Alternative(オルタナティブ)ロック史50年 Revisited:前編
※本稿はマガジンとして連載した記事を編集・修正したものです。大きな変更点は次の2点。
1.全連載を1記事(前後編)に集約
2.写真、音源へのリンクの削除(テキストのみ)
元のマガジンは初の有料マガジンにしています。ありがたいことに購入してくださる方がけっこういらっしゃったものの当然ながら閲覧数は減ったんですよね。ただ、オルタナティブロックに関するこれだけのテキストやデータってあまり日本語のweb空間では見ないので(書籍や英語webではみかけます)、やはり誰でも見られる形でwebに残しておきたいなと思いこの記事を公開します。全体量がかなり多いので写真・リンクは削除しました。1ページの分量が多くなりすぎるとブラウザで読み込めなくなるからです。また、本来1記事にしたかったのですが文字だけでも読み込みに支障が出たため、前編後編に分けます。全編は序章~1999年まで。後編は2000年以降です。
元記事は画像やリンクが豊富ですので、この記事を読んで気に入ってくださった方は投げ銭感覚でマガジンを購入いただければ幸いです。後編最後に元マガジンへのリンクを貼っておきます。
それでは本文、どうぞ。
あとがきの前書き
1966年から2019年まで、50年余、半世紀以上に渡りオルタナティブロック史を見ていきます。本稿で取り上げるアーティストは400組、アルバム400枚。膨大な量ですがそれでもオルタナティブロック史の一部にすぎません。50年という月日で積み上げられた音楽資産は膨大かつ豊穣であり、一人の人間が一生をかけても聞き切ることはできないでしょう。
そのような膨大な音楽の森にどう分け入っていくか。手がかりの一つがディスクガイドや名盤リストであり、本連載も基本的には名盤ディスクガイドとアーティストデータベースです。とはいえ全体で400枚、400アーティストという膨大な量になってしまったので、「こういうテーマに沿って聞いていったら面白いかも」という提案を最初に書いておきます(ちなみに、この前書きは一番最後に書いています)。
何か一つのテーマを持ってアーティストやアルバムを掘っていくのは、「次はこのアーティスト、このアルバムを聴いてみよう」という好奇心も沸きやすくなるので、僕はいくつかの視点を持ってロック史を掘っています。今回の連載については、たとえば次のような視点に沿ってみていくとより楽しめるかなと思います。
1.ムーブメント(サブジャンル)で掘り下げる
時代ごとにさまざまなムーブメントがあり、サブジャンルが生まれていきます。こうしたジャンル名、ムーブメント名は検索キーワードになるので、これをもとにアーティスト、アルバムを聴いていくとそれぞれのつながりや類似性、時代ごとの進化を追えて面白いでしょう。今回のリストで出てきたキーワードを書いておきます。
60年代
サイケデリック、プロトパンク
70年代
クラウトロック、アートロック、パンク、ポストパンク、ゴス、ニューウェーブ、スカリバイバル、テクノ
80年代
ポストパンク、ニューウェーブ、ゴス、ハードコア、シンセポップ、ネオサイケデリア、ペイズリー・アンダーグラウンド、ノイズロック、オルタナティブロック、インディーロック、ネオアコースティック、ポストハードコア、ギターロック、ジャングルポップ、オルタナティブカントリー、ノーウェーブ、インダストリアル、ポストロック、ミクスチャー、インディーポップ、マッドチェスター、ローファイ、カウパンク、トゥイーポップ(C86)、クリスチャンオルタナティブロック、カレッジロック
90年代前半
シューゲイズ、グランジ、オルタナティブロック、ポストハードコア、ジャングルポップ、オルタナティブメタル、オルタナティブカントリー、マッドチェスター、ファンクメタル、アシッドハウス、女性SSW、ローファイ、エクスペリメンタル、ネオサイケデリア、ラウンジ、ローファイ、ブリットポップ、ポップパンク、ライオットガール(Riot Girrrl)、ストーナーロック、トリップポップ
90年代後半
ポストグランジ、ブリットポップ、インディーロック、ダンスパンク、オルタナティブダンス、ポストパンク、スカパンク、スローコア、チェンバーポップ、ネオアコースティック、オルタナティブダンス、オルタナティブカントリー、ガレージロック、ライオットガール、ミクスチャー、スケートパンク、クールシムル(Cool Cymru)、スペースロック、ネオサイケデリア、ポストブリットポップ、ノイズポップ、ポップパンク、パワーポップ、エレクトロニカ、フォークトロニカ、ポストクラシカル、ギークロック
00年代前半
アートウェーブ、エクスペリメンタルロック、ニューウェーブ、ブリットポップ、ポップロック、パワーポップ、ポップパンク、エモ、スクリーモ、ドリームポップ、ダンスロック、ダンスパンク、ガレージロックリバイバル、エレクトロロック、ポストパンクリバイバル、ニューレイブ、インディーフォーク、オルタナティブカントリー、ニューゲイズ、ローファイ、ダブステップ、ポストハードコア、クラシックロック、ソフトロック
00年代後半
サイケデリックフォーク、ドリームポップ、ローファイ、インディーロック、ノイズロック、グランジリバイバル、インディーフォーク、ノイズロック、ゴスペル、オルタナティブR&B、ソフトロック、フォークトロニカ、バロックポップ、チェンバーポップ、トリップホップ、マスロック、グリンディー(グライムインディー)
10年代前半
ソロアーティストの台頭、DTMによる実験音楽、黒人音楽やラテン音楽とのミクスチャーロック、クラシックロックへの回帰、等
10年代後半
黒人音楽からのロック(従来の白人音楽)へのアプローチがさらに強まる、オルタナティブR&Bの深化、ポストパンク/ニューウェーブなどの80年代リバイバル、さまざまなミクスチャーサウンドの進展
2.黒人音楽・白人音楽・ラテン音楽の相互影響
もともとロックンロールは黒人音楽、ブルースやスウィングから生まれていますし、プレスリーの直前に大流行していたのはラテン音楽のマンボでした。ラテン音楽も、南米音楽と二グロアフリカンの音楽(黒人奴隷が連れてこられた植民地は北米だけではない)が融合したものと言われており、黒人音楽との混交。もともとアメリカに入植したのはイギリス人が多く、ケルトやアイルランド、ブリティッシュトラッドがアパラチアンフォークとして残り、西部開拓の中でウェスタンとなり、もともとフランス領だったニューオーリンズでビッグバンドジャズが生まれていく。そうした、白人と黒人、そしてラテン音楽の混交という視点でロック史、ひいてはアメリカ音楽史を見ることができます。
大きな流れで言うと、オルタナティブロックはある時期まで非常に白人的。おそらく90年代ですね。50年代、60年代はロックとソウル、ファンクなどの垣根は低く、黒人音楽のグルーヴにあこがれた白人ロックバンドが多かったですが(ビートルズもその一つ)、時代を経るにつれてフォーク的、カントリー的な欧州白人音楽をルーツとする白人音楽がオルタナティブロックシーンでは主流になっていきます。むしろ、90年代はファンクメタルやラップメタルといったメタルとの組み合わせで黒人音楽との混交が果たされていたかもしれない。ただ、全体的には黒人音楽、ラテン音楽の影響はだんだんと薄れ、90年代にその乖離が最大化します。
00年代以降、ダンスロックブームが起き、ロックが「踊れる音楽」に戻っていく。その過程でラテン音楽のリズムが取り戻され、黒人音楽(ジャズやブルース)のリズムもだんだんと取り戻されていきます。むしろ黒人音楽側からロックのテイストを取り入れるオルタナティブR&Bといった動きも2000年代後半から出てきます。こうした、「非ロックアーティストによるロックサンドの融合」は現在も起きていて、「ロック」の境界が曖昧になっているのが2021年の現在と言えるでしょう。
こうした「音楽のルーツ」からロック史を読み解いていくのも面白い視点です。
3.技術・音響面の変化
ロック史において新しい音、新しいジャンルが出てくるのは、アーティストのアイデアや才能はもちろんなのですが、実は機材や技術の進化によるものが一番大きい。ビートルズがサイケデリックな録音芸術に舵を切っていったのはマルチトラックレコーダーの進化によるものですし、エフェクターの進化によるものでした。70年代のテクノ、ニューウェーブはシンセサイザーの進化によるもの、80年代のシューゲイザーはエフェクターの進化によるものです。
更に言えば、わかりやすい「音色」だけでなく、もっと全体的な「音質、音圧」もかなり変化しています。名盤とされるアルバムの○○周年リマスター盤がよく発売されますが、リマスタリングすることでたとえば1980年のアルバムが2020年の音になる。逆に言えば、20年前、30年前のCDの音がどこか古臭く感じるのはマスタリング工程の差も大きい。こうした音圧を上げる手法は90年代後半~2000年代以降、一気に加速した印象があります。ラウドネス戦争とも呼ばれ、音が割れる寸前のCDだったり、極端にコンプレッサーをかけていて音がいびつになったりしたCDがこの時期にはけっこうあります。その後、2010年代以降になると「音圧を上げつつ自然なダイナミクスを得る」ように進化し、いわゆる「イマドキの音」「聴いていて心地よい音」に変わってきます。録音側も再生側も機械が進化している。今回、50年分ぐらいの音を聞いていくと、何より音質や音圧、音響の差が時代を感じさせました。大きく言えば、今でも60年代とか70年代と同じ編成のバンドはたくさんいるわけで、曲構成や演奏はそれほど変わらない。少なくとも「ロック」というフォーマットは一定以上の共通項がありますが、音質、音圧には時代が出る。曲構成はそれほど変わっていない証拠に、1980年代、1990年代の音源をリマスター盤で聞くと最近のリリースかと思うものも結構あります。00年代以降「○○リバイバル」が多発するようになりましたが、「昔のような曲を今の音質・音圧・音響技術で演奏する」と今の音になる。それがかえって新鮮に聞こえる。新譜に混じってリマスター盤が売れているのはこの証左でしょうし、これは、録音技術が00年代、10年代でそれぞれ進化していっているからでしょう。技術の進化が音楽に影響を与えています。
また、録音環境だけでなくライブでのPA、スピーカーの進化も大きな影響を与えています。たとえばビートルズの時代、大きなスタジアムでライブを行うには当時のPAは出力が小さすぎた。ビートルズの武道館公演だと、観客(女性)の歓声しか聞こえません。ビートルズの4人は自分たちの演奏もほとんど聞こえなかったそう。下の写真の通り、ステージにあるアンプだけですから、これで武道館全体にいきわたらせるのは厳しい。
それがどんどん出力が上がっていき、今では10万人単位のステージも可能になっています。これはライブ空間を大きく変え、ライブをスポーツ観戦的な数万人規模の一大イベントに変えました。下記のように、今はアンプを積み上げるスタッキング方式ではなく、上から吊り下げるフライング形式。ステージ両脇にある黒くて縦に細長いのがPAシステムです。
ロックコンサートはだんだん巨大化していき野外フェスで何十万人も集めるようになっていきます。ウッドストックやモントレーポップのころは正直、後ろの方は音が聞こえなかったと思いますが、だんだんと音響は拡大していき、80年代にアリーナロック、90年代にはロラパルーザなどのフェスの隆興、そして90年代後半から00年代のニューメタル勢、非常にハードなサウンドを叩きつける、音の塊のようなバンド群がUSでヒットしたのはライブ体験が強烈だったからでしょう。先述した「ダンスロック」「オルタナティブダンス」「ダンスパンク」など、ダンス系の隆興もこうした「体感音楽」のムーブメントと言える。録音物としてCDで聞くより、ライブで味わうための音楽に変わった。音楽市場全体でもフィジカルやデジタルストリーミングを合わせた録音物からの収益より、ライブ収益の方が大きくなっていました(だからコロナ禍は深刻)。
こうした音響の変化、録音物における音圧・音響のトレンド変化と、ライブの在り方の変化によって「ライブで演奏すること、大人数が盛り上がることを前提にした音楽」にロックも姿を変えていきます。また、それに対する反動としてDTM(デスクトップミュージック)に特化した宅禄型、ドリームポップやベッドルームポップといった非常にミニマルで実験的なサウンドも生まれてくる。大ステージでノるための音楽か、部屋やヘッドホンで個人の世界に浸る音楽か、両方の機能に特化していったのが10年代以降と言えるでしょう。こうしたテクノロジーの進化によって音像が変わっていくのも面白い。音響の変化がロック音楽に与えた影響については先ほど挙げた「オルタナティブロックの社会学」の3章ー2 体感音響、に詳しく述べられています。
もう一つ、技術が音楽に与える影響として、音楽の流通もあります。レコードの発明、ラジオの発明、MTVによるミュージックビデオの流行、そしてストリーミング文化、スマホとYouTubeによる動画文化。これらで大きく「音楽の消費のされ方」も変わってきました。たとえば昔から「ラジオ向けの曲」とか「MTVで流れそうなビデオ」とか、そういうものが求められます。今だとネットでバズりそうな曲、TikTokでバズりそうな曲、とかですね。今回のオルタナティブロック史で言えば、MySpaceやYouTubeからデビューするアーティストが00年代以降増えています。こうした「音楽が流通するテクノロジー」に注目してみると、どんなアーティストが人気が出るか、アーティストがどの市場を狙うか、といった視点が得られます。
4.女性、LGBT+Qなどマイノリティの進出
ロックはマイノリティの叫び、という要素を成立時から内在しています。そもそもブルースに黒人奴隷の魂の叫び、自由への渇望が込められていた。ソウルやブルースに影響を受けたロックンロールにもそうした反抗精神、自由への渇望が込められていましたし、もう少し視点を拡げると、音楽産業自体、決して主流派ではない。いわゆる名門大学卒のエリートコースに乗った若者が志す業界ではなく(特にアーティスト側は)、一攫千金を夢見る、生活を変えてロックスターになることを夢見る若者が集まる業界です。専門の音楽教育を受けたクラシックや伝統音楽の演奏家はまた違う世界ですが、ことロックにおいては「社会的弱者が一発逆転を狙う」性質があるでしょう。
そうした性質から、マイノリティの叫び、反抗手段としてロックは選ばれてきました。ビートルズにしてもそれほど裕福な階級の出ではないですし、そもそも音楽業界はユダヤ人やアイルランド人の力が強い。ユダヤというと金持ちとか秘密結社とかそんなイメージがありますが、もともとはUSの白人移民の中では階層が低かった(アイルランド系もそう)。だから、非主流で実力主義の業界である音楽業界で必死に力をつけて成功していったのです。
その流れで、かつては労働者階級の白人男性たちが多くいたロックシーンも、ある時期から女性が増えていきます。80年代後半からのライオットガール(Riot Girrrl)ムーブメントや、アラニスモリセットやトーリエイモスなどの90年代の女性SSWのヒット、先駆けては80年代のマドンナやシンディローパーら「強い女性」を打ち出したポップスターの影響もあるのでしょうが、そうした女性のスターが80年代から生まれてきて、90年代にロックシーンでも花開く。
そして、2000年代以降、2010年代になるとLGBT+Qの活躍や、非白人(黒人だけでなくアジア系も)が活躍するようになります。こうしたマイノリティの叫び、反抗手段はロック音楽の根幹にかかわる物語なので、この視点で見ていくと様々なアーティストが繋がっていくと思います。
5.社会的背景の影響
ロック音楽は社会的背景と無関係ではありません。そもそも50年代、60年代半ばまではロック音楽自体が反抗的な音楽とされましたが、そこで歌っていることはそれほど反抗的でもなかった。ただ、60年代後半には長引くベトナム戦争に対して若者に蔓延する厭戦気分がそのまま歌に乗り、反戦運動、フラワームーブメントに広がっていきます。
ロック史において、次に大きな転換点は1991年、冷戦終結でしょう。80年代、冷戦構造の中でUSおよび西側諸国は仮想的である共産圏に対して一致団結して成長した。しかし、1991年にソ連が崩壊すると、USはそれまで外部に向いていた目が内部に向き、内省と自国内の断絶、公民権運動などの「冷戦という大きな問題のために先送り」できていた問題に向き合わざるを得なくなります。これがグランジムーブメントの自虐、自省的な内容に繋がっていく。「病めるアメリカ」を自覚し、それを歌にするようになる。そうしたことがカミングアウトできる空気になった、とも取れます。
次は同時多発テロ。2001年に起きた同時多発テロにより、USは再び「外敵」を見つけます。ここでロックはダンスロックが流行っていくんですね。それまでの自己攻撃的、破壊的な音像から、大観衆が団結する、鼓舞するような音像へと変わっていく。当時の時代の空気をロックを通じて追体験することができます。
また、UKでは2016年のブレクジット決定以降、バンドサウンドが復調している印象です。今、UKではポストパンク的なサウンド、尖ったロックバンドサウンドが再び活性化してきていますが、その発火点はブレクジット決定前後だったのではないかと思っています。そして、実際にEUから離脱し、さらにその傾向が顕著になってきた。そもそもパンク、ポストパンクは社会に対して訴える音楽です。そして、訴えるのは一人よりバンドの方が迫力も説得力もある。社会的な問題提起するのはエネルギーがいりますから、バンドでたたきつけるような音と共にその想いを吐き出す若者が増えつつあり、それが一般の共感を得られている気もします。
これは、社会という非常に多面的なもののある一面的な解釈なので正解も不正解もありませんが、こうした視点を持って音楽を聴いてみるとより深く音楽の背景が理解できるような気がします。
6.国別の音の違い
最後は、国別の音の違いです。ロック史における最重要国、USとUKではだいぶ音が違います。それは社会的背景もあって、たとえば91年にUSだとグランジブームが起きますが、ソ連崩壊はあまりUKには影響を与えなかったのでそんなに変化しない。マッドチェスターとかアシッドハウス、少しけだるいダンス系のロックが流行っています。逆に、2016年からのブレグジットによってUKは社会警鐘的なポストパンクが盛り上がっていますがUSはその影響はない。むしろBLMを謳うオルタナティブR&Bが強い。その国で起きている出来事が音像に影響を与えています。
全体として言えるのは、USはいろいろ細分化された、尖ったアーティストが出てくるということ。人種のるつぼだけあり、白人音楽、黒人音楽、ラテン音楽の鬩ぎあいから新しい音楽が生まれてきます。
UKは、それらUSで出てきた音を観察しながらもっと総括する感じ。もちろん、USに視点を向けず、UKの内部で完結するバンドもいますが、一定数USとUKで活躍するバンドがいるので、いやおうなしに相互に影響を受ける。で、UKではUSから出てきた新しい萌芽を自分たちなりに解釈して、独特なUKロックに仕上げてしまう。より、多くの人に受け入れやすい形に翻訳するというか。ビートルズがそうですよね。マニアックなブルースやロックンロールをもう一度、わかりやすく多くの人が受け入れられるポップな形にして提示した。なんというか、全体的にUSよりUKの方がポップでメロディアスな感じはします。
そして、英語圏の残る2大国、カナダとオーストラリア。オーストラリアのバンドはUK以上にUSから遠いので、UKとUSから出てきた流行のサウンドをさらにディフォルメして、「より普遍的な完成系」にして提示する気がします。すべてのバンドがそういうわけではないですが、時々そういうバンドが出てくる。ハードロックのミニマルな要素だけを抜き出したようなAC/DCとか、80年代ロックのエッセンスを抽出したミッドナイトオイルとか。あまり難しく尖ったバンドより、普遍性を持ったバンドが出てくる印象。逆に言えば、そういうバンドでないとオーストラリアから世界に飛び出せないのかもしれませんが、全体的にオーストラリアで名の知れたバンドは聞きやすく分かりやすいバンドが多い印象です。
カナダもオーストラリアに似ている、ある程度ディフォルメした、USやUKで流行っている音像を抽出したようなバンドが多いのですが、カナダはもっとプログレッシブでアート寄りというか、芸術的な印象。フランスの影響でしょうかけっこう2010年代はカナダからのバンドもオルタナティブロック史に出てきます。
それ以外の国はあまりロック史では出てきません。そもそも、USやUKが商業音楽の中心になったのは歴史が浅く、古くはオスマントルコとか中国、エジプトが音楽文化が栄えていたし、中世~近代、いわゆる欧州クラシック音楽においても中心はフランス、イタリア、ドイツ。それが第二次大戦の後US、UKが世界の中心的存在になり、音楽産業も移っていきます。ロックもその時期に成立したのでUK、US中心。フランス、イタリア、ドイツもそれぞれ面白いロックシーンがあるんですが、どちらかといえばプログレとかメタルとか、「ほとんど黒人音楽の影響がない」ものになっています。それぞれ移民は一定数いるのですけれどね。フランスは黒人の権利も(USより)認められているし。掘れば面白いバンドがいるのでしょうが、なかなか情報を得るのは大変だし、世界的に知られているロックバンドはほとんどいません。やはり言語の壁が大きいということでしょう。
今回のロック史では、UK、US、カナダ、オーストラリアの聴き比べをしてみると面白い。カナダ、オーストラリアはレアですが、UK、USのどちらの国か、音だけを聴いて当ててみるのも面白いです。
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以上、6つの視点を書いてみました。こんな視点でオルタナティブロック史を楽しんでもらえれば幸いです。それでは、1960年代から2010年代まで、50年余に渡るオルタナティブロック史を追っていきましょう。
Alternative(オルタナティブ)ロック史①:60年代
2020年代の現在、Rockの主流はAlternativeになっています。「メインストリームのロック」が空洞化して、Alternative、つまり「従来非主流だった場所」から新しいロックが立ち上がってくるか、あるいは空洞を埋める新スターが出てくるかを待っている状態。Alternative Rockの本来の定義は「インディーズ精神」というか、「商業主義に染まらない(=メインストリームではない、代わりの)バンド群」のこと。日本語版Wikiの定義だと下記です。
英語版Wikiにはより詳しく書かれています。意訳すると、
Alternativeの範疇は、当初は「非商業」だったものが90年代に入るとR.E.M.やNirvanaの大ヒットとそれにつながるグランジ・オルタナティブムーブメントによって難しくなった。非主流が主流になっていく。「そもそも商業化を狙って作ったものでないのものが結果として大ヒットした」という側面もあるわけですが、結果としてヒットしてしまえば商業ベースに乗って行き、その苦悩がNirvanaのkurt cobainを追い詰め、Red Hot Chilli PeppersがCalifornicationで「幻想の終わり」を歌うことに繋がっていく。で、現在では音楽的には「いわゆる従来の(ビートルズから想起されるような)ロックバンドのフォーマットを外れたもの」のことを指しているような気がします。ビルボードの分類だとめちゃメインストリーム路線でポップロックなイマジンドラゴンズもAlternativeに入っていたりするし。エレクトロとロックの融合的な音だからでしょう。
いずれにせよ、結論としては「Alternative Rock」という音像はあまり定義がされていないというか、時代と共に移り変わる言葉です。時代時代で「これって新しい音、今までの主流の音と違うよね」というものが分類される。1990年代にオルタナ勢が特大の商業的成功を収めるまでは「非商業」という側面もあったので、「非商業、自立の精神を持ちつつ、強い緊張感や激しい衝動、感情の表出が伴うもの」がオルタナ、Alternative Rockと言えるでしょう。
そんなAlternative Rockの歴史を振り返っていきたいと思います。「もう一つのロック史」を、名盤と共に振り返っていきましょう。
1966.”オルタナティブ”の誕生
Beatles / Tommorow Never Knows
まずはビートルズ。2000年ぐらいまでのロックのトレンドはほとんど1960年代に原型が出ていて、それらを見事に取り込んだビートルズは非常に幅広い曲調を持っています。Revolver(1966)に収録されたこの曲は、のちに「オルタナ」と呼ばれる音像の特徴を持っています。1966年リリースなのに90年代の曲と言っても通じる。「ビートルズの射程は広い」というのはこういうところです。Revolverのアルバム全体としても、それまでの「ロックンロール」の枠をはみ出したかなり実験的な作品。「ビートルズだから売れる」ということはあったにせよ、改めて見ると「Help~Rubber Soul~Revolver」の音楽的変化は目を見張るものがあります。最近はSgt.Peppers(1967)よりRevolverの評価の方が高くなってきていますが、Alternativeな音像を提示したという性質と、Rockの中心がオルタナ的になってきたことによる評価の変化でしょう。
もう一つ1966年にあった大きな出来事。オルタナの原型とも言えるこの人がデビューします。
Frank Zappa / Freak Out!
