「産業保健」とはどうあるべきか?【産業保健2050】
こんにちは。やすまさ(@yasumasa1995)です。現在、「産業保健2050」という名で、2050年に向けて僕らが日本の産業保健をどう変えていくべきかのシナリオを思考し資料をまとめています。その中でも根幹の哲学となる「そもそも産業保健とは、どうあるべきなのか?」についてこのnoteではご紹介しようと思います!
ひとによって、色んな捉え方、視点、考え方があるかと思います。ざっくばらんに議論したいので、気軽に感想やフィードバックをいただけると嬉しいです!
なぜ「産業保健2050」を作っているのか?
「産業保健2050」とは、日本の産業保健を2050年に向けて変革していくためのシナリオの仮説です。僕がこのドキュメントを作ろうと思いたった理由は3つあります。
【1】「2050年問題」まで残り30年
1つ目が今の産業保健に対して強い危機感があるためです。とりわけ2050年問題があります。
2050年問題とは、2050年になると生産年齢人口が減少し、65歳以上が約40%以上となり、社会保障制度が維持できなくなるという問題です。具体的には、2018年に23兆円だった医療介護給付の費用は、54.6兆円になると予測されています。
人口動態が代わり、超高齢社会となるので、今と同じ社会保障制度を維持しようとしたらお金が足りないことは自明です。「収入を増やし、支出を削る」という、両面の努力が求められます。
2020年12月に閣議決定された「全世代型社会保障改革の方針」にて、課税所得が28万円以上(所得上位30%)かつ年収200万円以上の後期高齢者(75歳以上)について、「医療費窓口負担割合を2割に引き上げる」ことが決まったことから、健康保険の財政がこのままだとやばそう!というのは誰もが感じているところかと思います。
健保連が「10万ツイート達成してみんなの声を国会に届けるぞプロジェクト」というものをしているくらいなので、その危機感が伺えます。
さまざまな取り組みがなされているものの、「このまま放置しているだけじゃ、日本の産業保健はあんまりいい方向性に進まなそうだぞ」という気がして、何かせねばとモヤモヤ考えていました。「30年後の理想状態はこうだよね」という明確なビジョンや思想を可視化することが今できる1つのことだと思ったので、産業保健2050の思考と資料化を進めています。
【2】子どもに誇れる仕事
2つ目が、子どもに誇れるような仕事がしたいからです。2050年は自分の子ども世代が、ちょうど社会に巣立ち仕事をしている時期です。
僕が働いている株式会社iCAREには「家族に誇れるか」というCREDOがあります。いわゆるIntegrity(誠実さ)を持って仕事に取り組めているかや、職場外のひとに仕事の魅力を誇り高く発信しているか、が行動指針となっています。子どもが社会人になったとき、ブラック企業に勤めて、過労死等がはびこり、産業医は機能不全で、健康保険の保険料率は上がる一方で、自己負担額も高まり、形式だけの産業保健がひとの健康を守れないまま空洞化していたら、とても恥ずかしいです。
1人の人間が30年間で残せる成果は微々たるものかもしれません。ですが、明確に未来の仮説を描いて進む30年間と、曖昧に目先の問題と向き合う中であっという間に過ぎ去った30年間とでは、残せる価値が大きく異なるとも思います。僕は現在25歳なので、仮に85歳まで日本の産業保健市場で仕事を続けたとすると「60年間」チャレンジできます。30年後である2050年は折り返し地点です。例え小さな成果であったとしても、現役時代の前半30年間で、「こんな社会を創りたくて、こんな仕事をしたんだ」と胸を張って言える状態になりたいな〜と思い、産業保健の未来図を描こうと考えています。
よきよき。
【3】産業保健に対する思考の洗練
3つ目が産業保健に対する自分自身の思想・哲学を洗練させるためです。30年という中長期の時間軸で産業保健を捉え直し、アウトプットすることで足りない知識と経験がたくさん見えてきます。大きな絵を無理矢理にでも足りない脳みそで描き切ることで、不足していたパーツが明確になり、より早く、より本質的な解に自分の人生を集中させることができるかと思っています。
株式会社iCAREで、僕らは「カンパニーケアの常識を変える」というミッションを目指して事業を創っています。僕は本気でこのミッションを現実にしたいので、会社での意思決定の軸にもなる思想だと思い、産業保健の未来を考えようと思いました。
今の産業保健への違和感
ここからが本題です。「産業保健とはどうあるべきか?」を考えていきます。
日本の産業保健に対して、数年前からずっと違和感があります。それが「規制強化」に向かっているということです。働き方改革関連法案がその最たる例だったかと思います。産業保健の機能強化もうたわれました。
というのが僕の感じていることです。法律で規制強化することによるマネジメントにあまりにも依存し過ぎているのが、今の日本の産業保健だと思っています。
