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表現者が好きだ

友達でも恋人でも、何かを表現したり作る人が好きです。

音楽家、女優、モデル、料理人、デザイナー、プログラマー、美容師…etc.
特に職種やジャンルは問いません。
自分の世界観や価値観を大切にして、人の価値観を肯定も否定もしない人が好きです。

自分の「何か」を自信を持って表現して、臆せず発信できる人はもっと好きです。
「何か」を形にしたくて、頑張っていることをリアルタイムに発信している人も好きです。

上手いとか下手だとか、プロとかアマチュアとか、知ってるとか知らないとか、正しいとか間違ってるとか論理的なことは関係なく、かっこいいし、強い。

常に人の目を気にて、誰からもよく見られようという無難すぎる発信は見ていて嫌悪感があります。

なぜなら、私の経験上ではそういう人たちこそ、裏ではSNSや記事をこまめにチェックして、同じ考えの人たちでdisる傾向がある気がしてならないのです。

あの子必死だよねー、逆にかわいそう
そんなに頑張ってどうするの?
周りからちやほやされたいの?
大したこともないのに自分アピールとか草w
所詮は自己満足じゃんwww

やってもいないことをやったと言って発信したり、需要がないところにまで宣伝をしていたり、という状況であれば確かにそう言われても仕方がない。

そういう事実や状況が見えない場合は、必死に頑張ることの何が悪いの?と言いたくなってしまう。
個人のSNSなどでの対外的な発信は、その人のほんの一部が表面に出ているだけ。
その人の本質が出ているわけではないということ。

会ったことも話したこともない人なら、なおさらです。
付き合っていても結婚しても相手の本質なんて明確化されることはないのだから。

「そんなこと分かってるけど、なんか頑張ってる必死さは好きじゃない」と思う方はぜひこの2つのnoteを読んでいただきたいです。

つまり、何が言いたいかというと

その人が何を目的に発信をしているかは投稿だけでは分からない。
投稿だけでその人の全てを見透かした口ぶりでのdisりや指摘はナンセンス。
長所を認めてあげましょう。
実際に会ったら全然イメージと違う人かもしれないよ。
難しく考えて無難なところに埋もれてないで、書きたいこと・伝えたいことを発信していけばいいじゃない。

ということ。

偉そうにつらつらと書いてしまいましたが、私はどんな形であれ「表現者」でありたいんです。
今はまだ表現者になりきれてない部分も強い。
プライベートではピアノやSNS、仕事では広報という職種を通して「表現」をしていますが、来年は歌や他の楽器に変わるかもしれない。
仕事も広報ではなくなるかもしれない。

私の発信を楽しみにしてくれている人もいれば、批判する人もいる。
ときにはその批判が突き刺さって、立ち止まったり悩んだりすることもあるけれど。
それでも何度でも立ち上がって、私の中の「何か」を表現しつづけていきたいです。

すなえりさんの言葉を借りるなれば「私には私の需要がある」んです、きっと。


「無難」という言葉に騙されて大多数に埋もれずに生きていこうぜ。表現者たち。

きっと、あなたの表現は誰かを動かす原動力になるから。



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