何もかも常識破りのザッパ。1966年当時はシングル盤の寄せ集めだったロック音楽のアルバムに意味を持たせ、しかもLP2枚組。その後の「ロック音楽のアルバム」の精神を変えて、ビートルズのSgt.Peppersにも影響を与えたと言われています。そして、「Freak Out!(異端であれ)」というタイトル。オルタナティブの精神を体現したようなアーティストがザッパです。その後を通じても、いかにメジャーレーベルなどの「商業化されたシステム」から独立性を保ちながら、音楽で生計を立てていくか。自分のやりたい音楽をやるか。生きざまがオルタナティブだったアーティストです。
60年代のロックシーンはまだアーティストも少なく、相互に強い影響を与えていました。ディランはビートルズに影響を与えたし、ビートルズもディランに影響を与えた。ザッパもビートルズに影響を与え、その逆もしかり。ビートルズはその中でもっとも目立ち、ビートルズが取り上げることによってロックシーンが拡散し、中心が移り変わっていく効果があった。ロックのコミュニティはまだまだ小さかった時代、1966年には実験精神が一気に花開いた年と言えるでしょう。
1967.ベルベットの衝撃
Velvet Underground & Nico / Velvet Underground & Nico
より一般的に「オルタナの祖」とも言われるのはVelvet Underground(VU)でしょう。本作はゲストボーカルとしてモデルだったNicoを迎え、ポップ・アートを生み出したアーティストであるアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)のジャケット、プロデュースでデビュー。
アンディ・ウォーホルがVUと出会い、共作を申し込む。女優でモデルのNicoを加入させ、プロデュースして本作をリリースしました。なので、アンディ・ウォーホルの作品でもあり、ポップアートの歴史の一部でもある。音楽的にも刺激が強く、歌詞もそれまでのロック音楽にはなかったテーマ、性的倒錯を扱った "Venus In Furs" 、麻薬中毒者の独白 "Heroin" など、ディランとマルキ・ド・サド(倒錯した世界を描くことで有名な作家、サディズムの由来)の融合とも言われたまさにAlternativeな世界観です。
Captain Beefheart and His Magic Band / Safe as Milk
67年に現れたもう一つの才能、それがキャプテンビーフハートです。ザッパの盟友であり、1960年代のUSサイケデリックシーンにおける最重要アーティストの一つ。R&Bやブルースに根差しながらも大胆に解体して再構築したような強烈な世界観を持ち、3rdアルバムTrout Mask Replica (1969)は、フリー・ジャズ、民族音楽のポリリズム、現代音楽の不協和音などの要素も取り入れて、1970年代のパンク、ポストパンク/ニュー・ウェイヴにも大きな影響を与えました。
The Who / The Who Sell Out
The Beatles、The Rolling Stonesと共に三大ビートバンドにも数えられるThe Who。1967年リリースの本作は架空の海賊ラジオ局という設定で作られたコンセプトアルバム。
本作は音楽的には66年からのサイケデリックムーブメントをふんだんに取り入れたカラフルでポップな音作りとなっていますが、海賊ラジオ局を模してさまざまなCMを入れ、ジャケットも広告ポスターを意識。壮大なパロディとも風刺とも言える。
当時、海賊ラジオ、つまり営業許可なく勝手に開かれたラジオ局が英国で問題となっていました。1960年代当時のイギリスでロックソングを自由に流せるのは、本作で頻繁にジングルとして流れる「ラジオ・ロンドン」に代表される海賊ラジオ局だけ。本作が発表された1967年8月、イギリスで海上放送法案が可決され、ラジオ・ロンドンなどの海賊ラジオ局は全て閉鎖されることに。海賊ラジオが次々と訴訟などに巻き込まれており、その渦中で海賊ラジオ局への愛を高らかに歌ったかなりパンクな精神を持った作品。80年代、Alternativeが盛り上がるのはカレッジ(大学)ラジオから、つまり、(非合法ではないものの)海賊ラジオです。そうした時代の流れを先読みしたかのような作品。
1968.ベルベットの閃光
Velvet Underground / White Light/White Heat
アンディ・ウォーホルと袂を分かち、Nicoも脱退、真のVUのデビュー作とも言える本作。さらに現代音楽の影響が強まり、ノイズ的な即興性が増しています。性転換について歌った「Lady Godiva’s Operation」、ドラッグ使用に伴う幻覚症状についてのタイトル曲「White Light/White Heat」など、前作より更に過激度、暴力性が増した内容となっています。メインソングライターであるLou Reedはバイセクシャルであり、若いころに治療と称して電気療法を受けさせられた。同性愛の写真を見せられて電気ショック、異性愛だとショック無、という過激な療法で、同性愛に対して条件反射で恐怖を植え付けようとするもの。そうした鬱屈した情念が作品世界に現れています。ベーシストで設立メンバーであるJohn Caleは本作を持って脱退。
1969.プロト・パンク
Iggy and The Stooges / The Stooges
パンクロックのアイコン、Iggy Popを擁するStoogesのデビュー作。VUを脱退したJohn Caleをプロデューサーに迎え、後述するMC5と同じレーベルからのデビュー。スリーコードのミニマルな構造に乗せてエネルギーを炸裂させる。プロトパンクと呼ばれ、のちのSex Pistolsなどのパンクムーブメントに多大な影響を与えました。この年はプロトパンクが花開いた年。代表曲「I Wanna Be Your Dog」収録。”私はあなたの犬になりたい”とはなかなかですね。なお、StoogesはDoorsとも同じ事務所で、イギーポップはジムモリソンに弟分として可愛がられていたよう。Doors的な耽美さも持っているバンドです。
MC5 / Kick Out the Jams
USハードロックの源流とも言われるMC5、The StoogesとMC5が同じ年にデビュー(すこしMC5の方が先輩格)。デビューアルバムにしてライブアルバムです。タイトルトラックのコーラス "kick out the jams, Motherfuckers!"は放送禁止用語が含まれていることで物議を醸し、レコード会社はフレーズを外すよう指示したが断固拒否。最初は歌詞カードにも載せていたらすぐに回収の憂き目にあったとか。
Kick Out The Jamsとは1960年代の革命と解放の精神のスローガンであり、さまざまな形で制限を「追い出す」ことへの宣言であるとみなされてきましたが、もともとは地元のライブハウスで他のバンドが(退屈な)ジャムセッションをしているのを追い出すための言葉だったそう。パンクの精神ですね。
David Bowie / Space Oddity
ロック界のトリックスターにして、いつもどこかAlternativeであったボウイの実質的なデビュー作。Alternative Rockを語る時に欠かせないスターです。実際は2ndアルバムなのですが、1stはまだキャラクターが確立されておらず、本作が実質的な「David Bowie」のデビュー作。タイトル曲の「Space Oddity」はアポロ11号の月面着陸に世が浮かれていた頃、架空の宇宙飛行士トム少佐が宇宙遊泳とともに己の無力さを感じ、広大な宇宙の果てへと漂流してしまうという曲。Bowieらしさが出ています。スタンリー・キューブリックの映画”2001:A Space Odyssey”にインスパイアされた曲だそう。この曲は2013年、国際宇宙ステーションに搭乗中したカナダの宇宙飛行士クリス・ハドフィールドからの中継で歌われて話題になりました。
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以上、60年代はAlternative Rockの黎明期です。実際にAlternative Rockが花開くのは70年代後半、ポストパンク、ニューウェーブの時代からです。それでは70年代を見ていきましょう。
Alternative(オルタナティブ)ロック史②:70年代
1970.もう一つの”狂気”
1970年はまだまだ黎明期で、それほど多く「オルタナ」と呼べるアルバムはありません。めぼしいのはこちら。
Syd Barret / Madcap Laughs
1968年、Pink Floydを脱退したシドバレットの初ソロ作。度重なるツアーとプレッシャーから来る神経疲労によりフロイドを脱退したシドはソロアルバム制作に着手。Pink FloydのDavid GilmourとRoger Watersもゲスト参加していますがアルバム制作中もシドの精神状態は思わしくなく、かなり殺伐とした雰囲気のレコーディングだったとギルモアは述べています。ピンクフロイドは実験的な作品「Ummagumma(1969)」制作中の参加。疲弊した精神の中から必死で生み出された本作はオルタナティブの名盤として後世に影響を与えていきます。Acclaimed Music(各種メディア評価やレビューを統計的に分析するサイト)によれば史上712番目に高く評価されているアルバム(2020.4時点)。
1971.クラウトロック
1971年はCAN、クラウトロックの衝撃が大きい年でした。
Can / Tago Mago
ドイツのクラウトロックバンドCanのセカンドアルバム。日本人のダモ鈴木がボーカルで参加。鈴木健二(ダモ鈴木)はミュンヘンのカフェの外、道端で大道芸をしていたら「僕たちは前衛的なバンドなんだけど、アルバムに参加しないか」と声をかけてスカウトされたそう。延々と繰り広げられるジャムセッションを切り取り、曲として再編集、構成していくという作業で作り上げられた楽曲群。史上243番目に高く評価されているアルバム(2020.11時点)。前衛的と言われつつ、ビートがしっかりあるのでダンサブルでもあります。突然入ってくる日本語(ボーカルが日本人なので)も新鮮。
1972.幻のビッグスター
Big Star / #1 Record
Big Starは当時メンフィス周辺にチェーン展開していたビッグスターマーケットのアウトレットモールからバンド名とロゴを拝借し、1stアルバムのタイトルが「#1 Record」という人を食ったようなバンド。Voのアレックス・チルトンはブルーアイドソウルグループのボックストップスのリードシンガーであり、16歳のときに「TheLetter」の曲で全米1位を獲得。Blood,Sweat&Tearsのリードボーカルの打診もありましたが「商業的すぎる」として断り、組んだバンドがこちら。オーティスレディングらを擁したStaxレコードからのリリースでしたが当時はメディアからはおおむね絶賛されたものの流通上の問題などもあり商業的成功を収められずバンドは1975年に解散。その後、80年代になってR.E.M.やThe Replacementsらによって「影響を受けたバンド」として再度脚光を浴び、80年代、90年代のオルタナティブサウンドの源流の一つと評価を得ています。
1973.UKアートロックの頂点
Roxy Music / For Your Pleasure
Bryan Ferry率いるRoxy Musicのセカンドアルバム。 NMEは、2013年の史上最高の500枚のアルバムのリストで、フォーユアプレジャーを88位にランク付けし、「英国のアートロックの頂点」と呼びました。パンク的な感覚を先取りし、ジャンルを融合させたミクスチャー感覚がある奇妙かつ洗練された音像。9分にも及ぶ「The Bogus Man」はより前衛を追求したいイーノと既存のロックの範疇にとどまりたいフェリーとがせめぎ合っています。このアルバムを最後にBrian Enoは脱退、その後はさまざまなプロジェクトに関わり、オルタナティブロックの歴史、在り方に大きな影響を与えていくことになります。
1974.Come On-a My House
Sparks / Kimono My House
USのねじくれた兄弟ポップデュオSparksの3rdアルバム。ハードロックなエッジの立ったギターとファルセットを用いた飛び回る羽根のような歌唱。初期Queenにも似た倒錯した世界観。ジャケット右側はミッチ広田という方でボウイの80年の作品『スケアリー・モンスターズ』の冒頭を飾る曲”イッツ・ノー・ゲーム(パート1)"で日本語のナレーションをしている女性。この辺りの人脈はだいたい繋がっているんですかね。二人とも、当時ロンドンで公演していた打楽器奏者にして前衛音楽家のツトム・ヤマシタ(山下勉)率いる実験芸術集団Red Buddha Theatre(レッド・ブッダ・シアター)に所属する女優だったそう。タイトルは「Come On-a My House(家へおいでよ)」のダジャレ。
1975.地球に落ちてきたもう一人の男
Brian Eno / Another Green World
アンビエントとプログレ、ポップをつなげると評されたブライアンイーノ3作目のソロアルバム。盟友とも言えるKing Crimsonのロバートフリップ(ギター)を筆頭に、フィル・コリンズ(ドラム)、パーシー・ジョーンズ(フレットレス・ベース)、ロッド・メルビン(ピアノ)、ジョン・ケイル(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)ら錚々たるゲストが参加。それまでのロックフィールドからアンビエントに徐々に移行していく過渡期であり橋渡し的な作品。Rolling Stone、NME、Pitchforkなどのいくつかのメディアは、このアルバムを1970年代で最も偉大なものの1つに挙げています。この翌年、76年にはイーノはBowieと組んでベルリン3部作の最初となる「Low」を制作することになります。
1976.NYパンク
The Ramones / Ramones
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやイギー・ポップ(ザ・ストゥージズ)、ニューヨーク・ドールズなどのプロトパンクを経て誕生したNYパンク。その先駆けとも言えるバンドがRamonesとTelevision(1977デビュー)です。政治的・社会的反抗が生んだロンドン・パンクに比べ、NY・パンクは音楽的反抗心・芸術的拘りが強いとされます。デビューアルバムとなった本作を7日間で一気に録音。多くの曲がBPM160越え、2分半以下のコンパクトさ。無駄をそぎ落としシンプルに駆け抜けるアルバムです。肥大化し、冗長化しつつあったロック音楽に反旗を翻すようなミニマルな疾走感。このシンプルな疾走感が「パンクロック」の直接的な祖になります。
1977.パンクの爆発とポストパンク
一気にパンクバンドがデビューし、同時にポストパンクも芽生えたのが1977年。
Elvis Costello / My Aim Is True
エルヴィスに次ぐロックンロールのスターだったバディ・ホリーを彷彿させるビジュアルでデビューしたElvis Costello。4時間のスタジオセッションを6回、計24時間で録音されたデビューアルバムで、プロデューサーはパブロックの大物だったニック・ロウ。バックは当時アメリカで活動していたカントリーロックバンドのClover。コステロは1970年から音楽活動をはじめ、7年間の苦闘を経てデビューにこぎつけました。1977年12月17日、セックスピストルズの代わりとして、コステロはサタデーナイトライブ(SNL)で「Less Than Zero」を演奏する予定でした。しかし、BBCショーでのジミ・ヘンドリックスの反抗的な行為を真似て、コステロはイントロの途中で「ストップ!ストップ!」と叫んで曲を止め、代わりに「Radio Radio」を演奏しました。これは、NBCとローンマイケルズが演奏を禁じていた電波の商業化を批判する曲です。コステロはその後ショーから出演禁止とされ(禁止は1989年に解除された)ます。このSNLのパフォーマンスによって「怒れる若者」として米国でブレイクします。
The Clash / The Clash
The Clashのデビュー作にして同年に発表されたSex PistolsのNever Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistolsと並んでUKパンクロックの礎とされる作品。4000ポンドの予算で、3週間で書き上げられ、録音されたアルバム。すでにポストパンク、ニューウェーブを見据えた音楽性の拡張があり、12.Police&Thievesはレゲエのカバー。The Clashは最初から「パンクロックの限界」を見据えてその音楽性を拡張していくポストパンクなバンドでした。77年はパンク隆興の年というより、アンダーグラウンドで盛り上がっていったパンクが爆発してメインストリームに飛び出た年であり、同時にポストパンクが始まった年でもあります。彼らは政治的な言動をすることでも旗手でした。同時代のバンドはニヒリズム(虚無主義)的なバンドも多い中、不満を抱いた白人の若者が黒人の若者のように暴動を起こすことを奨励した「WhiteRiot」などニヒリズムを否定し積極的に社会に参加していこうという左翼的な主張が多い。音楽的には雑多で、後期になるにつれて拡張していったバンドですが、精神性はずっとパンクでした。
Television – Marquee Moon
Ramonesと並ぶNYパンクの祖、Television。彼らはアート性が強く、アートパンクとも呼ばれます。本作はデビュー作にして、ポストパンクの流れに大きな影響を与えた作品。NYパンクの聖地となったライブハウスCBGBでのライブを続けているうちに話題となり、エレクトラと契約を結び1977年にデビュー。誌的で抽象的な歌詞と、ジャズからの影響も感じる複雑なロックで「完全にオリジナルで、ロックミュージックの新しい夜明けだ」と称されました。
Wire / Pink Flag
1976年にロンドンで結成されデビューしたUKのThe Wire、それほど商業的には成功を収めることができませんでしたが、そのミニマルで徹底した曲構成がのちのハードコアに大きな影響を与えます。非常に短い曲も特徴で、2.Field Day for the Sundaysは28秒。とにかく簡潔です。Minor ThreatのIan MacKayeやBlack FlagのHenry RollinsらはWireからの影響を公言しており、カバーもしています。他にもThe CureやSonic Youth、REMなど、オルタナティブなバンド群に多大な影響を与えました。
Cheap Trick / Cheap Trick
日本でブレイクし、武道館ライブで世界でもブレイクしたチープトリック。彼らはパワーポップの祖ともされますが、そもそもパワーポップはパンクの要素が強い。2ndではだいぶまろやかな音作りに変化しますが、そもそも彼らの持ち味はコンパクトで切れ味鋭い曲であり、出身はパンク。この1stアルバムは音も荒々しく、のちのオルタナティブバンドたちが「バンドサウンドはチープトリックを真似たんだ」というほど。Nirvanaのカートコバーンは自分たちのことを「1990年代のチープトリック」と言っていました。歌詞のテーマもなかなか過激で「The Ballad of TV Violence」は連続殺人犯のリチャード・スペックを取り上げ、「Daddy should Stay in High School」はエフェボフィリア(思春期の性的関心)を取り上げています。
1978.ニューウェーブ!
1978年はニューウェーブ台頭の年。従来のロックサウンドにとどまらない、電子音楽・シンセサイザーの影響を受けた音楽や前衛音楽を取り入れたバンド群、従来のロックを解体する「新しい波」のバンドたちが現れます。
The Cars / The Cars
ニューウェーブの幕開け。シンセの音がロックにだんだんと取り入れられていきます。プレ80年代。The Carsの本作は600万枚以上を売り上げる大ヒットに。当時としてはかなり未来的な音だったでしょう。1978年ですからね。プロデューサーはQueenも手掛けたロイ・トーマス・ベイカー。ちょっとギターの音色やハーモニー、アレンジにQueenらしさがあるのは彼の影響か。
Devo / Q. Are We Not Men? A: We Are Devo!