規制強化によって一定の成果は生まれています。例えば長時間労働問題。働き方改革関連法案の施行に伴い、より厳しく労働基準監督署が労働法令に違反する企業を取り締まり、ブラック企業が淘汰されてきています。2008年には、週労働時間60時間以上の雇用者の割合が「10%」だったのに対して、2019年は「6.4%」となりました。緩やかに長時間労働は減少傾向にあるといえます。
一方で、精神障害による労災の申請件数が右肩上がりに伸び続けているのもまた事実です。2019年は「2,060件」の請求がありました。昨年度の1,820件と比べると240件増加しています。
この2つの数字は「産業保健のごく一部」を切り取ったものでしかないのですが、「規制強化によって、産業保健の未来は明るい!」とはいえる状況ではないことが伺えるかと思います。
産業保健の結論
2050年に向けて、日本の産業保健に対して主張したいことはシンプルです。
それだけです。
「産業保健を民主化する」ということは、「民主主義らしくする」ということです。日本は民主主義国家なのですが、いまいち産業保健は民主主義っぽくないと思っています。厚生労働省という神様が大昔に創った制度に、企業と個人があらがう術もなく従う形で窮屈になってきているなと。
産業保健について、頭のいい人たちが本気で考えてある程度の正解がわかる世界ならば、それでよかったはずです。頭のいい人が正しいルールを創って、その通りにみんなにやらせたら正しい方向へ効率的に導けます。でも、今は正解が見えない混沌とした時代です。
「産業保健の民主化」とは、厚生労働省が主導してルールやガイドラインを作成し、民間企業がそれに従う構図から卒業しようということです。これからの産業保健は「企業と個人が創る」ものになるべきだと思っています。そして本来の民主主義的な産業保健を創っていこうということです。
もう少し具体化すると、「自然科学」かつ「業務起因性の高い」領域については厚生労働省を中心に「法律」による社会統制を行い、逆にそれ以外の部分は基本的には法律による規定はせずに民間に任せよう!ということです。
結論は以上です。その思考背景を以下にまとめていきます。
そもそも「産業保健」とは?
産業保健の未来のあるべき姿を考える上で、そもそも「産業保健」とは何かを改めて考えてみます。言葉の定義、目的、概念の前提となる思想を整理します。
【1】「産業」×「保健」
「産業保健」という言葉を分解すると、「産業」と「保健」になります。辞書的にはそれぞれこのように定義されています。
(出典:goo国語辞書)
仕事(=付加価値を生産する活動)や、職業、という領域において健康を守り保つことと言えそうです。ちなみに、株式会社iCAREのビジョンは「働くひとと組織の健康を創る」と定義しています。産業が関わるということは「組織」の健康を考える必要があるということです。
【2】産業保健の目的
日本の産業保健界で最も会員数の多い日本産業衛生学会の倫理指針では、産業保健活動の目的は下記のように規定されています。
産業保健の目的は、「①仕事による健康障害の予防」「②労働者の健康の保持増進」「③福祉の向上」の3つに分けられそうです。
【3】なぜ企業は個人の「健康」に責任を負うのか?
ではなぜ、企業が労働者の健康に面倒をみないといけないのでしょうか。
その理由は、「仕事には危険がいっぱい」だからです。仕事をさせる以上は、仕事を通して健康を害させてしまうのはよくないことです。そのため、「安全配慮義務」という労働者の健康に配慮する義務を企業側は負っています。逆にいうと、「もし仕事が安全なものなら、産業保健は不要」ということです。
ところが、最近は「仕事と関係のないところ」にまで、企業が働くひとの健康に関与し始めている側面があります。例えば、がん検診。仕事が原因でがんになることがない職場でも、従業員にがん検診を受診するよう積極的に呼びかけたり、がん検診の費用を会社で負担するといったことがされています。
【4】産業保健の3段階発展モデル
産業保健を企業ごとに比較していくときに、産業保健の発展度合いを考える際のフレームワークとして、僕はこちらの3段階発展モデルで捉えるようにしています。勝手に作ったものですが、おそらくほぼMECEに発展プロセスを切り分けられているはずです。
発展プロセスは「C→B→A」の順番を原則としています。
「C」は公法を守るフェーズ。労働安全衛生法などに書いてある義務をしっかり履行する段階です。例えば、健康診断をやっていない企業が、健康診断をしっかり実施して受診率100%を達成するのがCになります。法令遵守ができていないと労基署に怒られます。逆にいうと、「労基署の言うことをやっておけばいい」というのがCです。正解がある世界です。
「B」は私法を守るフェーズです。これは「労働者と会社の間での紛争」が起こらない状態を目指す段階です。労働契約法に基づく安全配慮義務や民法に基づいて民事訴訟された際に勝てるように労務リスクをヘッジしたり、そもそも訴訟されないように退職勧奨のときに、給与の数ヶ月分を払うことで揉めないようにしたりします。最高裁判例など過去の事例を参考に、ある程度の正解を想定できる世界です。いわゆる「手続き的理性」が重んじられます。
