロがそういうと、父はにやりと笑ってウインクをする。
 「大切なのは無駄な知識と堅苦しい馬鹿真面目さより、経験なのさ」
 エネーロの父はある時、それまで考えられていたように時間が一本の線状のものではなく、実は球体のような形をしているのではないかという論文を発表した。時間は過去から未来へと流れていくのではなく、球体であり循環しているのだと。循環していく中で、景色が変わり、物事が変化していくのは、背景の壁紙が変わるようなものだ、と。

 この理論は最初は無下にされたが、徐々に口づてに人々の間に広まっていった。父はこうも言った。
 「全く同じルートをぐるぐる回り続けているってことではないんだ。円じゃなく、球体だからね。林檎の皮むきのように、循環しながら進行していくことも可能なんだろうと思う。多重構造なのかもしれない。もしくは地球上をぐるぐるありとあらゆるところへ飛び回る飛行機のように、回る度に緯度と経度を変更して全く違うルートを通っているのかもしれないな」
 しかしこれに、当時の時間管理局局長であったトウジュール氏が激怒し、反論を発表した。
 曰く「全くの出鱈目、フィクション、妄言だ! 奴は我々の部下を脅し、何度も不正時間旅行を繰り返すテロリストであり、過去への干渉、未来への干渉も何度も繰り返している犯罪者である! あんな男の言う言葉に耳を傾けてはならない!」

 エネーロの父はそれに対して、こう反論した。
 「私が時間旅行をしているか、そしてそれが不正かどうかは、私の持論が真実かどうかに一切の関係がない。真実は誰の口から語られようと、その真実性を失うものでは決してない筈だからだ。そして多くの人々に理解できるように話をするとするならば、私の理論とはこういったものである。朝がくれば、その次には夜がくる。そして夜は必ず、朝に辿り着く。時間が循環するものではなく一本の線であるとするのならば、この膨大な量の夜と朝の在庫は一体どこの倉庫にしまいこまれているというのだろう? そしてどこに廃棄されているのだろうか?」と。

 父が局長になっているということは、彼のこの理論が皆に受け入れられたということだ。それが真実だったかどうかは置いておいて、この理論が必要だったから受け入れられたのだろうとエネーロは思う。
 《全ては必要だが、必要がなくなれば淘汰される》のだ。
 こうして朝と夜は大量消費されるものではなく、繰り返し使用される持続可能型な始まりと終わりだということが、皆の認識に刷り込まれた。
 この考え方は爆発的に流行った。彼が新しい時間管理局の局長になった時には、球体時計というものまで発明されたほどだ。つまりスタート、もしくは終わりであるというある一点以外は、違うルートを通る時間だということで、そのルートによって時間の感覚が変わるという計算がなされ、その少しの差異をも正確に刻む時計が発明されたのだ。
 だがこれは徐々に廃れていった。そんなに細かく時間を知ることは、人々にとって幸福とは言い難かったから。

 エネーロの父は、更に時計の秒針を廃止して、数字も文字盤から取っ払った。数字は《起きる時間》や《仕事の終わり》、もしくは《眠る時間》に取って変わられた。
 「時と空間は確かに存在するが、それらと付き合うことと、それらに縛られることは全く別の問題だ。我々はもっと幸福に暮らすことを考えるべきではないだろうか?」
 確かに彼がそう提唱してから、自殺者は減り、諍いも減った。人々は彼のことを、今までの局長の中でも最高峰の局長だと、そう褒めそやし始めた。彼の方は至って変わらなかったが。
 「褒められるのも貶されるのも同じ、どっちも的外れな評価だよ。そんなに凄くもないが、そんなに酷いものでもない、っていうのが真実だと俺は思うな」

 彼はトウジュール元局長とその腹心であるクアルケ・ジョルノもなんだかんだ言いながら、時間管理局に残した。
 ロンジェヴィタは彼に散々二人を辞めさせるべきだと進言したし、周囲の人間も彼にそう言ったが、彼は鷹揚に笑うだけだった。
 「僕の崇拝するブルーノムナーリ氏はこう言った。『今日、我々は過渡期にある(ところで、過渡期ではない時ってあったっけ)』」
 それに関して、エネーロの父の義兄であるモナルカも、後年になってからエネーロにこう語った。
 「多くの人々はあいつに元局長を追い出せって言った。だが、あいつは追い出さなかった。儂はあいつに賛成だ。勝負は勝ち負けって書くだろう。勝ったり負けたりするから面白いんだ。負けても、相手さんを喜ばせてあげられるから勝ちだ。勝ったら素直に喜んで、相手さんに感謝すりゃいい。単なるゲームだよ。楽しめばいいんだ。勝ちっ放しなんてつまらんだろ」

