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ズジェンカの答え

 ズジェンカ・ヘルダーは幼い頃に、エンデの書いた『駅カテドラル』に関する物語を読んだ。

 それは恐ろしい、恐ろしい途中駅の物語。
 そこでは祭壇から永遠に金銭が増殖し続け、駅で株券を購入した人々は金銭を手にし続ける。そうして大金を積み上げて、永遠に駅カテドラルに留まり続けるのだ。自分がどこに行くべきだったかも忘れて。
 其処は、単なる途中駅なのに。

 ズジェンカが街を歩いていると、首をがくんがくんと揺らしている沢山の人々に行き当たった。彼女ははじめ、その人々はロックスターを取り囲んでヘッドバングしているのだと思ったが、近寄ってもエレキギターの歪んだ音色が聞こえてこないのでそうではないとわかった。
 人々は偉いと言われる男を取り巻いて、頷いていたのだ。
 「神は我々を見放した!」
 頷き頷き頷き頷き。
 「税金を高くすること、戦争をすることは最早避けられない!」
 頷き頷き頷き頷き。
 「地球は環境汚染が進んでいるから、火星に行くのだ!」
 頷き頷き頷き頷き。
 人々の頷きがぐいんぐいんと波打ち、後方にいるズジェンカにはまるで真っ黒な海のように見える。
 そこまで言ったところで、偉いと言われる男は安心しすぎて大幅に口を滑らせた。
 「国民もこの星の未来も公害もどうでもいい! 俺たちと俺たちが癒着している企業だけが儲かれば良い! 戦争も金儲けだ! 金だ金だ金だ! 世界の終わりより前に俺たちの寿命がやって来るし、将来の他人のガキどもの事なんて知ったことか! 贅沢をしまくって、独占しまくって、ワクチンに毒をぶちこみまくって 人口を減らして、俺たちの子供には一生かかっても遣い切れない遺産や土地を残すのみだ!」
 人々は少し首を傾げたが、男から金銭を貰っている一部の人間が頷くと、周りの人々もなんだかわからないままに頷いた。
 頷き頷き頷き頷き。

 道を挟んだ通りでは、みすぼらしい服を着た男が下がり眉を思い切り下げて、曲がった眼鏡をしきりに手で直しながら人々に訴えかけている。
 「神様は、我々に沢山のものを下さっているよ」
 無視無視無視無視。
 「お金がないというのにオリンピックの工事費や偉い人たちの莫大な交際費とか、無駄が多すぎるよ」
 無視無視無視無視。
 「火星に行く技術なんかより、僕らが少し我慢をして地球を大事に使わなくちゃ」
 無視無視無視無視。
 「僕らの人生を、僕らの子供たちの未来を、護らなきゃ。戦争は名前を変えた単なる大量虐殺だよ。贅沢するんじゃなくて、分け合わなきゃ。遣い切れないほど一人が持って腐らせるんじゃなく、皆で必要な分だけ貰えば良いじゃないか」
 彼がそう言うと、頷いていた群集のうち、何割かの人々が彼の話に耳を傾け始めた。
 ズジェンカも、そのうちの一人だった。
 
