いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」4月7日放送分)
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<収録を終えて>
言論統制されている近未来を舞台に、収容され矯正を受ける作家を主人公にした小説というと、桐野夏生さんの『日没』(岩波書店)に近いものを感じます。(ちなみに、『小説禁止令に賛同する』は2018年2月刊行、『日没』は2020年9月刊行、という時系列があります)
どちらの小説も非常に独特かつ大変面白いのですが、『日没』は主人公の一人称で、様々な出来事を現在進行系の実体験として語る「ストーリー形式」なのに対し、『小説禁止令に賛同する』は主人公の手記によって進行し、常に過去の体験を誰かに聞かせる「一人語り形式」であるという点が、最も大きな違いになっていると思います。
一人語りの物語を読む時の注意点として気をつけるべきなのは、恐らくはこの語り手は「信用できない語り手」であり、その発言には何らかの形で瑕疵が含まれる(嘘を付いている、見間違いや記憶違いをしている、何かを隠している、偏見や思い込みがある、表には出さない意図があるなど)ということです。
そのため、語り手の言っていることをまるっと信じるわけにはいかないのですが、一方で情報源がそれしかないため、読者は真実を自らの目で見定める、探偵や刑事のような心構えでページを捲る必要があります。
※「信用できない語り手」はミステリ用語です。「この人信用できないよね〜」という意味ではありませんので、関心のある方はぜひ調べてみてくださいね。
その際にヒントとなるのが、語り手の発言に矛盾はないかという視点なのですが、どうやら『小説禁止令に賛同する』の主人公は非常に巧妙な嘘つきであるようです。彼は暴かれるべき「表層の嘘」を読者の目の前にぶら下げ、それを指摘する快感を与えることによって、その奥にある「深層の嘘」を上手く隠してしまうのです。
いとうせいこうさんの技の巧みさが光っています。
ちなみに、私は一人語り形式の物語をこよなく愛しているのですが、中でも一番好きで、かつ作者の最高傑作だと思っているのが太宰治の『駈込み訴え』です。
新約聖書のあるシーンを登場人物の一人に語らせているのですが、イエス・キリストというカリスマを取り巻く、羨望や憧憬や嫉妬や卑屈が入り混じった複雑な感情が短い台詞に凝縮されている、凄まじい作品です。中学生の時に初めて読んで、あまりの衝撃に震えが走ったことを覚えています。
今読み返すと、人間が宗教に求めるもののバリエーション(救い、金、優越感、自尊心、共同体、死、など)を、各登場人物に代表させる設定にしても良かったのではないかなと思うのですが、あくまで宗教色を洗い流し、俗っぽさマシマシにしたところに太宰治の筆致が生きているのでしょうね。
『駈込み訴え』も、あくまで語り手の独断と偏見に基づく一方的な言葉のみで綴られていくのですが、この場合は『新約聖書』というマスターとなる本があるため、それと比較検討をしながら読者は物語における真実を解明していくことになります。この作業もとても楽しいものです。
ちょっと取り留めもなくなってしまいましたが、今回はこのあたりで。
またお会いしましょう。
<了>
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