日経やさしい経済学「ソーシャルメディアの光と影」
日経新聞の「やさしい経済学」で、「ソーシャルメディアの光と影」というテーマが連載されました。SNSの歴史の振り返り、理想と現実の違いを知る上で参考になりました。以下が全体の大まかなサマリーです。
第1回:ビジネスの可能性で急拡大
世界のソーシャルメディア利用者数は約49億人、日本では1億600万人に達し、ほとんどがソーシャルメディアを利用している(2023年)。ソーシャルメディアを「コンテンツの共有や交流、コミュニティ形成を可能にするアプリケーション」と定義し、YouTubeやLINEも含まれる。日本においてSNSの利用は1995年以降増加し、2000年代初頭にはブログがUGM(User Generated Media)として登場。SNSは2004年に「グリー」や「mixi」から普及し、ネットワーク効果によって利用者が急増し、ソーシャルメディアの影響力を高めた。
第2回:スマホ普及で超複製時代に
スマートフォンの普及により、日本のソーシャルメディア利用は劇的に変化した。2009年の「リツイート」ボタンの導入や、2010年の「いいね!」ボタンの登場で、コピー型投稿が容易になり、超情報過多の時代が到来。特に写真と動画の投稿が爆発的に増加し、ユーザーの感情を刺激するコンテンツが主流となる。また、推奨アルゴリズムの進化により、個人の嗜好に合わせた動画が次々と提示される仕組みが確立され、特にTikTokはその巧妙な設計でユーザーの注意を引きつけた。
第3回:予測した未来と異なる現実
ソーシャルメディアは、2005年にビジネスチャンスが見いだされるとマスメディアとの立場も変化がおきた。個人が低コストで情報発信を行える「ウェブ2.0」の時代が到来し、社会の透明性が高まった。しかし、期待された「熟議」より「瞬間的な動員」が主流となり、米議事堂襲撃事件などの問題も生じた。ソーシャルメディアは理性よりも情動が優勢な場となり、経済格差や政治対立を加速させる要因にもなっている。
第4回:予測した未来と異なる現実
ソーシャルメディアの利用習慣の形成は、人間が他者からの評価を求める性質に依存している。アーキテクチャー(行動制御設計)や通知機能が利用頻度を高め、つい見続けてしまう傾向を作り出している。新たな発見によるドーパミンの放出が幸福感を与え、依存へと繋がる場合もあり、ソーシャルメディアはこの生理的特性を利用している。Google出身のトリスタン・ハリス氏は、人間の弱さにつけこまない設計の重要性を提唱している。
第5回:楽観視できない悪影響
ジョナサン・ハイト氏は、SNSの普及によってアメリカ社会に攻撃的な発言が増え、穏健派の発言力が低下したと指摘。Z世代に関しては、スマートフォンが対面交流を奪い、精神的不調の原因になる可能性を述べた。また、鈴木宏昭氏の「メディアによる錯覚」の指摘を引き合いに、SNSが偏った情報を頻繁に見せることで、錯覚が起こりやすくなる現状に警鐘を鳴らしている。問題解消には多くの時間が必要とされる。
第6回:偽情報が拡散してしまう理由
ソーシャルメディアで偽情報が拡散する理由を行動経済学の視点から考察。ダニエル・カーネマンの「システム1」(直感的思考)と「システム2」(頭を使う分析的思考)に基づき、SNSではシステム1が優勢で、システム2が十分に活用されないことが問題と指摘。また、情報過多の環境下では、確証バイアスが働き、各人が信じたい情報だけを信じる傾向が強まる。システム2を活用しやすい情報環境の設計が偽情報の拡散を抑制する鍵になると指摘。
第7回:データが支配する巨大市場
ユーザーの利用時間を増やすことで広告収益を最大化する仕組みが長時間利用をする理由である。広告収入は、アルファベットとメタだけで1040億ドルの収益を生み出した(2023年10-12月期)。情報過多により関心が希少化が進むことで、関心を奪い合う「アテンションエコノミー」が巨大市場化した。消費者の行動データが「商品」とされることを「新しい封建制」とも捉え、個人情報を保護するために、EUの一般データ保護規則(GDPR)やデジタル市場法(DMA)といった規制が導入されている。
第8回:人間と機械が支え合う社会
デジタル社会は、今後10年でさらなる動画視聴の普及に伴い、細分化されたコンテンツが小グループで共有される可能性が高い。これにより、社会的に重要なニュースの共有や選挙の議論などの機能が弱まる懸念される。カリフォルニア大学アーバイン校のマーク教授の視点から「デジタル世界は初期段階にあり、人間と機械が支え合う複合社会の構築が重要」と強調されている。
まとめ
「火のない所に煙は立たぬ」「一時が万事」
上のことわざはSNSで流布された噂を私たちが簡単に信じてしまう理由を示しているように思います。
一方で、「人のうわさも七十五日」ではなくなり、一度、炎上してしまった案件はデジタルタトゥーとして残り続けます。
SNSがどのように発展し私たちの生活の一部となったのか、そして、悪影響についての理解を深めることができました。
私自身もこうしてnoteに書き続けている以上、リスクを背負っているのだという認識を持ち、SNSの有効活用を模索し続けたいと思っています。