日本語の押韻論:『語感踏み』の追加検証(句両端の認知加重)
こんばんは。Sagishiです。
前回書いた「語感踏み」の記事の、句両端の認知加重についての記事が、かなり自分的に良い線いっているので、追加的検証をしようと思います。
1 前回のおさらい
提案内容としては、音声学の概念で使われる「アクセント句(Accent Phrase=AP)」や「イントネーション句(Intonation Phrase=IP)」を押韻論に適用しつつ、句の両端にあたる音は認知的に重要が高くなる「認知加重」が起きているかもしれない、というものでした。
2 語感踏みのサンプル分析
今回は韻マンの語感踏みをサンプルに分析します。
2-1 準備
まず最初に言っておくと、引用動画の最初の3ペアは語感踏みではなく、普通の押韻です。「モンブラン」部分の発音が、ほとんど「mȯnb.rȧn」になっており、2音節5モーラと考えれます。
よって「ロー.カ/モンブ.ラン/リョー.マ」の3ペアは「長短韻」であり、ここに語感踏みの要素はないといえます。
2-2 AP1の分析
まず、第1アクセント句(AP1)にあたるエリアを確認しましょう。
若干考えましたが、発音的に「ウィンガーディアム」は「ウィンガ/ディアム」とAPが分かれていると処理しました。そうすると「リーガ/ウィンガ」を通常の押韻として処理できます。
問題は「ジンに/ウォッカ」ですが、これはAPをまたぐかたちで「ジンに」の句頭音節と「ウォッカ」の句末音節に「認知加重」が働いていると考えます。すると、「リーガ/ウィンガ/ジンカ」のように押韻の「響き」が生まれている、対応関係が見えてきます。
「認知加重」は仮説段階の概念ですが、これまで全く説明不可能だった語感踏みの響きのシステムに一定程度の説明が可能になったのは大きな進歩だと感じます。
ただ、句の両端音が必ず「認知加重」の状態になるかというとそうではないということから、「認知加重」と「非認知加重」は表裏一体の関係ではないということがいえます。発声の仕方などによって意図的に生み出せるのかそれとも条件があるのか、現在は推測すらできていません。「ジンに/ウォッカ」の「に/ウォッ」部分は、非認知加重のエリアということになりますが、この発生条件は不明であり、課題です。
2-3 AP2の分析
次にAP2にあたるエリアですが、ここはほぼ完全に押韻がされていないといえますね。特に子音にも対応が見られません。
このような大胆な押韻の踏み外しをしていても、ある程度の「響き」を確保できるのが「語感踏み」のイレギュラーなところであり、魅力だといえますね。どこまでの踏み外しを許容できるのか気になるところです。
2-4 AP3の分析
AP3にあたるエリアですが、ここは「ニョーラ/オーサ/ソーダ」の押韻なので、特に解説することがありません。
3 分析結果について
今回は韻マンの語感踏みを分析してみました。AP1にあたるエリアを適切に考察することで、認知加重が起きていると思われる箇所を推定し、全体の構成を体系的に確認できました。
現在のところ「語感踏み」は漠然と「最初と最後を押韻すれば良い」と思われているでしょうが、なぜ傾向としてそうなるか、というところを理論的に捉えることができるようになったなと感じます。
まだまだ課題は多いですが、語感踏みの分析としては今までで一番手応えはあります。考え方の方向性が間違っていないといいなと思います。
4 おまけ1(きれいな語感踏み論)
ちょっと個人的な意見になるかと思いますが、韻マンの語感踏みは結構きたないな、と感じます。
理由はおそらくですが、ペアが長すぎてAPの対応が悪い、あるいは音節数の差が大きすぎる顕著な例があるからだと思います。例えば、「宇治抹茶ソフト」と「スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド」とか流石に無理あるよなと思います。
語感踏みは音節数の差異を許容する事例も多いし、そこが魅力でもありますが、わたしは「非認知加重」区間だけ音節数の差異があっても大丈夫になるのでは?とも推測しています。
「非認知加重」の見極めが非常に重要になるので、そこを間違えて音節数の差異を作ると、「響き」としては微妙になります。今回の分析でそれがより自分のなかではっきりしました。
前回のゴンザレス下野さんの語感踏みの例は、わたしはきれいだなと感じますが、それに対して韻マンの「リーガ・エスパニョーラ/ウィンガーディアム・レビオーサ/ジンにウォッカヘネシーソーダ」の3ペアの語感踏みはそこまで「きれい」ではない、余計な音節が多いと感じています。
例えば、今回の例の音節数を揃えてみましょう。
音節数を揃えるだけでも、かなりすっきりしますね。かつ「語感踏み」としてどういう傾向があるのかが顕著になって、そのスタイルの特徴が明白になると感じます。
6 おまけ2(過去の話)
実は、わたしは韻マンが登場するよりかなり前から「語感踏み」に近いというか、不思議な響きの挙動をする押韻があるな、ということに気づいていました。
例えば2013年11月20日(もう10年近く前かよ…)のことですが、次のような押韻をわたしは思いつきました。
思いついたまでは良かったですが、途中の母音が異なるので「これ何で響くんだろう…?」とずっと疑問であり謎でした。同様に、
この例も、「何でこれ途中に余計な音節数や母音が入ってるのに、かなり響いてんだ…?」とめちゃくちゃ疑問でしたね。
いまなら「これ認知加重のせいかも」といえるのですが、このときの疑問が強烈だったから、なぜ響くのかを追究したいと思った、押韻論をやろうと思ったのだと思います。
「語感踏み」というのは決して曖昧なものではなく、一個の確立された押韻スタイルです。このスタイルを発見して、実用可能なレベルまでリフトアップした韻マンは日本語ラップに多大な貢献をしていると思います。
このような分析ができるようになるまで、本当に色々な検討や考察をしました。非常に時間がかかりましたが、そこそこ納得できるような1つの方向性を出せたのは良かったなと思います。