 見つめる視線に、父が気付く。
 彼はそれを受け止めて、にっと笑う。そして口にポトフをぽいぽいと放り込んで、母を褒めた。母さんのポトフは最高だな。母は眩しそうに笑って、膝の上に乗せた手を机の下でもじもじと動かす。エネーロは母のことをなんと可愛い女性だろうと思う。
 エネーロは両親が好きだ。
 「あのね、私、最近昔のことを勉強してるの。でね、勉強すればするほど、今の時代に生まれて良かったって思う。お父さんお母さんと出逢えて、エントリヒさんのところの仕事に就けて。それに動物も殺さないで良い時代になったしさ」
 父はそれを聞いて、眉を少し上げて眼鏡を直す。
 「いつの時代もそうやって、今が一番良い、自分は生まれてこれて良かったと考えられる人が幸せになれる。過去の時代も野蛮な部分はあったが、お前みたいに幸せに一所懸命生きている人間はいたよ」
 彼はそういって、頭の少し上、電球と料理の中間くらいのところを眺める。懐かしいふるさとを見つめるような目で。
 母は微笑んで、会話する父と娘を見ていた。
 「エネーロ、おかわりは? はい、少しね。ミッターナハト、あなたは?」
 ミッターナハトは歯を見せて空になった皿を差し出す。愛しい妻と娘を見つめながら。

 5
 新しく出版した本がひょんなことから話題となり、エントリヒの本はベストセラーとなった。ついでに今までの作品たちも再評価され、おおいに売れだし、エントリヒ家の電話はじゃんじゃんと鳴りだした。
 「ああ、もう! インタビューやら、取材やら、執筆依頼やら、もの凄い量の電話で、電話から離れられないじゃない!」
 じりじりと鳴る電話に向かって、エネーロは走っている。鳴り続ける電話と電話の合間に朝食の用意をしようとするのだが、あまりに電話の量が多くてキッチンに戻るとまたすぐに電話のところへ戻るはめになるのだった。
 ジリリリリリリリ! と鳴っていた音がぷつっと止んで、エネーロは走るのを辞める。あら? 待ちきれなかったのかしら?
 電話のある部屋まで行くと、パジャマ姿のエントリヒが洗面台の前に立ち尽くしていた。

 「エントリヒさん、どうされました? 電話、鳴ってませんでした?」
 エントリヒは振り返ると、肩をすくめて洗面台を指差した。洗面台には水が張ってあり、その水に携帯電話がぶくぶくと入浴している。
 「わあ! 何してるんですか!」
 エネーロは急いで携帯を水から出したが、もはや後の祭り。電話はうんともすんとも言わず、誰からのブッキングも彼女に繋ごうとはしなかった。
 「ど、どうしたんですか? なぜこんなことを」
 だって、うるさいじゃないか。
 それだけ言うとエントリヒは飄々とした顔で、手を上にあげてぐうと伸びをした。
 「うるさいって……、仕事の依頼なのに」
 ちゃんとした仕事は、今まで通りメールや手紙で来るさ。
 エントリヒはすっきりしたような顔をして、作業部屋に戻った。

 エネーロの心配は、結局のところ杞憂に終わった。
 エントリヒの言う通り、仕事は相変わらずメールや手紙で来るし、電話をじゃんじゃん鳴らしていた相手たちは少しの間、エントリヒを天狗だとか調子に乗っているとかこきおろしていたが、やがてすぐに飽きて次の獲物に群がっていった。
 「エントリヒさん、なんでわかったんですか?」
 エントリヒは作業机にまた小旅行たちを広げて、腕を組んで何かを考え込んでいる。
 なにが? ああ、電話の件? 流行って、そういうものだよ。
 眼鏡を直しついでにそう言って、また考え込む。エントリヒという男はそういう男だ。世間が彼のことをどう言おうと、自分は一切関与していないような顔をしている。だがそれでいて世界と断絶しているわけではない。不思議なひと、とエネーロは彼を呆れたように見る。