最後の「A」が健康経営です。労働市場で差別化するために、戦略的に従業員の健康を創ることを目指したり、事業戦略上必要な健康に関する施策を打ったりする段階です。正解のない世界で、100社あれば100通りの正解を創る必要があります。
発展プロセスは「C→B→A」の順番を原則としていますが、実態として働き方が先進的な企業や外資系の企業では「A→B→C」の順番で産業保健を発展させていく逆転現象が起こりつつあります。
「健康」が変われば、「産業保健」も変わる
「産業保健」が「産業」と「保健」のかけ合わさった概念なので、健康の定義が変われば、産業保健のあり方も変わります。旧来の健康は「病気ではないこと」でした。病気になったら、医療のお世話になって、治療する、というものです。それが今では大きく変わってきています。
【1】「健康」の定義
WHOは健康を「「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」と定義しています。
つまり、健康とは、「肉体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つの要素にわけられるということです。そしてこれら全てが満たされた状態を「健康」と定義しています。
【2】Well-being
WHOが定義した健康のうち「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」を「Well-being(ウェルビーイング)」と表現されています。文字通り、Well(良い)being(状態)のことです。大きな病気をしていない状態だけでは足りず、社会との交流、経済的自立、キャリア自律などあらゆる面を含めて「良好な状態」が「健康」ということです。
社会的健康も含めた「良好な状態」というと、「健康」というより「幸せ」といった方がイメージが近いのではないかと僕は思っています。
【3】未病
健康に関わる新しい概念としてもう1つおさえたいものとして「未病(みびょう)」があります。未病とは、健康と病気を「二分論」の概念で捉えるのではなく、心身の状態は健康と病気の間を連続的に変化するものとして捉え、この全ての変化の過程を表す概念です。神奈川県によって提唱され、日本の健康・医療戦略にも反映されています。
人生100年時代において「何も病気せずに死ぬ」ということは稀です。誰もが、何かしらの病気と共に生きていたり、病名はつかずともなんとなく体調不良なことがあったりするものです。その曖昧な健康と病気の間の状態(=未病)と常に対峙していて、それを改善していくことが大切だという考え方です。
なお「未病」の定義が「健康・医療戦略」の脚注で以下のように記載されています。
【4】2050年の健康観
2050年、人間の健康観はどう変化しているでしょうか。ひとことで言うと「健康」というものが「コスト」から「資産」に捉え方が変化すると僕は考えています。「投資的健康観」と僕は呼んでいます。
人は誰しも先天的に遺伝子の影響を持って生まれます。僕は肺動脈勉強作症という心臓の病気を持って生まれました。男性として、日本人として、生まれています。そういった先天的な資産と、生活習慣の積み重ねや仕事でのストレス、身につけたスキルや知識、人脈、金融資産など、後天的に獲得した資産を「仕事」や「仕事以外の活動」に投資して、Well-beingを追求していくということです。
「産業」が変われば、「産業保健」も変わる
「健康」が変われば産業保健が変わるのと同様に、「産業」が変われば、産業保健もまた変わります。
【1】日本の産業保健の変遷
産業保健の歴史は、5つのステージに切り分けて捉えることができると思っています。これは産業の歴史そのものです。
産業保健の起源は職業性疾病です。この職業の人はこの病気になりやすい、という特徴を発見し、予防する視点が生まれました。そこから公害対策の時代に入ります。
職業性疾病と公害が落ち着くと、より安全で健康な職場創りを志向して「身体的健康」の時代がきます。1972年に労基法から分離独立して労働安全衛生法が誕生しました。今の産業保健の骨格ができ始めた時期です。
次に「精神的健康」の時代に入ります。転機は2000年の最高裁判例です。電通事件に対して、「精神障害による過労自殺は企業の責任である」という判決が出たことによって、安全配慮義務がメンタルヘルスにも拡大した転換点となりました。
そしてこれからが「社会的健康」の時代です。あくまで一例ですが、40代のうち100人に40人は退職後の生活のために準備している資産が0円です。人生100年時代と呼ばれる中で、これでは社会的健康を維持できるとは思えません。
このような経済的自立、金融教育、キャリア教育などもスコープに入ってくるのが「産業保健5.0」とカテゴライズしている、これから30年で創っていく産業保健の未来だと思っています。
【2】社会潮流と企業経営の変化
