見出し画像

イクメンエリートパパにキュン♡「父が娘に語る経済の話」

 一冊の本を良書たらしめるものは何なのでしょうか。

 例えばそれは、人に勧めたくなる、ということかもしれません。
 もしかしたら、自分が死んだら棺桶に一緒に入れて、と頼みたくなる本のことかも。
 人生の中で何度も繰り返し読みたくなる本のことだという人もいるでしょう。
 そしてそれは、今までの価値観を揺るがし、時には覆してくれる本のことかもしれません。

 読者に”wonder”を与えてくれるもの。
 驚嘆させ、さらに詳しく知りたいと思わせてくれるもの。
 一度読み終えてしまったら、もう元の自分には戻れないと思わせるもの。
 もしそれが良書の条件であるならば、この本は私にとって、確実に良書と呼べるものでした。

ダイヤモンド社出版 ヤニス・バルファキス著 
「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」

 執筆者の名前に聞き覚えがある人も多いでしょう。ヤニス・バルファキスは、2015年のギリシャ危機のさなかに財務大臣を務め、その論調から注目を集めたものの、国民からの理解を得られずに僅か半年でその座を退いたという経歴を持ちます。
 この本は、経済の世界的専門家である著者が、若い世代にもっと経済について知ってもらいたいという思いから、自分の10代の娘に語りかけるスタイルで書かれたものです。
 世界的な大ベストセラーになっていて、現在25カ国で発刊。日本でも2019年3月の発行から僅か3ヶ月で現在13万部が刊行されるというビジネス書としては異例の大ヒットを記録しています。

 一体、この本の何がここまでのヒットを見せたのかでしょうか?
 その理由は、分かりやすく経済を噛み砕いて教えてくれていること以上に、本書が纏う「覚悟」のようなものが読者の心を揺さぶるからだと思います。
 あくまで娘に対して書いたというスタイルを取りながらも、筆者が冒頭で述べているように、この本は若い世代全員に向けて書かれています。
 その際にヤニス・バルファキスは、単なる悲観主義者やその逆に楽観主義者といった安易で無責任なポジションをとることはしていません。彼は、今の世界の経済構造には致命的な欠陥があり長くは続かないことを正直に認めた上で、未来の世代に対し、先達として持てるだけの知識を託し、彼の力の限り未来をリサーチし、そして一人の大人として温かく励まします。

それでは、本の内容に進んでいきましょう。

「パパ、どうして世の中にはこんなに格差があるの?人間ってばかなの?」

 始まりは、筆者に対して娘が投げかけた、この問いから始まります。
 ここで、とても重要なことを皆さんにお伝えしなくてはいけません。
 今すぐ、検索サイトに「ヤニス・バルファキス」と打ち込み検索ボタンを押してください。
 表示された画像から、彼がスキンヘッドの厳つめなおじさまだということが分かるでしょう。財務大臣を務めていたときには、このビジュアルでバイクを乗り回す姿から「政界のブルースウィルス」との異名をとったとの過去もあるそうです。
 このおじさまが、本作の中で10代の娘に対し「こんなことを言うパパを、君はウザいって思うかもしれないけどね」など断りながら超一流の経済解説を加えていくのです。

どうですか、萌えるでしょう。

 仕事では超エリートだけど娘には弱いパパに萌える属性をお持ちの方は、ここを踏まえて読み進められるとより一層の楽しみが得られるかと思います。

 さて、娘から世の中の格差について、シンプルですが深い問いを受けた筆者は、何と答えたでしょうか?
「お金儲けが上手な人と、下手な人がいるからだ」と、私達は考えがちです。
しかし、筆者はそうは答えません。
「貧富の差」はいつ生まれたのか、何のために生まれたのか、どう維持されていったのかについて、かつて人類が狩猟と農耕によって命を繋いでいた時代から産業革命を経て現在に至る迄の歴史を追いながら丁寧に説明していきます。
 そして「貧富の差」というものが、少なくとも経済学の見地から言えば、その人個人個人の能力差ではなく、権力を確立した一部の人間によって生み出された社会の仕組みだということを明らかにしていきます。
 これによって読者は、人類がバナナとリンゴを物々交換をしていた太古の時代から、現在の巨大IT企業が世界を席巻する過程を辿る旅の中で、自分自身の価値観だと思っていたものが、いかに既成概念の影響を受けているのか度々気付かされることになります。

