鳥山明さん逝去とドラゴンボールの思い出(フリーザ第二形態への絶望)
ドラゴンボールの作者である鳥山明さんが亡くなった。
1955年生まれということで、まだ68歳であった。自分の両親より若いくらいで、早すぎると言われてもおかしくない。
(ドラゴンボールは1984年からなので鳥山さんが29歳で連載開始)
これを機に、改めて自分の精神の根底にあるドラゴンボールについて考えてみたい。
まず、ドラゴンボールの名場面、みなさんはどこを思い出すだろう?
多くの人は、フリーザが戦闘力53万を発表したときだと答えるだろう。
それもわかる。それまでラディッツ、ナッパとか数千レベルで、ギニュー特戦隊ですら10万いくかいかないかくらいのところ。そこで53万はびっくりだ。
ただ、私はその後、フリーザ第二形態がさらっと「これで戦闘力は100万以上は確実」といったところで絶望した。53万って本気のときじゃなかったんだ、と焦った。その焦りは今でも鮮明に覚えている。その後、最終形態が出てきて、血の気が多い第二形態、絶対最終形態ではない適当な第三形態を経て、冷静さを取り戻したときの恐怖も味わい深かった。
さて、
ドラゴンボールは、70,80年代生まれの精神構造に大きな影響を及ぼしていると思う。それについては以下の記事に書いた。
これは、実際問題、良し悪し両方ある。
人は戦闘力という尺度で測れてしまい、戦闘力で上を目指すという世界観が浸透した。(もちろん、その尺度全てだ!などとDBで言われているわけではないが、見ているとそいういう考えになってきてしまう)
また、死ぬほどまで擦り減ったら一気に成長するサイヤ人のモデルも、激務による寝てない自慢などに繋がる文化を形成しただろう。
大人になって、こういう角度から見ると、物足りないところが見えてきていたが、やはりキャラクターや次々現れる強敵に立ち向かうZ戦士への憬れ、ワクワク感は未だに消えない。
これまでに一番何度も読み直した本といえば間違いなくドラゴンボールであると言える。
最後に、改めてこのようにドラゴンボールの私自身に対する、さらに社会に対する影響を考えると、漫画家という職業は偉大だと感じる。
視覚的でわかりやすくマスにリーチできるエンタメ。今回、世界中からお悔やみのメッセージがあがっていたが、ビジネスパーソンではこんなことにはまずならないだろう。
自分の世界観があり、かつ、それをストーリーにし、絵にできる。あらゆる分野の教養が必要とされる最も知性が要求される職業かもしれない。
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僭越ながら自分も一時期漫画をたくさん描いていたのを思い出した。そして、また、描いてみたくなった。