クラッシェンのインプット理解を再解釈→現在のレベルでは、構造や知識の上で分からないことが少しある外国語の「意味」を”文脈の中で深く理解”したときに、語学力が高まる
1.クラッシェンのインプット理解のアップデート
今回は、どのようにして語学力が高まるかについての原理を探ることだ。反論も多いが、未だに頻繁に参照されるクラッシェンのインプット理解という仮説を再解釈することで、その原理の仮説をアップデートしたい。
語学力が高まる、ということについては、ざっくりと話したり聴いたりできる外国語のデータベースが増える、と考える程度で話を進める。
まず、クラッシェンのインプット仮説をみてみよう。
■インプット仮説(The input hypothesis)
インプット仮説は、クラッシェン氏が第二言語取得において最も重要だと主張した仮説で、学習者の言語能力は現在のレベルよりも僅かに高いレベルのインプットを理解したときに進歩するものであり、この理解可能なインプット(Comprehensible Input)こそが最も大事だというものです。クラッシェン氏は現在の言語習得レベルを「i」、僅かに高いレベルを「i+1」とし、この「i+1」を含む新しい理解可能なインプットを理解することによって言語習得が進んでいくと説明しました。インプット仮説においては、インプットであれば何でもよいわけではなくあくまで「理解可能なインプット」が重要である点、またアウトプットはあくまで言語習得の結果であり、アウトプット自体は学習者の言語能力向上には全く影響しないという点が強調されています。https://englishhub.jp/sla/krashen-monitor-model
ポイントは、
クラッシェン:現在のレベルより少し高いレベルの外国語のインプットを理解したときに、語学力が高まる
ということ。(この考え方には様々な反論があるので、それは各自調べていただきたい。)
これはとても曖昧である。
もっと解像度を高めて具体的にすればより実践に活かしやすい原理となりうる。私はこのクラッシェンがいうインプット理解を「意味理解」として具体的にしたい。以下の通りだ。
アップデート版:
①現在のレベルでは、構造や知識の上で分からないことが少しある外国語の
②「意味」を”文脈の中で深く理解”したときに、語学力が高まる
という風に具体的にしたい。これはクラッシェンの言うことを何ら否定するものではなく整合している。
どういうことか?
上記の通り2つの部分に分けているのでそれぞれ説明しよう。
2.クラッシェンのいう「現在のレベルより少し高いレベルの外国語」を吟味
クラッシェンがいう、
現在のレベルより少し高いレベルの外国語のインプットを理解したときに、語学力が高まる
の「現在のレベルより少し高いレベルの外国語」とは何を意味しているのか。例を挙げるとわかりやすい。中国語学習者のAくんは以下のやり取りを目の前で聞いた。
Dào Shàng hǎi huǒ chē zhàn xū yào duō jiǔ ne
到上海火车站需要多久呢?→ 一个小时
上海駅までどのくらいかかりますか?→ 一時間です。
という中国語を聞いたとしよう。この文の構造は以下の通り。
到/ 上海火车站/ 需要/ 多久/ 呢?
〜まで/ 上海駅/ 〜が必要/ どれくらいの時間/ 疑問
このうち、仮に太字の「多久」が初見でそれまでに知らなかった単語だとしよう。
到上海火车站需要◯◯呢?→ 一个小时
を聞いて、「一時間」という相手の答えと、「上海駅まで」という手がかりから、◯◯は「どれくらいの時間」ということが推測できる。そして、このこの発言を聞いていれば、◯◯はduō jiǔと発音されていたので、duō jiǔが「どれくらいの時間」を意味することだと理解できる。
このような文脈の中で、新出の外国語を理解される。完成間近のパズルの用意に欠けた部分が少ないので、そこを推測し、新たな“使える”外国語として自分のものにすることができるのだ。
これがクラッシェンがいう、
現在のレベルより少し高いレベルの外国語のインプットを理解した
ということだろう。
現在のレベルより少し高いレベル
というのは、曖昧だが、今の例を見ればよく分かるはずだ。だから私はこれを
現在のレベルでは、構造や知識の上で分からないことが少しある外国語
と言い換えた。
3.クラッシェンのいう「理解」を吟味
クラッシェンは、
理解した
と言っているが、私はこれを次のように意味を狭めたい。
「意味」を”文脈の中で深く理解”した
どういうことか?
