中国四千年の歴史に、ゼロコロナと計画経済の根はあるのか
ゼロコロナの詳細な戦略は知らないが、ミクロなウィルスを封じ込めることは無理だろう。
完全に水際対策などで、入らないようにして、国内の感染者が回復するまで隔離したりしても、どこかに潜んでまた出てくる。
多少は感染者が出てもいいから、その規模を抑えるというのが狙いなのだろうか?
いずれにしても、徹底的にコントロールするというのは原理的に無理があるだろう。
なぜなら、ミクロなレベルのあらゆる物理的な現象を制御することなど無理だからだ。
なんかこれを見ているいると、「計画経済」を思い出す。
計画経済は、政府が市場をコントロールすることだ。
誰に何をどのくらい作るかを全て計画できる、という確信のもとに取られる政策だ。
これについては、中国は一度失敗している。
それでも、コロナはできると思ったのだろうか?
また、計画経済も、党の路線上、まだ諦めておらず、これから長期的に目指すのであろう。
たしかに、生産性が高まり、社会をビッグデータで解像度高く把握できれば、可能性はあるかもしれない。
でも、それは、今のレベルのビッグデータでは到底無理だろう。
適当な肌感覚だが、一人の人間の1日のデータを100万項目くらい集められたできるようなレベルだと思う。しかもそれらを14億人分用紙、処理するコンピュータが必要だ。
今は全然できていない。
なにか真のあるこの徹底制御路線であるが、これは中国の長い歴史に基づくのだろうか?
共産党の歴史は浅い。つい最近100周年を迎えた程度だ。
その前の数千年の歴史に、この徹底制御思想はあったのか?
宋の時代から、庶民は自由な時代が続いていたはずだ。
今の社会主義が、うまくいくかは、この長い歴史に根付いているかがポイントになるのではないか。そういうエートスが中国人にはあるのだろうか。