David BowieとIggy Popがデモテープを気に入り、Robert FrippとBiran Enoが興味を示し、結局Brian Enoがプロデュースも務めたDevoのデビュー作。イーノらしく尖った前衛的な音作りになっています。リリース時はあまり批評は芳しくなく、「ディーヴォは、イーノの暖かさとボウイの才能のほとんどを欠いている」だとか「機械化されたメロドラマで、この音楽は完全に非人格的だ」とか、「キャッチーでコミカルでぎくしゃくしたロックンロール」など酷い言われようでしたがリリース後の評判は上々。今では各種メディアの名盤特集の常連となり、1978年の最高のアルバムの一つに選ばれたりしています。当時としては先鋭的過ぎたのと、ややコミカルな要素が強かったのでしょう。独特の黄色い衣装とサングラスをかけたルックスやパフォーマンスも特徴で、日本ではリアルタイムでムーンライダースが影響を受けたほか、のちになって表れたPOLYSICSもDevoフォロワーと言えます。
Public Image Ltd. / Public Image: First Issue
Sex Pistolsの終焉後、ジョン・ライドンはより「アンチ・ロック」な音楽を求めてバンドを結成、それがこのPublic Image Ltd.、通称PILです。従来のロックの枠組みを壊す、ポストパンク、ニューウェーブの音を自覚・標榜した音。The Clashも、PILも「パンクロック」の音像から離れていきます。「固定化した概念を壊す」ということがパンクなのだとしたら、常に変化していく、ある意味「プログレッシブロック(進化するロック)」にも近い。正直、実験精神が先走りすぎている感も受けますが、パンクという音楽ジャンルのリーダー的存在だったからこその自覚的な行動なのでしょう。宗教を痛烈に皮肉った「Religion」の歌詞が問題視されマルタでは発禁に。
Pere Ubu / The Modern Dance
Pere Ubuのデビュー作。自分たちのサウンドを”Avant-Garage”と表現するPereUbuの作品は、ミュージックコンクレート、60年代ロック、パフォーマンスアート、アメリカ中西部のインダストリアルロックなどのソースからインスピレーションを得たミクスチャーなものです。バンドは商業的な成功はほとんど達成しませんでしたが、プログレッシブロック、パンクロック、ポストパンク、ニューウェーブなど、その後のアンダーグラウンドミュージックに幅広い影響を及ぼしました。このアルバムはシンセサイザーの使い方が独創的で当時としては画期的。
Talking Heads / More Songs About Buildings and Food
1970年代、80年代で最も重要なバンドの一つ、Talking Heads。賞賛されたデビューアルバムに続いてBrian Enoによってプロデュースされた2作目。ここから3枚連続でイーノとタッグを組み、80年にはアフロビートを取り入れた名作「Remain The Light」にたどり着きます。本作はファンキーさ、リズムのタイトさが格段に増しつつも初期衝動も感じられる絶妙なバランス。R&Bシンガー、アル・グリーンの「Take Me to the River」のカヴァーがヒットし、初のトップ30入りを果たしました。
The Police / Outlandos d'Amour
のちに世界的バンドとなるThe Policeのデビュー作。パンクの性急なビートにニューウェーブ的な世界観、レゲエのリズムなどのポストパンク要素を兼ね備えてデビュー。タイトル「アウトランドス・ダムール」はフランス語で「愛の無法者」といった意味。本作は予算が限られていたのでスタジオの空き時間やキャンセルが出た時を利用して録音され、「Roxanne」や「Can't Stand Losing You」といった代表曲を収録。粗削りながらThe Policeの音楽性がすでに完成しており、デビュー作にして大ヒットを記録。2作目以降はスターバンドとして活躍していくことになります。
Kraftwerk / The Man-Machine
1970年に結成され、電子音楽の源流の一つとされるKraftworkの7作目のスタジオアルバム。その後のテクノポップに大きな影響を与え、同時にポストパンクやニューウェーブ、エレクトロにも多大な影響を与えます。ポストパンクやニューウェーブが「従来のロックからの脱却」を目指した時、サウンド的にちょうど電子音楽、シンセサイザーの台頭がありました。従来のバンドサウンドではない新鮮な音像。それを提示したのがKraftworkや日本のYMOでした。1978年当時の「近未来感」を代表するサウンド。
1979.70年代が終わり、ポストパンクはピークへ
77年、パンクがメインストリームに躍り出ると同時にポストパンクも生まれ、78年の拡張を経て一つのピークを迎えた年。音楽的な模索が完成形に近づきます。そして70年代が終わる。
Joy Division / Unknown Pleasures
ポストパンクの記念碑にして、一つのアイコンとしてジャケットが独り歩きするほどの知名度を誇る作品。ボーカルのイアン・カーティスの悲劇的な死もあり神格化されたJoy Divisionのイアン存命時唯一のアルバム。パンクをスローにして、さまざまな実験的な音響を加えて、ゴシックの原型とも言えるサウンドを作り上げるとともに「ポストパンク」が完成し、次の時代に移ろうとすることを告げる作品でもあります。だいたい、一つのサブジャンルは「決定盤」が出た時点でピークアウトしていく。その後は焼き直しにしか聞こえなくなるので、何年か経ち人々が忘れた頃にリバイバルするまでアンダーグラウンドに潜ります。これは70年代ポストパンクの決定盤でもある。
The B-52s / The B-52s
キッチュでポップ、ジョンレノンも気に入っていたというニューウェーブバンド、The B-52s。1950、60年代のオールディーズ、トラッシュカルチャー(文化的位置づけは低いが、観客を刺激し引き付けることができると考えられる芸術的・娯楽的な表現)、ロックンロール、サーフミュージックをミックスした跳ねるような音楽を創出。ナンセンスさもありながらひたすら陽気でパーティー感があります。Devoをさらに能天気にしたような音楽。ポストパンク的とげとげしさが薄れ、洗練や娯楽性が増しています。
The Cure / Three Imaginary Boys
ロバートスミス率いるブリティッシュロックバンド、The Cureのデビューアルバム。ポストパンク、ニューウェーブの流れから出てきたバンドであり、ゴシックロックの源流でもあります。ロバートスミスは一時期、Siouxsie and the Banshees(スージーアンドザバンシーズ)のメンバーでもありました。彼が「ゴシックロック」というサブジャンルの確立に果たした役割は大きい。グランジ、オルタナティブがメインストリームになる前の1980年代半ばから商業的成功を収めた数少ないバンドの一つで、のちにインターポールやスマッシングパンプキンも影響を公言しています。唐突に入ってくるギターソロの音など全体的な音像はいびつながらフックがあるメロディセンスがあります。ジミヘンのFoxy Ladyのカバーを収録。8.Meat Hookなど、レゲエの影響も出ています。77年、78年のポストパンクの流れを汲んでさらにポップさ、完成度を増している。
Gary Numan – The Pleasure Principle
Gary Numan(ゲイリーニューマン)は電子音楽のパイオニアの一人であり、UKのニューウェーブバンドTubeway Armyのボーカルとして2枚のアルバムをリリースした後本作でデビュー。ギターを排した編成でシンセサイザーを前面に出したサウンドを作り上げました。シンセポップとニューウェーブを組み合わせた音像で、本作はUK1位を獲得。商業的成功も収めています。アンドロイドのようなルックスも特徴的で、もともとはひどいニキビを隠すために顔を白塗りしたら目がくぼんで見えたので目の周りを黒く塗った。それがいつのまにか一つのアイコンとして定着。Gary Numanのファンは「Numanoid(ニューマノイド)」と名乗り、熱狂的なファンベースを獲得しました。David Bowieの「Low」をさらに進めたような音像。
Gang of Four / Entertainment!
硬質で切り込むようなギターサウンド。性急でダンサブルなリズム。ポストパンクバンドの代表格として名前が挙がるGang Of Fourのデビューアルバムで、パンクロックだけでなく、ファンク、ダンスミュージック、レゲエ、ダブの影響も取り入れています。The Clashのように社会的主張も強いバンドでRolling Stone誌のDavid Frickeは、Gang of Fourを「おそらくロックンロールで最も政治的に動機付けられたバンド」と表現しました。ジャケットはインディアンとカウボーイで、コメントには「インディアンは微笑んで、カウボーイは彼の友達だと思っている。カウボーイは微笑んで、インディアンがだまされてうれしい。今や彼は彼を搾取できる」と書いてある。裏ジャケットは父親が「太り続けるためにお金のほとんどを自分に費やしている」と言い、母親と子供たちが「残り物に感謝している」と宣言している家族が描かれています。レッチリのフリーは本作を聴いた感想を「ロック音楽の見方を完全に変え、ベーシストとしての旅に出た」と述べています。確かに、初期レッチリに繋がっていくファンクネス。
The Specials / The Specials
スカリバイバルバンド、The Specials。スカはもともと1950年代にジャマイカで生まれ、カリブ海のメントやカリプソといった伝統音楽をジャズやリズムアンドブルースと融合させて生まれた、オフビートのリズムがアクセントになったウォーキングベースラインが特徴的な音楽です。それを79年にリバイバルさせ、ヒット飛ばしたのがこのバンド。本作がデビューアルバム。エルヴィス・コステロがプロデュースし、スカを復活させるとともにパンクのエナジーを注入しました。アルバムのいくつかの曲は古い曲(60年代のジャマイカの曲)のカバーで、当時の空気感を伝えています。スカのセカンドムーブメントを代表するバンド。
Squeeze / Cool for Cats
UK発のニューウェーブバンド、Squeezeの2ndアルバム。UKでは商業的成功を収めており、USでも何曲かはヒットしたため第二次ブリティッシュインベンションの一部としても数えられるバンドです。バンドのギタリストでありボーカリストであるクリス・ディフォードの歌詞とグレン・ティルブルックの音楽がバンドの核で、結成当初はレノン・マッカートニーの継承者とまで言われました。確かにメロディセンスが優れており良質なパワーポップ、Blurなど後のブリットポップ勢にも影響を与えています。
The Pop Group / Y
1977年、UKで結成されたポストパンクグループであるThe Pop Group。1979年は音楽シーンで言えばポストパンクが終焉しつつあり、ニューウェーブ、より洗練された音像に向かっていきましたが、その中ではかなり攻撃的で先鋭的な音像、ダブ、ファンク、フリージャズなどの多様な音楽的影響と急進的な政治的主張を組み合わせたポストパンク音楽を生み出し、ナインインチネイルズ、プライマルスクリーム、マッシブアタック、ソニックユースなどに影響を与えました。また、同じくUKのポストパンクバンド、バウハウスとも交友がありました。ポストパンク音楽の先駆者ともされ、ガーディアン紙は「パンクからポストパンクへの移行にほぼ単独で影響を与えた」と述べていますが、78年にデビューしたPere Ubuには通じるものがある。他にも色々なムーブメントからの着想が伺えます。なんらかこうした原型は当時のシーンにあったのでしょう。Joy Divisionの1stと共に、70年代ポストパンクシーンを総括するアルバムと言えるかもしれません。
以上、70年代編でした。77年から一気にオルタナティブ・ロック史に影響を与えるバンドが増えてきます。パンク、ポストパンク、ニューウェーブ、シンセポップ、この辺りが大きなムーブメント。次は80年代を見ていきましょう。
Alternative(オルタナティブ)ロック史③:80年代
メインストリームではシンセサイザーサウンドとアリーナロックが席巻した時代、80年代に突入です。オルタナティブロックではどのような音像が生まれていたでしょうか。
1980.ポストパンクも80年代的な洗練へ
新たなDecadeの幕開け。パンクを拡張するポストパンクがムーブメントとして続きつつも、シンセサイザーの導入/レゲエの導入など音楽性の拡張、機材の進化、演奏技術の進化などが起きて音像が洗練され、聴きやすさと各バンドの個性的な世界観の表現力が増しています。
Bauhaus – In the Flat Field
1978年にUKで結成されたBauhaus(バウハウス)。バンドは元々、ドイツの美術学校バウハウスの設立年にちなんで”バウハウス1919”と名付けられましたが、結成から1年以内に名前を短縮しました。スージーアンドザバンシーズやジョイディヴィジョンと並んでゴシックロックのパイオニアの一つに数えられるバウハウスはポストパンクムーブメントから生まれ、ダブ、グラムロック、サイケデリア、ファンクなど多くのジャンルをミックスした暗黒のイメージとサウンドで知られていました。本作がデビュー作で、リリース当時はNMEで「最も大雑把な興味のある輪郭さえも失った9つの無意味なうめき声」と酷評され、「ヒップなブラックサバス」と評されましたが時間が経つにつれて評価が上がり、「この時代で最も勇気のあるアルバムの1つ」と評されています。
The (English) Beat – I Just Can't Stop It
The Beat(USではThe English Beatとして知られている)は1978年に結成されたUKのバンドで、レゲエとパンクを組み合わせた音像。ラテン、スカ、ポップ、ソウルも取り入れており、サックス奏者も在籍。Specialsを洗練させたような音像を持っています。リリース時、ローリングストーン誌には「ワイルドで脅迫的、セクシーでシャープ」と高評価。このアルバムは今聞いても、いやむしろ今聞くと新鮮。
Killing Joke – Killing Joke
1979年にUKで結成されたポストパンクバンド、Killing Joke(キリング・ジョーク)。バンドの音楽スタイルはポストパンクシーンから生まれ、時にゴシックロック、シンセポップ、電子音楽の要素を取り入れながら音像を進化させ続け、インダストリアルロックへの重要な影響として引用されています。メタリカ、ニルヴァーナ、ナイン・インチ・ネイルズ、サウンドガーデンなど、後の多くのバンドやアーティストに影響を与えてきました。本作がデビュー作で、なるべく「ベーシック」かつ「オーバーダブなし」のライブ録音されました。ジャケットのアートワークは、1971年7月8日(同じ町で起きた”血の日曜日事件”の数か月前)のトラブルの最中に、北アイルランドのデリーでイギリス軍が放出したCSガスの雲から逃げようとしている若い暴徒の写真に基づいています。このアルバムはヘヴィな音楽のファンからは「アンダーグラウンド・クラシック」と呼ばれています。
Siouxsie and the Banshees – Kaleidoscope
女性VoのSiouxsie SiouxとギターのSteven Severinによって76年にロンドンで結成された、ゴシックロックの源流の一つと呼ばれるバンドです。Sex Pistols加入前のシド・ヴィシャスがサポートドラマーとして参加したこともあります。メンバーチェンジを経てリリースされた3作目が本作。それまでと音楽性ががらりと変わり初めてシンセサイザーとドラムマシンを取り入れ、いくつかのトラックでエレクトロニックミュージックを実験しました。本作に影響を受けたと公言しているアーティストは多く、キュアのフロントマンのロバート・スミス(後にこのバンドに参加)、スミスのジョニー・マー、レディオヘッドのトム・ヨークとエド・オブライエン、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテ、シャーラタンズのティム・バージェス、サンティゴールド、ウィークエンドなど。
1981.ポップさに潜む毒気
この年は新しいムーブメントは起きていません。前の年と同じく、より洗練され、よりポップになりつつも毒気が潜んでいる音像が人気。演奏技術も向上し、より職人的になっています。
X - Wild Gift
Xはロサンゼルスで結成されたアメリカのパンクロックバンドです。商業的成功はそれほど収められませんでしたが、パンク、アメリカーナ、フォークロックなど、音楽の様々なジャンルに影響を受け、その時代の最も影響力のあるバンドの一つと考えられています。2003年、Xの最初の2つのスタジオアルバムであるロサンゼルスとワイルドギフトは、ローリングストーン誌によって史上最高の500枚のアルバムの1つとしてランク付けされました。余談ですが、X、または、Wild Giftで検索すると、X JapanとTM Network関連が日本のApple Musicだと出てきますね。日本語空間では検索しづらい......。そういえばX JapanがUS進出するときに「すでにXというバンドがいたからX Japanに改名した」というのは有名な話ですが、そのXがこのバンド。
Echo and the Bunnymen – Heaven Up Here
エコー&ザ・バニーメンは1978年にUKで結成されたポストパンク、ニューウェーブバンド。こちらはセカンドアルバムで、リリース時から好評を得て、NMEの1981年ベストアルバムを受賞。「生きている記憶の中で「ロック」形式の最も優れたアーティキュレーションの1つ」とまで評されています。NMEベストアルバム受賞時の評は「ポストパンクのサイレントマジョリティによるニューポップへの抗議」とされました。確かに、音像的にはシンセサイザーが導入されて洗練されたポップな聴きやすさがありながらその中にはポストパンク的な暗鬱さ、毒気が潜んでいます。ジャケット写真はウェールズ南部の海辺の町ポーチコールの湿ったビーチで撮影されたそうですが、カモメを集めるための魚の内臓をばら撒いて撮影したとのこと。バンドの持つ「寒さ、湿り気、暗さ」を表す名ジャケットとされていますが、当初はレーベル側の責任者に評判が悪く、あやうくボツになりかけたそう。
Television Personalities – And Don't the Kids Just Love It
Television Personalities(テレビジョン・パーソナリティ)は1977年結成のUKのポストパンク、ネオサイケデリア、インディーポップバンドで、本作がデビュー作。このバンドは歌詞・アルバムタイトル・レコードアートワークに散在する数多くの大衆文化の引用やジョークで知られ、引用先は(主にUKの)カルト映画、1960年代の文化、そして忘れられているか評価の高いミュージシャンや有名人などです。このアルバムのカバーはモデル・女優・歌手のツイッギーと俳優のパトリックマクニーの写真が掲載されていて、これは1960年代のUKで人気だったスパイもののTVドラマ「アベンジャーズ」の登場人物。バンド自体はそれほど商業的成功を収めることはできませんでしたが、独特の音楽性や世界観が多くのアーティストに影響を与え、Jesus and Mary Chain、Beat Happening、Pavement、MGMTなどが影響を公言しています。
1982.肉体性への回帰
洗練、シンセポップ的なバンドやアルバムが続いていた中で、反動のように肉体的、パンク的、サイケデリックへの回帰(ネオサイケデリア)的な動きが出てきたのが1982年。
The Fall – Hex Enduction Hour
1976年、UKで結成されたポストパンクバンドThe Fall。多作なバンドで1979年から2016年にかけて32枚のアルバムを残しました。本作は4作目で、ダブルドラマー体制となって初のアルバム。ビートが強調されたライブ感のあるアルバムです。ヴェルヴェットアンダーグラウンドの「シスターレイ」、キャプテンビーフハート、1970年代初頭のクラウトロックバンドCanの影響を受けて制作されました。当初、当時所属していたラフトレードレーベルと緊張関係にあり、本作がバンドのラストアルバムになる予定で制作されました。批評家によれば「レコードレーベルとの不確実性がアルバムのサウンドに浸透し、銃を頭に押し付けたバンドの作品」とのこと。結果としてバンドは存続しますが、それらのフラストレーションを反映してか歌詞もかなり先鋭的。ボーカルかつ中心人物のマーク・E・スミスが描く歌詞世界はマンチェスター方言の重厚なアクセントで表現され、しばしば不条理で不可解であり、ライブ中に即興詩を挟むこともしばしば。スミス自身は「原始的な音楽と知的な歌詞」を組み合わせることを目指していたと語っています。長年の活動でカルトなファンベースを築き、 後続のPavement, Happy Mondays, Sonic Youth, Steve Albini, the Pixies, LCD Soundsystemらに影響を与えました。
Dream Syndicate – The Days of Wine and Roses
Dream Syndicateは1981年から1989年にかけて活動したネオサイケデリア、オルタナティブロックバンドで、80年代インディーズ・ムーヴメントの火つけ役となったペイズリー・アンダーグラウンドの中心的な存在。ペイズリー・ムーブメントはL.A.を中心に勃興したネオ・サイケデリック運動で、彼らが呈示したニール・ヤングやヴェルヴェット・アンダーグラウンドから影響を受けたノイズ・ギターに、カントリーやフォークといったルーツ・エッセンスを垂らし込んだ音楽性はシンセサウンドが主体となりつつあったポップ、ロックシーンの中で異質なものでした。本作は1982年リリースのデビューアルバム。商業的成功を収めたことはないものの完成度の高いアルバムを残しています。R.E.M.とほぼ同時期に似たような音像にたどり着いていたように感じます。なお、バンドは2012年に再始動して現在も活動中。
Flipper – Album - Generic Flipper
Flipper(フリッパー)は1979年にカリフォルニア州サンフランシスコで結成されたUSのロックバンドで、 多くのグランジ、パンクロックおよびノイズロックバンドに影響を与えました。元NIRVANAのKrist Novoselic(ベーシスト)が2000年代に一時期在籍したことでも有名。また、カートコバーンもFlipperの大ファンで、1992年のサタデーナイトライヴや”COME AS YOUR ARE”のミュージックビデオで自身が自作したフリッパーTシャツを着用していました。本作がデビューアルバムで、比較的初期衝動をそのまま形にしたようなパンクロック。「偉大なロックンロールがルールを破ることであるならば、Flipperの驚くべきデビューアルバム--Generic Flipperは、彼らが偉大なロックバンドの1つであることを示している」とAllmusicでは評されています。アルバムラストの曲「Sex Bomb」は歌詞が7語だけで、8分近く続く曲。
Mission of Burma – Vs.
