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消費者の意識の変化と「カローラを買えない日本」

はじめに

かつて、大衆車の代名詞ともいわれたトヨタのカローラ。しかし、今や「カローラを買えない日本」という言葉が示すように、カローラの立ち位置が大きく変化しています。価格の上昇と平均年収の停滞が重なり、カローラ価格指数は0.55にまで上昇。つまり、かつての「手ごろな大衆車」が、年収の半分に相当する高級車へと変貌を遂げたのです。


カローラ価格指数とは?

カローラ価格指数とは、「カローラ1台の価格を、その時点の日本の平均年収で割った値」のことを指します。この指数が低いほど「カローラが手の届きやすい車」であり、高いほど「カローラが高級車に近づいている」といえます。

この指数は、日本の経済状況や所得の推移を反映する指標の一つともなっています。たとえば、賃金の伸びが車両価格の上昇を上回っていれば指数は低下し、逆に賃金の伸びが鈍化する中で車両価格が上昇すれば指数は上がります。

カローラ価格指数の推移

カローラ価格指数の推移を振り返ると、1966年の初代カローラ発売時には0.90と高く、当時はまだ一般家庭にとって車の所有は夢の高嶺の花でした。しかし、高度成長期を経て1982年には0.27まで低下し、「一家に一台」のマイカー文化が定着しました。その後、バブル期の1990年でも0.33と比較的低水準を維持していましたが、2000年代以降、カローラの高級化や平均年収の停滞により再び指数は上昇。2019年の12代目カローラでは0.55となり、かつての「手ごろな大衆車」の立ち位置から大きく変わりました。

消費者意識の変化:なぜカローラを買わないのか?

この変化の背景には、単なる価格や所得の問題だけでなく、日本人の消費行動そのものが変わったことが影響しています。

「持つこと」の価値観の変化

かつては「一家に一台のマイカー」が中流家庭の象徴でした。しかし、都市部を中心に公共交通の発達やカーシェアリングの普及が進み、「車を所有すること」自体の価値が低下しています。

実際、私自身も「カローラを持つくらいならカーシェアリングで十分」と考えています。所有から利用へ——シェアリングエコノミーが普及する中、車の必要性は相対的に下がっているのです。

高級志向の二極化

カローラがハイブリッド車の標準化や先進安全機能を搭載し高級化したことも、価格指数の上昇につながっています。
特に、昨今の車市場では「安価な軽自動車」と「高級SUV・EV」の二極化が進み、カローラのような「中価格帯の大衆車」は支持を得にくくなっています。

また、消費者の心理として「中途半端なものを買うより、軽自動車で十分、もしくはお金を貯めて一気に高級車へ」といった選択が増えているのではないでしょうか。

「賃金停滞=貧しくなった」とは限らない

カローラ指数の上昇は、日本の所得が伸び悩んでいる現状を示しています。しかし、それがそのまま「日本人が貧しくなった」とは言い切れません。
たとえば、車を所有しなくても生活できる環境が整ってきたことや、消費者がよりコストパフォーマンスを重視するようになったことが背景にあります。

実際、私自身も車を所有しないことに不便さを感じていません。それは、移動手段が多様化したことや、生活スタイルの変化によるものであり、決して「貧しくなった」と感じるわけではありません。

未来の消費行動はどうなるのか

この流れは、今後ますます加速するでしょう。EV化やMaaS(Mobility as a Service)の発展により、個人が車を所有する必要性はますます薄れていくかもしれません。
特に若年層の「所有しないライフスタイル」が一般化することで、大衆車の概念自体が変わる可能性があります。

一方で、カローラが「日本の大衆車の象徴」から「世界の高品質なコンパクトカー」へとシフトしていることも注目すべきポイントです。トヨタがカローラのブランドをどのように再定義し、これからの消費者ニーズに適応していくのか——その行方は、日本の自動車産業全体の未来を占う試金石となるでしょう。

まとめ

かつてのカローラは「誰もが買える大衆車」でした。しかし、今やその役割は軽自動車やカーシェアに取って代わりつつあります。
これは日本の経済の停滞を映し出している側面もありますが、同時に消費者の意識が変化した結果とも言えます。

「カローラが買えない日本」は、必ずしも「貧しくなった日本」ではなく、「所有の価値観が変わった日本」と捉えるべきなのかもしれません。


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