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出したい音に大切だった、イメージの具現化と言語化

友人をはじめ、周りの方々から「ピアニスト」と認識いただいていたり、紹介いただいたりする機会が増えてきた、やなぎです。
自分では「仕事しながら、ガチめにピアノ弾いてる」としか思っていないので、ピアニストとして人の目に映っているのが、むず痒いような恥ずかしいような。

肩書が人を作る、とは本当によく言ったもので、最近はほんの少しだけ、ピアニストの自覚が芽生えているような。そうでもないような。
今回は本番を控え、私が選曲した楽曲の背景や練習エピソード、演奏する上でぶち当たった大きな壁、イメージの具現化と音作りについて、つらつらと書いてみました。長いです。


時代や楽曲によって異なる演奏手法

まず、私はクラシック音楽を専門として演奏しています。
クラシック音楽は西洋の伝統的な芸術音楽の総称で、1500〜1900年代の西洋音楽のことを指すことが多い。
私も全容は把握しきれてないけど、西洋音楽そのものは1500年代よりも前から存在していて、最古の楽譜として世の中に残っているものは、紀元前2世紀?のものとかだったような。

クラシック音楽史では時代別に

  • 古代(先史時代~4世紀)

  • 中世(5~14世紀)

  • ルネサンス(15~17世紀)

  • バロック音楽(17世紀)

  • 古典派(1750〜1820年)

  • ロマン派(1820〜1850年)

  • 印象派(1870〜1900年代)

  • 近現代(1910年〜)

といった具合に区切りがある。
それぞれの時代で使われている楽器の音域、演奏場所、作風などが異なり、楽曲に合わせて用いられる演奏技術も違う。
もちろん、それに合わせてピアノも弾き方がガラッと変わる。

例えば、

バロック音楽を代表するバッハにおいては、音を短く切る。
古典派初期のモーツァルトを演奏するときは、ペダルはほとんど使わない。
ロマン派は絵画のロマン主義と繋がっているところがあるので叙情的に。
印象派のドビュッシーはハーフタッチ(ふわっとした音を出すため、打鍵を遅くする弾き方)で。

など。
言葉にするのが難しい手法もたくさんで、書き出したらキリがない。
どの曲を演奏するにも、時代や作風なりの難しさがあります。

私史上、最高難易度の『死の舞踏』

少し前段が長くなりましたが、今年、私が演奏しているお披露目まで2年近くかかった、私史上、最高難易度の曲があります。その名も、死の舞踏
1870年代にフランスの詩人であるアンリ・カザリスの同名の詩の一部を引用して、フランスの作曲家サン=サーンスが歌曲として作曲し、後にオーケストラ用に編曲した交響詩が元。

余談ですが、1875年にパリのシャトレ座にて行われた初演は失敗。シロフォンの骨のかち合う表現や不協和音などは「悪趣味の極み」と批判されたそう。当時は不気味で悪趣味で忌み嫌われる楽曲だったのね。

この交響詩を、ピアノの魔術師と呼ばれるリストがピアノ曲として編曲したのが、今回私が弾いているもの。
(更にこれをピアニストのホロヴィッツが編曲した、ホロヴィッツ版もある。)

リストが編曲をした際に、楽譜と合わせて送ったサン=サーンス宛ての手紙には、

”素晴らしい色彩をピアノにうまく縮小して移し替えられない無能な私をお許しください。"

とお詫びが書かれていた、というエピソードがある。
ピアノで演奏する際にも原曲の特長であるヴァイオリンのスコルダトゥーラ(*1)や開放弦(*2)を中心とした色彩豊かな音色が求められている。