Mission of Burma(ミッションオブブルマ:ブルマの使命)は1979年に結成されたUSのポストパンクバンド。テープマニピュレータ/サウンドエンジニアのマーティン・スウォープがバンドメンバーに居たバンド。本作はデビューアルバムにして彼らが80年代に残した唯一のアルバムです。その後、再評価の機運が高まり2002年に再結成してアルバムをリリースしますが、結成当初のアルバムとしてはギタリストであり中心人物のロジャーミラーの耳鳴り(聴覚障害)が悪化したためこの1枚を残して解散。アルバムの曲は、バンドメンバーのマーティン・スウォープの電子およびテープの効果音の存在感が高いことが特徴です。混沌とノイズをパッケージングしたアルバムで、今聞くと通常の範疇ですが当時はノイズが多くてラジオプレイには適さないとされました。とはいえ批評家からの評判は高く、”ミッション・オブ・バーマがロジャー・ミラーの聴覚障害を引き起こさなかったとしたら、どれだけ音楽を聴けたのか想像するのは気が遠くなる。翌年に解散するバンドだが、潜在能力を失ったにもかかわらず、1980年代にVsほど野心的または強力なアルバムをリリースしたアメリカのバンドはほとんどなかった”と評されています。Pearl Jam, Foo Fighters, Superchunk, R.E.Mなど、多くのバンドがこのアルバムからの影響を公言しています。
1983.”オルタナティブロック”の形成
R.E.M.のデビューアルバムとViolent Femmesのデビューアルバムがリリースされ「オルタナティブロック」が形作られつつある年。音楽的にもいろいろな咆哮に拡散していきます。
R.E.M. – Murmur
”オルタナティブロックバンド”として定義された最初のバンドの一つであるR.E.M.。彼らのデビューアルバムが本作です。REMは、オルタナティブロックのジャンルの作成と開発において極めて重要でした。AllMusicは、「REMは、ポストパンクがオルタナティブロックに変わった時点を示している」と述べています。1980年代初頭、REMの音楽スタイルは、それ以前のポストパンクやニューウェーブのジャンルとは対照的で、米国のオルタナティブロックの最初の波の静かで内向的な側面を特徴づけたとされます。ローリングストーン誌の1983年年間ベストアルバムを受賞。Murmurのリリースにより、REMは、発展途上のオルタナティヴジャンルの初期のグループの中で音楽的および商業的に最も大きな影響を与えました。
New Order – Power, Corruption & Lies
Joy Divisionメンバーがイアン・カーティス亡き後、新しい名前で再出発したNew Order。本作が2作目で、Joy Division時代とは違った音像にたどり着いた真のデビューアルバムと言える作品。ジャーマンテクノやミュンヘンディスコといった欧州のダンスミュージックシーンのダンサブルな音、陽性なパーティー感を取り入れつつ、どことなくゴシックな雰囲気もたたえた欧州的な湿り気のある音楽。「アッパーで踊れるけれどどこかもの悲しい」という独自の音像を確立します。邦題は「権力の美学」。ジャケットの絵画はロンドンにあるナショナルギャラリーの常設コレクションの一部であるフランス人アーティスト、アンリファンタンラトゥール(Henri Fantin-Latour)の絵画「バラのバスケット(A Basket of Roses)」。 デザインを担当したピーター・サヴィルは当初、暗い王子を描いたルネサンスの肖像画を使ってタイトルのマキャヴェリズムのテーマと結び付けることを計画していましたが、適切な肖像画を見つけることができませんでした。ふと、ギャラリーでサヴィルのガールフレンドが「この花の肖像画を使ったら」と冗談で言ったところ、それは良いアイデアだと気づいた。なぜなら花は”権力、堕落、嘘が私たちの生活に浸透する手段を示唆している。それらは一見魅惑的である”ことを表していると気づいたから、という逸話が残っています。
The Chameleons – Script of the Bridge
The Chameleons(カメレオンズ)は1981年にUK、マンチェスターで結成されたポストパンクバンドです。本作がデビューアルバム。独特の浮遊感のある音作りで、U2やエコー&ザ・バニーメンの影響を受けたそう。UKの音楽プレスは、その雰囲気のある音のために、バンドを説明するときに「ソニックアーキテクト(音の建築家)」や「ソニック(音の)大聖堂」などの用語をよく使用しました。カメレオンズは、サッチャリズムがイギリスのかつての工業都市に影響を及ぼし始めたときに出現し、彼らの音楽には不安感と無実の安全への憧れが染み込んでいました。バージェスのボーカルスタイルは、製造業・産業の衰退とその結果としての社会秩序の崩壊によって多くの英国のコミュニティで生み出された疎外感に触れた彼の歌詞を補完しました。このアルバムはオアシス、ヴァーヴ、フレーミングリップス、インターポールなどに影響を与え、オアシスのソングライター、ノエル・ギャラガーは、本作を「曲作りを始めた頃、ソングライターとして影響を受けていたよ」と語っています。
Cocteau Twins – Head Over Heels
コクトーツインズは1979年に結成されたスコットランドのバンドで、歌姫エリザベス・フレイザーを擁し、ギタリストのロビン・ガスリーとのデュオが中心。1980年代のドリームポップのオルタナティブなジャンルを開拓しました。エーテラルウェーブ(エーテルダークウェーブ、エーテルゴス)と呼ばれるサブジャンルの原型ともされています。ジョイ・ディビジョンやスージーアンドザバンシーズの影響を感じさせながら、歌声はより自由に。のちのBjorkにも通じるところがあります。ガーディアン紙では「従来の語彙から謎めいた感情的なサウンドにシフトし始めた」と評されています。2003年、このアルバムはMojo誌によって史上最もエキセントリックな英国のアルバムの1つに選ばれました。
U2 – War
U2の3枚目のアルバムで、商業的に成功を収めたアルバムであるとともに初めて政治的な主張を明確にしたアルバムでもあります。U2の以前のアルバムBoyとOctoberの中心的なテーマは、それぞれ青年期と精神性でしたが、本作は、戦争の物理的側面と感情的な後遺症の両方に焦点を当てていました。ギターの音もそれまでに比べるとリバーブ、ディレイが少なく直接的に。このアルバムは北アイルランド紛争、「血の日曜日」事件への抗議曲「Sunday Bloody Sunday」でスタートします。欧州の歴史上「血の日曜日」と呼ばれる惨劇は何度もあるのですが、ここで取り上げられているのは1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリーで、デモ行進中の市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃された事件。14名死亡、13名負傷。事件のあった地区の名を取って「ボグサイドの虐殺(Bogside Massacre)」とも呼ばれています。Killing Jokeのデビューアルバムでも北アイルランド紛争の写真がジャケットに使われていました。UKのバンドにとって身近な問題で、2020年のBLMのようなテーマ。
Violent Femmes - Violent Femmes
Violent Femmesは1979年結成のUSのフォークパンクバンドです。本作はオルタナの隠れたヒット作で、ビルボード200のアルバムチャートに登場したことがないにもかかわらず、リリースから4年後にゴールドになり、 4年後にプラチナになりました。1991年2月1日にプラチナ認証を取得した後、アルバムはついに1991年8月3日に初めてチャートに記録され、#171でピークに到達。ニールセンミュージックが1991年に電子的に売り上げを追跡し始めて以来、アルバムは180万枚を売り上げました。RIAA認定とニールセンミュージックの販売データを組み合わせると、2016年の時点でレコードのアメリカでの販売は約300万と推定されます。「初期のオルタナティブ・ムーブメントと永続的なカルト・クラシックの最も特徴的なレコードの1つ」と評され、USオルタナティブロック史の中で重要な位置づけにある1枚です。なお、ジャケットのモデルは、ロサンゼルスの街を歩いていた3歳の少女、ビリー・ジョー・キャンベルです。ジャケット写真のギャラは100ドルだったそう。写真はローレルキャニオンの家の窓を覗き込んでいるキャンベルを描いています。キャンベルは次のように回想します。「その建物を覗き込んだのを覚えているわ。彼らはそこに動物がいると言い続けた。私は腹を立てました......なぜみんなが私をこの建物に見させているのかわからなかったから。そこには写真家がいました。私は......動物が見えないことに腹を立て、その撮影の終わりまでに不機嫌でした」。よく3歳の事を覚えていますね。
1984.ネオアコとポストハードコア
ネオアコースティックと呼ばれるフォークロック、ソフトロックの音像にシリアスでオルタナティブな視点を載せた歌詞が多いバンドが出てきます。また、ハードコアシーンもポストハードコアに。パンクやハードコアは表現が直情的である分、表現の幅が限定されるのでアルバムを重ねるごとに精神性はそのままに音楽性を拡張していく例がこの頃は多かった。結果として実験的な作品がポストパンク、ポストハードコアシーンから生まれていきます。
Hüsker Dü – Zen Arcade
Hüsker Dü(ハスカー・ドゥ)は1979年結成のUSのパンクバンド。1980年代初頭のアメリカのインディーズミュージックシーンで、高速でアグレッシブなハードコアパンクバンドとして注目を集めていました。彼らは、カリフォルニアのインディーズレコードレーベル SST Records(当時はハードコアバンド専門レーベルで、特にBlack Flagが在籍していることで知られた)と契約した最初の非西海岸グループで、最初の音楽性は完全なハードコア。しかし、時を経るごとにメロディックでニュアンスが増し、The Byrdsなど60年代のサイケデリックロックやシューゲイズにも接近してみせます。Zen Arcadeはセカンドアルバムで本作Zen Arcadeとそれに続くHüskerDüのアルバムは、音が渦を巻くオルタナティブロックのジャンルの作成に寄与。1980年代中盤のUSハードコア、USアンダーグランドロックシーン全体に影響を与えました。本作は全体が85時間、3200ドルで制作され、ハードコアパンクを鑑賞音楽に高めた作品という評価を得ています。therapy?のボーカル、アンディ・ケアンズは本作をこう評しています。「この作品は単純な怒りだけでなくより深い、恐ろしい音楽を求めていたときに手に入れた完全に夢中になれるアルバムで、ヘッドフォンで聴けるパンクアルバムだった。アルバム全体をじっくりと聞いた後、世界は違う色と味を帯びていたんだ。初めて聞いたとき、それがファズボックスを備えたバーズのように聞こえた。曲だけでなく、音像全体が最初から最後まで煌めいて聞こえたんだ」。
The Smiths – The Smiths
1982年にマンチェスターで結成され、80年代を駆け抜けたUKインディーロックシーンの彗星、スミス。ボーカルのモリッシーとギターのジョニーマーが生み出す音像は広くのちのUKインディーロックシーン全体に影響を与えます。時代の空気を取り入れ、ポストパンクの最後の余韻を感じる暗鬱さも漂わせつつ突然裏返るファルセット、ビートバンド的な性急さ、ギターポップの煌めきが組み合わさり暴力性と共にナイーブさ、気難しさ、繊細さを感じさせる音像。本作はインディペンデントレーベル、ラフトレードからのリリース。実は一度レコーディングセッションしたものが使えず(調子が悪く、タイミングもずれていたそう)、二度レコーディングしている作品。2回目の録音、つまりリリースされた音源はツアーの合間を縫って断片的に録音されたそうです。デビューアルバムのためそれほど予算もなく、切羽詰まった状態でリリースされた作品。リリース時にはモリッシーには多少不満も残る出来だったようですが、結果として商業的成功を収め名盤と呼ばれるようになります。
なお、「オルタナティブロック」と「インディーロック」はもともとは似たような音像、どちらも独立系レーベルを中心としたアンダーグランドなムーブメントを指しますが、USはオルタナティブ、UKはインディーと呼ばれることが多いそう。
Felt – The Strange Idols Pattern and Other Short Stories
Feltは1979年結成のインディーロックバンドで、ネオアコースティック(ネオアコ)に大きな影響を与えました。ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックやシャーラタンズのティム・バージェス、マニック・ストリート・プリーチャーズなどが影響を公言しています。本作は3作目で最初の2枚のアルバムの内省的なギター主導のサウンドからの脱却を示し、ローレンスのボーカルがミックスではるかに支配的になり、ポップなメロディーがより強調されました。美しいメロディが流れる良盤。ギターポップ、というとこういう音像を思い浮かべるのではないでしょうか。
Meat Puppets – Meat Puppets II
Meat Puppets(ミートパペッツ)は1980年に結成されたUSのパンクバンドです。カウパンクとも呼ばれ、パンクロックやニューウェーブ的なサウンドにカントリーやフォーク、ブルースを組み合わせたスタイル。ミートパペッツはパンクロックバンドとしてスタートしましたが、SSTレコードのほとんどのレーベルメイトと同様に、パンクとカントリーやサイケデリックロックをブレンドし、独自のスタイルを築き上げました。本作はセカンドアルバムで、主にノイズの多いハードコアスタイルの音像と聞き取れないボーカルで構成されたセルフタイトルのデビューアルバムから音楽性を拡張し、カントリースタイルのロック(「MagicToy Missing」、「Climbing」、Lost」)からスローアコースティックソング(「Plateau」、「Oh、Me」)、サイケデリックギターエフェクト(「Aurora Borealis」、「Were」)まで、さまざまなジャンルをカバーしています。ミートパペッツは、ニルヴァーナ、サウンドガーデン、ダイナソーJr、ペイブメントなど、多くのロックバンドに影響を与えてきました。
Minutemen – Double Nickels on the Dime
ミニットマンは、1980年にカリフォルニア州サンペドロで結成されたアメリカのパンクロックバンド。彼らはカリフォルニアのパンクコミュニティで「jamming econo(ジャミングエコノ)」の哲学(ツアーやプレゼンテーションに立脚したストイックなスタイル)で注目され、折衷的で実験的な態度は、オルタナティブロックやポストハードコアの先駆者とされます。本作Double Nickels on the Dimeは3枚目のアルバムで、カリフォルニアのインディーズレコードレーベルSST Recordsからリリース。45曲を含むダブルアルバムで、パンクロック、ファンク、カントリー、スピーチなど多様な要素が盛り込まれ、ベトナム戦争、アメリカの人種差別、労働者階級の経験など歌詞のテーマも多様。本作はミニットマンの最高傑作としてだけでなく、「1980年代の最高のアメリカのロックアルバムの1つ」と見なされています。当初は1枚組として制作していたそうですが、1か月前に録音されたレーベルメイトのHüskerDüの2枚組アルバムZen Arcade(1984)を聞いた後、「俺たちも2枚組のアルバムを作ろう!」と盛り上がり、さらに多くの曲を書くことにしました。HüskerDüのZen Arcadeとは異なり、Minutemenには統一されたコンセプトはありませんでしたが、結果として雑多な音楽性が収録された本作は多くのパンクバンドがハードコアシーンのスタイル上の制限を無視し始めた分岐点、ポストハードコアのマイルストーンとなりました。
The Replacements – Let It Be
リプレイスメントは、1979年にミネソタ州ミネアポリスで結成されたアメリカのロックバンドでした。当初はパンクロックバンドでしたが、オルタナティブロックのパイオニアの1人と見なされています。本作は3枚目のスタジオアルバムで、従来のアルバムのように大音量で高速に演奏することにマンネリを感じたバンドは、時代の到来をテーマにしたポストパンクアルバムである本作を録音しました。ボーカリストのポール・ウェスターバーグによれば、グループは「もう少し誠実」な曲を書こうとしたそうです。ローリングストーン誌は本作を「素晴らしいロックンロールアルバム」と評価。青年期から大人へと揺れ動く心情を描きながら、過度に深刻や内省的になるのではなくユーモアやバラエティに富んだ音楽性が組み込まれているのが本作の特徴。Xの1981年のアルバムWild Giftとともに、Let It Beがアメリカのインディーロックのピークを表したとの評価もあります。
1985.シューゲイズとオルタナカントリーの萌芽
音楽性が拡散していき、ポストパンク的な攻撃性が減退(ポストパンクの終焉は1984~1985年ごろとされる)。カントリーやジャングルポップなど、リバイバルや他のジャンルを現代のロックの音像(エフェクターやシンセサイザー)で表現しようという試みが生まれます。
The Jesus and Mary Chain – Psychocandy
ジーザス&メリーチェインは、1983年に結成されたスコットランドのオルタナティブロックバンドです。バンドの中心人物はジムとウィリアムのリード兄弟。本作がデビューアルバム。このアルバムは画期的なレコードとされ、ギターのフィードバックとノイズと、伝統的なポップのメロディーと構造の組み合わせが、以降のシューゲイザーのジャンルとオルタナティブロック全般に影響を与えました。ドイツのインダストリアルバンド、Einstürzende Neubauten(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、ガールグループのthe Shangri-Las(シャングリラス)やヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコからインスピレーションを得て作成されたそう。シューゲイズの基礎となる強力なファズによる歪みのある霧のような音像が特徴的ですが、同時に60年代、70年代のロックやプロトパンクからの影響も感じられます。当時の批評では「フィードバックに溺れたバブルガムポップ」と評され、「メロディーと不快なホワイトノイズのバースト」が融合しています。
The Sisters of Mercy – First and Last and Always
シスターズ・オブ・マーシーは、1980年にリーズで結成されたUKのロックバンドです。UKのアンダーグラウンドシーンで人気を集めデビュー。本作がデビューアルバム。ドラムマシーンを用いた機械的なリズムとボーカルスタイルが特徴的で、ゴシックロックと呼べる音像を築き上げています。中心人物のアンドリュー・エルドリッチは制作時、アンフェタミンの継続使用、不眠症、栄養失調、低血糖症によって衰弱し、ある夜スタジオで倒れました。結果としてリリース日を伸ばし、デビューアルバムにしてはかなり高額な制作費を使って(スタジオ延滞料も嵩んだ)制作されたアルバム。バンドは多額の借金を負ってのデビューとなり、各国でそれなりにヒットしたものの借金返済できたのは1988年だったとか。エルドリッチは自分たちのバンドがゴシックロックと呼ばれるのを好まず「1969年のクラシックロックの続きだ」と嘯いていますが、本作はゴシックロックの名盤として評価されています。
Camper Van Beethoven – Telephone Free Landslide Victory
Camper Van Beethoven(キャンパー・ヴァン・ベートーベン)は、1983年にカリフォルニア州レッドランズで結成されたアメリカのロックバンドです。バンドは初期、カリフォルニアのインランドエンパイアのハードコアパンクシーン内で支持を集め、その後より広く受け入れられ、最終的には国際的なファンベースを得ました。彼らの強い偶像否定とDIY精神は、急成長していたインディーロックの動きに影響を与えました。本作がデビューアルバムで、オルタナティブロックやジャングルポップ(明るいムードを呼び起こすギターポップ)に分類されます。本作には、最初のヒットシングル「Take the Skinheads Bowling」や、実験的なカバーバージョンのBlackFlagの「Wasted」などが含まれています。音像はどこかユーモラスで、パンク、スキンヘッド、サーファー、スケーター、ヒッピーなどをテーマにしながら1980年代のアンダーグラウンドなカウンターカルチャーへの愛情とユーモアが感じられるアルバムです。
Kate Bush – Hounds of Love
Kate Bush(ケイトブッシュ)は1979年デビューのUKの女性SSWで、UKのヒットチャートで1位を初めて獲得した女性SSW。その影響力は多大で数多くの女性アーティストに影響を与えています。本作は5枚目のアルバムで最高傑作とも言われる作品。ヨーロッパの伝統音楽も取り入れながら、シンセサイザー(フェアライトCMI)を用いた多重録音、スタジオワークでプログレッシブロック、アートロック的な音像を構築。プログレッシブロックに関連する通常の男性の視点ではなく、愛と女性の情熱のテーマを表明しているため、このアルバムはポストプログレッシブとされています。当時、Duetして何曲もヒット(Don’t Give Up等)を飛ばしたPeter Gabrielとの類似性も感じるワールドミュージックも取り入れたグローバルなロック。
Mekons - Fear and Whiskey
