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学力が高くても低くても「学ぶこと」を楽しめる時代がやって来る。

 保護者の方から「読めるようにしてほしい」という要望があり、ここに載せることにしました。入学式の式辞です。

式辞
 春の陽光満ちる加茂川の、風ふくよかな香り運びくる今日のよき日に、京都府立清明高等学校第九回入学式を挙行しましたところ、京都府議会議員○○○○様、○○○○様をはじめ、多数の御来賓並びに保護者の皆様の御臨席を賜り、新入生を祝福していただきますことに、厚く御礼申し上げます。
 ただいま入学を許可しました百二十一名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。受験という厳しい道を歩み、高校入学を果たされた努力に敬意を表し、在校生、教職員一同、皆さんを心から歓迎します。
 本校は平成二十七年に開校し、以来、「学びアンダンテ」をコンセプトに、「つまずきのある人もない人も共に安心していきいきと学ぶ学校」を目指してきました。すでにこの学舎を巣立っていった卒業生は、現在、京都府内外を問わず様々な分野で活躍されています。
 さて、新入生の皆さんは、今、大きな期待を胸にこの入学式に臨んでいることと思います。様々な志望動機を持ち、迷いや不安を乗り越えて、本校に合格されたみなさんは、これから新たな一歩を踏み出し、自分のペースで、幅広い知識と柔軟な思考力を身に付けていくことと思います。そうしたみなさんであるからこそ、高校生活の出発点と言える記念すべき時に、「まなぶといふこと。」について私からお願いしたいことがあります。

 一つ目は「驕らない」ということです。世の中には、自分がものしりであることや、鋭いセンスを持っていることを自慢し、そうでない人を見下したり、バカにしようとする人がいます。もちろん、これまで大変な苦労と努力を経て現在の教養を身に付けたことはまちがいないでしょう。しかし、そうした人は、これまで努力を重ねるための時間が自分に与えられたこと、幸運にも勉強する環境が整っていたことへの感謝を忘れてしまっています。ほんとうに教養のある人は、そうでない人を見下したり、バカにしたりしません。出会ったすべての人から学ぼうとします。
 二つ目は「悪用しない」ということです。有名な大学に入って、たくさんの知識やずばぬけた思考力を身に付けたとしても、それによって誰かを鋭く批判したり、人を傷つけたり、だましたりするのであれば、そんな学力は持たないほうがよいのです。学ぶ者は、学んで得たことの使い方についてこうした自覚と責任を持たなければなりません。
 三つ目は、「独り占めしない」ということです。みなさんは入学試験中に、答えについて他の人に相談したり、教科書を開いて確認をしたりしましたか。何を書こうか迷ったところで、誰かに電話をしたり、ラインで意見を訊いたりしましたか。そんな人はいないと思います。つまり、試験というものは、自分の頭の中にある知識や経験だけを使って、自分一人だけで考えて、答えを出すものです。ところが、社会に出ると、それはまったく正反対になります。わからないのであれば、仲間に相談しなければなりません。自分より優れた実践があれば、頭を下げて教えてもらうのです。記憶にある数字があやふやであれば、もう一度しっかり資料に当たる必要があります。このように世の中は、個人の学力を競い合う場ではなく、チームが協力して、新しい価値を生み出す場なのです。「自分だけが認められたい」という気持ちでは、他の人の助けを決して得ることはできません。

 さて、「驕らない」「悪用しない」「独り占めしない」。この、3つを前提としたうえで、みなさんには、本校が大切にする「学ぶ楽しさ」を存分に味わってほしいと思います。

 まだ世の中にメガネがなかった時代、視力の低い人は、周りの人よりもとても不利な生活を強いられていました。しかし、メガネやコンタクトレンズが普及した今は、視力の高い低いにかかわらず、多くの人が美しい風景や胸を打つ物語を楽しむことができています。
 まだ世の中に計算機がなかった時代、計算力の低い人は、周りの人よりもとても不利な生活を強いられていました。しかし、スマホやコンピュータが普及した今は、計算力の高い低いにかかわらず、ショッピングや最先端の研究を楽しむことができています。
 同様に、オートマチック車は不器用な人にも「流れる景色」を、エレベーターは足腰の弱い人にも「壮大な眺望」を提供してくれます。

 ところが、教育の世界はどうでしょう。読み書きの力の低い人や、計算力の低い人や、運動能力の低い人は、周りの人よりもとても不利な学校生活を強いられています。残念なことに、学校というところは、学力の低い人、能力の低い人に「流れる景色」や「壮大な眺望」を楽しむ喜びを、未だに提供できていないのです。
 学びを楽しむことは、学力の高い人、能力のある人にのみ許された特権ではないはずです。学力が低いせいで「学ぶこと」を楽しめない今の社会は、視力や脚力が低いせいで物事を楽しめなかった社会が解消されていったのと同じく、いつか解消されるべき社会なのです。学力の高い低いによって有利不利が生じるという不平等は、本来、あってはならないことなのです。

 ですから、私は今、タブレットやVR、そしてChatGPTに代表されるAIなどのテクノロジーに大きな期待を寄せています。テクノロジーの進展により、学力が高くても低くても「学ぶこと」を楽しめる時代、自分の能力に関係なく知的好奇心の赴くままに、調べ、深め、究め、高め、披露することを楽しめる時代がすぐそこに来ていると、私は確信しています。

 清明高校では、「学ぶ楽しさを提供する」というミッションを掲げ、みなさんが授業や行事、課外活動、ボランティアなどを通して小さな気づきや喜びをたくさん得られるようなしかけを、学校中にちりばめています。そうした環境を十分に利用し、本校の生徒として、自信と誇りを持ち、新しい学友と共に多くのことに挑戦し、実り多い学校生活を送られることを心から期待します。

 最後になりましたが、保護者の皆様、本日はお子様の御入学、誠におめでとうございます。様々な努力を経て、御入学を果たされたお子様の晴れ姿に、感慨もひとしおのものがあろうかと思います。本日より、お子様を本校にお預かりし、私たち教職員は保護者の皆様の期待に応えるべく、最大限の努力をして参る決意であります。しかしながら、高校生という時期は非常に多感な時期であり、苦しみや挫折を味わったり、時には反抗的になったりすることもあろうかと思います。それは自立し、大人になろうとする若者が当然ぶつかる壁であり、その壁を乗り越えるためには、本人の努力とともに、家庭と学校が深い信頼で結ばれ、お子様が安心して学校生活を過ごせる環境を作り、支援することが最も大切なことだと考えております。ぜひ、保護者の皆様の御理解と御協力をお願いいたします。

 結びに当たり、新入生のみなさんが、ともに学ぶ楽しさやともに創造する楽しさ、生きる楽しさを感じ、豊かな学校生活を送り、伸び伸びと成長することを期待して、式辞といたします。

令和5年4月11日
京都府立清明高等学校
校長 越野 泰徳

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