見出し画像

次は井波彫刻の始まりの場所へ

井波彫刻にふれて、その始まりとされる寺院へと


瑞泉寺。そこは井波の彫刻の発端の地となった場所。
1774年の瑞泉寺再建の際に、京都本願寺より、御用
彫刻師・前川三四郎が派遣され、このとき地元大工が
彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりと
されているという。彫刻総合会館を後にして瑞泉寺へ。


井波の町の通りの突き当りに位置する瑞泉寺
山門の先に広がる境内へと進む
正面の本堂は単層入り母屋造りで、国内の木造建築物で
東本願寺、東大寺、西本願寺に次ぐ大きさをほこるともいう
引きから寄りへ。水盤に映る建物と風景
寄るほどにディテールは拡大され、装飾的な柱の根巻きには
異なる獅子の姿。その奥深い意匠も楽しみつつ
本堂の濡れ縁へと足を踏み入れる
幾重にも時をつむぐ木の質感に包まれつつ
複雑に連なる木彫刻の装飾を見上げながら
回廊をたどり、鮮やかな緑の風景の中を歩く
本堂の次は、渡り廊下でつながれた太子堂へ
太子堂の軒を支える斗栱の複雑さ
聖徳太子像を安置する太子堂は日本最大とも
天井を見上げると海老虹梁。時を刻むあらゆる木々に
渡り廊下も振り返りつつ
飾り金物にも目を留めて。また太子堂には井波の
彫刻の粋が込められて。軒裏の手挟彫刻は瑞泉寺ならではで
彫りの深い蟇股は、干支も含めた様々な意匠で
龍のモチーフはここにもあって
木鼻は井波の彫刻師のお手本ともいう獅子。目にはガラス玉も
龍亀の蟇股、獏の木鼻、そして鳳凰の手挟彫刻や
壁板の板目もデザインされて。ここは木の表現の美術館とも
井波の彫刻の粋を集められた太子堂を引いてみて
その複雑な意匠にも圧倒されつつ
対比されるように本堂は屋根の曲線が美しく
瑞泉寺は彫刻もさることながら、残された建造物も圧倒的で
山門は細やかな木彫刻の装飾で構成されて
彫刻のモチーフは中国からの由来の仙人も
木の彫刻は動物だけでなく植物もモチーフに
装飾は幾何学図形のものも
山門の龍の彫刻の雲水一疋龍は、瑞泉寺再建の
際、京都から招いた御用彫刻師の前川三四郎の
作で、井波の彫刻師のお手本となるものという
根巻きの装飾には様々な姿の獅子の姿
様々な装飾であふれた瑞泉寺を後にして

山門の仙人を彫った彫刻師は当時17歳だったとも
井波の彫刻の歴史を知るほどに驚きも増していく

そこに想像を超える鍛錬の日々を感じる

今もその彫刻の技術と思いは受け継がれて

彫刻師から見える世界にも興味がわいて

瑞泉寺ナイトミュージアムの様子を動画にて

彫刻師による説明も興味深い

そして身近にもあった井波の彫刻。東本願寺に散り
ばめられた井波彫刻の技術の粋。東本願寺の御影堂門
は1911年に、そしてそこで高められた技術は1918年に
建てられた瑞泉寺の太子堂の彫刻へと受け継がれて。

瑞泉寺の再建に端を発した井波彫刻。井波の彫刻師は
技術を磨きつつ、後世へとつないでいった。その高度な
技術は井波から各地へも。井波の彫刻師は伊東忠太に
より、設計されたの築地本願寺の彫刻も手掛けている。

井波の町へ旅をした。そこでふれた井波の彫刻。振り
返れば、京都の東本願寺の御影堂の雲水龍は、井波の
彫刻師の岩倉理八の作でもあった。一本の木材から
生まれる彫刻。のみにより木は削られ、彫刻に命が
吹き込まれていく。彫刻師の思いはのみを通し木に
伝わり、生命力のある形へ。今回の旅でふれた木彫刻
の世界。この先の旅でもあらためて注目していこう。



いいなと思ったら応援しよう!