Mekonsは、1970年代後半にアートグループとして結成されたイギリスのポストパンクバンドです。彼らは、第一波の英国のパンクロックバンドの中で最も長く活動し、最も多作なバンドの1つです。本作は4作目のアルバム。前作から短い休止の後、サウンドを劇的な変化させ、以前から確立されていたパンクロックのスタイルにカントリーミュージック(フィドル、バイオリン、ハーモニカなど)のサウンドをブレンドしているため、最初のオルタナティヴカントリーアルバムであると言われています。アルバムの歌詞はコンセプチュアルで、壊滅的な戦争を通じて喜びと人間性の能力を維持するのに苦労しているコミュニティの暗いシナリオを説明しており、批評家から「戦時中の生活について描いた一種のコンセプトアルバム」とも評されました。
1986.インダストリアルとポストロック
さまざまな新しい音像が生まれた年。Big Blackによるインダストリアルロックの誕生と、Talk Talkによるポストロックの誕生、また、ノーウェーブからオルタナへ移行するSonic Youthなど、よりアンダーグラウンドで前衛的、音楽的な深淵からのムーブメントが生まれた年。
Sonic Youth – Evol
ソニック・ユースは、1981年に結成されたNYを拠点とするUSのロックバンド。NYの実験的なNo Wave(ノーウェーブ)シーンから生まれ、より普遍的なロックバンドに進化し、アメリカのノイズロックシーンの著名なアーティストに成長。各種のギターエフェクターを駆使し、さまざまな(非正統的な)ギターチューニングも駆使して「ロックギターの可能性を再定義」したことで賞賛されています。バンドは、オルタナティブとインディーロックの動きに極めて重要な影響を与えました。本作は3作目で、ノーウェーブから一般的なロックへの過渡期にあたる作品。とはいえ一般的に名作とされる次作「Sister」や次々作「Daydream Nation」に比べると実験性も色濃く残っています。Allmusicでは「前衛的な楽器とロックンロールの転覆の驚くほど流暢なミックス」の評価。
Big Black – Atomizer
Big Blackは1981年に結成されたUSのパンクバンドで、本作がデビュー作。のちのNine Inch Nailsにもつながる強烈なインダストリアルロック、ノイズロックを聞かせています。オルタナティブロック界の最重要プロデューサーの一人、スティーブ・アルビニが在籍していたバンドでもあり、激烈なドラムマシンのサウンドは彼の手によるもの。歌詞の内容も辛辣と言うか露悪的で、処刑、殺人、レイプ、児童虐待、放火、犠牲、人種差別、ミソジニー......等のアメリカ文化の暗い側面を容赦のない詳細さで描写しました。このアルバムのアルバム評に次のようなものがあります。「バンドの音楽は、刺々しく、残忍で、騒々しく、不快なものでしたが、完全にオリジナルでした。これほど耳障りな音のレコードを作った人は誰もいなかった」。
The The – Infected
The The(ザザ)はUKのポストパンクバンド。彼らは1979年以来さまざまな形で活動していますが、シンガーソングライターのマット・ジョンソンが唯一の常連バンドメンバーで、実質的に彼のソロプロジェクトです。本作が2作目のアルバムで、最高の商業的成功を収めた作品。1986年にInfectedがリリースされたときのUK音楽メディアのレビューは、ほとんどが非常に好意的で、概ね歌詞の暗さとジョンソンのビジョン(後述するビデオアルバム)の強さに感銘を受けた内容。本作は付随するビデオアルバムが作成され、南米でのロケも行われましたがその際にいろいろなトラブルがあり、アマゾンのジャングルでの撮影は現地の幻覚剤を飲み、実際の蛇と出会い、NYのハーレム地区では売春宿での撮影。酔っぱらってクラックディーラーとトラブルになり、他の曲の撮影では実際の弾が入った銃を口にくわえるなどかなり過酷なロケ。もともと麻薬とアルコール依存気味だったジョンソンはこのロケでさらに体調を悪化させその後しばらく静養を余儀なくされることに。あとから振り返って「あの時は成功して天狗になっていた(だから破天荒なことをした)んだ」と語っていますが、そうした苦労を経て完成したアルバムとビデオフィルムは好評を呼び、チェンネル4(UKの放送局)、MTVや独立系映画館でも放映されました。VHSではリリースされていますがDVDは未発売......。ながら、YouTubeにはあるようです(自分で検索してね)。すごい時代だなぁ。
XTC – Skylarking
XTC(エクスタシー)は、1972年に結成されたUKのロックバンド。ソングライターのアンディパートリッジ(ギター、ボーカル)とコリンモールディング(ベース、ボーカル)が率いるこのバンドはUKとUSでは散発的な商業的成功しか達成しませんでしたが時代時代で変遷していく音楽性と共にその職人芸的な作曲能力、緻密なスタジオワークで世界中にマニアックなカルトファンを獲得しています。1970年代はポストパンク、ニューウェーブ的な音作りで、のちにブリットポップの先駆者とも言われるようになるひねりのあるパワーポップに進化。本作は9作目のアルバムでプロデューサーがトッドラングレン。トッドとアンディは相性が最悪で、録音中のスタジオはかなり険悪な雰囲気だったよう。アレンジのアイデアも異なるし、アンディは完璧主義者で何度もテイクを取り直したがるがトッドは勢いやライブ感を重視する、など、ことあるごとに衝突したようですが、結果として生み出された本作はXTCの最高傑作と呼ばれるとともに、ブリットポップの前駆的なマイルストーンとして燦然と輝いています。
Talk Talk – The Colour of Spring
トークトークは1981年に結成されたイギリスのバンドで、マーク・ホリス(ボーカル、ギター、ピアノ)、リー・ハリス(ドラム)、ポール・ウェッブ(ベース)が率いていました。本作は3作目で、それまでのポップな音像から一転して「ポストロック」的な音像に。ポストロックの創始者の一つとされており、多大なアーティストに影響を与えました。Tears for Fears、Radiohead、Elbow、Mars VoltaのCedric Bixler-Zavala、Steven Wilson、MarillionのSteve Hogarth、Death Cab for Cutieなど、影響を公言するアーティストが数多く存在します。それなりの商業的成功は収めたものの、どちらかといえば非商業的な姿勢が強く、音作りもミニマル的。ツアーやプロモーションにも消極的で、メジャーレーベル(EMI)に所属していたもののドロップアウトし、自らの創造性を探求します。そうした側面から、企業や商業的利益の圧力に屈しなかったアーティストとしても賞賛されています。
1987.社会的な視点と「バズ」の開始
だんだんと90年代に近づいてきます。完全にアンダーグラウンドなシーンでメジャー、メインストリームとは”違うもの”だったオルタナティブ、インディーズシーンに商業的成功が起こり始める。また、社会課題や個人の課題と向き合うようなシリアスな歌詞も特徴的。
Dinosaur Jr. – You're Living All Over Me
Dinosaur Jr.は、1984年にマサチューセッツ州で結成されたUSのロックバンドです。1960年代と1970年代のクラシックロックにまでさかのぼり、フィードバックとディストーションを多用することを特徴とする独特のギターサウンドと物憂げなボーカルスタイルは、1990年代のオルタナティブロックムーブメントに大きな影響を与えました。本作はセカンドアルバムで、このアルバムはインディーロックとオルタナティブロックのクラシックと見なされており「最初の完璧なインディーロックアルバム」とも言われています。また、特にシューゲイザーのジャンルで大きな影響力を持っており、マイ・ブラッディ・バレンタインのケヴィン・シールズは影響元としてこのアルバムを挙げ、のちに一緒にツアーもしています。また、ニルヴァーナも本作から影響を受けたと言っています。
10,000 Maniacs – In My Tribe
10,000 Maniacsは、1981年に設立されたUSのオルタナティブロックバンドです。女性Voナタリーマーチャントを擁し、商業的にも一定の成功を収めました。本作は2作目で、商業的にブレイクスルーしたアルバム。フォークロック、ソフトロック的な柔らかさや完成度を持ち、かといって80年代の煌びやかなサウンドというよりは手作り、インディーズ感、オルタナティブ感のある音像を保っています。また、歌詞はオルタナティブらしくさまざまな個人的、社会的課題を扱っており、ローリングストーンズ誌では「アルコール依存症、児童虐待、非識字などの社会的懸念についての詩的で心からのメッセージ」と評されました。
Butthole Surfers – Locust Abortion Technician
バットホールサーファーズは、1981年にテキサス州で結成されたUSのロックバンド。1980年代のハードコアパンクシーンから生まれ、混沌としたライブショー、ブラックコメディ、サイケデリア、ノイズロック、パンクの要素を取り入れたサウンドや、サウンドコントロールとテープ編集によるサウンドコラージュを用いた特異なサウンドでシーンの中で知名度を上げました。本作Locust Abortion Technicianは3作目で、パンクロック、ヘビーメタル、サイケデリックミュージックをブレンド。グランジや、スラッジメタルのサウンドに近づいたサウンドです。それまではプロフェッショナルなスタジオでアルバムを制作したのが本作からホームスタジオに。予算や使用機材は下がったもののその分クリエイティブな冒険が心行くまでできたようでかなり刺激的な作風。Black SabbathのSweet Leafをパロディにした1.Sweet Loafからユーモアとアシッドトリップ感が満載です。
Love and Rockets – Earth, Sun, Moon
Love and Rocketsは、Bauhausが1983年に分裂し、1985年にバウハウスの元メンバーであるダニエルアッシュ(ボーカル、ギター、サックス)、デビッドJ(ベースギター、ボーカル)、ケビンハスキンズ(ドラムとシンセサイザー)によって結成されたUKのオルタナティブロックバンドでした。彼らの残したアンダーグラウンドロックミュージックとポップミュージックの要素の融合は、オルタナティブロックの初期のきっかけとなりました。本作はバウハウス的なゴシックの痕跡もやや残しつつ、サイケデリックなベースに民族的、トライバルな響きを取り入れた意欲作。独自の薫り立つような怪しげな雰囲気はバウハウス時代から変わっていません。
Midnight Oil – Diesel and Dust
Midnight Oilはやや歴史が古く1972年に結成されたオーストラリアのバンド。1978年にセルフタイトルのデビューアルバムをリリースし、主流メディアからは相手にされなかったにもかかわらず、故郷で熱狂的な支持を得ました。本作は6作目のアルバムで、シングルカットされた「TheDeadHeart」と「BedsAreBurning」は、アボリジニー(先住民族のオーストラリア人)の窮状を照らし、後者は複数の国でナンバーワンを記録しました。 Green Day、R.E.M.、Pearl Jam、Garbage、The Cranberries、Biffy Clyro、 Candleboxなど、多くのオルタナティブバンドに影響を与えた存在で、「もし彼らがニュージャージー出身だったらU2よりビッグになっていただろう」とスピン誌の創設者は述べています。ミッドナイトオイルは、1986年半ばにオーストラリアのツアーで、先住民の音楽グループと一緒に数か月を過ごし、遠く離れたアボリジニのコミュニティで演奏し、健康と生活水準の問題の深刻さを直接目にしました。しかし、このツアーは、コミュニティ間の架け橋を築くための長期的な試みではなく、1回限りのイベントであると一部のジャーナリストから批判されました。バンドはその経験に刺激を受け、本作のコンセプトを策定。このアルバムは、アボリジニのコミュニティに対する過去の不当な扱いを白人オーストラリア社会が認める必要性と、和解の必要性に焦点を当てていました。本作はローリングストーン誌の1988年ベストアルバムに選出。
1988.ミクスチャー、多様性、ハードロック
1988年、黒人バンドによるファンクメタルやアイスランドからのバンドなどUS、UKの白人コミュニティだけではなく音楽的にも文化的にも多様性が広まり、音楽の混交が進みます。また、ハードロック的な音像がより前面に出てきます。
Pixies – Surfer Rosa
ピクシーズは、1986年にボストンで結成されたUSのオルタナティブロックバンド。音量のダイナミクスで知られ「静かなヴァースー爆発するコーラスー静かなヴァース」のパターンを発明。オルタナサウンドの原型とも言えるスタイルです。オルタナシーンの名プロデューサー、ゲイリースミスはバンドを評して次のように言っています。
実際、ピクシーズが生み出したパターンの影響力はすさまじいもので、さまざまなアーティストが影響を公言しています。かのデビッドボウイもピクシーズが「80年代全体で最も魅力的な音楽」を作ったと語ったことがあります。
Mudhoney - Superfuzz Bigmuff
マッドハニーは、1988年にワシントン州シアトルで結成されたUSのロックバンドです。前身はグリーンリバーで、グリーンリバーの元メンバーはこのマッドハニーの他、テンプルオブザドッグ、マザーラブボーン~パールジャムを結成。「グランジ」シーンの震源地とも言えるバンドでした。マッドハニー自身は商業的成功を収めてはいませんが現在も活動中で、長いキャリアの中で数え切れないほどのグランジやオルタナティブロックミュージシャンに影響を与えています。本作はデビュー作。最初はEPとしてリリースされたものの、再発されるたびに曲が追加され、現在ストリーミング上にあるデラックスエディションはデモ音源やライブ音源も含まれた長大なもの。グランジシーンの黎明期の様子が分かります。造語っぽいアルバムタイトルは、バンドのお気に入りの2つのギター エフェクトペダルであるUnivox Super-FuzzとElectro-Harmonix Big Muffにちなんで命名されたそう。グランジサウンドを特徴づける「汚れた」音を作り上げています(グランジ=汚れた、という意味の英単語)。
Fishbone – Truth and Soul
USのミクスチャーバンド、Fishboneのセカンドアルバム。カーティス・メイフィールドの「Freddy’s Dead」のカバーで始まる本作はバンドの音楽史の典型であるように、アルバムはパンク、スカ、レゲエ、ソウル、ファンク、ブルースを含む幅広いジャンルを特徴としています。1979年結成で当初はスカとファンクを中心としたバンドでしたが年を経るにつれて音楽性を拡張。かなり特徴的な独自のミクスチャーのスタイルを生み出しています。社会的視点のある、風刺とユーモアの効いた歌詞も特徴的。大きな商業的成功は得られませんでしたがカルトなファンベースを持っているバンドです。
Jane's Addiction – Nothing's Shocking
1985年結成、オルタナティブメタルの先駆者、ジェーンズアディクションのデビューアルバム。のちにレッチリに加入することになるデイブ・ナヴァロが在籍していたバンドです。デビューアルバムといってもスタジオアルバムとして初で、この前年にライブアルバムでデビュー済。最初からライブアルバムを出すというのはよほどライブバンドだったのでしょう。NIRVANAと並んで最大の影響を持つオルタナティブバンドの一つで、1991年にロラパルーザをスタートさせたのもこのバンド(というかボーカルのペリーファレル)。ロラパルーザはオルタナティブロックのフェスとして大きなうねりを産んでいきます。彼らはファンクメタル、ファンクパンク、ニューメタルとも呼ばれます。
They Might Be Giants – Lincoln
ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ(しばしばTMBGと略される)は、ジョン・フランズバーグとジョン・リンネルによって1982年に結成されたアメリカのオルタナティブロックバンドです。1980年代、ブルックリンのDIYシーンを語るうえで欠かせないバンド。TMBGの初期の頃、フランズバーグとリンネルは頻繁にデュオとして演奏し、しばしばドラムマシンを伴っていました。独特の実験的で不条理なオルタナティヴミュージックのスタイルで知られており、通常、曲にシュールでユーモラスな歌詞と型破りな楽器を使用しています。彼らのキャリアを通じて、彼らはモダンロックやカレッジラジオチャートで成功を収めてきました。子供向け音楽やTV、映画音楽の分野でも成功しています。本作はセカンドアルバムで、基本的にベースとドラムは打ち込み。さまざまな楽器やノイズまでも取り込みながらポップソングとして昇華するセンスはSparks的でもあり、Zappa的でもあります。一曲一曲が短く(18曲で40分)、めくるめくポップな玉手箱。
Living Colour – Vivid
リヴィング・カラーは1984年に結成されたニューヨーク市出身のアメリカのロックバンド。黒人ミュージシャンで結成され、ローリングストーン誌は「ファンクメタルのパイオニア」と位置付けています。ヘビーメタル、ファンク、ジャズ、ヒップホップ、パンク、オルタナティブロックの影響を受けたクリエイティブなフュージョンで、歌詞は、USの人種差別について個人的なものから政治的なものまでテーマにしています。本作がデビューアルバムで、1."Cult of Personality"はプロレスと縁があり、WWEが”ストーンコールド”スティーブオースティン(史上最高かつ最も影響力のあるプロレスラーの一人)の殿堂入りの際の動画で使用されたり、WWEチャンピオンであったCM Punk(Phillip Jack Brooks)の入場曲としても使われた時期がありました。
The Sugarcubes – Life's Too Good
シュガーキューブス(アイスランド語:Sykurmolarnir)は、1986年に結成され、1992年に解散したレイキャビクのアイスランドのオルタナティブロックバンドで、2021年現在「アイスランドから出現した最大のロックバンド」とみなされています。本作がデビューアルバム。このアルバムは予想外の成功を収め、バンドに国際的な注目を集めました。のちに世界的成功を収め、以降のオルタナシーンに多大な影響を与えるBjorkのデビューでもあります。もともとはレイキャビクのそれなりにキャリアのあるミュージシャンが集まって作ったバンドでそれほどシリアスなものでもなかったようですが、成功を収めたことで一定期間活動。その後でBjorkはソロに転向し、さらなる活躍をしていきます。”ある瞬間は「小さな女の子のソプラノ」、次は「狂った動物」”とも評されたBjorkの特異性はこの時点から発揮されており、注目を集めました。
1989.革命前夜、商業化の波
インディーズからの大ヒットも生まれ始め、Stone Rosesは予期せぬ大ヒットによって法廷闘争に巻き込まれますが、これは商業的成功を想定していなかったオルタナティブ、インディーズバンドが90年代に直面することの前兆でもありました。そして、Nirvanaがデビューします。
The Stone Roses – The Stone Roses
ストーンローゼス、1983年にマンチェスターで結成されたUKのバンド。マンチェスターを中心とするマッドチェスタームーブメントの中心的存在でありバギーカルチャー(ダボっとした服、ストリートの感覚、ビリーアイリッシュもバギーカルチャーの文脈で語られる)の先駆者、そして、第三次ブリティッシュインベンションとも呼ばれたブリットポップの直接の源流でもあるバンドです。Oasisのギャラガー兄弟にも多大な影響を与え、リアムギャラガーは人生最初に見たライブがストーンローゼスで、彼らを見て歌手を志したとか。本作がデビューアルバムで、「史上最高のアルバムの一つ」とみなされる作品。ピンクフロイドのMeddle(おせっかい)のプロデューサー、ジョン・レッキー(彼はRadioheadsのbendsもプロデュース)と共に作った本作は「マッドチェスターを事実上発明し、ブリットポップのテンプレートを作成した」と評されます。60年代、70年代のロックのレガシーをしっかりと継承しながらサイケデリックで80年代の総括、そして90年代への扉を開いてみせた。その後法廷闘争に巻き込まれ、だいぶ時間が経ってから期待に応えられなかった2ndアルバムをリリースして解散してしまいましたが、本作1作だけで歴史を刻んだバンド。
Faith No More – The Real Thing
1979年、サンフランシスコで結成されたフェイスノーモアの3作目にしてメジャーデビューアルバム。ポストパンクシーンから出現したバンドですが、本作ではスラッシュメタル、ファンク、ヒップホップ、プログレッシブロックなどを取り入れてオルタナティブメタルやファンクメタルに音像を拡大。オルタナティブメタルのクラシックな名盤の一つに数えられています。NIRVANAやKornのサウンドの源流の一つになり、同時代および後世のメタル系のアーティスト、ダフマッケイガン(ガンズアンドローゼス)、ジョナサンケイン(Korn)、マックスカヴァレラ(Sepultura、Soulfly)ら、多くのミュージシャンに影響を与えました。なお、同郷のレッチリとはもともと仲が良いバンド仲間でしたが本作のEpicのMVで、ボーカルのマイクパットンがレッチリのボーカル、アンソニーを真似ているとレッチリ側が腹を立て、冷戦状態に。もともと音楽的に近い部分もあり、「俺のスタイルやアイデアを盗みやがって」的な闘争に発展します。まぁ、似ているといえば似ていますが、、、。もともと近いシーンにいたし、アイデアの重複や「早い者勝ち」みたいなライバル関係にあったのでしょう。
Galaxie 500 – On Fire
