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自分事として考え、実践できる人でありたい

大企業の社員研修の現状を聞いて、「そんなこと、まだやれてるの」感で、お腹いっぱい。

すべてじゃないと思うけど・・・
大丈夫か、日本企業!

思わず、そんな言葉が口から出た。

具体的な内容まではわからないが、大学生が企業を選ぶ時の条件の一つに「ちゃんとした研修があること」が含まれているらしい。

今でもそうなんだ・・・と、またもやビックリ。

自分に何が必要かを判断し、そのスキルを身につける道を選ぶのは「自分」じゃないの?

所属組織から提供される、半ば一律の研修に期待したり、それに依存することが何を意味するか。従順なイエスマンとは言わないが、「あなたの言う通りにします」宣言をしているようなものじゃないのかと心配になる。

自分はどこへいった
他人事にしてどうする

社会のインフラである大企業を筆頭に、それなりにお金があるがゆえに、カイシャの思うとおりに動かせるシャインを抱えるだけの体制はつくれるのだろう。

結果、個々人のレベルで優秀な人も、組織の構造ごと埋もれてしまって牙を抜かれ、最大公約数の仕事を黙々とこなす一人になってしまう。

大学へ行ってまで、そんな生き方をめざす必要があるのだろうか?

それは、あなたでなくちゃできない仕事なんだろうか?

学校も同じかもしれない・・・

誰に聞いても、学校は大切な社会のインフラであり、「教育」という大事な役割を担っているという答えが返ってくる。

そこには伝統という名の成功体験はじめ、前例や慣習が山のように積み上がっている。時代が流れ、大きく社会が変わろうが、既成のオペレーションを維持することが最上位目標がごとく、日々の営みを続けている。

時代の流れをキャッチし、明日を生きる生徒のために改革しようとする先生も、規格化された一律の対応を「義」とする体制、それを維持することが「善」という価値観、周りに合わせてみんな一緒という「脅迫」めいた圧力に対しては非力だ。

あっという間に、組織の同調圧力でつぶされてしまう。

学校がどういう場で
どんな人を育てようとしているのか

それを実現するために
生徒にとって、また教員にとって必要なことは何か

義務教育とはよく言ったもので、教育さえ工夫すれば中学卒業段階で、未来を創造できる「大人」としての基礎力は十分つけられる。今の時代なら、なおさらそうだ。

社会に出てから「社会人基礎力」を身につけましょうなんて、ちゃんちゃらおかしい。それまで何をやってたんだと言いたい。

どれだけ他流試合や越境体験をしたか

他人事ではなく

自分事として考え、実践できる人を・・・
一人でも多く生み出したい!

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