 偉いと言われている男は、声を張り上げて群集に言った。
 「見ろ! あの男の服装はなんだ? みすぼらしい見た目だ! どうせあいつのガキもみすぼらしいガキだ! 犬の餌同然の飯を食って、雨漏りするあばら屋に暮らしてやがる低能だ! きちんとした教育を受けていないから、あんな世迷い言を言ってやがる! あれが人々の模範か? ロールモデルか? お前たちは、あんな風に生きていきたいのか? それとも俺みたいに高級腕時計をつけて美味い飯を食って、良い女を抱いて、自分のガキにきちんとした教育を受けさせたいか?」
 偉いと言われている男は、息を切らせながら大声で長口上を述べた。芝刈り機のようにはぁはぁと肺を震わせて、スプリンクラーのように唾を撒き散らしながら。
 人々はまた偉いと言われている男の方を向いた。
 ズジェンカは偉いと言われている男の言い分はおかしいと感じていたが、肩を落として項垂れているみすぼらしい男のようになりたいとも思わなかった。惨めなことは、彼女にとって怖いことだった。
 だから彼女は歩き出すことにした。早くその場を通り過ぎて、忘れてしまいたかったのだ。答えが出ないことは、くしゃみが出そうで出ない時とよく似た気持ち悪さを感じるから。
 ベンチに座っている老婆が、ズジェンカに呟く。
 「沈黙も、逃避も、悪に加担しているのと同じさ」
 老婆は目が見えていないようだったが、視力を失ったその濁った眼球でズジェンカを睨みつけている。
 「じゃあ、おばあさんはそこで何をしているの?」
 「私はね、考えているのさ。考えて、考えて、考えて……考えれば考えるほど恐ろしくて、此処から動けなくなっちまった」
 「人生って、もしかしてあっという間なの?」
 「道を歩いている時はやけに長く感じて、けれどゴールに近づくと時間が足りなかったと思うのさ。あんなに沢山の時間があったのに」
 ズジェンカは溜め息をつく。時は金なり、ってそういう意味? お酒を呑んだり買い物をした後って、空っぽの財布を見てあんなにあったのに、っていつも思うものね。
 「お買い物をしたら買ったものが残るけれど、時間は消費したあとに何が残るのかしら」
 「それは人それぞれさ。お前さんは何と交換したいんだい?」
 ズジェンカは老婆の質問に返辞をせず、また歩き出す。答えが出ないことは、お腹が痛いのに便が出ない時とよく似た気持ち悪さを感じるから。

 ズジェンカはとある家の玄関の前で、体育座りをする中年男と△型に折られた厚紙に出逢う。厚紙にはマジックで文字が書いてある。
 『ご自由にどうぞ』と。
 「どうなさったんですか?」
 ズジェンカが聞くと、中年男はちらっと顔を見上げて、すぐにまた視線を自分の膝に戻してしまう。
 どうしたものか、とズジェンカが様子を見ていると家の扉が開いて、キャリアウーマン然とした美しい女性が出て来た。
 「それ、欲しければ、ご自由にどうぞ」
 彼女は顎で中年男を差して、そう言った。
 「まぁ家事もしませんし、女癖も酒癖も悪くて、返辞もああ、と、おう、と、うん、しか言いませんけど。稼ぎはまぁまぁです。それでも良ければ」
 「一体、あなた、何をしたんですか?」
 中年男にズジェンカが質問をすると、彼は悲しそうに首を左右に振った。
 「特には、何も」
 キャリアウーマンはそれを聞いて、弾けたように顳かみに血管を浮かせて、怒鳴った。
 「そう! そうよね! 特に何もしなかった! あんたは何もしない! 家事、育児、あたしを褒めることも、慰めることも、年に数回のセックスすら!」
 中年男もその言葉には思わず、立ち上がって反論をする。
 「いや、俺は様々なことをした! 仕事! それにこの家も買ったし、息子の学費を払ってお前らを海外旅行にも連れていった!」
 キャリアウーマンは冷笑がその美しい唇に接吻するのを赦しながら、今度は冷たく通常音量の声で返辞をする。
 「そうね。あんたは沢山のこともしたわ。あんたの秘書のあのあばずれ女に手を出したり、飲み屋で出逢った若い莫迦女を孕ませたり、あんたのとこの意地悪なお義母さんがあたしをいびり倒すのを黙って眺めてくれたりさ」
 男は整髪料のついた、薄くなりつつある髪の毛をかきむしる。
 「だからそのことに関しては、謝っただろ。謝ったじゃないか!」
 「兎に角、そこのあんた、もし欲しければとっとと持っていって」
 キャリアウーマンはもう中年男の言葉には返辞をせず、ズジェンカを睨みつけながらそう言ってドアをバタンと閉めた。
 中年男とズジェンカはしばらくそこに立ち竦んでいた。家のドアが閉まった音が不意に連れて来た、不自然な静寂と共に。近所の家々や遊んでいた子供たちさえ、存在感を消して息を潜めているようだった。
 「あんた、俺を連れていってくれるか?」
 ぞっとするような中年男の提案を、ズジェンカは鄭重に断る。
 「残念だけど……、今は誰かと暮らす気にはなってないから」
 あまりに残酷な、青すぎる青空。男は静かに黙って、△型の厚紙の前に座り込む。自分の膝を見つめながら。