 例えば、本書の中では「世の中の価値には二通りある。それは、他のものに変えられない『経験価値』と、お金やお金を介した色々なものと代替可能な『交換価値』である。しかし、今は、本来他にはかけがえのないものであるはずの『経験価値』(感動や誰かを助けたいという思いなど)を、お金を出せば手に入れるこのとできる『交換価値』に変えてしまいがちだ」という主張がされています。
 確かに私自身考えてみると、今の世の中は「お金で買えないモノやコト」がどんどん減っていいること、そして何か欲しいものがあったり、やりたい事があったときに、お金でアプローチすることが当たり前になっていることを鑑みて、深く納得しました。
 そして、経済学者である著者が「お金に変えてはいけないものがある」と主張することに、強い説得力と現状への危機感を感じました。

 しかし、本書が良書だと感じさせる理由は、「自分自身が如何に既存の概念に縛られて生きてきたのか」を気づかせてくれたことだけではありません。
 経済学から見た様々な事象を説明する際の「引用」の美しさが、本書に他にはない魅力を与えているのです。

 例えば、「景気の悪化を生み出すのは、他でもない景気の悪化を不安に思う民衆心理が引き起こすのだ」ということを説明するときには、ギリシャ神話の登場人物ライオス王が、自分の息子オイディプスに殺されるとの予言に怯えるあまり、息子を殺そうとすることが、巡り巡って自分自身を殺させるお膳立てをしてしまうストーリーに例えます。
 また、ゲーテの代表作「ファウスト」の原作であり、16世紀に書かれたクリストファー・マーロウの戯曲「フォースタス博士の悲劇」を、「借金」と「利子」の概念が成立しつつあった当時のヨーロッパの不安を一足早く描き出したものだと指摘します。
 このストーリーは、全ての願いを叶える代わりに死後の魂を渡す契約を悪魔メフィストフェレスと結ぶフォースタス博士の人生を描いたもので、前借りした「生きている間の幸福」の利子として、「死後の魂」という途方もない価値のあるものを支払うことになる主人公の姿から、借金と利子が今後社会に与えるであろう暗いインパクトを予知しているというのです。
 擬えられるのは過去の出来事ばかりではありません。
 機械化が進む今の世の中の行く末として、映画「マトリックス」や「スター・トレック」を例に出し、今後我々の生きる世界がどう変わっていくのか、(限定的であっても)ある一面からは確実に示唆したものなのだと主張しています。
 これらの過去の名作と言われる作品を、時代時代の本質や少し先の未来を予知したものとして引用する筆者の思想は、人間の持てる叡智の可能性を感じさせました。

 経済とは人類の軌跡であり、これから経済がどのように形態を変えていくかによって、人類のあり方そのものが変わっていく。
 だからこそ、誰もが経済を学ぶべきだ、と筆者は主張します。

「世界のありのままの世界をはっきりと見るために、精神的にはるか遠くの場所まで旅をして欲しい。それによって、君は自由を得る機会を手にできる。経済の仕組みを知り、”自分の身の回りで、そしてはるか遠い世界で、誰が誰に何をしているのか?”と問うことが、精神の自由の源泉となる」

 これは、筆者が本書の結びに綴った言葉を一部抜粋したものです。
 ヒトやカネに支配されることなく、誰かの都合のいい物語の中に閉じ込められることなく、自由であるために。
 自由に、自分たちの住む世界を、自分たちの責任で作り、自分たちのために守るために。
 未来の人類がそう生きられるようにと願いが込められているからこそ、この本はタイトルに偽ることなく「美しく、深く、壮大に、とんでもなく分かりやすく経済について教えてくれる」のでしょう。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?