【研究テーマ】フォロワー数は内容の解釈にどれくらいの影響があるのか
今後、研究したいテーマを備忘記録としてマガジンに貯めていきたい。ざっとネットで調べてみたものの、あまり的確に回答されていないような課題について。既に知っている方がいれば、是非教えてほしいし、一緒に研究したい人がいたらご連絡くださいませ。
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企業や商品のブランド、SNSのフォロワー数、最近なら中国の信用スコアなど、世の中にはたくさんのラベルがある。
本来、人間は、質的、クオリア的な世界に開かれており、そっちのほうが「メイン」だと思われている。
しかし、そこから派生する(かつそれにより再帰的に影響を受ける)「言語的な認識」もある。
言語的なラベルは、人間の認知の加速させる。
人間は生物的な限界により、「いま、ここ」で認識できる範囲がある。それゆえ、大枠で一定の評価プロセスを外注したほうが資源効率が高くなる。
1から、その人がある人と話す価値があるかを見極めるためには多くのリソースが必要になる。例えば、相手が「私は○○という価値観、世界観をもっている」など言われても、前提を共有していないし判断が難しい。
そういうときに、「東大卒です」とか言われれば、基礎的な知識セットが想定されるし、一定のまともな人間だと想定できるだろう。(もちろん、それが嘘かもしれないから、それが本当という情報があれば尚良)
SNSのフォロワーなんかもそうだろう。何万人もフォロワーがあれば、それなりに凄い人だということが担保されるから、丁重に扱うことになる。
一方で、最初に述べた通り、本来世界はもっと豊穣な言語化できないカオスである。
そのカオスを言語で割り切れば、多くのものを切り捨てることになる。
興味があるのは、
「フォロワー10万人」とか「上場企業社長」とか、「ハーバード大卒」とか、そういう華やかな属性に、実質的な内容の解釈がどれくらいの影響を受けるのか?ということ。
明らかにおかしなことをいっていても、ポジティブに捉えようとするモチベーションが働くのか?
或いはあら捜しをして一旗揚げようと、超絶批判的に査定するのか。
他者に影響したい場合は、このメカニズムがわかればプラスになるだろう。