 次にズジェンカは前を歩く若い女の子二人組の会話が、聞こえてくることに気付いた。
 「付き合う人はイケメンで、結婚する人は安定した収入ある人がいいよね」
 「あたしは安定した収入より、優しい人がいいな」
 「優しくても、お金がなきゃ生活できないじゃない! 子供も生めないし、あたし一生働くのなんて絶対やだな」
 女の子たちはきゃっきゃと黄色と桃色の混ざった、カラフルな笑い声をあげる。夢が彼女たちの身体にまとわりついて、その器用な指先で若い肉体を巧みにくすぐっているのだ。
 彼女たちの半分は本気で半分は冗談の、綿密に練られた人生計画は着々と組み立てられている。彼女たちの組み立てたレゴの城に迎えにくる白馬の王子様も、他の普通の男たちとほぼ同じ嗜好をしているとも知らず。
 ズジェンカが女の子たちを追い越すと、更に前には二人組の男の子たちがいた。
 「見ろよ。この子の身体。顔も可愛いし、おっぱいも大きくてたまんないよな」
 「俺は胸はどうでも良いけど、お尻が大きい方が好みだな」
 「それより今週の、あの漫画読んだ?」
 「読んだ読んだ! あれはすごかったよな! あの展開はすげえよ」
 男の子たちの興味は、猫に取り憑いたノミのようにぴょんぴょんと跳ね回る。飽くまで、表面的に。
 だからといって彼らの人生が表面的で、薄っぺらいものだということではない。彼らの心の奥の、ニキビとよく似た青春の悩みは、友人に話すべき事柄ではないのだ。男性にとって友人とは、個と個の繫がりではなく、大きな群れの中でのシナプスの繫がりの一部に過ぎないのだから。
 だからこそ、彼らはきっと三十代になっても、四十代になっても、五十代になっても、密かに自分のペニスの大きさやコミュニティの中での地位に執着するのだ。
 誰にも話せなかった、いつまでも幼稚なままの、膿みの出せない心象的ニキビ。
 それは自己肯定力を奪われた現代人たちの、悪足掻きだ。自分の価値の再定義。それが男性にとっての愛人や収入や地位や名誉であり、女性にとっては幸福な家庭や財産、そして美しさなのだろう。勿論、そんなものでは心は満たされるどころか、相手も自分も傷つけ続けるだけだが。
 心象スケッチされたペニスやヴァギナ。宮沢賢治も真っ青な叫び。打算を額装して、愛というタイトルをつけて飾る美術商。心の虚しさからは目を逸らしたまま、大量のスケジュールで心の穴を不格好に埋める。
 男の子たちを通り過ぎれば、恋人たちが見える。ズジェンカはこの展開にもうそろそろうんざりしていて、彼女と旅を共にしている読者諸君も同じ気持ちであろうから、このチャプターは二倍速でお送りしよう。
 「好き」
 「俺も好き」
 「あたしのがもっと好き」
 「俺はもっともっと好き」
 「あたしなんてもっともっともっともっと……」
 以下、省略。
 しかしこういったステレオタイプな恋人たちの将来には、どんな展開が待ち受けるのだろうか? タイムマシーンを取り出して、このカップルの未来を覗いてみようか、とズジェンカはいたずら心を出す。
 二ヶ月後にはそれぞれ、違う相手と同じ会話をしているだろうか?
 それとも、五年後に男の方が玄関前に△型の厚紙と共に座っている?
 もしくは男が偉いと言われる男になって演説をしているか、それともみすぼらしい男になって無視されているか。
 お金はいくら稼いでいるか。どんな家に住んでいるか。何の仕事に就いて、どんな子供が生まれるのか。もしくは授からないのか。愛人はいるのか、いるとしたら、どっちに? もしや、どっちにも?
 