ギャラクシー500は1987年に結成され、1991年に解散したUSのバンド、いわゆる「ローファイ」な音像で、ヴェルヴェットアンダーグラウンド的な雰囲気重視のインストルメンタルに導かれるスタイル。Joy Division/New Orderのカバー「Ceremony」も収録し、影響を感じることができます。本作は二作目のアルバムで、本作のサウンド、空気感はのちのインディーロックシーンに大きな影響を与えました。彼らに影響を受けたアーティストとしてはLow、Liz Phair、Xiu Xiu、Jamie Stewart、Neutral Milk Hotelなど。ソニックユースのサーストンムーアも彼らのギターサウンドに惹かれたと話しています。
Nirvana – Bleach
1987年にUSで結成されたニルヴァーナ、グランジ・オルタナのアイコンでありジェネレーションXを代表するバンドとされています。ボーカルのカートコバーンの悲劇的な死により伝説となり、社会的現象、時代の象徴として現在も影響を与え続けています。本作はNevermindに至る前のデビューアルバム。ドラマーがデイブグロール(後にFoo Fightersを結成)ではなく、チャド・チャニング(レッチリのドラマーのチャド・スミスとは別人)です。サブポップレーベルからリリースされた本作は当時シアトルで流行していたグランジシーンの音像に従うようにレーベルから圧力があった、とカートは振り返っており、かなりネガティブで暗めの音像。まだ未完成で粗削りながらのちに神格化されていくNirvanaの原点。なお、Nirvana自身の音楽性について、カートコバーンは「90年代のチープトリックをやりたかった」と語っています。これ、ポップロック路線のチープトリックを聞くと「?」となりますが、チープトリックの1stアルバムを聴くと納得できるものがあります。他、カートコバーンが書き残したお気に入りの50枚がこちら。こういったところから影響を受けてNirvanaのサウンドは生まれてきました。
Beat Happening – Black Candy
ビート・ハプニングは1982年に結成されたインディーポップバンドです。82年から92年まで活動し、その後休止中。原始的な録音技術、演奏技術の度外視など、USのインディーポップやローファイの中心的なバンドの一つでした。反共同体的なポップソングで、マイノリティ、居場所の無さを歌うのが特徴。パンクやハードコアシーンに位置づけられ、1980年代後半にフガジと一緒にツアーをしたとき、ハードコアな聴衆からは灰皿を投げつけられたりするなどさんざんでしたが、この頼りなげで攻撃性がない、安全な感じはかなり男性的であった当時のハードコアシーンの中で特異な存在でした。ロック評論家のマイケル・アゼラードは、ビート・ハプニングが「パンク・ロッカーのアイデアをオートバイのジャケットを着たモホークの男からカーディガンのオタクの女の子に広げる大きな力だった」と示唆しています。メンバーのCalvin Johnsonは、インディーロックレーベルKRecordsの創設者の1人で、 カート・コバーンは前腕にKレコーズのロゴを入れ墨しており、"try and remind me to stay a child."(子供のままでいることを忘れないように)と言っていました。純粋な初期衝動、プロフェッショナリズムや商業化への抵抗というか無頓着、かなり商業化しつつあったオルタナシーンの中で、そうしたものを象徴する存在の彼らで80年代を締めくくりましょう。
以上、80年代でした。こうしてみると1年ごとにけっこうトレンドが変わるというか、次々と新しいムーブメントが出てきます。この勢い、新陳代謝の速さや次々と新しい才能、アイデアが生まれてくる勢いがマグマのようにたまり、90年代に噴火していく。次はいよいよオルタナがメインストリームと入れ替わる、革命の90年代です。
Alternative(オルタナティブ)ロック史④:90年代前半
80年代後半から「オルタナティブ」や「インディーズ」が盛り上がりつつあったUS、UKシーン。一気に商業的にメインストリームになり、従来のメインストリームとの逆転が起きるのが90年代。ここでロックの大転換が起き、これ以降がオルタナティブ、いや、むしろモダンロックと言うべきか。少なくともUSでは60~70年代はクラシックロック、80年代はヘアメタルや80’sロック、80年代後半~90年代以降がオルタナティブロック、と分類されている気がします。今振り返ってみると、ある意味でもっとも世界でロックが盛り上がった時期だったのかもしれません。60年代のロックの熱狂がリバイバル、再生産され、それを巨大化した90年代の音楽産業がシステム化し、MTVをはじめとするメディアが拡散して社会的ムーブメントを引き起こしたのがオルタナティブブーム。そんなオルタナティブがメインストリームに躍り出た90年代前半、1990~1994年が今回の章。シーンの勢いを反映して名盤目白押しです。それでは見ていきましょう。
1990.シューゲイズかハードロックか
80年代後半に確立してきたスタイルがさらに洗練されていく。UKではシューゲイズ、マッドチェスター、ゴス、ネオアコなど。USではカントリーやロックンロールの影響を取り入れ、アメリカーナへの接近したオルタナティブカントリーやハードロック、ポストハードコア。商業的注目によってシーンが拡大している中で音楽的にも拡散していき、全体的なトレンドというのは難しいですがUKはシューゲイズ的な渦を巻くサイケデリックなサウンド、USはハードロック的なエッジが効いたギターサウンドが増えている気がします。
Ride – Nowhere
UKのシューゲイズバンド、Rideのデビューアルバム。ピッチフォークに「シューゲイズが永遠になった瞬間」と称されたアルバム。シューゲイズというジャンルの最高傑作のひとつとされています。ベーシストのアンディ・ベルはのちにOASISに加入。シューゲイズらしい渦を巻く音ながら、メロディ的にはビートルズ直系(1曲目、Seagullはベースラインや酩酊感がかなり後期ビートルズ的)のUK的な音、ブリットポップのメロディを感じます。
The Breeders – Pod
USのオルタナティブロックバンド、ブリーダーズ。彼女たちのデビューアルバムであり、スティーブアルビニがプロデュース。元ピクシーズのキム・ディールがボーカルとギターを担当。アルビニの影響でライブ感のあるかなり生々しい音作りになっています。歌詞の内容もかなりきわどい内容で、叔母に襲われた少年期の思い出とか、ドラッグをキメて飛んでいるカップルとか、基本的に倒錯した性的なモチーフが多い。ガールズバンドによるプリミティブでオルタナティブなガレージロック。このアルバムではアルビニの方針が「2回目は録らない(ファーストテイクを使う)」だったそうで、録音現場ではそのことでメンバーと衝突もしたようですが結果としてかなり生々しい、これぞ90年代グランジオルタナ的な音になっています。NIRVANAのカートコバーンもお気に入りのアルバムとして挙げており、スティーブアルビニも「自分の最高の仕事の一つだった」と振り返るアルバム。Beatlesのカバー"Happiness Is a Warm Gun"を収録。ジャケット写真はウナギ(?)の皮を着て出産の踊りを踊る男性、だそう。どこの風習なんでしょうね。
Carter the Unstoppable Sex Machine - 101 Damnations
UKのパンクバンド、Carter the Unstoppable Sex Machine(カーター USM)のデビューアルバム。タイトルは101匹わんちゃん(101ダルメシアン)のパロディで「101の天罰」という意味。確かにジャケットがダルメシアン(黒ぶちの白犬)っぽい。基本的に二人組で、リズム隊(ドラムマシンとベース)が打ち込み。こういうジャンルなのにドラムマシンの使用が特徴的。「パンクなペットショップボーイズ」と称されたことも。歌詞も音楽的にもどこかユーモラスでジョークセンスがありますが、テーマは貧困や不公平などパンクの精神に則っています。代表曲「Sheriff Fatman」はスラムの家主の居住人に対する威圧的な態度を皮肉り、おちょくる歌。
The Charlatans – Some Friendly
1988年、UKで結成されたシャーラタンズ。マッドチェスタームーブメントにも数えられる彼らのデビューアルバム。「デビューまで時間がなかったので曲が足りず、適当な曲を入れた」とか「ミックスがいまいちだった」など、メンバーがそれほど評価していないアルバムですが全英1位を獲得。過去の自分の作品をこき下ろすのはビートルズからのUKの伝統なんでしょうか。リップサービスもあるのでしょうけど。自分の過去の自慢よりは、ちょっとこき下ろす方が盛り上がる伝統があるのでしょう。ローリングストーンズ的なちょっとルーズなロックンロールに、サイケデリックな雰囲気が魅力。
Fugazi – Repeater
USポストハードコアシーンを代表するバンド、Fugazi(フガジ)のデビューアルバム。ポストハードコア、ひいてはロック史に残るマイルストーンとされています。アルバムの主題は、貪欲、暴力、セクシュアリティ、プライバシー、薬物乱用、死など、さまざまなテーマに対応しています。多くのハードコア、グランジ、オルタナティブバンドに影響を与え、パールジャムのエディヴェイダーはフガジのライブを観たことが人生を変えたそう。本作のヒットによってメジャーレーベルからの契約の話も来ましたがインディーズにとどまることを選び、チケット代も非常に安くする(長い間5ドル)、物販は(人を雇わなければならないので)行わない、など、商業化していったオルタナティブ、インディーズシーンの中で徹底したDIY精神を貫いた姿勢も影響を与えています。
Happy Mondays – Pills 'n' Thrills and Bellyaches
1980年に結成されたUKのロックバンド、ハッピーマンデーズ。マッドチェスタームーブメントの先駆者とも言われ、本作は3作目にしてUKで商業的成功を収めたアルバム。ストーンローゼスのデビューアルバムと並び、マッドチェスタームーブメントの最高の瞬間をとらえたアルバムと言われます。どこかドリーミーでサイケデリック、レイヴ文化とロック文化を混交する、ルーズでラフな態度を持ったダンスミュージック。
The La's – The La's
The La's(ザ・ラーズ)はリヴァプールで1982年に結成されたUKのバンド。ジャングルポップとサイケな雰囲気、ネオアコなどの流れを汲み、本作がデビューアルバムにして唯一のアルバム。アルバム1枚だけで伝説となったバンド。クラシックロックの影響を感じさせつつリズムはダンサブルなところもありマッドチェスターの時代を感じさせます。オアシスのノエルギャラガーが選んだ「気に入っている13枚」の1枚に選ばれました。確かにオアシスにつながるところがあります。
Mother Love Bone – Apple
マザーラブボーンは1988年結成のUSのハードロックバンドで、本作がデビューアルバム。それなりのキャリアを持ったメンバーが集まったグランジ・オルタナティブメタルの初期のスターバンドとも言えるバンドで、デビューEPがヒットするなど注目株でしたがデビューアルバム発売数日前にフロントマンがヘロインの過剰摂取で急死。バンドも活動停止します。本作が唯一のアルバム。シアトルのバンドであり、活動を続けていればシアトルシーンの大物として活躍したかもしれません。死後、残されたメンバーに同じシアトルシーンで活躍し、友人だったサウンドガーデンのクリスコーネルが声をかけ、実現したスーパーバンドプロジェクトがTemple Of The Dogです。また、ギタリストのストーン・ゴッサードとベーシストのジェフ・アメンが解散後に結成したバンドがPearl Jam。
Pale Saints – The Comforts of Madness
UKのオルタナティブロックバンド、Pale Saints(ペイルセインツ)のデビューアルバム。タイトルは訳すと「狂気の慰め」。初期プライマルスクリームに影響を受けたぎくしゃくしたインディーポップバンドとしてスタートした彼らは、デビューアルバムまでにシューゲイズな音像を作り上げており、本作はシューゲイザーの名盤とされています。Rideと比べると、ややダークでゴスな雰囲気が強いのが特徴。
The House of Love – The House of Love(Butterfly)
UKのオルタナバンド、ハウスオブラブ。同名のアルバム(セルフタイトル)を2枚出しており、こちらはセカンドアルバム、通称「バタフライアルバム」。ややゴシックで優美な印象があるギターロックです。揺らぐようなメロディが魅力的。時を経るにつれてボーカルのガイ・チャドウィックのソロバンドの側面が強くなったバンド。1stアルバムは1週間でレコーディングしたそうですが本作はセールスへのプレッシャーもあり2年間の期間をかけて制作されたアルバム。1stリリース後に新しいレーベル契約を結んだため、売り上げへのプレッシャーが強かった様子。二枚続けてセルフタイトルにしたのも「これが改めてのデビュー盤だ」との思いが強かったのでしょう。象徴するようにデビューシングル「Shine On」の再録音を収録。これが最大のヒット曲となります。
Uncle Tupelo – No Depression
USのオルタナティブカントリーバンド、アンクル・チューペロのデビューアルバム。解散後にWilcoとSon Voltの母体となります。カントリーミュージックとオルタナティブロックを組み合わせたオルタナティブカントリーの初期のバンドとされ、本作はオルタナティブカントリーの初期の代名詞であり、このシーンの重要作とされています。大陸的な大味ハードロックに、適度に能天気な感じが魅力的です。グッドアメリカンミュージック。カントリーというよりブルーグラス的な技巧的な演奏も見られます。ちなみにカントリーとブルーグラスの違いは、ブルーグラスは基本的にライブショー向け、エンタメ性が強く、各プレイヤーの早弾きなど技巧面を魅せる箇所があります。カントリーは素朴な歌もの、歌そのものの力が強い。
Social Distortion – Social Distortion
1970年代から活動するUSのパンクバンド、ソーシャルディストーションの3作目にしてセルフタイトルアルバム。初期はハードコアパンクでしたがだんだんオルタナティブロックの影響を受け、本作はオルタナティブロック風のポップパンク、という趣。バッドレリジョンあたりにも近いものを感じます、ちょっと湿り気のあるメロコアというか。そこまで性急な感じはなく、ややオールドタイムなロックンロールのノリも感じます。
1991.商業的爆発、名盤目白押し
NirvanaのNevermindがリリースされ、一気にグランジ、オルタナがメインストリームに飛び出した年。Pearl JamのTenもこの年であり、オルタナティブ最大の売り上げを誇る2作がそろってリリースされています。また、そうした勢いを駆ってか、UKからはプライマルスクリームやマイブラが独自性の高い音像を発表。創作のマグマが噴火した一年。
Pearl Jam – Ten
デビュー寸前にボーカルを失い解散してしまったMother Love Boneのメンバーが母体となって結成されたPearl Jam。ボーカルのエディヴェイダーを見つけ出し、体制を整えてリリースされたデビュー作。リリース当初はすぐに成功をおさめませんでしたがロングセラーとなり、現在では1300万枚以上の売り上げを持ち、同年に発表されたNirvanaのNevermindなどと並んでグランジ・オルタナティブムーブメントを代表する1枚に。史上最高のロックアルバムの1つにも数えられます。グランジ、オルタナティブと言われながら音像的にはクラシックロックやそれまでのアメリカンハードロックの音像に近く、ガンズなどにも近い。静かー静かー絶叫ー静か、といったピクシーズ由来の極端な感情爆発は起こしていませんし、音作りは90年代的(カラッと乾いて生々しい音)ながら、80年代のアメリカンハードロックやアリーナロックからの連続性も感じるおおらかなロック。
Primal Scream – Screamadelica
音楽性をアルバムごとに変えていた、模索していたUKのロックバンド、プライマルスクリームの3作目。UKで活躍していたハウスミュージックのDJ、アンドリューウェザーオールとタッグを組み、当時セカンドサマーオブラブと呼ばれたレイブカルチャーやアシッドハウスなどのクラブ、ダンスミュージック文化とロックを融合させ、マッドチェスターサウンドをさらに進めたダンスとロックの融合を提示、92年に創立されたマーキュリープライズ(UKのインディーズ/オルタナティブな音楽シーンで活躍するアーティストを中心に与えられる音楽賞で、UK音楽シーンで最も影響力のある賞の一つ)の初回のベストアルバムも受賞しています。
Red Hot Chili Peppers – Blood Sugar Sex Magik
ファンクとメタル、ファンクとハードコアを融合させたレッドホットチリペッパーズ(レッチリ)の5作目のアルバム。前作からギターがジョンフルシアンテに、ドラムがチャドスミスに代わり2作目。名プロデューサーのリックルービンがプロデュースし、前作まで見られたハードロック、メタル的なリフやギターサウンドが後退し、抒情的でメロディアスなギターメロディがファンキーなグルーブの上に浮遊する音像に。NirvanaのNevermindと同日(1991年9月24日)にリリースされた本作は商業的な成功をおさめ、レッチリもスターダムを登っていきますが、そうした商業的な成功とそれに伴うスターとしての立ち居振る舞いや制約にジョンフルシアンテは嫌気がさし、このアルバムを最後に脱退してしまいます。やがてバンドに戻ってきます(1998)が、戻ってきたとき、この時の幻滅感とともにオルタナティブの理想、非商業やDIYという80年代、90年代初頭までの夢が破れたことを歌ったアルバム、Californicationへとつながっていきます。
Slint – Spiderland
USのポストハードコア、ポストロックバンド、スリントの2作目にしてラストアルバム。暗黒の海を揺蕩うような不思議で酩酊的な音像。リリース時にはすでにバンドメンバーは別のプロジェクトをそれぞれ開始しており実質解散状態でなんらプロモーションもなくほぼ黙殺された状態でしたが、じわじわと特異性が浸透し、現代では90年代の最も特異で重要なアルバムの1つとまで評されることに。 初期Sonic YouthのNo Wave感にも通じるところがありますが、もっと統制された混沌を感じます。Mogwai、Godspeed You! Black Emperor、ISISなどのポストロック勢に影響を与えました。
Temple Of the Dog - Temple Of The Dog
テンプル・オブ・ザ・ドッグはサウンドガーデンとパールジャムのメンバーによって結成されたスーパーバンドです。オーバードーズによって急逝したマザーラブボーンのアンドリュー・ウッドのトリビュートバンドとして結成されました。もともとサウンドガーデンのクリスコーネルはウッドとルームメイトであり親しかった。パールジャムもマザーラブボーンのメンバーがウッドを失った後に結成したバンドですから、関係の深いメンバーによる追悼アルバムです。リリース時期的にはパールジャムがブレイクするより前で、リリース時には「スーパースターたちの夢の競演」というよりは、バンド仲間による真摯な追悼アルバムという意味合いで、評論家からは好評だったものの商業的成功は得られませんでした(パールジャムとサウンドガーデンのブレイク後に再評価され、現在はUSでプラチナム獲得)。音楽的には中心となったのはクリスコーネルながらサウンドガーデンよりはブルースやサザンロックの影響を感じる王道のUSハードロック。ややパールジャム寄りといえるかもしれません。クリスコーネルのボーカルは深い憂いを湛えており、亡き友に捧げる気持ちが伝わってきます。また、パールジャムのボーカルであるエディ・ヴェイダーもゲスト参加しており、パールジャムのデビューアルバムリリース前に本作がリリースされたため、ヴェイダーのデビュー作ということになります。
Primus – Sailing the Seas of Cheese
ファンキーでプログレッシブなUSのロックバンド、プライマス。本作が2作目でメジャーデビューアルバム。タイトルは「チーズの海を航海する」。オルタナティブメタルやファンクメタルに分類されるバンドですが、Frank ZappaやカナダのRushといったどこかユーモラスなプログレッシブロック的な変態技術、技巧派集団。ニューメタル勢への影響力は強く、 Deftones、Korn、Limp Bizkit、Incubusらが影響を公言しています。
Superchunk – No Pocky for Kitty
US、ノースカロライナ州のインディーロックバンド、スーパーチャンク。本作が2作目でプロデューサーがスティーブアルビニ。タイトルは「キティのためのポッキーはありません」。ポッキーは日本のお菓子、ポッキーですね。DIY的な精神が強く、ハードコア、パンクシーンの影響が強いバンド。本作もライブ感が強いガレージロック、パンク的な音像。デビューアルバムリリース後、メジャーレーベルから契約の話が舞い込みますがそれを断ってインディーズでの活動に固執。ずっとインディーズで現在も活動中の息が長い、信念が強いバンドです。アルバムもコンスタントにリリースしており2021年現在で11枚リリース。
The Jesus Lizard – Goat
1987年、テキサスで結成されたジーザスリザード。ポストハードコア、ノイズロック、オルタナティブロックに分類されるバンドで、アンダーグラウンドシーンの中では高い知名度を誇ります。Nirvanaとスプリットシングルを出し、メジャーレーベルとも契約したものの精神性がアングラすぎたのか今一つメジャーにはなれず。本作は2作目でスティーブアルビニのプロデュース。アルビニらしい、棘のある生々しい音作り。刺すようなギターサウンド、重厚なドラム、うねるベース、時々ヒステリックなボーカルがそろい、アングラな薫りを漂わています。