*1:スコルダトゥーラ…ヴァイオリンの弦を通常とは異なる調弦をして演奏する技法
*2:開放弦…ヴァイオリンの弦を指で押さえずにそのまま弾く奏法

そして、リストのピアノ曲の最大の特長と言える、超絶技巧。表現力も技術力も高いレベルが要求される。
それゆえなのか、私の周りで死の舞踏を演奏したことがあるピアニストは全員「二度と弾きたくない」と口にするし、レッスンをしてくれている先輩や師匠は、口を揃えて「絶対に弾きたくないし弾こうと思わない」と言うほど。
更に、これまで参考にしたプロの方々の演奏動画でミスなく弾いた人はゼロ。

そんな恐ろしい曲を弾くと決めたのがちょうど2年前。高校生で弾いた、エステ荘の噴水をまた弾く!と決め、次は2年連続になるけど、リストらしいゴリゴリした曲をやりたい、と思い浮かんだのが、死の舞踏。
楽曲背景がコロナ禍と似ている社会問題と繋がっているところが好きだったのもあるけど、主な理由は3つ。

①背伸びした曲で時間をかけて無理をしてみたくなった。
②過去に弾いたリストの曲とは全く違うイメージを弾きたかった。
③今まで弾いたことがない生死をテーマにした曲をやってみたかった。

2021年はサン=サーンスの没後100年のメモリアルイヤー。死の舞踏はあちこちで演奏されていたので、メロディーに聞き覚えがあるかも。
ちなみにコロナ禍というのもあって、約13,000円もする輸入楽譜が大手楽器店でも全く手に入らず、海外からお取り寄せした。

さらに身体も手が小さい(しかも特異体質とやらで小指が異常に短い)私が、ほぼ激しさしかない曲を弾き切る体力を作るため、年明けからダイエットと体作りをして、現時点までで3.5kg落とし、練習時間も1回あたり平均3〜4時間に増やしました。
よく腱鞘炎にならずに済んだな…

参考までに、かてぃんこと角野隼斗さんの4年前の演奏を。
手の動きが見えるカメラワークなので、どのくらい大変な曲か、お分かりいただけるかと。

死の舞踏の背景とストーリー

死の舞踏の楽曲背景の中心は、15世紀以降に中世を終わらせたと言われる、ヨーロッパで流行した感染症のペスト
当時は百年戦争の真っ最中。そこに運悪く重なったペストの流行。死者が後を絶たず、葬儀や埋葬も追いつかない。
そんな状況から、教会での祈りも癒やしや救いを得られず、人々が死に対する恐怖から街中で半狂乱で踊り続ける現象が見られたとか。
その集団ヒステリーの様相が『死の舞踏』と呼ばれ、絵画や詩などで死神や骸骨と人々が踊るモチーフが流行。
ハーメルンの笛吹き男もこの時代に生まれたおとぎ話だと言われています。

そして、中世の終わりから約300年ほどの時を経て、楽曲に組み込まれたストーリーがこちら。

夜中12時に街に鳴り響く鐘の音。
夜を知らせる音を合図にガイコツがカタカタと骨を鳴らしながら登場。
死神がヴァイオリンを弾き始め、演奏に合わせてカタカタと音を立てながら楽しそうにワルツを踊りだすガイコツ。
次第に死神の演奏は激しくなってゆき、ダンスもどんどん激しくなっていく。
クライマックスを迎えたところで、突然、朝を告げる鶏の鳴き声。
死神とガイコツたちは一斉に逃げ帰り、静かな朝を迎える。

背景とストーリーから重要になるキーワードは死神・ガイコツ・ヴァイオリン・ワルツ。時間軸は0時〜4時過ぎくらいの深夜から早朝にかけて。
そこから私がイメージしたのは、ホーンテッドマンション

ワルツは優雅かつ陽気に、ときには固い音でガイコツの骨の鳴る音を表現したい。死神のヴァイオリンは不気味だけど、その場を楽しんでいるようにしたい…とか、あれこれ考えながらひたすら練習して、お披露目の日を迎えます。

出したい音と着想したイメージのギャップ

初お披露目は5月に開催された、師匠の門下発表会。師匠からも、きていただいたお客さまからも、とても良い評価をいただけました。

自分では全然納得がいかない演奏だったけど、聴き手が感動してくれたり、感じてくれるものがあったことは純粋に嬉しい。
だけど、いただいたコメントのなかで引っかかったのが「楽しそう」というキーワード。
今回の本番は、ほとんど緊張しなかったし、演奏してて自分でも確かに楽しかった。

でも、果たしてこの曲の持ち味の不気味さを表現できていたのだろうか?
自分もお客さまも「楽しそう」で済んでしまって、本当にいいんだろうか?
演奏を通してストーリーが見えてこないのでは…?