企業の経営環境はここ30年間で大きく変化しました。「人口動態の変化」と「テクノロジーの変化」によって、いろんな常識が破壊されています。VUCAの時代といって、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性が高く、変化に対応できる経営が求められています。
商品市場、資本市場、労働市場のキーワードをピックアップしただけでも、その変化の大きさが伺えます。
30年前では「非常識」だったことが、今「常識」として現実社会で起きているということです。企業は労働者を雇用するというのが当たり前でしたが、雇わない経営が当たり前になっていくかもしれません。長時間労働が当たり前で、残業して頑張って成果を出す社員が昇級するのが当たり前でしたが、残業はダサいという新たな常識ができるかもしれません。
世界の企業の時価総額ランキングTOP30も、この30年間でこれだけ変化しました。(出典:平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは? | STARTUP DB MEDIA )
これだけ企業の経営環境が変化する中で、産業保健も変革が求められていることは自明です。
【3】労使関係の変化
市場環境が大きく変わると同時に、労働者と企業の関係性も変化してきています。
労使関係は企業が強くて労働者は弱い立場にある、というのが当たり前でした。親子のような関係性です。それが友達のように対等なパートナーシップになっていくと言われています。これはリード・ホフマン氏が『ALLIANCE アライアンス 人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』で提唱している考え方です。
【4】2050年の「働く」
30年後の未来では、「働く」というものの捉え方も大きく変わっているかと思います。人間の営みは3つに分類することができます。労働、仕事、活動です。これはハンナ・アーレント氏が提唱した切り口です。
マイケル・A・オズボーン氏が702の職種がコンピューターで自動化されるかの分析をした結果「今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」ということが発表されました。半分の仕事がなくなると考えるとびっくりですね。
これは、テクノロジーによって生活のために必要な営みとして行う「労働」が機械に代替されていき、「仕事」や「活動」というよりクリエイティブな人間にしかできない「働く」が増えていくことを意味しているかと思います。使用者に対する労働者側の交渉力が、これまでと比べて少しずつ強くなるということでもあると思います。
労働基準法、労働安全衛生法、労働契約法といった労働関連法は、「労働」を前提とした労働者観をもとに創られてきました。その前提も少しずつ実態とのズレが起こってくるかもしれません。
【5】安全配慮されない権利
産業保健の前提であり誰もが信じて疑わない「安全配慮義務」も、当たり前ではなくなると思います。労使関係が対等になり、一部の個人へのパワーシフトが進んだ労働者が「安全配慮されない権利」を主張することが予測されるためです。
産業保健の世界にいると、「安全配慮義務信者」が結構多いと思うのですが、僕は安全配慮義務に対して少しだけ懐疑的です。なぜかというと、「精神的健康」や「社会的健康」に対して企業から安全配慮される筋合いはないと思うからです。あとは、自分の健康情報を無条件に会社に知られるということに少し抵抗があります。
例えば、100メートルの高所作業をするときに「安全装置なしで作業させてくれ!」と考える労働者はほぼいないと思います。いたとしたら結構な変わり者です。これは、「安全装置をつけること=ほぼ全ての労働者が希望すること」という暗黙の労使間の合意が取れているので安全配慮義務が意味をなしていると思います。
その一方で、「持病のある社員を激務から外す」という配慮は果たして妥当でしょうか。とあるコンサルティングファームに新卒入社した知人が、コンサルタントとして最前線でクライアントワークを行いビジネススキルを高めていくことを心底望んでいたにもかかわらず、持病が発覚した途端に総務部に異動となった話を聞いたことがあります。事実上、コンサルタントとして働く夢を奪われたことになります。これを聞いて思ったのが、「①現状、労働者の人権を無視した安全配慮義務の履行が、割と当然のようになされている」「②本来、労働者の合意なしに安全配慮義務はどこまで履行すべきなのか?」「③安全配慮義務の範囲は、社会的健康にまで拡大すべきなのか?」ということです。
という自由を労働者に認めない仕組みになっています。それは労働者の交渉力に対する信用が低く、契約自由の原則に反して企業を規制する必要があるためです。ですが、労働者の交渉力が強まり、社会的健康の優先度が高まることで、「安全配慮されない権利」が認められるべき領域が増えていくだろうなと思っています。
なぜ、産業保健は民主化すべきなのか?