 ズジェンカはアマ・デトワール公園の茂みに隠していた、タイムマシーンをうんうん言いながら引っ張りだす。タイムマシーンはけむくじゃらの大型犬とよく似ていて、その子に彼女は先ほどのカップルに気分が悪いんだと嘘をついて借りたハンカチと返却の為に教わった住所を嗅がせる。
 タイムマシーンはバウワウと吠えながら、ズジェンカを未来へと導く。時空の歪みは、アマ・デトワール公園のばねで前後する遊具の裏側に空いていて、タイムマシーンはそこから時間旅行へと出掛けて行くのだ。
 しかし、その日は湿度も高く、気温も高かった。
 だからタイムマシーンが熱中症にかかっていたのは、仕方のないことだったのだ。なにせタイムマシーンは、分厚い毛皮に覆われて、ズジェンカが来るまで茂みの中でベロを出してへたりこんでいたのだから。
 魅力的ないたずらの案に気が急いていたズジェンカは、タイムマシーンに水を飲ませるのをすっかり忘れていた。それに気付いたのは、時空の隙間五丁目の時空警察署前の交差点でタイムマシーンの身体が左へ傾いだ時で、その時には既に時遅しだったのだ。
 ズジェンカの腕につけた細身の腕時計はぐにゃりと曲がり、針は約束を破り、切った小指の持ち主に丸ごと、ごくんと飲まれた。
 タイムマシーンの長い毛にズジェンカは捕まって、時空の中を振り回された。もしも途中で振り落とされたら、手巻き時計の歯車と歯車の間で、永遠にウォーキングをする羽目になる。それだけはご免だ。
 タイムマシーンは三億光年分の今日という今日を、がたがたと通り過ぎたり巻き戻したり、鶴の形に折り曲げたりしながら、地球のある日のある場所に不時着をしてそこで動かなくなった。ズジェンカはタイムマシーンにあげる水を探しに、また歩き出した。どうせ水が無ければ、この子はもう逃げることすら出来ない。
 そこは公園のようで、しかしアマ・デトワール公園とは違うようだった。そもそも、ここがどこの国で、ズジェンカのいた時代から見て過去なのか、未来なのかもわからないのだ。
 彼女がきょろきょろしていると、ベンチに座った老人が彼女に話しかけて来た。
 「もし、お嬢さん。あのタイムマシーンはあんたのものかね?」
 「え、あ、はい。タイムマシーン、ご存知なんですか?」
 「過去から来なさったかな。この時代ではあれは地方のリサイクルショップでももう売っていない程の、もの凄い骨董品だよ」
 老人は痩けた皺だらけの頬を歪めたが、それはどうやら苦しんでいるのではなく、笑っているようだった。彼からは甘ったるく発酵した葡萄の馨りがする。ベンチの横に置かれた葡萄酒の瓶から見ても、どうやら酔っているらしい。
 「水道なら、あちらにありますよ。これを持って行くといい」
 老人から渡された小さなキューブを開くと、それはぱかぱかと展開されてあっという間に深皿になった。
 ズジェンカはタイムマシーンに水を飲ませて、老人に感謝を告げて彼の隣に座った。
 「今は何年なのですか?」
 「二千xx年です。世界の人々の思考はエシカルになり、科学は大きな変貌を遂げ、そしてプラスチックや石炭燃料は廃止になりました。今はそうやって小さく折り畳める皿やグラスを持ち歩くんですよ」
 老人はそういってまた痩せこけた頬を歪めたので、ズジェンカも笑ってみせた。
 「素晴らしい時代になっているんですね」
 「ええ。タイムマシーンも今では必要ないです。携帯電話すらない。人間の能力があがって、コミュニケーションも移動もこの肉体一個で出来るようになった」
 そんなに素晴らしく輝かしい報告をしながら、未来の老人はどこか悲しそうだった。
 「それは、葡萄酒ですか?」
 「ええ。酒も煙草もマリファナすら、自分で作れます。種子や金銭の独占禁止法が出来たので。これも家内が世話してた葡萄畑で出来た葡萄で作った奴ですよ」
 「素晴らしい老後ですね。今日は奥様はご一緒ではないのですか?」
 老人は葡萄酒をグラスに継いで、一気に飲み干してから俯いた。
 「妻は先月、逝ってしまいましてね。寿命一杯まで生きた大往生でしたが、それでも悲しみは薄れてはくれないものですね」
 老人は目というにはあまりに薄暗い窪みから、長い期間育んだ愛の泉が溜めて来た澄んだ雫を零した。
 「世界がどんなに素晴らしく進化しても、我々は出逢って、そして別れる。それだけは変わらない。それも偉大な神のプロセスだと、頭でわかっているのに涙が溢れる。あちらで会えるのに、すぐにまた再会出来るのに、それでもこの愚かな老い耄れは、青臭い若造のように苦しんで、痛みを和らげる為にマリファナと葡萄酒を日がな一日、自分に処方しているというわけです」
 ズジェンカが何も言えずにいると、彼は懐から古い腕時計を出した。彼はその時計の硝子を外して、針をぐるぐると逆回転させた。
 時間旅行も出来るのに、彼はそれをしない。ただ妻から貰った時計を解体して、針を反時計回りに廻すだけだ。莫迦げた祈りを、その皺だらけの指先に込めて。
 「私は莫迦ですね。莫迦だ。時計の針を戻しても意味などないのに、私は彼女が何を望んでいるか知っているのに、こんな呪術は無意味な過去の産物だというのに、それでもこんなにも妻が恋しい……」
 ズジェンカの瞳からも涙が、溢れた。
 自分は本当の愛を知らなかったのだ、と思った。
 この胸の痛みも、きっと愛というものの一部なのだ。この涙も、きっと愛のプロットの下書きに描かれていたのだ。優れた芸術というものは、全て愛がレファレンスなのだ。
 じゃなければ、こんな胸の痛みが、こんな悲しい物語が、こんなに心地良く美しい筈がない。
 タイムマシーンが水を飲む音が、ぴちゃぴちゃと響く。
 ズジェンカは涙を袖で拭って、老人の名前を聞く。彼はアフェクト・ミュラーだと自己紹介をした。
 「奥様は、なんてお名前だったんですか?」
 彼女が感傷に任せて訊ねると、老人は壊れた腕時計を見下ろして微笑み、黄金色の声音に幸福をたっぷりと含ませて妻の名前を言ったのだった。
 
