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「という確信は、私の生まれの偶然性から形成されました」という不可欠な最後の一言

先日、ある知識人風の人が、偉そうに意見を述べていた。

が、
偉そうに相手にこのものの見方が正しい!といえるような状況は、同じゲームに参加していることを確認した上でないと、ただの押し付けでしかない。

では、押し付けにならないようにするにはどうすればいいか?

それは、「という確信は、私の生まれの偶然性から形成されました」ということを最後に添えればいい。

これは、不可欠な最後の一言。

もちろん、ある知識人の意見は、この資本主義で人類の幸福度UPみたいなゲームの参加者であれば、至極合理的な主張であるが、
誰も、そのゲームにJOINしたなどいっていないのだ。
お前と同じゲームに参加してないわ!
って感じなのだ。

だから、最後に
「という確信は、私の生まれの偶然性から形成されました」
といえば、
その人はその人自身の特殊な生まれや育ちから、コミットするゲームが決まって、今そのゲームに参加していることが示唆される。

こんな一言をつけるわけはないだろうが、
広い視点でこの前提は理解したほうがいい、
その上であえて、押し付ける人とそうでない人の違いはそこはかとなくでかい。

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