ここまで、産業保健を取り巻く環境が大きく変化していることをまとめてきました。ではなぜ、産業保健がもっと民間主導になるべきなのでしょうか。
それは、「法律を中心にマネジメントする国の思考プロセスにある構造上の問題が、社会の変化とマッチしなくなってきているから」だと僕は考えています。
【1】厚生労働省の思考プロセス
激変する社会に対して、今の産業保健の「厚生労働省が制度設計し、民間企業がそれに従う」という社会システムは2つの欠陥があります。
国が法令を作り実社会を変えていく際の考え方はこちらの図の通りです。理想状態を定義して、現状を分析し、課題を特定します。課題解決の具体策を検討し、基準値やガイドラインを作成したり、備えるべき組織体制を規定したり、やるべきプロセスを規定して民間企業や個人を法律で変えていきます。このやり方が、産業保健1.0(職業性疾病の時代)、産業保健2.0(公害の時代)、産業保健3.0(身体的健康の時代)には有用で、産業保健を意義あるものへと推し進めました。
法律を中心としたマネジメントは、正解がある領域では、正解を効率よく社会に浸透できるというメリットがあります。例えば、労基法を改正し残業時間の上限規制ができました。毎月45時間、特別条項付きでも6回しか残業ができなくなり、特に大手企業では長時間労働の削減に本気で取り組む企業が急激に増えてきました。
【2】構造的な2つの欠陥
この思考プロセスには2つの構造的な欠陥があります。厚生労働省が悪い、というわけでは全然なくて、構造上仕方のない問題だと捉えています。(※むしろ最近の厚生労働省の方々の仕事には、感謝することばかりです)
「理想なき改善」と「全体最適」という2つの欠陥が、社会の変化スピードや企業と個人の健康の多様化にマッチしなくなってきていると思います。産業保健4.0(精神的健康の時代)と産業保健5.0(社会的健康の時代)は、法律でマネジメントしてきた産業保健の常識を捨てる必要があるということです。
1.理想なき改善
労働安全衛生法は「死人の血で書かれた法律」と言われています。文字通り、たくさんの労災事故が過去に起こったことで、同じ事故を起こさぬように職場のあるべき姿を検討し、法令で定めています。人を殺した人がいたから、殺人罪が生まれたのと同じ原理です。
これは前例主義、経験主義、回復思考的な思考プロセスです。堅実に労災事故が起こる可能性を減らせる一方で、事故が起こるたびにルールが増えて、どんどん職場が窮屈になり、健康を守るためのルールが、やがてルールを守るためのルールに形骸化していきます。労働安全衛生法の条文は異常なほどに長文です。
未来の社会を見据えて理想から逆算した制度設計が求められているものの、みんなが納得する理想を描けるひとはなかなかいません。
「そんなの知らん」「人による」「会社による」という感じですよね。
それでも必死に、根拠となる情報を集めて説明責任を果たすことができる法律を創りあげるのが国の仕事です。前例主義を尊ぶのでスピードは遅いです。エビデンスがないと、なかなか意思決定ができません。前例がないと変化もできないので、過去に作った制度を途中で辞める・変えるにもエビデンスが求められます。結果として、「理想なき改善」に終始しがちになります。
30年後の未来から逆算して未来志向で制度設計をする視点を強めにくいこと、そして、流動性が下がり変化に弱い社会システムになることが法律を中心に国主導で社会を動かす際の弱点です。
2.全体最適
産業保健が「全体最適」になりがちな背景には、産業保健の歴史的文脈で大手製造業を想定した制度設計が多いことと、政治的に大手企業の顔色を伺った制度になりがちなことがあります。何万とある企業に対して、1つの法律のルールを適用するので、全体最適の視点が強くなるのは当然のことです。
全体最適の歪みとして、「個人や組織の事例性に適用できない点」や「人数という変数が正しく組織を分類する切り口になってきていない点」が生じてきています。大手企業で通用する方法論は、中小企業では通用しにくいことも多いですし、売上10億円の49名企業も、売上1000万円の49名企業も、労働安全衛生法では同じ「事業者」として扱われます。
東証1部上場の大手企業と、ユニコーン企業と、地元の中小零細企業と、雇わない経営を推進する企業。それぞれ職場における健康創りを推進する上での課題は異なります。解決していく上での主要成功要因も異なるでしょう。多様な企業が、本来的には個別最適の産業保健を創るべきところを、ひとまとめに全体最適で共通の健康診断、ストレスチェック、産業医、衛生委員会、巡視といった方法論を適用しているのが現状です。
【3】厚生労働省とGoogle、どっちを信じますか?
厚生労働省が法律を作ることによるマネジメントには欠陥があるとはいえ、果たして民間企業に理想の産業保健は創れるのでしょうか。
僕は少しずつヘルスケアサービスを提供する民間企業に対する信用と、個人のヘルスリテラシーへの信用が高まっていき、やがて厚生労働省よりも民間企業が信用を獲得できる部分も出てくるだろうと考えています。例えば、Appleはヘルスケア事業に力を入れていてApple Watchで心電図が計測できる仕組みを提供しています。iPhone、iPad、AirPods、Apple Watch、Mac、Apple Music、Apple TV、iTunesなどで収集したありとあらゆるライフログデータを蓄積し、人の健康課題を予測する力は、国には到底真似できないものであることが容易に想像できるでしょう。
「産業保健」という領域に限っていうと、「国の方針はなんとなく信頼できる」というイメージがあるかもしれないですが、さまざまな分野で、国よりも企業が力を持っていて信用できる場面は既に出てきています。
さて、ここまで「産業保健とは何か」「健康の変化」「産業の変化」「厚生労働省の構造的欠陥と産業保健を民主化すべき理由」について整理してきました。まとめると以下の通りです。
産業保健のどこを民間が担うべきなのか?
