映像とテキストのコンテンツとしての違い〜線状性とクオリア〜
本日は、映像とテキストのコンテンツとしての2つの違いについてメモしておきたい。
言語の線状性
ソシュールの言語学の重要概念の1つに「言語の線状性」がある。
以下、定義はこちらを参照。
ヒトの言語の顕著な特徴の1つに線状性 ( linearity ) がある.発話において自然界における重力のように重くのしかかる根本的な条件であり,これによって言語の構造が大きく制約されている.
言語の線状性とは,発話は時間に沿って継起するという原則である.発音器官の制限上,ヒトは同じ瞬間に異なる複数の音を発することができない.複数の音を出すには,時間に沿って順番につなぎ合わせるしかない.聞き手にとっても同様で,複数の言語音を同時に聞き分けるというのは,特殊な能力をもっていない限り不可能とはいわずとも難しい.ここから,各音の並び順が重要性を帯びることになる.例えば,英語で /t/, /ɒ/, /p/ はそれぞれ区別される音素だが,並び順によっては top, pot, opt などと異なる語が形成される.線状性は意味を違える機能を含んでいると言える.
この特徴の本質は、ある時間内における情報量が制限されているということだと考えられる。
つまり、10秒に30文字とか、言語はある時間内に言える、聞けるという物理的な制約がある。
これは、言語だけでなく映像もそうだ。
10秒で表現できる内容には限度がある。
一方、本を読むとか、絵を鑑賞するとかは時間的な制限が緩い。自分のペースで色々調整できる。
だから、何かを伝えるためには、映像のほうが向いている。
1秒の情報量に制限があり、確実にこの時間はこの情報とコントロールができるからだ。
クオリアの制限
次に、例えば、「アメリカ人」としてどのような質的なイメージを思い浮かべるかは人それぞれである。めちゃくちゃマッチョなアメフト大学生みたいなのを思い浮かべるかもしれないし、幼い頃に知り合ったアフリカン・アメリカンの友達のイメージが強いかもしれない。
でも、映像の場合、そのような解釈に揺れをもたらさない。小説で「アメリカ人」と出てきたものは、各自の来歴、経験によったイメージとなるが、映像として出てくるアメリカ人の見た目や声、などはもうある形に固定される。
まとめ
以上、映像とテキストの2つの大きな違いを説明した。
この特徴を踏まれれば、コンテンツ制作の目的に応じて適切なメディアを選べるだろう。
なにかのメッセージを伝えたいなら、概念の解釈を限定し、さらに1秒あたりの情報量を少なく固定した映像のほうが良い。一方で、経験などを超えた抽象的な議論を展開するならテキストのほうがいい。