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【外国語学習】「自習」は重要だが最適解ではない

ここ5年くらい、英語のコーチングが語学学習のやり方として普及してきている。

語学コーチングの分野で、「自習が大事だ!」というような表現をよく見聞きする。

しかし、これ、この言い方だと少し語弊があると思う。正確には、「自習」は重要だが、最適解ではない。

今日はこれについて説明したい。

まず、語学における学習は、【理論】と【トレーニング】の2種類に大きく分けられる。例えば、中国語学習において、【理論】とは、発音でいえば、「え」の口で日本語の「お」という発音を出す、などを、また、文法で言えば、文成分や品詞の定義を知識として学ぶことである。

一方、【トレーニング】とは、発音の場合、その理論に基づいて実際に自分の口を動かして発音したり、見本の音と聴き比べて違いを見出したり、それに基づいて修正したりすること。文法であれば、作文を書くときに語順に気をつけたり、日本語から中國語へ、単語と文法を使いながら翻訳を行う、というようなこと。

この【理論】と【トレーニング】というのが、学習における本質的な区分だ。

さて、「自習」に話を戻す。

「自習」というのは、一人で行う学習といえる。一人で勉強する場合、自分のペースで進められるというメリットはあるが、モチベーションがわかなかったり、わからないところで躓いたり、習得度がわからなかったりと問題もある。

それゆえ、きちんとした教え手(先生)がいるなら、ファシリテーションしてくれたり、その場で問題解決してくれたり、習得度をチェックしてくれるので、圧倒的に学習効率が高い。

しかし、そのような教え手が、【理論】や【トレーニング】の学習全てに付き添っていては、大変なコストになってしまう。

コーチング式語学では、毎日1〜3時間程度の自習をすることが一般的だが、このペースで月に30〜90時間を付きっきりでやるのは現実的でない。

仮に、私がやる全ての【トレーニング】を、松岡修造並に熱く励ましてくれて、優れた技術指導をやってくれれば、それは学習が捗るだろう。(たぶん)しかし、とんでもないコーチ料を払わなくてはいけない。

だから、先のファシリテーションや問題解決、習得度チェックなどは切り分けて、必要に応じて対応していきコストを抑える。

また、コーチング式が出る前の従来の語学サービスの最大の欠点は、【トレーニング】について明示的な指示が一切なかったことだ。

泳げるようになるためには水の中で身体を動かすことが必要なように、語学では、知っていることを“使える”ようにするためのトレーニングが不可欠である。しかも、それを学習時間の大半行う必要がある。

主にこの【トレーニング】を、目標を明確にして「何を、どのように、どれくらい」やるかを提案してあげて、「自習」という形で実行させることで、学習効果が高く且つ低コストで、成果をあげることができる。

つまり、「自習」が大事だというのはその通りなのだが、それは【トレーニング】を正しいやり方で一定量やることが重要だということであり、さらに、それ全てに教え手がくっついて指導することはコストがかかりすぎることから、そういう結論になる。

「自習」が大事なわけではなく、【トレーニング】を正しく行い、一定の量を行うことが大切。そして、「自習」には、モチベーション維持、問題解決できない、習得度がわからないなどのデメリットがあるので、そういうことを意識して行う必要がある。


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