社会を小さく支える仕事と自分の後ろに伸びているかもしれない影
昔、京都の先斗町のバーで、バーテンさんがこんな話をしてくれた。
ある日、20代後半くらいの女性がふらっとお店に来たんです。
すごく端麗な顔つきをした綺麗な方だった。目が合うと愛想よく微笑んで会釈をしてくれた。
だけど、目は少し寂しそうだった。
最初はほかのお客さんも数名いたのだけど、しばらくするとお店には彼女だけになった。
しばらくして、飲んでいたウイスキーをコトンと置くと、彼女はふと口を開いて話を始めた。
...だけど私は、本当はもっと静かに無言で集中したり、引きこもって何かに没頭している方が好きなんです。タレントの仕事は嫌いじゃないけど、周りから明るく陽気な自分を求められ続けるのはもう耐えられない。このままだと自分が壊れてしまいそう...
僕は何も言わずに、店の裏にいって、一枚のCDを取ってきた。そして、音楽をかけた。
...きっと ウルトラマンのそれのように
君の背中にもファスナーが付いていて
僕の手の届かない闇の中で
違う顔を誰かに見せているんだろう...
Mr.Childrenのファスナーという曲だった。
櫻井さんの歌声が響き、そして鴨川の闇に消えていった。
彼女は泣いていた。
そして、しばらくすると静かにお店を出ていった。
彼女がその後どうなったのかは僕は知らない。
平日の24時を回ってから1人でくるお客さんはたいてい心に傷を抱えている。僕に出来ることはその人に聴いてほしいと思った音楽を流すだけ。その人に届くか届かないかはわからない。でも、それが僕の仕事なんだ。
確か、そんな話だった。
どうしてこんな話を思い出したのかというと、この記事を読んだからだ。
https://bamp.is/serial/tsukurou01.html
歌舞伎町に佇む深夜薬局。
薬剤師の中沢さんのお客さんとの適度な距離感が、あの時のバーテンさんと重なった。
様々な人が様々な役割をツギハギのように重ね合わせていく世の中
陽の当たる世界はキレイでシャイニーだ。でもこの世界に淀みがないなんていうのは嘘だと思う。
宮崎駿さんの映画「風の谷のナウシカ」でナウシカはこんなことを言う。
「なぜ人は気がつかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」
そう、きっと人はみな清濁あわせもって生きている。社会もまた然り。
陽当たりの良い世界が心地よい人もいればそうでない人もいる。あるいは、中国の伝統的な知性体系である陰陽思想のように、きっと誰もがそうした微妙なバランスを自分の中に抱えて生きている。そして、そこにそうした自分を受け止めてくれる人がいてくれるからこそ、この社会は回っている。
課題は何か?解決策は何か?
自宅と会社を往復していると僕らはそんな綺麗な問題解決に追いかけ回されてしまいそうになる。
でも現実の世界はそんな風には回っていなかったりする。
先斗町のバーや歌舞伎町の深夜薬局は、所謂イノベーションと呼ばれるようなものとはイメージが違うかもしれないが、そこには社会の根っこが見え隠れしている気がした。
そして、気が付かずに自分の後ろに伸びていく影も。
様々な人が様々な役割をツギハギのように重ね合わせていく世の中の方が案外しなやかなのかもしれない。