見出し画像

Netflix『シスターズ』が素晴らしかった件

見終わってから少し時間が経ってしまったが、ドラマ『シスターズ』があまりに素晴らしく、余韻がここまで長く続いた作品は久しぶりなので、できるだけちゃんと書き残しておきたいと思った。

作品自体のあらすじや登場人物については下記のようなサイトを参考にしてもらうとして、

ここからは、私なりの切口でこの作品を見ていきたい。

■ストーリーの型

私はCQ(セントラル・クエスチョン)という概念を何より大切にしているが、それはつまりストーリーの型にも繋がり、

A:主体+目的
B:主体+客体の目的
C:主体+障害

という三つの型がストーリーにはあると常々考えている。

『シスターズ』が面白いのは、大きくは「C:主体+障害」型でありながら、3姉妹がそれぞれ違う型を背負っていることだ。

長女 オ・インジュ B:主体+客体の目的(先輩ファヨンの無念をはらしたい)

次女オ・インギョン A:主体+目的(ジャーナリストとして一人前になりたい)

三女オ・イネ C:主体+障害(漠然ともやもやしている。自立したい)

長女インジュは、特に強い欲があるわけでもなく、母親代わりというほどに長女として妹たちの幸せを願っている。そんな彼女が強く成長していくのが物語の軸だ。

次女インギョンは、長女、三女と違い、明確に自分がなりたい目標を持っている。正義感が強く、ジャーナリストとして一流になりたいという思いが最後までブレない(最後には少し視野が広くなった選択をするが)。

三女イネは、長女、次女に比べて、まだまだ自分探し中だ。漠然とままならない環境に苦しみながら、なんとかそれを乗り越えようともがいている。

群像劇の場合、各キャラクターの個性に差をつけて、ストーリー性を同じにしないというのは通常のやり方でだが、このようにCQの型が違うと考えると、より明確に違いがわかるのではないだろうか。

■ミステリーとしての完成度の高さを支えた脚本の素晴らしさ

この作品は大きくはサスペンス要素の強いミステリーとなっており、謎を追う中で、主人公たち3人の生き様が描かれていく。

上手に描かないと、興醒めするような非現実的な要素や、ご都合と呼ばれる設定もあるが、それが俳優の演技や演出、そして美術、技術のレベルの高さによって乗り越えられていたと思う。

この辺り、最終的には制作費に結びつくところはあるが、シナリオが作っている「世界観」がそれを支えていたのだろう。

日本語字幕で見ているので、どこまで正確な言い回しで受け取っているかは自信がないが、通底する哲学性みたいなものは確かにあったと思う。

脚本家のチョン・ソギョンとはどんな人だろうと思い経歴を見ると、ソウル大学の哲学科出身となっていて(正確にはソウル大学校哲学科を中退し、韓国芸術総合学校映像院シナリオ科を卒業)、妙に納得した。

作品のwikipediaには、この作品の企画意図なども抜粋されている。

・脚本家のチョン・ソギョンが、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』(原題:Little Women)に着想を得て、主人公のマーチ姉妹が現代韓国に生きていたら、という問いかけから着想した作品である

・激しい競争と貧富の二極化が進み、多くの人が不満を抱える現代。「そのような社会の魂はどんな姿だろうか」「お金に対する私たちの欲望はどこから来たのか」「お金はあなたの魂にどんな意味があるのか」を聞きたかったと、作品の企画意図を説明している。

■格差社会というテーマについて

正直、韓国ドラマに通底する「格差社会」というものを、日本に住んでいる私は、同じ次元で感じていないだろう。

「格差」というのは、世界的に共通するトピックではあると思うが、財閥的な表現など、やはり自分達の社会に置き換えられないものがある。

ただ社会の表面に見つけられる障害や”ざらつき”が違うとしても、人生の中で経験するモヤモヤに共通するものはある。

安易な言葉を使えば、登場人物たちの持つ「苦しみ」や「葛藤」、「孤独」のようなものが、私の心をとらえた気がする。

特に主人公のオ・インジュが持つ「孤独」はすごかった。

■インジュ役キム・ゴウンの芝居が凄すぎる

見始める前の予想と違い、ストーリーが進むに従って、長女インジュの比率が大きくなっていくのだが、それにしてキム・ゴウンの芝居がすごい。そのおかげで、インジュへの感情移入が私はとても大きくなっていった。

終盤のエピソードになると、オ・インジュの泣き腫らした顔や、それでも流す涙や感情が高まる演技が、本当に素晴らしかった。

オ・インジュを見つめる視線というのは、異性に対する好感でもなく、主人公に対する憧れでもなかった。かといって、可哀想なヒロインを上から目線で見ていたのでもない。

何か自分でも言葉にできない次元で、彼女の感じていた「孤独」や「苦しさ」が自分の内面の何かに触れたのだろう。

最終話でファヨン先輩が、裁判でこう言った。

「私がお金を残したいと思う相手はオ・インジュしかいなかった」

そのセリフを聞いたときに、救われる思いがした。
(ちなみにその時のオ・インジュが涙を流す芝居は本当に素晴らしかった)