 人々は途中駅で、目的を忘れてしまう。駅カテドラルで列車を待つあの消防士のように。
 金銭に、名声に、安定に、脚を掬われて。
 しかし、もし駅カテドラルに来た列車に飛び乗れたなら?
 tプラスdt時にct番線に来るdシグマ2乗発の予備列車に、乗っていけたのなら?
 私たちは、どこへ行くのだろう。
 無限に増殖する金銭も、オルガンの音も、カウントダウンの声も振り切って、列車に乗れたら。
 ズジェンカ・ヘルダーは毛むくじゃらなタイムマシーンで現代に戻り、それから数年後にとても心優しいアフェクトという男と出逢った。
 彼女は彼の三十二回目の誕生日に腕時計を贈った。
 自分がカテドラルに来た列車に飛び乗った後に、彼がその時計の針を逆回転させられるように。
 そうして、もう頷く事を辞めた。見た目に惑わされる事も、大金を追い求めることも辞めた。沈黙して通り過ぎる事も。
 彼女は世界を良くしたい、と考え始めたのだ。自分たちの意識を変えて、世界を良くしようと誓ったのだ。
 彼女が時間を消費して、やっと手に入れた愛の為に。
 彼女は多くの偉大なことを成し遂げた。そして世界をより素晴らしいものに変えた大勢のうちの一人となった。
 彼女が成し遂げた数々の功績の中で、とりわけ素晴らしかった三つの偉業は、『とても良い未来が来る、ときっぱりと何度も断言し、信じ切ったこと』と『道に迷った時は、いつも愛と優しさと思い遣りの傍に寄り添ったこと』。
 そして『いつも感謝し、笑い、悦び、愛したこと』だった。
 これが偉大なるズジェンカ・ミュラーの答えに関する物語として、今も伝えられるお話だよ、と祖父はうとうとする幼い私に、小さな声で語った。
 そうして幼い私は、私が感謝し、笑い、悦び、愛せば、世界を更に良く出来ることに気付いたのだ。
 そう。丁度、今あなたが気付いたのと同じように。

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