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ハイパーインフレの本質的な2つの問題
渡辺努『物価とは何か』にスーダンでハイパーインフレを経験した学生の話が次のように書かれている。
彼との会話の中で意外だったのは、異常に高いインフレ率の下でも率の下でも、人々の生活は壊滅的に崩壊することはなく、食うや食わずの状況になったかと言えば必ずしもそうではなかったということです。それどころか、彼によればいつもとさほど変わらぬ日常が営まれていたということです。
なぜか?
スーダンの留学生の説明を聞いて、なるほどと納得すると同時に、すべての価格と賃金がほぼ一律に上昇するという現象の不思議さに惹かれていきました。価格と賃金が一糸乱れず上昇するというのは、正に蚊柱の移動です。しかもその移動速度はあり得ないほどの猛スピードです
スーダンでハイパーインフレが起きた時、物価に合わせて賃金がタイムリーに調整され、一緒に上昇していったので、社会は混乱せずに日常の生活が維持できたという。
これからわかるように、結局、商品やサービスの本質を見極めることができればハイパーインフレが起きても混乱しない。
一つ例を考えてほしい。
物価と資産が一気に10000倍になったしよう。一気に変化すれば、何の問題もない。資産もあらゆる物価も1万で割れば、現在の生活と何一つ変わりはない。
ただ「一気に」同時的に物価が変わらないなら、社会は混乱するだろう。
何かしらの原因で、一部の産業や人々に先にお金がジャブジャブになり展開していくだろうから、それに伴い社会で損するものと得するものが出てきて、不安定な状態になる。
ただ、長期的には解消されるだろう。
国内では、という限定で。
では、国外取引はどうなるか。
為替レートが柔軟に変わらなければ、海外との貿易ができなくなる。
そうなれば、日本は鎖国状態になり、資源が変えず国内経済は江戸時代の3000万人がなんとか生きていける水準にまで下げなくてはいけなくなる。
ただ、前にも書いたが、本質的な生産能力をもっていれば、為替レートもいずれ調整される。
砂漠で水が金額的な値段を超えて価値があるように、ある社会状態で価値あるものは価値あるのだ。
お金という尺度で不安定であっても、日本の温泉の価値はグローバルに認められる。
決済手段の混乱と、価値を分けて考えるべきだ。
だから、日銀が1億人各自に1000万円配ったらどうなるか。つまり、1000兆円くらいお金を刷ってばらまいたらどうなるかわかるだろう。
国内であれば、物価と賃金が上昇すれば、それだけの話だ。
一時的に、消費者の懐が緩むので、イノベーションが起こりやすくなるだろうが、本質的には何も変わらない。
国外についても、仮に為替レートが柔軟に動けば問題ない。
では、金を刷りまくることの本質的な弊害は何か?
以下2つだ。
まず、お金を刷りまくることの本質的な問題は、決済システムが不安定になることだ。これまで、無数の商品の価値体系として絶妙なバランスで、あらゆる商品がメニュー表的に値段が決まっていた。それが崩れ、動き出すと、さまざまな読み合いが起き、様々な商品の値段が動き出してしまう。
これにより、混乱が起きる。適切なプライシングができず、賃金の調整もうまくいかず、給料30万円は変わらないのに生活費が10万から50万に変わるというようなことが起こる。
そして、2つ目の本質問題も深刻だ。それは、商品・サービスへの投票システムが狂うということだ。仮に、国民一人ひとりがいきなり1000万円をもらったら、余裕資金として、比較的検討もせず様々な消費行動をするだろう。1000円が3000円でもあまり気にしないだろう。
こういう状態になると、市場の原理がうまく働かず、たいしてよくない商品が蔓延ることになる。まずい飯屋が生き残るようになるのだ。
普段、自分の努力で稼いだお金であれば、その使徒は、熟考の後に行われるのが普通だ。棚ぼたの金であれば、財布の紐がゆるくなるのは当然だ。
以上、結局、お金を刷りまくる制作の根本問題は、決済システムの不安定による社会混乱と、市場による競争がうまく機能しなくなるということが本質なのではないだろうか。