 君は旅行したことあるかい?
 エントリヒは自分のもじゃもじゃ頭を掻きながら、エントリヒの淹れた珈琲の匂いを嗅ぐ。エネーロは思わずはしゃいだ声になって、少女のように彼の机の上に飛び乗った。
 「聞きたいですか? わたしんちの旅行! 父が旅行が大好きで、それはそれは、色んなところに行ったものです!」
 彼女は頭の上でまわる、色とりどりのメリーゴーランドのような思い出たちを、その回転に合わせて眺めていく。
 千七百八十年代の倫敦、幻視をするウィリアム・ブレイクに会いに行った時のこと。または千八百三十年代の巴里で、有名になる前のフレデリック・ショパンの演奏に耳を傾けた時のこと。千九百七十年代初頭の南仏蘭西で、死ぬ前のピカソのアトリエを訪れた時のこと。

 流石は時間管理局の局長殿だ。豪華な時間旅行だね。
 「わたしが小さい頃だけだけれど。大きくなってからは、連れていってくれなくなったわ。幼い頃は審美眼を磨き、そして大人になってからはそれを応用して社会の為になることをしなさい、って」
 彼女は小さな頬をぷくっと膨らませて、机から降りる。小さなお尻と細い腿。一瞬だけ、視界に入ってしまい、エントリヒはそれとなく視線をずらした。
 机の上の小旅行群の中に、小さな白い皿が混ざり込んでいて、その上にはやけにドライなフルーツたちが斜に構えて鎮座していた。彼はそのフルーツのひとつを手にとり、匂いを嗅ぐ。ドライな彼らは生々しかった時よりは匂わないが、根気よく丁寧に嗅いでいると奥から日向で眠る甘い猫のような匂いがする。黍砂糖で出来ている猫。とても小さくて、縁側の日溜まりで温もりに溺れている。

 旅行は良い。僕は何度も思い出すよ。君のお父さん風に言うならば、同じ緯度、同じ経度の航路を何度も行き来するんだな。意識の中でね。
 小旅行を机の上に広げて、彼は色んな土地の匂いや風の温度、木々の囁き、光の屈折を思い出す。エネーロのように偉人たちを訪問したわけでもないなんでもない旅行だったが、彼はそれらの思い出世界に意識をひたひたと浸すと、なんだか勇気が湧いてくるような氣がするのだった。
 それは例えばよく出来た上質な本を、図書館で借りて来て、天気のいい公園でゆっくりと開く時のような。頁をめくる時の紙と紙がこすれる音。誰かの空想を覗き込むわくわく感。
 もしくは、どこに売っているか、そもそも売っているのかもわからないけれど、無性に欲しい小さな機械を空想している時の氣分にも似ているかもしれない。それはどんな用途で使うのかも、どうやって使うのかもわからない。だがとても高性能なのだ。そして大きさは掌にすっぽり入ってしまうほどに小さい。銀色で四角くて、とっても便利な機械。意識の中の彼はそれを手の中に握って、幸福を感じる。
 小旅行はエントリヒにとって、そういったものたちとよく似ていた。

 漉いて再構築した紙の上に、ことばたちを並べ直す。
 旅行した湖畔やホテルの窓枠の形、朝方の林の霧がかった冷たい空気、砂利の音、誰もいない半地下のレストルームを思い出しながら。様々なシチュエーションで影のような人々が、すれちがったり、出逢ったり、もしくは別れたりしている。そこにはドラマがある。もしくはドラマがない。
 彼の意識はことばの上を足場にして、様々な国、様々な時代へと飛んでいく。
 物語の中には独立した世界があり、その中で彼は饒舌を揮うのだ。現実で口がない分、余計にお喋りに。
 持て囃されて良かったことは、読者が増えたことだ。勿論、一過性の流行性感冒のように一時的な熱に魘されて、あとはもう何事もなかったかのようにしている人たちも少なからずいるが、そうではなくきちんとエントリヒの仕事を好きになってくれた人たちも沢山いた。
 彼は今日するべきことを終えて、洗面所にいって顔を洗う。流動体の冷たさが顔を被って、さっと下に落ちる。世界は一度真っ青になり、そしてまたいつもの色合いに戻る。

