![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/45290497/rectangle_large_type_2_c70a117e91ba885f8481c979b9e38273.jpg?width=1200)
学校の役割
学校って、枠を決めて、子どもたちを拘束する場所だ。(もちろん、ドルトンは違うけど・・・)
ほとんどの学校で、登下校の時間が決まっていて、校則を守り、登校すれば「時間割」に沿って先生から「強制的に学習」させられ、放課後も部活動で「勝利をめざせ」と追い立てられる。
そういった、これまでの当たり前、学校を取り巻く「生活」が、新型コロナウィルス感染症の拡大によって大きく崩れた。
休校を余儀なくされたり、分散登校や短縮授業など、学校現場は大わらわ。
授業をどうする、時間数確保が大事だ、予定通り進まない、課題を出そう、どうして届ける、オンライン学習はどうだ・・・
受け手である子どもたちや保護者も、必死になって合わせようとした。
そんな中で、多くの生徒や保護者は気づいた。
学校でなくても学べるやん!
無理して、学校に行かなくてもいいんじゃね?
特に、単純な用語記憶や解法パターン習得のようなインプット学習であれば、インターネットの中に「質の高い」「教え方の上手い」先生がたくさんいて、自分のペースで効率よく、しかも無料で学べる。
じゃあ・・・、学校って「何するところ」なん?
学校が再開されると、それまでの対応がなかったかのように元に戻り始めた。学校は大事、学校でしかできないことがある。
でも、それはいったい何なのか。
多くの学校では、たぶんそういった思考が置き去りにされたまま、これまでどおりの生活に戻すことが第一。コロナ禍での経験や学び、制限があった中で身につけた効率化・スリム化した部分、新たに獲得したオンラインという手段まで、「なかったかのように」巻き戻している。
考えてみよう。
これが絶対的な答えではないが、単純なインプットではない「協働的な学び」や「対話的活動」こそが、学校に「登校」してでないと、リアルな身体的かつ言語的「接触」がないと、できないことなんじゃないだろうか。
じゃあ、それを学校は、教師は、どんな形で子どもたちに提供するのか。
枠を決めて、子どもたちを拘束するのであれば、それにふさわしい時間や空間の使い方・・・
子どもたちの可能性を最大限に伸ばす機会
精神的に拘束されない自由な学び
を最優先に考えるべきだと思う。
☆十人十色の個性を発揮☆
Do what you like in the last period before going home
https://www.facebook.com/daltontokyogakuen/posts/1049417722220313