という疑問を抱えることに。

更に、発表会直後に写真家さんから死の舞踏をテーマにドレスを着て、撮影をしていただいたこともあって、そのストーリーがやっぱり「恐怖」や「不気味さ」があったので、更にその疑問は深まった。
同時に「もっと気味悪い音を出して、聴く人に『やなぎってこんな音も出すんだ…』ってゾワッとさせたい」と思うように。

レッスンで師匠に「もっと不気味に、小気味悪く弾きたい」と伝えたら、師匠から問題提起が。

師匠「死神って、足があると思う?」
私「あると思います。神なので」
師匠「死神ってどうやって近づいてくると思う?」
私「浮遊感があって、うわぁっと近づいてくるイメージです」
師匠「今日の演奏を聴く限り、死神がヤンキーみたいに走ってきてんだよ。その『うわぁっと近づいてくる感じ』がしない

なぜだ。テンポを少し速めて、迫ってくる感じを出したのに。

このレッスンの翌日、師匠が諸事情により私が付き添いをしていた写真家の友人の個展に顔を出して、友人といろいろお話したと連絡が。

「作品を自分が演奏している楽曲に準えたら世界観が広がるからイメージしてみて。それをもってお友達と会話したら、ヒントをくれると思うよ」

他にもあれこれ言われましたが、なんとも難しい宿題が振ってきた。
そもそも友人の作品は森や木々がテーマ。私自身が水や森を題材にした曲は好きなので、作品を見て「この作品はこの曲だぁ!」と浮かぶことは多々あるものの、死の舞踏に繋がりそうな作品はない気がする…

その夜、友人と飲みながら、レッスンで言われたことや宿題の話をしていたら「死神のイメージをもっと具現化してみたら?」と。

友人に気になるところを聴いてもらって、感想を求めてみたら

「音の線が細い」
「力で押し切ってる感じがする」
「下級の死神って感じ。もっと上位の死神がいいと思う」

不気味さが出なかった原因が分かった。

自分で出したい音、イメージする音と頭の中で描いている風景のイメージに大きなギャップがある。
それゆえ、出してる音が全然違う。


演奏手法としては、キレイに音を響かせるんじゃなくて、低音を響かせて意味悪さを出した方がいい。テンポも不気味さを出すのに考え直そう。

ってか、この曲のイメージ、ホーンテッドマンションじゃなくない…?
そもそも背景は戦争とペスト、そこから起こった集団ヒステリー。
ここで出てくる死神は、ヴァイオリンを弾きながら「お嬢さん、踊りましょう」って手を差し出すような奴じゃない。
もっと死にいざなうワルツに誘う、邪悪な感じのはず。
もっとこの曲はカオスでホラーだ。

ストーリーをゼロから作って出したい音に近づける

友人の個展最終日。
撤収作業の間に、自分の頭にある死の舞踏にリセットボタンを押して、展示作品とは別にファイリングされていた、たくさんの作品を何往復も見て、やっと1枚の写真にたどり着いた。付き添い、万歳。
暗い森の中に水たまり、木々の根本に色鮮やかな落ち葉が広がっている、友人の代表作とも言える写真。
(言葉にしたらチープすぎるな…語彙力…友よ、ごめん…)

