私とピアノの30年④:音楽漬けの高校生(後編)
高校生編も最後。
2年生ではAコース認定試験に落ち、大号泣。さて、受験を控えた3年生がやってきます。後編もなかなかのボリュームでお届け。
両親の離婚で音楽を続けるべきか悩む
高校2年生の11月、両親が離婚。
普通の離婚(?)ではなかったので、精神的にも経済的にもピアノ的にも、なかなかのダメージを食らった。
なにひとつとして、不自由のなかったお嬢様生活から、突然転落した。
家とグランドピアノは手放すことに。
電子ピアノを調律師さんのご配慮で貸していただき、新居に置いた。
不動産屋さんも、売却が決まるまで、元の家にグランドピアノを置いて練習に来て良いと言ってくれた。
学校には環境の良い練習室がある。
とはいえ、常に生のピアノに触れる環境ではない。
これで実技試験・コンクール・発表会・地元の音楽祭…と、頻繁にやってくる演奏機会に耐えきれるのか。
レッスン代・楽譜代、ドレス代・コンクール出場費・東京へレッスンや講習へ行く費用…と、まだまだお金もかかる。
ずっと考えていた留学なんて、もってのほか。
音大に行ったとしても、奨学金を払いながら生活できるだけの収入を得られる音楽の仕事があるのか。
ピアニストになれず奨学金という多額の借金を背負って生きなければならないなら、全部諦めたほうがマシだ。
とかあれこれ悩んだものの、取り越し苦労に終わった。
母は超がつくほどのお嬢様。両親の親戚にはお金持ちが多い。
親族のみなさんからの援助で、高校卒業までは見通しがつくことに。
このときほど生まれた環境に感謝したことはない。お嬢様、万歳。
専攻替えを迫られる恐怖の5者面談
両親の離婚や練習時間減少の影響はほとんどなく、運良くピアノも声楽も成績は良い状態をキープできていた。卒業までこのまま乗り切れたらいいな〜と過ごしていた。
ある日の放課後、音楽科の校舎をうろついていたら、急に担任から呼ばれて職員室に入ると、M先生とH先生が並んで座ってコーヒーを飲んで、こっちを見ている。
何が起こるか予想がついた。でも入ってしまった以上は逃げられない。
これから「お前、声楽専攻にならないか?」と鬼滅の刃の猗窩座が分身したように先生たちが迫ってくる、あれが始まる。
予想通りに始まった、声楽への専攻替えのお誘い。そこに音楽科主任まで参戦。地獄の5者面談が始まった。
攻防戦を繰り広げて、落ち着いた結論が
声楽で藝大を、ピアノで桐朋学園大を、受験する。
音楽高校や音大受験を考えたり経験した人なら、どれだけ過酷でとんちんかんなことを言い渡されたか、お分かりになるはず。
音大の2トップとも言える、藝大と桐朋。
大師匠H先生と声楽のM先生は「とりあえず、やるよ」と気合いたっぷり。
「なんかよく分かんないけど専攻変えなくていいなら…」と投げやりな私。
超絶過酷な受験対策は中断に終わる
まず、大の苦手なソルフェージュで点数を稼げなくても、実技と音楽理論でカバーするぞ!となり、実技を集中的に頑張ることに。
ソルフェージュは追加レッスン!とかならずに、内心ホッとした。
ピアノはバッハ・ショパンエチュード・ベートーヴェンソナタ・リストを引き続き頑張る。
声楽はイタリア歌曲やオペラのアリア中心だったものに、日本歌曲を追加。
今まで以上に濃縮されたレッスンで頭はパンク状態。
それに加えて、実技試験やコンクール、オーケストラの練習、門下発表会や地元の音楽祭への出演準備、音楽理論に和声の勉強…と全部をこなすため、文字通り、寝食を削ることに。
日中は練習、夜は音楽理論と和声のおさらいや課題曲の楽曲分析。
睡眠時間は平均3時間。一般教科の授業は睡眠時間に。
そんな生活を3年になってから半年ほど続けていたら、さすがに心身ともに疲れる。
そろそろ限界かも…と思い始めた頃、声楽レッスンでM先生がなんだか渋い顔をして一言。
「藝大はやめましょう…今回の日本歌曲の課題があなたに合わないわ」
思わず心の中でガッツポーズした。
ピアノのレッスンではH先生が
「桐朋の4大(4年制大学の略)を受けるよりも、桐朋付属の短大を受けて、3年次から4大に編入する方向にしよう」
と、楽に受験対策を乗り切る方法を提案してくれた。
心身ともにボロボロになりかけていた私には、ありがたい提案だった。
メリットが見いだせず、進学しないと決意
3年になり、受験準備を進めながら、ふと頭によぎった疑問。
「将来に不安を抱えたまま、音楽を続けていて良いのか」
ちょうどこの話が出る前、私がお兄ちゃんと慕う先輩が大学を自主退学。
理由は色々あったけど「大学じゃなくても音楽はできる」がひとつ。
実際に、お兄ちゃんは在学中から音楽の仕事をしていて、自主退学後もバリバリ仕事をしていた。
その反面、良い音大を出て音楽教室で働きながらも居酒屋などでアルバイトをして、演奏活動は細々…という人、全く違う仕事に就いた人、数年働いて結婚する人、地元に帰ってくる人…いろんな卒業生がいた。
音大を出たからといって、必ず何かになれるという保証はない。という現実を目の当たりにした瞬間、音大に行くメリットを全く感じられなくなった。
バイトをしながら音大でゴリゴリ頑張っている先輩方の話を聞いても「私も頑張ろう!」とは思えなかった。
そもそも私は「学校に行きたい」のではなくて「ピアノがやりたい」ことに、改めて気づき、進学をやめることにした。
口に出すとまた学校でひと悶着起こることは分かっていたので、表向きには受験準備をしているフリ。
周りとの差に心が折れた受験会場
3年生の2月、受験本番。音楽系の大学や短大の受験は1日では終わらないことがほとんど。私が受験した桐朋学園の短大はありがたいことに1日で終了するプログラム。(だった気がする記憶が定かではない。)
ソルフェージュや音楽理論は楽勝で、残すは実技のみ。
実技試験前に学食でお昼を食べながら、他の受験者とおしゃべり。
藝大…!?
