【教育×AI】atama+は教育に革新をもたらすのか?数値化された能力しか伸ばせない?
AIを使って教育業界を変える、という発想で多くの企業が様々な技術を使っている。
日本で今注目を集めている企業の一つにatama+社がある。
今日は、atama+社のサービスを吟味することで、AI教育の未来について考えたい。
彼らのサービスはHPによると以下の通り。
atama+は、全国の主要な塾に採用されている、AIを用いた学習システムです。「人間では不可能なレベルの分析力」で、個別指導以上の“超”オーダーメイド学習を実現。一人ひとりを分析し、最短で合格に導きます。
同社のサービスは様々な強みが説明されているが、一言でいうと、個人に最適化された動的な学習カリキュラムを提供するということだ。
このサービスの中身について、以下、その制作手順を考えてみることで、強みや問題点を考えてみたい。
1.最終目標を定量的に定める
例えば、「数学」のカリキュラムを作るのであれば、「最終目標は駿台模試の数学の科目で高得点を取ること」のようなものになる。
この最終目標と、何をやったかというデータを解析して最短距離の学習を導き出す。
2.その最終目標に必要な学習項目を全て書き出す
参照元:https://www.atama.plus/course/high/h3hg/#structure
上の図は、公式サイトにあるもので「数学」の例。
「2次関数」を習得するには、「平方完成」「一次関数の応用」「比例」などがわかっていなければならない。
この学習項目を漏れなくダブりなく整理する必要がある。
この図の作成は、「数学」のエキスパートである人が、アナログ的に作っているようだ。なので、この初期値はとてつもなく大事。
3.網羅的な学習項目を一つずつ学べる学習コンテンツを作成
前のステップで、網羅的な学習項目の一つずつを学べる学習コンテンツ(動画やテキスト)を作成する。
ここで重要なのは、学習項目をどれくらい細分化し、一つ一つをどう定義し、それが習得できるという状態をどのようにテストで担保するか、である。
つまり、
「比例」という学習項目において、学習者は何ができればいいのか?
「比例」を知識的に説明できることか?
「比例」の知識を“使える”練習問題で正解を出せることか?
それは何問やればいいのか?
この設計で失敗すると全体の成果に大きな影響が出てしまう。
4.データを蓄積し、最適解を探していく
このような学習コンテンツができたら、それを学習者にタブレットなどのアプリ上で行わせて、データを蓄積する。
最終目標の数値と、様々なデータ(※)の関連性を統計的に解析して最適なカリキュラム作成(及び先生のアシスト)を調整していく。
※各学習項目での正否(どこで間違い、正解したか)、所要時間、学習の停止時間、各学習項目をいつやったか、など
最終目標の伸びがよかった学習者が、成功モデルとなり、そこで使ったカリキュラム制作のロジックが強化されるのだろう。
5.各学習者に最適なカリキュラムを提案できるようになる
こうして、一定の学習データが蓄積すれば、最終目標で高得点を出せる学習者に何が有効だったのかがわかるし、それも随時アップデートされていく。
こうして、数値化された「最終目標」を達成するために、いろいろな学習者に最効率のカリキュラムを作ることができる。
以下、このサービスの懸念点を考える。
懸念点1:最終目標と目的の関連性
atama+社のミッションは、かなり現実的で好感がもてる。
学習を一人ひとり最適化し、「基礎学力」を最短で身につける。
そのぶん増える時間で、「社会でいきる力」を伸ばす。
こちら、「基礎学力」という点に絞っているところが良いと思う。
つまり、同社のサービスはある意味、答えが明確なことしか扱えないのだ。
上記の「1」で見たように、最終目標を数値化できないといけない。それをもとにデータを蓄積し最適解を探していくから。
それは模試や大学入試の「点数」だ。
たしかに、それらの「テストで高得点」を獲得すれば、一定の学力や能力は保証されるだろう。
ただ、それをどう社会で応用していくか、どう社会に価値として還元していくかというような能力は問われない。
そのような「社会でいきる力」については、短縮して節約した時間で各自頑張ってください、というのが主たるメッセージだろう。
言葉で定義できてしまう能力(数値化できる)は、価値はそこまで高くないが、なくては高度な人間社会で価値を生むことはできない(それも仮説だが)。
そして、「社会でいきる力」は言葉では定義できない。
だから、まずは、定義できる「基礎能力」は数値化して割り切って、そこを最効率で身につける。
という発想。
であれば、「基礎能力」を目的から考えて最適な「数値」に落とし込むことが決定的に重要になる。
例えば、東大の「英語の試験」で満点を取れていたとしても、それが「英語」を“使える”ことには直結しない。目標の裏側にある目的とどれだけrelatedなのかが問われる。
この視点を忘れてしまうと、社会で価値を発揮すこととかけ離れた無駄な能力を持つ人間が量産されてしまう。
懸念点2:学習者の現状把握
あるカリキュラムを提案するには、
①その学習者の現在のレベル
②その学習者の最終目標
ただ、学習者は真っ白な白紙状態の人間ではないので、この学習を始める前に一定の知識を持ち、練習問題を解く力を持っているだろう。そのあたりを、アプリ学習の効果と線引することも必要になる。
懸念点3:自分の能力を客観的に反省する力(新井紀子さん)
東ロボくんプロジェクトでお馴染みの新井紀子さんは、atama+のような教育サービスについて、次のような懸念を示しています。
新井さんの指摘は、学習の全体像を把握しながら(また、更新しながら)自分の位置を確認し、試行錯誤していくような力が奪われるのではないか?ということ。
たしかに、問題を次々と説いていれば、自然と成長していけるのであれば、自分の学習を管理していくことはできなくなるかもしれない。
ただ、この指摘は、先の懸念点1で述べた通り、「基礎能力」という割り切れるものを対象にしていれば、避けられるのではないか。
懸念点4:初期設定を更新する仕組み
先にも述べたが、「最終目標」を達成するために、何をどのようにどれくらいするか、を整理するわけだが、そこがある個人の知見に大きく偏ってしまう。
もちろん、専門家や一般人も交えて一定の議論はしているだろうが、そこにバイアスがかかるのは事実。
ここの最終目標からの全体像は、データに基づいて更新される仕組みがあるのだろうか。
懸念点5:そもそものモデルの間違いの可能性
上記1〜5の通り、その制作手順を仮定してみたが、そもそも、最終目標を設定し、それに必要な学習項目の列挙、その最適な順番や量、というようなモデル自体がかなり、人工的であり恣意的。
われわれの脳は、本当はそういう仕組で動いていないかもしれない。
また、「二次関数」の前に「一次関数」をやるというような道筋を想定しているが、実は、数学のような普遍的なものであればいきなり「二次関数」をやったら、それに含まれる知識や演習スキルは身についてしまうかもしれない。
こういう例外的な良いものを封じ込めてしまう可能性もあるのではないか。
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以上、atama+社のサービスをベースに教育AIの可能性について考えてみた。