時間を切り売りした生き方はよくないのか?実はショボい投資・経営の仕事【価値実感という尺度】
よく、管理者や投資の立場を推奨する人がいる。自分が寝ている間も誰かに動いてもらえ!みたいなことをドヤ顔で主張する所謂、成功者がいる。
でも、実は、事業やビジネスのオーナーになれ!のようなことを何の前提も確認せず言っている人は無能。
ここには前提があって、「お金」を多く稼いで生きたい、という人にとっては正しいと言える。
つまり、好きなことをやるとか、のんびりする時間とか他のことよりも「金」を第一優先にしたい人にとっては、たしかに、経営者や投資家になることは大切。
でも、金を稼ぐには様々なことを断念しなければいけない。さらに、それがうまくいっても結局満たされないものがあるのだから、最初からそんなことしないほうが合理的という見方もできる。
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さて、これだけで終了してもいいが、
もう1つ別の角度から1つ指摘。
まもなく、経営者や投資家の価値は下がっていく。
AIは高付加価値といわれるような仕事から奪っていくのは周知の通りであろう。つまり、時給1000円という激安で人を雇えるのだから、レジ打ちをロボット化するインセンティブはない。一方で、時給何十万円のコンサルタントにお金を払うなら、AIを開発したほうがペイする。
今後は、経営や投資という仕事がなくなるような投資が、加速する。
世界中の人々の行動データがビッグデータとして吸い上げられて、それを最適化するようなことが起きれば、経営や投資という仕事がなくなる。そこで人間に残るのは人間しかできない仕事だ。
これは、実はまさに計画経済である。
計画経済は失敗したといわれるが、それはデータや分析手法の決定的な欠落である。今後それらが充実したら、少なくとも人間が判断するよりは良い判断ができる可能性はあるだろう。
よくよく考えてみれば、投資や経営というのは、最適な資源配分をすることが価値であり、それは、より広い範囲のデータをとってきて、有効な評価軸で分析して、打つ手を決めるという、なんともコンピュータが得意そうな、全く高尚なものでもなんでもないブルシットジョブである。
身も蓋もない話、世界の情報をたくさん集めて、必要なものを決めて、それを人集めして提供する、という営みにすぎない。
ビジネスなんてのは顕在しかかったことしか扱えない、つまらないものであることをみんな理解すべき。
つまり、誰もが思いつかないものとか、人間社会や実存そのものを疑うような活動は、ビジネスでは基本的には扱えない。
ただ、
別に投資や経営が現場の仕事に劣るという話ではない。同列だ。後述するように価値実感を得にくいという意味では現場の仕事に劣る。
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アドラーの結論は、人間は承認欲求を充たしたい生物だから、社会に価値を創造できる生き方が最強、というもので、これは正しいと思う。
投資や経営など、現場から離れた仕事は、金は稼げる。その意味では価値を創造しているといえる。
しかし、自分が価値を創造している!というような感覚を持つことは難しくなる。これを価値実感と呼ぼう。
現場から離れると、本当の意味で価値を感じにくい。だから多くの資産家は、蕎麦屋になったり、寺子屋をひらいたり、現場に戻っていくのである。
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では、どういう活動に、価値実感を感じられるか?
それは、自分にしかできないものと心底思えること。
で、どうしたら自分にしかできないか?
それは、自分の来歴に根付いていることだ。
自分の性格や経験から、「おれがやらなきゃだれがやる」と思えるもの。いわゆる天職。そういうものをやれば価値実感を得られるだろう。
コネクティングドットとは、実は、見方を変えれば、今やっていることが過去に根を持つと認識できることなのである。
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ただ、
資本主義社会ではお金も重要だ。
お金を持っていれば、価値実感のある活動に注力できるというメリットがある。
だから、まずはお金をたくさん稼いで、セーフティーネットを敷いてから、価値実感のあることにフルコミットするのが最強の生き方といえるかもしれない。
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ということで、
みなさま、
まずは、爆発的に金を稼ぐか?
あるいは、
現場で価値享受者に向き合って、価値を実感できる仕事を今からしよう。