My Bloody Valentine – Loveless
UKのロックバンド、マイブラッディバレンタイン(マイブラ)。シューゲイザーというジャンルの到達点であり、最高傑作ともされる作品。「UK版ペットサウンズ(ビーチボーイズの名盤)」とも。ドリーミーでつかみどころのない音像ながらひたすら心地よさが流れていく。曖昧な轟音ながら包み込まれるようなやさしさ、まどろみを感じる不思議な音像で、アイスランドのシガーロスや、日本のコールターズオブザディーパーズなどは直接的な影響を感じます。1989年にスタジオ入りし、数週間の制作の予定が2年間にわたって録音を繰り返し、音を練りに練った作品。実のところ曲構成はけっこうシンプルで、リーダーでギタリストのケヴィン・シールズは「曲は本当にシンプルな構成になっている。意図的にそういう曲が多い。そうすれば、中身をいじくり回すと、もっとたくさんのことができるようになる」と述べています。
Mercury Rev – Yerself Is Steam
NYで結成されたUSのサイケデリック、シューゲイズバンド、マーキュリーレヴ。本作がデビューアルバムで、シューゲイズとサイケデリックな音像。タイトルは"Your self-esteem(あなたの尊厳)"のマロプロピズム(意図的な誤用、言葉遊び)。USのバンドながらのちにUKのほうで商業的には評価されます。確かに、あまりUS感はなくUK的な音。フレーミングリップスとも時々比較されるバンドです。本作もシューゲイズの名盤。
The Wedding Present – Seamonsters
UKのロックバンド、ウェディングプレゼントの2作目。スティーブアルビニによってプロデュースされた本作はややサイケな手触り(同時代のUK的な音作り)もありつつ、ポストパンク的な荒々しさも感じさせる音像。まだ無名だったころのPavementの「BoxElder」をカバーし、Pavementが注目されるきっかけを作ったバンドでもあります。UKのバンドながらUSのカレッジラジオで人気となりUSに進出、それでスティーブアルビニと組んで本作を制作。UK的な抒情的なインディーズロックのメロディながら、荒々しいUS的なグランジな音作りという面白いアルバム。NME誌が1986年に出したカセットコンピレーション、C86にも参加したバンドで、参加したバンドたちはC86シーンと呼ばれました。
Sebadoh - Ⅲ
元ダイナソーJrのベーシストだったルー・バーロウによって結成されたセバドー。USで1986年に結成され本作は3作目。ややカントリー的な要素も感じるインディーロックで、ローファイ気味な音作り。オルタナティブカントリーやオルタナティブフォークの色を感じます。いかにもUS的な音。
1992.カントリーメタル、ファンクメタル
オルタナティブメタルの隆興。オルタナティブロックの中でもハードロック的な音像を持ったバンドが多くデビューし、成功を収めていきます。USのオルタナティブメタルバンドはカントリーかファンクか、どちらかに影響を受けている印象。UKはアシッドハウスやシューゲイズ、マッドチェスター的なサウンドが持続しており、UKとUSで出てくるバンドの音像が全く違うのも面白いポイントです。
Alice in Chains - Dirt
アリスインチェインズの2ndにしてオルタナティブメタルの名盤。前年(1991年)、Metallicaのブラックアルバム(Metallica)の大ヒットにより、メタルシーンにもミドルテンポでストーナーなサウンドが入ってきます。ただ、改めて聞いていくと「オルタナティブロック」の影響だとかニルヴァーナの影響というより、むしろ欧州的なHMの80年代の洗練を受けて、USのハードロック、メタルバンドたちがUSならではの音を模索してたどり着いた音像という印象が強い。カウパンクやオルタナティブカントリーをヘヴィネスに振った音像が一定のバンドの中でムーブメントとして出てきて、それがアリスインチェインズだったり、パールジャムだったり、サウンドガーデンだったりしたのかなと思います。突然変異的なものではなく、地続きで、USらしいメタルの発明だったのではないかと改めて聞いてきて思います。当時、日本のHM/HRシーンはBurrn!誌の影響力が大きく、グランジオルタナに対して否定的だったんですよね。あと、日本でもあまり受けるような音像でもなかった。そもそもカントリーってアメリカ国外ではあまり人気がない。グランジ/オルタナに分類されるバンドはオルタナティブカントリーの影響が強いメロディだったから聞きなれなかったのでしょう。80年代HR/HMは欧州ポップスとかクラシックロックの影響が強く、メロディアスでしたからね。だから90年代はHR/HM冬の時代なんて言われる。ただ、こうして改めて今の耳で聞くとアメリカーナへの接近が見て取れるし、USメタルのオリジナリティが開花した年代な気もします。また、商業的にはグランジ/オルタナティブムーブメントは80年代と同じくらい、いや、下手するとそれ以上のヒット作が出ていた。商業的にもロック、そしてハードロック(からメタル)は90年代も商業的にはUSで黄金期。
Stone Temple Pilots – Core
ストーンテンプルパイロットはカリフォルニア州サンディエゴ出身のUSのロックバンドで1989年結成。元々はスコット・ウェイランド(リードボーカル)、ディーン・デレオ(ギター)、ロバート・デレオ(ベース、バッキングボーカル)のデレオ兄弟、エリック・クレッツ(ドラム)の4名で構成。デビュー以来不動のラインナップで活動を続けますが、ウェイランドのドラッグ依存がひどくなり2013年に解雇。ウェイランドは2015年にオーバードーズで夭逝してしまいますが、バンドは新ボーカリストを迎えて現在も活動中です。いわゆるグランジムーブメントに数えられるバンドで、90年代に最も成功したロックバンドの一つ。ただ、シアトル出身ではないので、パールジャムやニルヴァーナに影響を受けたというより音楽的影響が同じだったから似たような音像になった、と本人たちは主張しています。実際、グランジブーム前から活動していますし、曲構造も王道のUSハードロックで歯切れが良い。パールジャムにも近いといえば近いですが、エアロスミスなどにも近い王道感があります。サウンド的にはこの当時の流行に寄せたところはあるでしょうが、そもそも似たようなルーツを持っていて、(シアトルを中心とする)グランジシーンとは別のところから出てきたバンドなのでしょう。本作はデビューアルバムにしてUSだけで800万枚を売り上げ、バンド史上もっとも成功したアルバム。今でもUSのロックラジオ局で定番となっている曲が多く含まれています。
Tori Amos – Little Earthquakes
USの女性SSW、トーリエイモスのデビュー作。自分が率いていたシンセポップバンドY Kant Tori Readを解散させ、ソロとして再デビュー。クラシックピアノを音楽院で学び、5歳で(史上最年少)奨学金を得たなど、神童的なピアノの才能があったようです。ただ、本人の興味がクラシックよりポップやロックに移り、11歳で奨学金を打ち切られSSWの道へ。13歳の時には父親(牧師)に連れられてバーやパブで演奏をしていたというから早熟ですね。本作では自身の成長(宗教観や性的目覚めなど)をテーマにした歌詞が深淵。もともとクラシックの教育を受けているだけあり、美しい曲が多い。90年代の女性SSWの先駆け。2002年、Q誌が選ぶ「史上最高の女性アーティストのアルバム」で4位。
Rage Against the Machine – Rage Against the Machine
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(RATM)はニューメタルの前身ともいえる音像を作ったバンド。ファンクメタル、ラップメタル的な、レッチリにも近い音像ながらよりボーカルはストロングで、ギターはエッジが効いています。ジョンフルシアンテにギターが変わらなかったらレッチリもこうなっていたのかも。主義主張が明確なバンドで「アメリカ企業、文化帝国主義、政府の弾圧に対する左翼の怒り的なスローガンを、パンクロック、ヒップホップ、スラッシュをカクテルして作り上げた激烈な音楽」と評されることも。南ベトナムでカソリック系の大統領による仏教迫害に抗議して焼身自殺したティック・クアン・ドックの写真をジャケットに用いており、反権力、反抑圧の姿勢を明確に打ち出しています。
Helmet - Meantime
USのオルタナティブメタルバンド、Helmetの2作目にしてメジャーデビューアルバム。こうしたバンドがメジャーデビューして商業ベースに乗っていくということ自体、潮目が変わっていますね。80年代のメタルからの脱却、激烈な音像でハードコア的な色合いも強く、デビュー時はポストニルヴァーナとして期待もされたバンド。ページハミルトンのスタッカートリフ、ジャズの影響を受けたコードとソロ、デュアルボイスの歌唱スタイルを備えた本作のサウンドは、ニューメタルやオルタナティヴメタルバンドに影響を与え、ポストメタルの成立に大きな影響を与えた作品とみなされています。
Ween – Pure Guava
USのロックバンド、Weenの3作目にしてメジャーデビューアルバム。メジャーレーベルのエレクトラからのリリースですが、インディーズ時代に録音しておいた曲の未発表曲集という性質をもったアルバムで、そのため完全に音響、音質がインディーズでローファイ。こういう「インディーズまま」の音がメジャーでリリースされるのはかなり珍しい。エクスペリメンタル(前衛、即興)ロックやアウトサイダーミュージックにも分類され、かなり実験的で即興的な要素も持ったバンドです。音像もどこかつかみどころがないというか、奇妙。本人たち曰く一番影響を受けたのはPrinceだそう。確かに、Princeの実験的な曲だけを抜き出すとこんな感じになる(?)かも。異質感が強いアルバム。
Blind Melon – Blind Melon
USのロックバンドブラインドメロンのデビューアルバム。音楽性はレトロなサザンロックを思わせるもので、同時期に活動していたブラッククロウズやブルーストラヴェラーといったルーツロックへの回帰するバンド群との連動を思わせますが、そこにサイケデリックでけだるい雰囲気とちょっとした洗練(ポップさ)を加えてオルタナティブロック感を加えたのがこのバンドの持ち味。ジャケットはメンバーの妹の小さい頃の写真。学校の演劇で蜂の仮装をした時の記録だそう。USならではの音像。
Curve - Doppelgänger
UKのデュオ、カーヴのデビューアルバム。UKとUSではっきり音の傾向が分かれるのは面白いですね。マッドチェスターやアシッドハウス、Primal Screamにも近い音像ながら女性ボーカルが耳に残ります。饗宴的な響き。Allmusicでは「ギターのノイズ、ダンストラック、ダークゴス、風通しの良いメロディーのそびえ立つモノリス」と評されています。フックがあるメロディとノイズをかき分けて響いてくる通りの良い声がいいアルバム。
L7 - Bricks Are Heavy
USの女性ロックバンド、L7による3枚目のスタジオアルバム。直情的なポップパンク、メロディックハードコア的な音像に、オルタナティブメタル的なダウナーなギターリフが絡み合います。女性バンドですがジェンダーニュートラルというか、少なくともあまり女性らしさは感じない。歌詞はけっこうユーモラスで、音にもユーモアが入っています。攻撃的ながらどこか笑える、キャラクターが立っているのもこのバンドの魅力。ボーカルのトニースパークはけっこう破天荒な人で、92年のレディングフェスティバル中に機材トラブルでライブが中断したとき、騒いで泥をステージに投げ入れる観客に対して自分の使用済みタンポンを投げつけたとか、TVの生放送出演中にズボンをずり下げて下半身裸で出てみたりだとか、ドラマーとともに「抽選でツアーバスで共に一夜を過ごす権利」を出してみたり(曰く「ロックンロールは売春だ」とのこと)。男性のパンクスがやることを女性がそのままやってやるというか、それ以上に過激というか。かなりパンクな人。色モノと違うのがしっかりといい曲を書く能力があるからですね。名盤。
The Lemonheads – It's a Shame About Ray
USのオルタナティブバンド、レモンヘッズ。USではメタル、ハードロック色が強いオルタナティブメタルにシーンが染まっていく中、どちらかといえばジャングルポップやクラシックロック色の強いオルタナティブロックバンドも活動を続けています。本作がこのバンドの5枚目。新しいバンドがほとんど激しい音像になった中、80年代的なオルタナティブロック感。アルバムのタイトルトラックは、オーストラリアの著名なTVスター、レイマーティンが自分のTV番組が打ち切りになったという新聞を見て「それはレイにとっての屈辱だ」というフレーズから作った曲。大学ラジオから火がついてスマッシュヒットしました。サイモン&ガーファンクルのミセスロビンソンをややパンキッシュにカバーしたカバーバージョンもヒット。
1993.女性たちのロックシーン
女性アーティストが次々とデビュー、あるいは高品質のアルバムを出し、女性のパワーが炸裂した年。スタイルはさまざまですが、やはり男性だけのアーティストに比べると視点に多様性があり、しなやかさを持った音像が多い印象です。
Björk – Debut
Sugercubesでデビューしたアイスランドの歌姫ビョークのソロデビュー作。ロックスタイルから逸脱し、エレクトロニックポップ、ハウスミュージック、ジャズ、トリップホップなどのさまざまなスタイルを融合。今考えてみると、彼女の独特の歌い方は静ー静ー動(叫び)ー静のPixiesやNirvana的な、グランジオルタナの歌唱法を彼女なりに解釈し、編み出したものとも言えますね。ささやくような声から感情の昂ぶりをシャウトするところまでのダイナミクスの大きさはその流れから出てきたのかも。「ロック史」という文脈で見るとロックの範疇に収まらないのでなかなか見えづらいですが、今聞いても新規性に富んだ強烈なアルバム。彼女の存在がその後のオルタナティブな音楽シーンに与えた影響は多大です。
Liz Phair – Exile in Guyville
USの女性SSW、リズフェアのデビューアルバム。インディーロック、ローファイでガレージっぽい音作り。曲によってはプロトパンクのようなぶっきらぼうな歌い方も特徴的。インディーズ時代はガーリーサウンドという名前でも活動しており、宅録系女性SSWとも言える。今のインディーポップやインディーロックにも通じる音作り。証明写真のセルフポートレイトでトップレスで撮ったジャケット写真もインパクト大。タイトル「ガイビルのならず者」のガイビルとはUSのオルタナバンドアージ・オーバーキルの曲名「Guyville」に由来しており「小さな町の精神とシカゴのウィッカーパークのインディーズミュージックシーンを組み合わせたコンセプト」とのこと。実際にフェアはそのシーンに所属して活動していたわけではないもののそのシーンへの憧憬があり、それと自分自身の過去に住んできた町を踏まえた(実体験ではない)ファンタジーとして作詞していったそう。また、ローリングストーンズの「メインストリートのならず者(Exile on Main St)」へのオマージュでもあり、本人は1曲1曲対応させて曲作りをしたとのこと。インディーロックの名盤。
PJ Harvey – Rid of Me
UKの女性SSW、PJハーヴェイのセカンドアルバム。プロデュースはスティーブアルビニで、UKのアーティストながらUSのグランジ直系の生々しい音作りと静ー静ー動ー静のダイナミクスが極端なロックサウンド。ちなみにこのジャケットもトップレスで、暗い暗室で一瞬のライトで瞬間を切り取って撮影したそうで、のちに同系のイメージでのトップレスのバージョンも公開。この当時ブームだったのだろうか。ジェンダーニュートラルな流れの一環だったのかもしれません。男性のジャケットはトップレスのものは普通ですからね。ステージでもよく脱ぎますし。なぜ男性がOKで女性がダメなのか。そうした問いかけが根底にあったのかもしれません。ブリットアワードやUKグラミー賞と並びUK最高の音楽賞の一つであるマーキュリープライズの最優秀賞を2回受賞したことがある唯一のアーティストであり、現代UKシーンを代表するアーティストとして現在も活動中。アルバムごとに音像やイメージを変えるアーティストでもあり、そこはデヴィッドボウイにも近い変幻自在な、つかみどころのない感じもあります。本作は90年代という時代性を反映した作品。
Suede – Suede
UKのオルタナティブロックバンド、スウェードのデビュー作。ブリットポップの先駆け的作品としても語られます。ゴージャスなグラムロック的な雰囲気もあり、70年代ハードロック的なスケール感があります。デビューアルバム前に出したシングルから期待値が高まり、期待の大型新人としてデビュー。スミスやセックスピストルズが引き合いに出されるように「デビュー前から大物」であったアーティストでした。音楽静的にはグラムロック期のボウイやスミスと比較されることも多く、マッドチェスター、アシッドハウス、シューゲイザー、グランジが席巻していたロックシーンの中でよりクラシックでメロディアスなロックを提示し、ブラー、オアシス、パルプなどのブリットポップにつなぐ道を開きました。
The Smashing Pumpkins – Siamese Dream
オルタナシーンを代表するバンドの一つ、USのスマッシングパンプキンズ(スマパン)のセカンドアルバム。デビューアルバムGishが予想外のスマッシュヒットとなり、そのあとNirvanaのNevermindが天文学的な成功を収めたため、スマパンも第二のNirvanaのような商業的成功を収めることを期待されます。レーベルからのプレッシャーが強まる中、バンド内ではボーカルが神経衰弱に、ドラマーは薬物依存、ベース(女性)とギターは恋人だったけれど別れるというトラブル続き。録音も大変に難航します。メインソングライターでボーカルのビリーコーガンはセラピストに通いながら本作を制作していきますが、その結果、彼の歌詞は彼の問題を抱えた過去と彼の不安についてより明確に描いています。粘着性のあるメロディーと美しいサウンドが特徴で、洗練された音像を持った本作は結果として大ヒット、オルタナティブロックを代表する名盤の一つとしてNirvanaのNevermind、SoundgardenのSuperunknownなどと並んで評価されています。
Melvins – Houdini
メルヴィンスは1983年にワシントンで結成されたUSのバンドです。グランジとスラッジメタル(ドゥームメタルとハードコアパンクを組み合わせたもの)の融合を果たしたバンドと称され、基本的にトリオ編成。ストーナーとも通じるところがあります。メルヴィンズのずんぐりした音は、ニルヴァーナ、サウンドガーデン、グリーンリバーなどのバンドや、シアトルの他の多くのバンドを含むグランジ音楽に影響を与えました。AllMusicでは「パンクとブラック・サバスを組み合わせる能力は、グランジからオルタナティヴ・メタル、ドゥーム・メタル、ストーナーロックまで、あらゆるものに大きな影響を与えた」と書かれています。本作は5作目にして、ニルヴァーナのカートコバーンがバンドと共同プロデュースとしてクレジットされていますが、実際にはスタジオに来て寝ているだけだった(ドラッグの影響)そう。もともとはやる気があった(コバーンはメルヴィンスのファン)ようですが、コバーンの当時の状況ではプロデューサーとして機能できなかったのでしょう。そんなゴタゴタもありつつ本作は彼らの代表作として名高い1作になっています。重く、激しい、まさにブラックサバスとパンクが出会ったような独特な音像。
Slowdive – Souvlaki
UKのロックバンド、スロウダイブのセカンドアルバム。シューゲイザーの名盤に数えられます。シューゲイズはマイブラのLovelessでピークを迎えたとされていますが、シューゲイザーの余韻というかこういう音像のバンドはしばらく続いて出てきます。よりメロディアスな方向に行くというか、ルーツロックに回帰していく。やはり普遍的に心地よい音というのは一定期間残るのでしょう。リリース当初は(当時としては目新しさが少ないことも影響した?)あまりメディアのレビューは良くありませんでしたが、楽曲の質の高さから時代とともに評価を上げ、現在のAllmusicでのレビューでは「静かで、感動的で、同時に攻撃的であり、トランスのような美しさと、周りの最も深い遅延ギターの音、同時にリラックスし、落ち着き、刺激的な音を混ぜ合わせ、何よりも厳しく美しい」と評されています。なお、ボーカルでメインソングライターとニール・ハルステッドとギターのレイチェル・ゴスウェルは恋人関係にありましたがレコーディング前に破局。バンド内でくっついたり破局したりする関係は多いですね。ツアーでずっと一緒に生活する、いわば家族的な関係になるわけですから関係も深くなるのでしょう。そうした個人的な感情も込められたアルバムと言われています。ただ、この二人はこの後もバンドを継続し、幾度かのメンバーチェンジを経ながらもこの二人は変わらず現在も音楽パートナーとして活動中。こういう例は珍しいですね。
The Boo Radleys - Giant Steps
UKのロックバンド、ブーラドリーズの3作目。1993年のNME誌のベストアルバム読者投票で1位(ライター陣によるベストアルバムではビョークのDebutに次いで2位)を獲得。シューゲイズ、マッドチェスター、そして来るべきブリットポップをミックスしたような音で、かなり当時としては先進的な音。タイトルはジョンコルトレーンの同名のアルバムから。ジャズ史に偉大な足跡を残す「Giant Steps」ほどには本作はロック史に大きな足跡は残せませんでしたが、そのタイトルに恥じない意欲的で実験的な作品。当時のUKロックシーンを総括して進化させようというとした名盤。
The Cranberries – Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?