そもそも、先の例であの会話を聞いていたAくんは、なぜ会話の意味を全て理解できたのか。
なぜ分からないことが少しあるのにそこを理解できたのか?それは、五感の情報で文脈を捉えているからであり、推測可能だから。「少し」分からないということと、「文脈がある」ということが重要だ。文脈があるから、少しわからない部分が推測され理解される。
このプロセスが強烈なのだ。
少しわからないところが、文脈による推測で、イメージと言語が勢いよく合致する。
これを、
「意味」を”文脈の中で深く理解”した
と私は表現する。
では、一方で次のような勉強をどう思うか。
Aくんは、中国語の教科書を読んでいる。そこで、次のような記載を教科書の中で見かけた。
Dào Shàng hǎi huǒ chē zhàn xū yào duō jiǔ ne、到上海火车站需要多久呢?→ 一个小时、上海駅までどのくらいかかりますか?→ 一時間です。
これで、先の例と同じく「多久」の意味だけ知らなかったAくんはこれを読んで、
「多久」は「どれくらいの時間」という意味なのか
と理解する。少しだけ分からない要素があるという状況も同じだ。
この理解と、先の「文脈の中での深い理解」が異質のものであることは分かるだろう。
つまり、「文脈の中での深い理解」とは、
こういう場面のときはこう言うというのを、リアルに近い臨場感のある状況の中で理解する
ということだ。
4.クラッシェンのいう「インプット」を吟味
さらに、クラッシェンは「インプットの理解」と言っているが、私はこの「インプット」というのを吟味したい。
そもそもここでいう「インプット」の定義が曖だ。
一般的な「インプット」と「アウトプット」の定義を考えてみよう。
■インプット
・教科書や動画を見て、単語や文法の記憶
・リーディング、リスニングなど外国語を読んだり聴いたりする
■アウトプット
・ライティング、スピーキングなど、自ら持っている知識を使って書いたり話したりする
おそらく、クラッシェンの意図としては、「文脈の中での深い理解」に重きがあり、先の会話を聞くAくんのような場面が念頭にあったのだと思われる。
このような「文脈の中での深い理解」について、先のような「インプット」の例しか思いつかなかったから、「インプット」と呼んでいるのだと思われる。
しかし、「文脈の中での深い理解」というのは、何も上記の定義でいうインプットに限られない。
アウトプットの例を考えてみよう。たしかに、Aくんが勉強としてテキストで学んだ「到上海火车站需要多久呢?」ということを書いたり話したりするアウトプットは、一見「文脈の中での深い理解」とは関係がないように思える。ただ、「理解した上で書いたり話している」だけだろう。
しかし、私は、しっかりと具体的な文脈をイメージしつつ、大きな声ではっきりと発話するなどすれば、「文脈の中での深い理解」を再現できると思う。
そして、ただただ具体的にイメージするのは難しいので、良い方法は長めの文章を音読することだ。テキストを読むだけだと、目の前に人がいるわけでも、何かの会話の流れなどがあるわけではないので、「文脈」が意識しづらい。しかし、文章が長ければ(例えば400文字など)は「文脈」が出てきて状況をイメージしやすい。
最初のAくんが目の前の会話を聞く中で、「文脈の中で深く意味を理解する」という経験はなかなかない。ドラマや本を読むのもいいが、それでは文脈が弱まるし、ちょうど「少し分からない」というのは難しい。
ということで、私はクラッシェンの命題の後段を以下のようにアップデートしたい。
クラッシェン:現在のレベルより少し高いレベルの外国語のインプットを理解したときに、語学力が高まる
アップデート版現在のレベルでは、構造や知識の上で分からないことが少しある外国語の「意味」を”文脈の中で深く理解”したときに、語学力が高まる
5.クラッシェンをアップデートしたらどうなるか
こう考えることでどうなるか?
つまり、仮にインプットに限定して「文脈の中での深い理解」を考えると、能動的な学習が難しくなる。インプットのシャワーを浴びて、その中で、少し分からないくらいのちょうどよいインプットが必要になる。こうした環境を作るのは難しい。
一方で、これをインプットに限らず、「文脈の中での深い理解」と考えれば、教科書を使ったコントロールしやすい能動的な学習においても「語学力の向上」が期待できる。
ただただ状況をイメージして音読することでは「文脈の中での深い理解」を確保するのは難しいが、長めの文章の中であればそれを音読しているうちに「文脈の中での深い理解」が実現できる。
私は現状「文脈の中での深い理解」を実現できる方法として2つしか思いつかない。一つは、Aくんの例である偶然少し分からないインプットを推測して意味理解できたとき。もう一つは自分で能動的に文脈の中での理解を創出する音読のやり方。他にもあれば、それはよい学習方法になるだろう。
余談だが、多くの本格的な学習者に支持されている「英語上達完全マップ」の著者は語学の肝を次のように述べている。
英語力をつけるための基本法則はきわめて単純なものです。「意味・文構造を理解できる英文を意味処理しながらひとつでも多く自分の中に取り入れ、英語の文法・構文に則った文をひとつでも多く作る。」ということを行えばいいのです。http://mutuno.o.oo7.jp/03_japan/03_japan.html
これはインプットとアウトプットを問わず、「文脈の中での深い意味理解」をするということと同じことを言っている。
かなりラフな議論であるが、音読が効果的なのは第二言語習得分野の科学的研究でも言われているので、こういう解釈も一つの仮説として十分に検討の価値はあるだろう。
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