私と同じことをしようとしてる人が他にもいる…!?
藝大受験者が混じっているなんて、レベルが違う。
実技試験では自分の順番まで、受験会場のホールの前で待たされる。
進学するつもりはないはずなのに、ものすごく緊張した。
全員、同い年とは思えないくらい、レベルがものすごく高い。
自分の番が来て、充分実力は出し切れたくらいの演奏はできたけど「あぁ、もうこれは落ちた。周りと差がありすぎる。進学するつもりのない私が来る場所ではなかった…」と心が半分折れていた。
高校生活の目標を勝ち取った卒業演奏会
受験が終わった後、もうひとつ卒業前のイベント、卒業演奏会がやってくる。
学校のホールで行われる、一般公開方式。最後の公開処刑だ。
私は入学時から目標にしていた「卒業演奏会でソロ演奏をする」をしっかり掴み取っていた。
出演者は受験で弾いた曲を弾くことが多いので、私も例に習って受験やコンクールで散々弾いた、エステ荘の噴水を選択。
この時点では、まだ受験の結果はまだ分かっていなかったけど「これが学生生活最後の演奏だもんね!」「受験結果なんてどうでもいい。あの場で高いレベルの人たちと肩を並べて演奏できただけで充分!」と、半分ヤケになっていたけど、目標達成は純粋に嬉しかった。
高校生活での楽しかったことや悔しかったことを噛み締めながら演奏することになった。
卒業演奏会は後輩や保護者が観客のメインだけど、慣れ親しんだステージから見る景色はなんとなく違っていた気がする。
卒業式で進学しないことを明かす
卒業演奏会の後、受験結果通知が届いた。結果は合格。やったー!!
ものすごいレベルの高校生たちと肩を並べられていたのが純粋に嬉しかった。
進学したい欲がちょっと出たけど、これ以上の経済的な援助を親戚から受けるのは難しいことや、自分が学校に行くビジョンが全く浮かばなかったことで、すっぱり諦めた。
二次試験の申請をしていた音大にも受験辞退の連絡を…受験費用数万円が吹っ飛んだけど、受験期間中の滞在費や練習室代などがかかることや、行くつもりがない私が本気で行きたい人の枠を奪ってしまう可能性を考えたら、迷いはなかった。
担任とH先生、M先生には「私は進学しません。もう蹴るって学校には連絡いれました」と事後報告したので、咎められることもなく。
そのまま卒業式を迎えることになった。
学校全体の卒業式が終わった後、音楽科だけの卒業イベントが。
そこでは全員に卒業証書が授与されて、後輩たちが合唱をして、最後に卒業生全員が一言ずつコメント。
自分の番が来て「私はみんなのように進学せず、音楽とは違う道にいくことになると思います」的なことをサラッと言った。
ポカーンとした後輩たちの顔、同級生の状況が理解できない顔、忘れてませんよ。笑
今でも同級生や後輩、知り合った方々にこのエピソードを話すと、もったいない!!とよく言われるけど、全く後悔していない。
最後の発表会でボロボロの演奏
卒業式も終わって、最後の春休み。しばらく演奏することはないとダラけていたら、一本の電話。小学生からお世話になったO先生から。
「やなぎちゃん、最後の発表会、やっぱり出なさい。T先生も最後に弾きなさいって。」
実は卒業と同時くらいに連絡をして、発表会には出ないと言っていたし、練習も全然していなかった。
とはいえ、受験まで面倒を見てくれて、地元の演奏会への出演を推し続けてくれたお2人が言うなら出るしかない。
1週間で準備をして、卒業演奏会でも弾いたエステ荘の噴水を引っ提げ、背中が大胆に開いた黒いドレスを着て、大トリを務めた。
地元のホールでの高校生活最後の演奏は、見事にボロボロだった。
それなのに、T先生は苦笑いしながらも、どことなく安心したような顔をしていて、母とO先生は手を取り合って泣いていた。
その時にO先生が私に話してくれたことは今でも忘れない。
「うちの会社が大変だった時期、実はしばらく教室を閉めようと思っていたの。やなぎちゃんのおうちにお便りが届くのが遅れて、事情は噂で知っていたでしょうに、予定の時間にやなぎちゃんが『こんにちは!』って何もなかったようにいつも通りにレッスンに来て、弾いてくれたでしょ?
先生はね、あのときのやなぎちゃんのおかげで教室を続けようって思えたのよ。やなぎちゃんも辛かったでしょうに、難しいラヴェルもリストも全部こなして、歌でも1位になって…よく卒業まで頑張ったわね。」
私はちゃんと、お世話になった先生に、自分と自分の音楽でちゃんと恩返しできていた。
進学しなかったことにどことなく後ろめたさがあったし、強がっていた気持ちが一気に緩んで、卒業して初めて泣くことができた。
高校生編、めでたしめでたし。
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次はいよいよ、卒業して、満を持して東京へ。
大人になってからのピアノ人生はどうなるのでしょう。
お楽しみに!
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