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人の言動・来歴は最強のエンタメ

子供の頃素朴に、悪いことをした人は現行犯など証拠が確実なら、懲役とか大きな罰を食らわせてしまえばいいのでは?と考えていた。

なぜこれがダメか?みなさんはすぐに答えられるだろうか。

まず、もちろん、推定無罪の原則がある。正しい方法で取得した証拠で蓋然性がなければ罰を与えることはできない。

そして、もう一つ重要なことがある。

それは、ある個人の犯罪(社会のルール破り)は、社会の責任でもある、という視点。

これは一言で言えば、何かの行為には、必ずその原因がある、ということ。

犯罪だけに限らず、馬鹿な言動をしたり、非常識なことをするのも、もしくは逆に凄い公共性をもっているのだったり、至極普通に見える性格だあることにも何らかの必然性があると言える。

人間の心は、物理法則のように単純な要素に分解できない「意味」的な領域なので、簡単に結論付けることはできない。しかし、過去の様々な体験から今のあり方が形成されているというのは誰もが納得するのではないか。

犯罪者の例であれば、生まれつきに社会的に弱い立場にあったとか、過去に仲間はずれにされた経験とか、犯罪行為を受けたとか、そういうのがある。そして、彼らにそういう経験をさせたのは社会であり、それに私たちは全員含まれている。

人間社会におけるバタフライエフェクトがあるのではないか。蝶の羽ばたきが地球の真裏で台風を起こすように、われわれ一人ひとりが日々とっている言動は巡り巡って何千キロも離れた人々の生にも影響を与えているだろう。

買い物やレストランで店員に対する態度とか、理不尽なことが目の前で起きているときの態度とか、そういうのが社会の基礎になっている。

昔の円谷作品で描かれていたように、悪役はみな、人間社会が生み出した産物なのだ。

今後、いわゆる社会で悪者とされる人への扱いが変わってくるのではないか。

彼らがなぜそうなったのかを研究し、社会やそれを構成するわれわれの責任が問われる。

そこで、一つ、私たち個人がどういう態度で生きるべきか、提言してみたい。

それは、人に対していちいち、感情的にならないで、その人の言動から来歴を考察する、ということ。

会社や取引先などで理不尽な人がいるとか、街で暴言を叫んでいる輩とか、そういう対象にいちいち腹を立てたり、怯えたりせず、この人達はなぜそうなっているのか。

もっと、軽度に、友達と意見が合わないとか、営業がうまくいかないとか、そういう不一致などでもいい。

それを紐解いていくと必ず、その人の来歴に答えがある。

人間は誰しも、ある遺伝子的な特徴を持ってきて、その後、社会の中で様々な経験をして価値観や世界観を編み上げていく。

みんな異なる時空間で成長していくわけだから、みんな異なる価値観を持つのは当たり前だ。それは、ずっと同じマンションで生まれ育った人たちだって同じことだ(異なる)。

こういう違いを、人とのコミュニケーションで来歴から探っていくことは最高のエンタメなのではないか。

そうやって違いの中から、共通のものを取り出そうとするコミュニケーションはおもしろい。

これは、人が生まれてから時空間の中で、自分の五感で得た情報を基に、社会へ、情報をフィードバックしていくようなものだ。こうして社会全体がよりよくなっていくとすれば、そのコミュニケーションに報酬が与えられているのは至極当然だろう。


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