産業も健康も変化する中で、前例主義が求められる厚生労働省だけに頼っていては未来の産業保健は創れないというのは一理あるけど、では民間が担うべき役割はなんなの?という疑問があるかと思います。
僕は、安全配慮義務、あるいは業務起因性が認められる、自然科学的な領域は法律でプロセスとストラクチャーを規定し、それ以外は民間主導で産業保健を創っていきべきだと考えています。「業務起因性のない領域の健康」と、「業務起因性がある領域のうち、社会科学的領域(特にプロセスとストラクチャーの仮説)」については、もっと民間主導で社会を前に進めていくのが良いだろうということです。
【1】産業保健の学問的特性
産業保健における民間の役割を考えていく上で、まずは産業保健の学問的特性をみていきます。
産業保健とは、医学、疫学、経営学、法律学といったさまざまな分野が掛け合わされた総合格闘技のような学問だと僕は捉えています。そして大きく分けると「自然科学的な側面」と「社会科学的な側面」が存在します。
【2】産業保健の自然科学的な側面
自然科学的な側面とは、30年後も、100年後も変わらない普遍的な知が存在する領域です。主に「安全管理」と呼ばれている領域は自然科学的なところが大きいです。特殊健診も自然科学にあたると思います。
30年後も、高い場所から墜落したら大怪我をしたり死にいたるでしょう。だから高所作業には徹底した安全管理が必要になります。安全管理基準や安全管理の方法を強制することに対して、労働者が嫌がることはあまりないでしょう。
従来の産業保健は、自然科学的な側面が強かったです。職業性疾病、公害、身体的健康というのは、ある程度正解があり法律で管理する方法が適していました。
ちなみに、社会科学的な側面か、自然科学的な側面か、見分けるポイントは再現性です。「30年後も同じことをやる意味があるか?」を考えると、どちらの側面が強いのかがわかります。
【3】産業保健の社会科学的な側面
社会科学的な側面とは、100年後は100年後の知があるものとして最先端の最適解を追求する領域です。今の正解と30年後の正解は異なります。
例えば、ストレスチェックについて。これは賛否両論あるかと思いますが、仕事によるストレス反応、ストレス要因、周囲のサポートというのは30年後同じ設問で同じ構成概念の尺度で計測できるかというとなんとも言えないだろうと思います。
・30年間毎年同じ設問に回答したことによる慣れ
・労使関係や仕事のあり方が変わったことによる設問と実社会のズレ
などが想定できるためです。そのため、ストレスチェック制度は社会科学的な側面が強い領域だと言えます。(諸説あると思いますが。)
自然科学を中心とした産業保健から、精神的健康、社会的健康の比重が高まるに連れて産業保健の社会科学的側面が大きくなっていきました。
【4】社会科学領域の3つの課題
現在の産業保健の社会科学的領域には3つの課題があります。
1つは流動性が低いことです。規制強化の方向性に進み身動きの取りずらい体制が現場のニーズとのズレを引き起こしてきています。そのため、規制緩和に転換する必要があります。
2つ目は未来志向が弱いことです。過去のデータ、前例を重視する前例主義によって社会科学領域の法律も創られているため、どうしても未来を見据えた制度ができません。市場の行き先を予測して、未来から逆算して産業保健の正解を創り、民間企業・スタートアップが市場での仮説検証を行って、それが公共政策にも生かされるという未来志向のエネルギーがもっと必要です。
3つ目が「スラッジ(Sludge)」に溢れているということです。スラッジとはナッジの反対。ひとの行動を(意図的に)悪い方向へ導くものです。例えば、強制的・高圧的に保健指導をすることは、「そんなのわかってるけど、僕は平気だ!体調不良でも別に困ってない!」と健康への行動変容を妨げてしまうかもしれません。
つい、健康な行動をしてしまう仕掛け(=ナッジ)が、社会科学領域にはもっと必要です。法的な強制力や経済的インセンティブだけでなく、健康無関心層すらも健康な行動をしてしまうような仕掛けでひとを健康へ導いていく必要があります。
【6】産業保健の4領域
次に産業保健の中でも「民主化すべき領域」と、「民主化しない方がいい領域」について整理していこうと思います。まず、産業保健は4つの領域に切り分けることができます。
仕事要因の健康リスクか否か、という軸と、自然科学か社会科学か、という2つの軸で切り分けています。もちろん、自然科学と社会科学が融合する部分がたくさんあるので、綺麗に切り分けられるわけではありません。1つの事象を、自然科学的に捉えることもできれば、社会科学的に捉えることもできるかと思います。なので境界は曖昧ですが便宜的に4つに分類します。