やっと、自分の中に降りてきた、ホラーなイメージ。

  • 雨上がりの暗い森で木々の枝葉から落ちる水の音と、木々を吹き抜ける風の音。

  • 主人公が森の中で死神に出会い、ガイコツに無理矢理踊らされる恐怖感。踊る足取りは絶対に重い。

  • いつの間にか、主人公以外にも人がいて、阿鼻召喚している様子があってもいい。

私の頭の中に、暗くて気味の悪い森の風景とヴァイオリンを弾く、真っ黒なマントにフードを被る、おどろおどろしい死神が、見えた。

※友人の作品は全く気味悪くありません。むしろ、とても美しいです。

今まで既成概念と楽譜の檻に囚われすぎてた。
友人が追加ヒントをたくさんくれたので、ペストに関する動画を見たり、ペストにまつわる都市伝説を調べたり。

イメージを作る材料を揃えながら1週間くらいかけて、
「ここは死神が突然現れるから、衝撃音みたいな音を出したい」
「右手は笑い声っぽい感じもするから、ガイコツが笑ってる場面にしよう」
「いやー、もうここはカオスだよね、カオスのクライマックス!」
などと独り言をぶつぶつ言いながら、ピアノを弾き、ストーリーを完成させた。

出したい音をストーリーに落としたら音が変わった

改めて自分が作ったストーリーを読むと、結構チープ。
目的は物語を書くことではないので、出したい音とちゃんと繋がったイメージをもって言語化はできたし、明確化されたから目的は果たせた。

それに合わせて自分なりに弾き方や身体の使い方をそれにあわせて変えていく作業をして、1週間の練習期間後、先輩のレッスンへ。

先輩「すごく上手になってるじゃん…!めっちゃ練習した?音楽と世界観ができてきてるし、音変わったよ!」
私「いや、逆に全然練習してなくて〜この前、師匠にこう言われて〜友達が来てたから相談して〜カクカクシカジカ(これまでの経緯)。で、もうちょっと衝撃音というか、緊張感と不気味さがある音がほしいんですよね〜」
先輩「なるほどね、おっけー、指の使い方を変えよう(圧)」

ここで、私が出したい音を出すには王道フォームをしたらダメだと知る。
ピアノ経験者は言われたことがきっとある「指は立てて、卵をそっと掴むように」的なアレ。
あの王道フォームはキレイかつ均等に音を出すためのフォームなので、気味の悪い音や衝撃音は絶対に出せない。
先輩に徹底的に手首だとか指の形だとかを修正され、音が細い問題と不気味な音がなかなか出ない問題はあっという間に解決することになる。

今回は色々な方面から、色々なことを気付かされた。

2度目の本番を目前にした、今

長々とダラダラといろいろ書いてしまったけど、実は、本番を翌々日に控えた夜に書いています。
ちょっと前までは「もうピアノが弾けない時間があるなんて…」とか変な落ち込み方をしたりしていたものの、不思議とメンタルも安定していて、ちょっと細かいところを練習したらあとはゆっくり過ごそう〜くらいに思えている。

今回、死の舞踏という曲に挑戦しなければ、きっと今回のような悩みや苦悩は生まれなかっただろうな。
友人とした曲のイメージについての会話も、そこからイメージを具現化と言語化をして音にするという過程も、それからのレッスンも、すごく楽しかった。
この曲を弾いてなかったら、きっとできなかった体験。
ピアノ人生、約30年にして楽譜の檻を飛び出せるようになった私の演奏は、これからどう進化していくのだろう。

クラシック音楽は古からあるものだけど、全く違うイメージを作って、新しい音としてお届けして、聴いている人の耳を慣れさせないことってすごく大事なこと。
私がピアニストであろうとそうでなかろうと、少しでも私の演奏で時間が豊かになる人や音楽を楽しいと思える人が増えてくれたら、それで充分な気がする。

本番は「これが私の死の舞踏だ」と胸を張って、堂々と。
気負わず、焦らず、怖がらず、臆することなくステージに立ってこよう。




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