■ファヨンの存在

ファヨン先輩が、この作品のキーパーソンであることは紛れもない。

私のはキャラクターを大きく次の7つに分類している。
「主体」
「客体(主体の行為対象)」
「敵対者」
「協力者」
「援助者」
「犠牲者」
「いたずら者(味方になったり敵になったりする)」

この中でいえば、大きくは主体であるインジュからの「客体」だが、「援助者」「犠牲者」「いたずら者」あたりの要素も持つと言えるだろう。

逆に言えば、そうやって複数のキャラクターの役割を果たしているから、キャラクターとしての立っていたのだとも言える。
(実際、私たちはファヨン先輩と同じく、ずっと物語を通してオ・インジュを見守ってきた)

■サウンドトラックの素晴らしさ

ちなみにこの作品を語る上で、サウンドトラックの素晴らしさは語らないわけにはいかない。

最終話を見終わってしばらく、私がその世界観に留まり、一連の感情がこだましていたのは、音楽の影響が多分にあるだろう。

サウンドトラックの素晴らしさが、作品の魂を支えていたと言ってもいい。

最初は下記の曲がずっと頭から離れなかった。

19 Her Surprise Gift

不思議なもので、ある程度音楽に聴き慣れると、良くも悪くもその曲で繋がる感情が薄らいでいく。

そして別の曲に感情が移っていきながら、良くも悪くとも大体の曲に飽きると、一通り自分の感情が整理し終わるのだ。

参考までによく聞いた曲を書き出すと以下である。

18 Your Apartment(作:Woo Ji Hoon、Park Se Joon)

43 Not Love(作:Woo Ji Hoon、Park Se Joon)

55 The Past Times(作:Na Yoon Sik、Park Se Joon)

29 If You Must(作:Kim Min Ji)

30 Rainstorm(作:Kim Min Ji)

33 Money Is Like A Bubble(作:Woo Ji Hoon、Park Se Joon)

57 To My World(作:Lee Nyum)

ドラマの最後を締めくくった「57 To My World」は本当に素晴らしい曲だった。

最終話だけじゃなく、それまでの話でも使われていた気がするが、大サビ的なところは最終話のラストシーンだけに使われたような気がする(間違っていたらごめんなさい)。

ラスト、象徴として幾度となく出てきたシンガポールの植物園を背景に、緑や滝や、それらが人工的であることも含めて、色々なものが重ねられていた。

あのラストシーンのカタルシスは、何度も味わえるものでは無い気がするが、この曲あってこそだと思った。

■サウンドトラックを聴きながら自分に潜る

良いサウンドトラックは、単に劇中のシーンだけではなく、自分の記憶にも潜らせてくれる。

時には自分の小さい頃の記憶や、受験時代の冷たい空気を思い出した。

少し前に「十分に孤独であること」という文章を書いたが、これまでに感じた「孤独」を撫でていった感覚でもあった。

「孤独」という言葉を安易に使うと、「悲劇のヒーロー」ぶっているみたいだし、なんだか「自分大好き人間」みたいで嫌なのだが、ただ私にとっては「孤独」は自分の創造性にとっては必要なものではある。

「孤独」は「感動」の前提条件とも言えるもではないだろうか。

私は「感動」という言葉を「興奮の極地」ではなく「自分の中の矛盾、葛藤、抑圧が昇華された瞬間」と定義しているので、余計にそう思える。

今回、『シスターズ』を見ながら、自分が味わった「感動」はまさにそのようなものであり、もっと正直に言えば、明確に昇華されたというよりも、自分の奥の方にある「感情」や「影」が引っ張り出されたという感じかもしれない。ただそれは同時に昇華のスタートでもあったのだろう。

ただこの作品の中で、脚本家や監督やスタッフ、キャストが表現しようとした「世界」は大いに「孤独」に溢れており、しかもそれに対して前向きなラストでもあった。

私もそのような作品を作りたいと思ったし、あの続きを生きていきたいと思った。

以上、私なりの『シスターズ』の感想である。本当に素晴らしいドラマだった。

Netflix『シスターズ』(原題『작은 아씨들』英題『Little Women』)


追伸(余談だが、発見したクリエイティブリンク)

余談だが「41 This Is True(作:Lee Nyum、Park Se Joon)」は『ゲーム・オブ・スローンズ』のラストシリーズ第3話3 「長き夜(The Long Night)」で流れた『The Night King』のオマージュが感じられる気がした。

きっと作曲家あるいはそれを発注した人間が、自分と同じように『ゲーム・オブ・スローンズ』の一連のあのシーンとあの曲が好きだったのかなとほくそ笑んだりした(でも私だけがそう思ったのかもしれない)。

ちなみにシナリオ的にも最終話の気持ち良いシーンが『女神の見えざる手』へのオマージュになっていたりして、作り手の感覚としてすごく同時代性を感じた。ちなみに脚本のチョン・ソギョンは同い年!!!

いつかお会いしたい方だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?