(※厳密にいうと、「安全配慮義務=業務起因性」でもないのですが、ここでは割愛します)
4つの領域のうち、「業務起因×自然科学」の領域(=左上)については、再現性のある方法論(正解)を導き出せるものです。そのため、プロセスやストラクチャーを法律で規定して、しっかりと取り締まることが効果を発揮すると思います。例えば、「高さ○メートル以上の高所作業をするときはこういう安全管理をしなさい」とか、「この化学物質を扱う人には半年に一回健康診断でこの検査をして過剰に有害物質に暴露していないか確かめて、労働基準監督署に報告しなさい」とかです。
次に右上の「業務起因×社会科学」をみていきます。例えば、パワハラ、セクハラなどのハラスメントを予防するために相談窓口を設置することにしよう、という取り組みなどがここにあたります。職場で上司などが原因で健康障害を起こしているので業務起因性があると言えるかと思います。しかし、これに対して相談窓口を設置するという解決策は30年後の企業でも再現性高く機能するかというとなんとも言えません。このような領域は、国は「アウトカム指標」を作る程度にとどめるのが妥当で、具体的にあれをやれ、これをやれと法律で決めるのはむしろ危険です。そこは民間企業に委ねるべきだと僕は思っています。
最後に「NOT業務起因×自然科学」と「NOT業務起因×社会科学」について。ここは国が極力関与すべきではない領域だと思います。仮に医療政策の一環で医療費適正化のためのチャネルとして「産業保健」を使うとしても、法的強制力や経済的インセンティブで無理矢理動かすのには違和感があります。
【7】大きい産業保健
4つの領域のうち、国が全てに深く関与すべきと考える思想を「大きい産業保健」と分類することにします。日本の産業保健の世界では、意外と「大きい産業保健信者」が多いなというのが僕の所感です。
日本が国民皆保険体制であることや、あまりにも過重労働がはびこった社会であるため、大きい産業保健にせざるを得なかった歴史的背景があるのかなと思います。
【8】小さい産業保健
僕が支持しているのは「小さい産業保健」の思想です。国による法的規制は「業務起因×自然科学」の領域に集中して、それ以外は民間に任せるべきという考え方です。
職業性疾病や「仕事には危険がいっぱいだから」という産業保健の原点に立ち返ると、これがシンプルで良いだろうという立場です。国が余計に大きな産業保健を創ろうとすると、かえって非効率な制度が増えていってしまいます。
産業保健のあるべき姿
ここまで「産業保健はもっと民間主導で創っていこう!」という主張をしてきたのですが、最後に国の立場からみたときに、産業保健に対してどう向き合うべきかも考えてみます。
端的にいうと、自然科学領域は強制的にやるべきことをやらせる「パターナリズム的産業保健観」でマネジメントし、社会科学領域はナッジ的に選択肢を残しつついい方向へ促す「リバタリアン・パターナリズム的産業保健観」が良いだろうと思っています。
社会科学的な産業保健の論点について、国の役割は「民間企業が市場で仮説検証したセグメントごとの主要成功要因に対して、横展開をそっと促す」ということになります。
【1】パターナリズム的産業保健の失敗
ここでは「産業医制度」を例に社会科学領域をパターナリズム的産業保健観でマネジメントした結果、失敗した事例を紐解いていきます。
僕はおそらく「言えない」と思います。なので、産業医の選任は産業保健の社会科学的な側面が強いです。(※「言える」という考えもあるとは思いますがここでは言えない立場で進めます。)
2018年に執筆に関わらせていただいた書籍で『企業にはびこる名ばかり産業医』という本があります。いわゆる産業医の「名義貸し問題」にメスを入れた1冊です。
労働安全衛生法により、50名以上の事業場では産業医の選任義務があります。ですが実態としては本書が指摘しているように深刻な「名義貸し問題」がはびこりました。名義貸しとは、産業医として選任届を労働基準監督署に提出はしているものの、活動は何もしていない、あるいはそれに等しい状態のことをいいます。本来は毎月職場巡視や衛生委員会の参加のために企業を訪問する必要がある産業医ですが、50名~99名の事業場ではなんと「20%以上」で産業医の職場訪問が年に1度もなかったのです。10事業場あったら2事業場は産業医がほぼ機能していないのに報酬だけ支払っている状態だったと考えられます。
健診センターの医師や近くの開業医に頼むしか産業医を探す術がなかったという背景もありますが、「ぶっちゃけ企業側にとっても産業医が不要だった」というのが最大の理由だと思います。危険有害業務をしていない、オフィス勤務の会社にとって、産業医が絶対的に必要な健康問題があまり起きていなかったということです。