 「食事ができましたぁ! 早く来ないと冷めまぁす!」
 彼がタオルで顔を拭いていると、エネーロの声がする。いつも通りの声だ。
 いつも通り。これは毎日毎日繰り返されるが、実はそれを維持することは意外と簡単ではない。
 エントリヒは、いつも通りを愛している。サプライズも嫌いではないが、矢張り《いつも通り》があってこその、サプライズだろうと思う。基準がなければ、例外の素晴らしさは理解出来ない。
 彼は作業部屋の扉をあけて、エネーロの待つ食堂までゆっくりと歩いていく。幸せそうに笑って、ずれた眼鏡をなおし、なおし。

 「もういいでしょう? いい加減にしてくださいよ、ミッターナハト! もうその場面を見るの、何十回目だと思っているんですか!」
 ロンジェヴィタが苛々として叫ぶ。手首についた時計とミッターナハトを交互に見ながら、彼は夏の足下を行ったり来たりしていた。
 ミッターナハトはというと、夏の抱擁の中で寝転びながら、時間のほつれに顔をくっつけて未来の自分の娘を見ている。
 「良い時代だな。良い時代だ。動物を殺さなくてもいい。環境を破壊しなくてもいい。いつも通りがある。いつも通り」
 彼の横でハイリヒトゥームとアデオダトゥス一世が、大きな口をあけて欠伸をする。その猫たちののんびりした態度も、ただでさえ冬枯れした枝たちのように露出し過敏になったロンジェヴィタの細い神経に障る。
 「ミッターナハト!」

 「ロンジェヴィタ、君も覗いてごらん。とても良い時代だ。未来を覗くのも、たまには悪くないなぁ。良い時代だよ。良い時代がやってくるんだ。君に信じられるかな? これから凄く良い時代がやってくるんだよ。なんで何度も言うのかって? 君はネガティブにどっぷりと漬けられて、ホルマリンの海に浮かぶ死体のように顔色が悪いから、洗脳を解いて良いことを信じられるようにしてあげてるのさ。ははは、信じられないだろう? でも、本当のことなんだよ、ロンジェヴィタ。とても良い時代がやってくるんだ。環境も良くなって、動物も虫も魚も植物も、そして僕ら人間も、もっと自然に、優しく、笑って暮らせる時代がね……」
 ミッターナハトが珍しく披露した長広舌も、ロンジェヴィタの耳には届かなかった。早く閉じさせてくれないと、また局長から雷を貰うことになる、と半泣きになっている。
 ミッターナハトは時間のほつれから顔を離し、夏が振りかける微睡みの星の輝きをぼおっと見ながら欠伸をする。ロンジェヴィタが時間のほつれを縫い合わせる姿が、徐々に滲む。

 ふああ。少し眠るよ、ロンジェヴィタ。でも良いかい? 眠りっ放しじゃない。またすぐ起きるんだ。起きたら、また時間旅行をしよう。次のお話はどんなお話かな。ねぇ、信じられる? これから未来はどんどん良くなっていくんだよ……。

 ミッターナハトの寝息が聞こえて、夏は世界の電灯の紐を静かに引っ張った。
 パチン。世界が消灯して、真っ暗になる。
 半透明で水彩絵の具で書かれたようなみんなの夢を、夜空に浮かぶ星々と月、それから家具の隙間で暮らす糸のようなイエユウレイグモたちだけが見ていた。
 亡くなった妻の棺桶に数式をいれた男、孤児を養子にしていた女、バズーカ・ジョーを探している男、母の遺骨を持って桜並木を歩く夫婦、タイムマシーンの犬に乗ってタイムトラベルする女の子、スーサイド・ホットラインに電話をする声たち、声なき声をコレクションしている男。
 様々な夢が交差して、現実の輪郭を暈していく。どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが夢だったのか、もうわからない。
 いつかの、どこかで起きた、もしくは起きていない、お話。
 それを読むのは、机の上の小旅行をじっと見つめるのとよく似ていると、そうは考えられないだろうか?
 とにかく、今はおやすみなさい。心配はいらない。真っ赤な林檎の上を皮を剥きながら何周も何周もぐるぐる廻る飛行機は、目的地であり出発地点のその場所に何度も辿り着き、そして何度も出発しなおすのだから。ミッターナハトが言うところには。

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