神保哲生さん、宮台真司さんでお馴染みのビデオニュース・ドットコムで興味深い内容の議論を拝見した。 『インターネットがなくなるかもしれない事件の審理が米最高裁で始まった』(2023年3月4日)というもの。
以下で視聴可能。
アメリカの最高裁でインターネットの未来を決定付けることになるかもしれない重大な裁判の審理が先週(2023年2月21日)に始まったらしい。
なぜこの裁判がそれほど重大かというと、この裁判の結果次第では、今あるインターネットのあり方が根本的に変わってしまうかもしれないからだ。
以下、引用する。
Googleの検索さえも、場の提供ではなく「表現者」として見なされてしまえば、様々なネットのプラットフォームは誰も傷つけないつまらないものしか扱えなくなり、消えてしまうだろう。
ではどうすればいいか?
動画で言われている通り、明確な線引は難しい。その線引自体に価値判断が入ってしまうし、上述のように、線を引けばつまらないものしか残らなくなる。
1つの理想的な解決はある。
それは、みんなが賢くなるということ。
ISのような動画がリコメンドされても、「つまらん、おれはひっかからない」と一蹴できるようになればいい。
逆にいえば、宮台さんがいうように、こういう便所の落書きをする人がいるという事実が浮き彫りになる効果がある。
だから、賢い人間が、そういう悪を追求しつづけなければいけない。
でも、そういう賢い人間の話を大衆は聞かないだろうし、そもそも、プラットフォームのアルゴリズムでは人気のないコンテンツとして扱われてしまう。
こういうときに、公共放送など、視聴者に迎合しなくてもよく、且つ影響力のある存在が重要になる。
ただ、その中立的存在が、まともである保証はない。
これはどうすればいいのだろう。