しかしながら、メンタルヘルス対策や労務リスク管理の重要性が増したこと、ストレスチェックの義務化、働き方改革関連法、産業保健の機能強化などによって産業医をしっかり実働させないとまずい!と風向きが変わり、名ばかり産業医は一斉に交代され、淘汰されていきました。
何が正解かって難しいんですけど、あえて代替案を提案するとしたら、「危険有害業務のない事業場については、産業医の選任を努力義務化する」というのが良いかもしれないなと思っています。現在は義務規定なので強制的にやらないといけないことです。それを努力義務にしてしまえば、優秀な産業医はより高い報酬で活躍できて、産業医が不要な企業は無駄なコストを支払わなくて済むようになります。
【2】リバタリアン・パターナリズム的産業保健観
産業保健の社会科学的な領域は、リバタリアン・パターナリズム的産業保健観でマネジメントするのが良いだろうと思います。
リバタリアン・パターナリズムとは、個人の自由を前提に、良い行動へそっと誘導することを目指す思想です。正しさを強制するパターナリズムと、個々人の自由を尊重するリバタリアニズムの良いとこ取りで掛け合わせた思想になります。
【3】ナッジ理論とは?
パターナリズムと、リバタリアニズムの良い部分を掛け合わせるための鍵となるのが「ナッジ理論」です。ナッジとは、肘でそっと小突くという意味の言葉です。授業中に居眠りしている友達を、そっと気づかせて起こしてあげるようなイメージです。そこから転じて、「ナッジ」とは、法的強制力や経済的インセンティブを使わずに、人の選択・行動を良い方向へ導くものを指す概念として使われます。
ナッジは認知心理学を背景とした行動経済学の知見を活用して、人の行動を変えるものです。例えば、デフォルト効果。ドナー提供の合意について、ドナー提供したい人がサインする形式をとるか、ドナー提供したくない人がサインする形式をとるかでは、後者の方が圧倒的にドナー提供の合意者が増えます。
人は深く考えず無意識に意思決定をするときに、このような認知的歪みを持っています。錯覚の図形について、錯覚だとわかっていても奇妙に見えてしまうのと同じで、この認知的歪みはわかっていてもなかなか解消できません。
【4】ナッジが産業保健に必要な理由
ナッジが産業保健に必要な理由は、企業も、個人も、健康のために意識を高く持って行動を続けるのが難しいからです。もちろん、前提としてヘルスリテラシーを向上させるための教育は必要です。でも、暴飲暴食が体に悪いことはみんな知っています。睡眠不足が体に悪いこともみんな知っています。とはいえ行動できないのが人間なわけです。
ラーメンが大好きな人に、ラーメンを食べるなと言っても、それは無茶なわけです。喫煙者に「禁煙しろ!」と無理矢理禁煙を強制しても、大体は反発してしまいます。だからこそ、ナッジ的に選択の自由を残しながらも、良い行動へと促すアプローチで働くひとと組織の健康を創っていけると、いいですよね。
【5】産業保健の結論(再掲)
カンパニーケアの常識を変える
これまでの産業保健は「規制強化」「前例主義」「全体最適」「家族主義(パターナリズム的産業保健観)」が常識でした。これからは180度方向転換した産業保健のあり方が求められてくると思います。
これからの産業保健は、「規制緩和」「未来志向」「個別最適」「ナッジ(リバタリアン・パターナリズム的産業保健観)」を新たな常識への変えていくべきだと思っています。
そんな想いを筆にこめて、旧オフィスの壁紙に落書きしました。これからも、日本の産業保健を変える旅を楽しんでいこうと思います。
おわりに
「産業」が変わり、「健康」も変わりました。変化が激しい社会の中で、みなさんはどんな産業保健を創っていきたいですか?ぜひいろんな方の意見を聴いて、議論していきたいです!
あくまで今回まとめたのは「産業保健の未来に対する基本的な思想」でしかないので、「具体的な領域ごとの変革のロードマップやKPI」まで少しずつ考えを深めていこうと思っています。今後30年の産業保健変革シナリオを25歳のうちには創りきりたいです。主張をまとめてると、本当に無知であることを自覚しますね。もっと勉強せねばです。
あと、このnoteで紹介しているのは僕個人の思想であって、所属組織とは関係ないのですが「iCAREでは日本の産業保健を変革していく志をもった方とぜひ一緒に働きたいな〜」と思っているので、興味のある方は気軽にDMください!おもしろいひとがいっぱいいます!
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