制度の隙間に落ちているボールは誰が拾うべき?【現場の善意に依存した医療・福祉・介護を変えたい】
医療・福祉・介護は、現場で頑張る人の「善意」に依存しすぎていないだろうか?制度の隙間に落ちているボールを拾う人が疲弊して、正直者がバカを見るような制度を、もう少し仕組みでより良い形に、持続可能なものにしたい。
報酬にならない仕事は誰がやるべき?
医療福祉介護は「準市場」と呼ばれていて、何をしたらいくら点数がつくか決まっていて、税金で売上が立つビジネスモデル。でも実はこの「何をしたら」は、特に「福祉」と「介護」はゆるゆるで、ざっくりとしか決まっていない。
書類を作ったという事実
通所したという事実
などが大事で「具体的に何をするか?」はかなり自由度高く各事業者の裁量・倫理観に委ねられている。
そのため、コストを最小限に抑えることを優先する場合、「制度上の要件を最低限満たして、それ以外のことはしない」という発想になりがちだったりする。
(そうならざるを得ないくらい、電話/FAX/SMSや紙文化で非効率な業務プロセスが多くて、現場の業務量がパンクして疲弊している前提もある。)
もし制度が完璧なら、制度さえ守っていればいいけれど、制度は不完全で隙間だらけなので、「短期的には報酬にはならないけど、現場で求められている仕事」をやるかどうかが問われる。
現場の支援者の「善意」への依存
わかりやすいところで言うと、土日の休みや深夜に利用者さんや家族から電話がかかってきた時に、出る人もいれば、出ない人もいる。3ヶ月、6ヶ月に1回のモニタリングの時しか困らない人はいないし、平日に就労継続支援B型に通ってる時間しか困らない人はいないので、当然「現場のニーズはあるけれど、直接報酬にはならない」という仕事が至るところにある。
もう少し生々しい事例でいうと、就労継続支援B型に通所してくるはずの利用者さんが連絡なく無断欠席した時に、安否確認のために家までスタッフが行くこととかがある。(中には、亡くなっていることもある)
これも報酬にはならないしスタッフの心理的・時間的負担も大きい一方で、現場では必要になってくる仕事の1つ。
「制度の隙間に落ちているボールを誰が拾うのか?」が常に問われる。家族なのか、友達なのか、相談支援専門員なのか、就労Bなのか、ピア団体なのか、etc。
母がケアマネとして、スタートアップで馬車馬のように働く僕より遅く寝て早く起きて仕事しているのを目の前で見ていたので、「ケアマネや相談支援専門員さんの善意に依存した介護とか福祉ってどうなのかな?」と小さい頃から感じている。
医師の過労自殺も似た構造なのでは?
医師の過労自殺も本質的には似た構造で、診療報酬に基づく仕事の設計がされているが故に、誰も拾いたがらないボール(学会の資料作るとかも含めて)を拾ってる人が苦しい思いをする構造が準市場に共通している課題のように思う。
僕たちにできる2つのこと
日本の人口動態と健保財政を考えると、医療福祉介護の予算が足りてないことは自明で、今後大きなトレンドとして公的医療保険のカバー範囲は縮小する方向で、サービス改悪が続いていくことが予測される。
サービスの価値を高めて工数は下げるDXを現場と向き合い社会実装していくこと
制度の隙間に落ちているボールに対して自由市場/非営利市場で経済価値の循環を作り出していくこと
がやっぱり求められていて、愚直に現場課題に向き合っていきたいと思う。
日本の福祉の課題として、こちらのふくしLaboさんの動画が地域の福祉を支える基盤となる相談支援事業所のリアルな実情をお話されていて勉強になるのでおすすめです。
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