アイルランドのロックバンド、クランベリーズのデビューアルバム。オルタナティブムーブメントから出てきたバンドですがインディーロック、ジャングルポップ、フォークロック、ポストパンク、ポップロックなどの影響を取り入れ成功をおさめます。アイルランドフォークやヨーデルの歌唱法を取り入れた音楽性は独特で、アイルランドでもっとも有名で影響力のあるバンドの一つ。シンアードオコーナーやスージーアンドザバンシーズなどとも比較されます。ボーカルのドロレス・オリオーダンは古典的な訓練を受けたピアニストでもあり、協会のオルガンを弾き、グレゴリア聖歌を歌い、伝統的なアイルランドのバラードや、英語とゲール語の両方の歌を歌うことができました。そうしたアイルランドの伝統も感じることができる音像。
Mazzy Star – So Tonight That I Might See
USのバンド、マジースター。ギターのディヴィッド・ロバックとボーカルのホープ・サンドヴァルのカップルがグループの核でした。本作は2作目のアルバムで、ネオアコースティック、オルタナティブフォーク的な落ち着いた静謐な音像にサイケデリックな感覚が混じったもの。いわゆるサイケでフォーキーだったりガレージっぽいギターサウンド、「クラシックロックとパンクの融合」とも言われたペイズリーアンダーグラウンドムーブメントと密接な関係があるバンドです。80年代を通して活動していたオパールというバンドが前身で、ボーカルが脱退したときリーダーだったロバックが当時の恋人であったサンドヴァルをボーカルに入れ、再編成したのがマジースター。夢見るようなサイケデリックでドリーミーな音像。
Stereolab – Transient Random Noise Bursts With Announcements
UKとフランスの混合バンド、ステレオラブの2作目のアルバム。女性ボーカルをフューチャーし、クラウトロックやラウンジなどを取り入れた独自の音像を築き上げました。ほかにもファンク、ジャズ、ブラジル音楽などを取り入れ音楽性を拡張、「ポストロック」と呼ばれた最初のアーティストの一つとなります。彼らは1990年代の最も革新的で影響力のあるグループの1つと見なされています。
1994.グランジの終わり
カードコバーンの死、それによって急速にグランジは退潮していきます。同時にさまざまな新しいムーブメントも起きてくる。それはポップパンクであり、ギターポップであり、トリップホップであり、ブリットポップであり、スラッカーカルチャー的なローファイサウンド。グランジ一色に塗り替えられたロックシーンが急速に多様化していきます。
Pavement – Crooked Rain, Crooked Rain
90年代を駆け抜けたUSのインディーバンド、ペイヴメントのセカンドアルバム。本作で一定の商業的成功(UKでトップ20入り)を手にしますが、彼らは最後までインディーズにこだわりメジャーとの契約は結びませんでした。もっともインディーズらしい、オルタナティブらしさにこだわったバンドともいえます。現代の「インディーズ」サウンドのひな型ともされるバンド。けだるくてあまり頑張らない雰囲気が90年代にもっとも影響力を持ったサブカルチャーの一つ、「スラッカーカルチャー(怠け者文化)」で大きな存在感を持ち、MTVの名物番組、ビーバス&バットヘッドでは「もっと頑張れよ!」と激しく突っ込まれるという怠け者キャラクター。商業化していくオルタナ、グランジシーンの中においてさらにオルタナティブ(非主流)っぽさがあったバンドです。USよりUKでヒットしたのもわかる気がします。このころのUSはオルタナティブメタル全盛期ですからもっとマッチョ。ただ、同時代のUKバンドはシューゲイズとかアシッドハウスとかラウンジとか、もっと霞がかったサウンドなのでそれに比べるとUSらしい、ダウナーで生々しい音作りなんですけどね。高音はちょっと叫びっぽくなるし。
Oasis – Definitely Maybe
グランジブームの真っただ中、颯爽と現れたOASISのデビュー作。ブリットポップと呼ばれ、USも席巻。第三次ブリティッシュインベンション(第一次はビートルズとか、第二次はU2とか)とも呼ばれるムーブメントを代表するバンド。グランジ・オルタナのダウナーでシリアスな音像が流行していたUSシーン、ダンスミュージックやサイケデリックに傾倒していたUKシーン、そのど真ん中に「俺はロックンロールスターだ」と宣言して高らかに殴り込んだアルバム。霞がかった90年代UKサウンドの影響や、どこか脱力した歌い方はサイケやアシッドハウスなどの影響も感じますが、ロックンロールのわかりやすさ、力強さを感じる芯のあるメロディとビートが空洞化していたロックシーンを埋めた。次作モーニンググローリーも名盤ですが、デビュー作の方がリアルタイムの衝撃度は高かったでしょう。
Beck – Mellow Gold
USのベック、デビューアルバムが本作。脱力した音像で、歌詞も皮肉が効いたもの。Pavementにも通じるスラッカーカルチャーを感じます。アルバムに漂う厭世観とローファイなサウンドがカートコバーンを失ったばかりの時代の空気にあったのか、かなり非商業的な内容ながらなぜかヒット。率直な心情の吐露が意図せず時代とリンクしたのでしょう。ぱっと聞くと脱力感、厭世観が強いですがロック、ヒップホップ、フォーク、ブルース、サイケデリック、カントリーなどさまざまなジャンルをミックスした音楽性で練りこまれたポップアルバムでもある。それが長期にわたって評価されている理由です。ジャケットの彫刻は「核戦争からの生存者」と名付けられたものだそう。
Soundgarden – Superunknown
US、シアトル発のグランジ、オルタナティブメタルバンド、Soundgardenの4枚目のスタジオアルバム。初登場全米1位で大ヒットしましたが、グランジムーブメントの最後の大ヒット作ともいわれます。シアトル発のいわゆるグランジサウンドの最後の煌めき。ダウナーでシリアスなUSハードロック。ダウンチューニングによる音像の変化はありますが、基本的にはエアロスミスやチープトリックにも通じるアメリカンハードロックを根底に感じます。ドライブ感もあり、ドライビングミュージック、広大なアメリカ大陸に合いそうな音像です。ただ、ギターにザクザク感はなく、渦を巻きうねるようなサウンド。
Green Day - Dookie
USのポップパンクバンド、グリーンデイの3枚目のスタジオアルバムにしてメジャーデビューアルバム。メジャーと契約したことでセルアウト(商業化)したとみなされ、パンクシーンから追い出されたグリーンデイ。それまでライブを行っていたクラブからは出入り禁止をくらっこともあるそう。そうした中で「先に進むしかない」と制作したアルバム。グランジの終焉感が漂う中、衒いのない、セックスピストルズ直伝のシンプルなポップパンク、日本でいえばメロコアを鳴らし、暗雲を振り払うかのように大ヒット。アメリカだけで1000万枚以上を売り上げ、世界でもっとも売れたアルバムの一つとまで言われます。ジャケット左上にあるように「Bad Year(悪い年)」に投下された爆弾のようにシーンを塗り替えました。
Jeff Buckley – Grace
USのSSW、ジェフバックリーのデビューアルバムにして唯一のアルバム。同時代の流行を超越した音楽性で、クラシックロックというか、90年代的なサウンドではあるのですがグランジやサイケといった表層的なムーブメントの影響はあまり感じない。録音環境や音作りに多少時代性があるだけで、中身としては真摯にロックミュージックと向かい合った、60年代、70年代のような「ロックミュージックにまだ未開の地が多く残されていた」頃のような作品。自由に変化する有機的なリズム、直接的にソウルやゴスペル的ではないのだけれどどこか祈りを感じさせる歌声、どこか無国籍でもあり、アメリカーナ的でもあるメロディ、不思議な魅力を持った唯一無二の名盤。あえて言えばLed Zeppelinとの類似性を多少感じます。
Manic Street Preachers – The Holy Bible
UK、ウェールズのロックバンド、マニックストリートプリーチャーズの3作目。アルバムが制作されたとき、作詞家でリズムギタリストのリッチー・エドワーズは、重度のうつ病、アルコール乱用、自傷行為、神経性食欲不振症に苦しんでおり、本作の内容は彼の精神状態を反映。曲は政治と人間の苦しみに関連するテーマに焦点を当てています。エドワーズは本作リリース後の1995年2月1日に失踪。彼が在籍した最後のアルバム。エドワーズが失踪時27歳だったことから27クラブの一員にも数えられます。音楽的にはポストパンクとオルタナティブロックをミックスした、ポップパンクとはまた違うパンクな音像。同じくUKですが、ブリットポップとは違う方向性です。本作はリリース後25年以上が過ぎた今も絶賛され続けており、多くの英国の音楽雑誌がこのアルバムを史上最高のアルバムの1つとして挙げています。
blur - Parklife
UKのロックバンド、ブラーによる3枚目のアルバム。オアシスとともにブリットポップを定義したアルバムであり、ブリットポップは、より広範なクールブリタニア運動のバックボーンを形成します。したがって、パークライフは、そのかなりの売り上げと批評家の称賛を超えて文化的重要性を獲得し、ブリティッシュロック音楽のランドマークとしての地位を確固たるものにしています。個人的にはオアシスよりこちらのほうがブリット”ポップ”感を感じます。XTCにつながるひねくれたポップセンス。オアシスとはのちに対立関係になり、中流階級のシティライフを歌うブラーと、労働者階級のストリートを歌うオアシス、という構図もできました。90年代、USでの成功規模で言えばオアシスに軍配が上がりましたが、ブラーのボーカル、デーモン・アルバーンは覆面バンド、ゴリラズで00年代にUSを制覇。
Kyuss – Welcome to Sky Valley
カイアスは1987年に結成されたUSのストーナーロックバンド。もともとはKatzenjammer and Sons of Kyuss(ひどい二日酔いとカイアスの息子)というバンド名でしたが、最終的にカイアスに変更。なお、これはRPGの敵キャラの名前からとったそう。どこか人を食ったような雰囲気があります。同じくUSのSleepとともにストーナーロック、ストーナーメタルを定義したバンドともいわれ、同時代のグランジ的なうねりのあるギター音、ダウナーな感じもありますが、聞いていくともっとサイケデリックで酩酊感が強い。慟哭や暗黒感、シリアスさよりもっとカラッとした虚無感というか、延々と繰り返されるリフの反復で、ある意味で肉体性に振ったアスレチックな音楽。わかりやすい歌メロやリフは少なく、全体としてのうねりによって音楽が構成されていきます。音像は独特で極端ながら従来のアメリカンHRやパワーポップのフォーマットを踏襲していたグランジとは別の、曲構成や発想そのものが違う。ドゥーム、アシッドロック、サイケデリックムーブメントからの影響を強く感じます。
Nick Cave and the Bad Seeds – Let Love In
オーストラリアのロックバンド、ニックケイヴアンドザバッドシーズ。1983年デビューで90年代デビューのバンド群に比べると2世代ほど流行サイクルが前のバンド。ポストパンクやゴス、クラウトロック、そしてブルースのサウンドの影響を感じさせる独自の音像。本作は8作目で、後にMetallicaがカバーしたことでも話題になったLovermanを収録。オーストラリアのバンドながら結成後はロンドンで活動し、セカンドリリース時にはドイツ、ベルリンで活動、ボーカルのニックケイヴは90年代はサンパウロとロンドンを行き来しながら生活するというワールドワイドな生活環境、さまざまな音楽が混交された印象を受けるのはそのせいもあるのでしょう。80年代のポストパンク、ゴシックを90年代のグランジ、オルタナのフィルターを通して再構築したような音。
Drive Like Jehu – Yank Crime
US、サンディエゴのポストハードコアバンド、ドライブライクジェフのセカンドアルバムにしてラストアルバム。情熱的な歌、特異な曲構造、複雑なギター演奏、マスロック的な計算された緊張の使用などによって特徴づけられる独特のサウンドを生み出しました。ポストハードコアやハードコアパンクの進化を進め、エモ、スクリーモへとつなぐ存在。リリース当時はそれほど話題になりませんでしたが、後年、ギタリストのジョン・レイスが彼のバンドロケット・フロム・ザ・クリプトで国際的に認められるようになると再注目を浴び、ドライブ・ライク・ジェフの音楽を、折衷的なサンディエゴの音楽シーンと1990年代に勃興した全国的なエモコアシーンの黎明期に活動したオリジネイターであるとみなされるようになりました。デフトーンズ、アットザドライブイン、ジミーイートザワールド、モデストマウスなど、後続のバンド群も影響を公言しています。
Live - Throwing Copper
US、NYのオルタナティブロックバンド、Liveの3作目にして出世作。ビルボードホットチャートのトップに留まった「Lightning Crashes」を含む一連のヒットシングルを獲得し、本作も大ヒット。グランジのフォーマットにも近い音像ながらやはりNYのバンドらしいもっとクールで実験的な感じも受けます。このアルバムリリース後、MTVアンプラグドにも登場。音楽的にはシンプルなブルースやアメリカンハードロックに基盤を置いておりほかのグランジバンドと大きく違いませんが、ジャケットの印象も含めてどこか宗教的、ゴスペル的なスピリチュアルなスタイルをボーカルからは受けます。このあたりがグランジムーブメントが急速に退潮していく中でも「何か違った感じ」を与えたのかもしれません。印象的なジャケットカバーアートは、スコットランドの芸術家ピーター・ホーソンによる「シスターズ・オブ・マーシー」と題された絵画。絵は帆布に油彩で、243×182センチの大きさ。この絵は裏切り、復讐、恐れのテーマを探求しており、聖書を持っている男性に崖から身を投げ出すように促す売春婦のグループを示していることが示唆されています。
Failure – Magnifield
フェイリュア、”失敗”とシンプルに名付けられたUSのオルタナティブロックバンドのセカンドアルバム。スティーブアルビニのプロデュースでデビューアルバムをリリースしますが、アルビニの特徴である生々しいライブサウンドに不満を感じ、よりスタジオで精緻に組み上げられた音像を目指して制作された2作目。ボーカリストのケンアンドリュースは、のちにプロデューサー/ミキサーとして著名になり、ナイン・インチ・ネイルズ、ベック、ロストプロフェッツ、パーフェクト・サークル、キャンドルボックスなどを手掛けます。そうした後年の才能を感じさせる職人芸的な作りこまれたオルタナティブロック作品。コアなファンベースを持つカルトなバンドとして活動を続け、2010年代には複数枚のアルバムをプレッジミュージック(クラウドファンディングサイト)を通じてリリースしたことも話題に。のちにプレッジミュージックの破産に巻き込まれ、訴訟沙汰になっています。プレッジミュージックは理想を抱えた良いプラットフォームで、中堅クラスのバンドをいくつも蘇らせましたが、残念な結末を迎えました。
Lush – Split
1987年にUKで結成されたラッシュ。シューゲイザーの黎明期からシューゲイズ的なサウンドを鳴らしていたバンドで、3作目となる本作はドリームポップの名盤とされています。日本での知名度が高めで、来日ツアーも行っています。USでの成功にレーベルがこだわり、US進出を優先したためにさまざまな衝突があったとされています。UKではグラストンベリーにも出演するなど一定の知名度を持っていました。繊細で細い声の女性ボーカルを包み込むギターロックサウンドは特徴的で、確かに日本市場で受けたのもわかる音。余談ですが、カタカナ表記だとカナダのプログレッシブロックバンドRushと同じ”ラッシュ”なんですよね。間違えて買った人がいるだろうなぁ、といつも思っていました。全然音楽性違うのですけれどね。こちらのラッシュ(Lush)は比較的ブックオフでよく見た印象があるので、僕も昔カナダのラッシュと間違えて買いかけたことがあります。さすがにジャケットの雰囲気が違いすぎるので気づきましたが。当時はwikiもないし、海賊版かな?と思ったりして。あと、石鹸のLushとは同じ綴りですが無関係。
Guided by Voices – Bee Thousand
USのインディーロックバンド、ガイデッドバイヴォイスの7作目。このアルバムのリリースによって「ローファイ」と呼ばれるサウンドの代表格になったバンドです。音楽的には、このアルバムはブリティッシュインベイジョン時代のクラシックロックミュージックとパンクロックからインスピレーションを得ています。このバンドは1983年に結成されましたが、実態はバンドというより、地元のミュージシャン友達がゆるくつながるというか、メンバーは流動的でミュージシャンギルドのような存在だったようです。このアルバムリリース前にはほぼほぼ活動が終焉しており、残されたマテリアルを再構築して作り上げようとスタートしたのがこのアルバム。そんなスタートだったので本作はスタジオではなく、さまざまなバンドメンバーのガレージや地下室にある4台のトラックマシンやその他の原始的なホームレコーディングデバイスで録音されました。さらに、曲のデモテイクの多くはそのままアルバムに使用。これらの要因の両方に一部起因して、アルバムの録音とミキシングにいくつかの異常なエラーが存在します。たとえば、ギタートラックは「HardcoreUFO's」のある時点でドロップアウトします。安価な録音装置を使用するというバンドの選択は、当初は経済的な問題でしたが、最終的にはこれがDIY感を増し、本作がローファイの名盤になりえた理由です。「オルタナティブロック」の初期衝動を取り戻す音像。
The Offspring – Smash
USのパンクロックバンド、オフスプリングの3枚目のアルバム。バッドレリジョン率いるエピタフレーベルからのリリース。グリーンデイのドゥーキーと並んでポップパンクの爆発的な隆興を象徴するアルバムであり、こちらのほうがより男臭いというか直情的なパンクサウンド。おおむねメディアからもリリース時から好評で、Allmusicでは「ほとんどの10代の若者を幸せに保つのに十分な重いリフで満たされた堅実なレコード」と評されています。最初はラジオ局でほとんどオンエアされませんでしたが、ポップパンクのムーブメントともにチャート上昇、全世界で1000万枚以上を売り上げ、世界で最も売れたインディーズ(レーベルからリリースされた)アルバムとなっています。
Portishead – Dummy
UKのエレクトロニックバンド、ポーティスヘッドのデビューアルバム。トリップホップというジャンルを定着させたアルバムと評されます。神経質な電子音、浮遊するボーカル、のちにトリップホップと呼ばれることになりますが、ブリストルのバンドなので当初はブリストルサウンドと呼ばれていました。95年の英国のマーキュリー賞を受賞。「ダミーは間違いなく、この国で何年も登場した中で最も上品でクールなものだった、彼らのデビューは、完全に控えめなブルース、ファンク、ラップ/ヒップホップをミクスチャーし、これらすべてを都会的な洗練で包み込んでいる」「ヒップホップ、ブルース、ジャズ、ダブ、ジョン・バリー風のテレビのテーマ曲を、ベス・ギボンズのエッジの効いた歌詞とバリウム(精神安定剤)的なボーカルと組み合わせて、芸術的な精神異常者のためのラウンジミュージックだ」など、メディアからも絶賛されます。
Weezer – Weezer
1992年にUSで結成されたウィーザーのデビューアルバム。ウィーザーはアルバムタイトルをつけないことが多く、便宜的に本作はブルーアルバムと呼ばれています。マッチョなグランジオルタナシーンの中で、よりなよなよとしてメロディアスなインディーバンド。オタク(ナード)ロックともされ、繊細な思春期の若者たちの代弁者とされました。ポップパンクとも違うメロディアスで明快なポップロック。ブリットポップほどひねくれていないがフックの効いた歌メロ。青春系ギターポップの金字塔。ブルーアルバムは、1990年代で最も高く評価されているアルバムの1つであり、これまでになく、多くの「ベストオブ」リストに掲載されています。「バンドを(シリアスすぎず)とても楽しいものにしているのは、魅力的なオタク像です。絶望について歌う代わりに、孤独の中のさわやかな愛について歌っています。 ここにあるのは90年代のギターポップのびしょ濡れの世界。」
以上、オルタナティブシーンの90年代前半でした。グランジムーブメントの爆発的な勃興と、その始まりと同じように急速な退潮。94年には終焉を迎え、グランジに塗りつぶされていたロックシーンから多様な音楽性が一気に花開きます。あと、この年代を境に「オルタナティブロック」こそがメインストリームに変わります。冒頭に書いた通り、それ以前のロックは「クラシックロック」、90年代以降を「モダンロック」と言い換えてもいいかもしれません。次の章ではグランジ以降、90年代後半のシーンを見ていきましょう。
Alternative(オルタナティブ)ロック史⑤:90年代後半
90年代前半、オルタナティブとメインストリームの逆転させる巨大なグランジムーブメントがありました。シアトル出身のNirvanaやPearl Jam、Soundgardenらを中心としたグランジ勢によるオルタナティブメタル、ハードな音像が一世を風靡し、チャートを席捲。今振り返ると、それは80年代後半からのハードロック、ヘヴィメタルブームの延長だったとも言えるかもしれません。グランジの波が去った後、95年から99年を見ていきます。
1995.ポストグランジ、未来と過去へ
グランジブームが終焉し、シーンは未来を志向するバンド、より新しいグランジ以降の音を模索するバンドと、グランジ以前の音をリバイバルするバンドに分かれます。また、ブリットポップムーブメントは継続中。
Radiohead – The Bends
UKのロックバンド、レディオヘッドのセカンドアルバムにして転換点となったアルバム。デビュー時はグランジムーブメントの影響下にあるサウンドで、デビューシングルCreepがスマッシュヒットを飛ばしたわけですが、このセカンドアルバムではグランジ的な音像から離脱。厳密には生々しいギターなどは一部連続しているところもありますが、全体的な雰囲気はもっとUSでもUKでもない、新しいロックを感じさせるもの。フックはあるのですがどこか観念的で構築的。ポストブリットポップといえるようなメロディ、少しシューゲイズが入ったギターサウンド、グランジ経由のエッジとダイナミクスのある曲調、キーボードやアコースティック楽器の使用。それらを組み合わせた新しい音像で「グランジ以降」を明確に標榜しています。リリース当時はUSではそれほど評価されませんでしたがUKでは好評で、Creep1発屋ではなくUKを代表するバンドとしての位置づけを確立していく。USでも時間がたつにつれて評価があがり、現在では史上最高のアルバムの一つとみなされています。
Pulp – Different Class
ブリットポップシーンが生んだ名バンド、パルプの5枚目のアルバム。1996年のマーキュリー賞受賞作品で、2013年、NMEはこのアルバムを史上最高の500枚のアルバムのリストで6位にランク付けました。ブリットポップ最盛期を象徴する作品と言われています。ジャケット写真は本当の結婚式の模様で、ジャケットを制作したデザイナーの知人の結婚式の写真を加工したものだそう。リリース当時は「ディファレントクラス」というタイトルにひっかけて「オアシス対ブラーの論争とは別のクラス(無縁の場所)にパルプはいる」と評したメディアもありました。ロックンロールのスリリングさ、きらびやかさ、ひねくれたポップ感覚、それらが混然一体となった、確かにブリットポップの隆興を代表する一枚。
Garbage – Garbage
USのロックバンド、ガービッジのデビューアルバム。断続的な解散を挟みつつ現在も活動を続けるバンドですがメンバーチェンジが一度もないのが特徴。USとUKの混合バンドで、ボーカルで女性のシャーリーマンソンはスコットランド出身、ほかの3名はUS出身です。もともとプロデューサーとして一定の名をなしていたメンバーが女性ボーカルのバンドを組みたいと思って結成したバンド。さまざまな音楽的影響をごった煮にすることを目指したそうで、偶発的な音、ノイズも利用して作り上げた作品。もともとスタジオバンドになることも考えていたようですがプロモーションのためにツアーに出ることを決意、いくつかのフェス出演やスマッシングパンプキンズのサポートを経て人気を高めていきます。トリップホップ、グランジ、1980年代のロックミュージック、テクノ、パワーポップ、シューゲイザーなどを取り込み、やや近未来的な印象からSFポップと自分たちの音楽を称していましたが、その通りの音。
Foo Fighters – Foo Fighters
悲劇的なNirvanaの解散後、ドラマーだったデイブグロールが結成したバンド、フーファイターズのデビュー作。カートの死後、ほとんどうつ状態となり何もできなかったデイブが音楽を作ることでカタルシスを得ようと作成を始めたアルバム。録音も実際のところほとんどデイブ一人。すべての楽器と歌を担当し、約1週間で録音したそう。ほとんどの曲がNirvana在籍時に作られたもので、Nirvanaらしさも感じますが、同時に荒々しい初期衝動やパーソナルなDIY感があるのが魅力。
Archers of Loaf- Vee Vee
USのインディーロックバンド、アーチャーズ・オブ・ローフのセカンドアルバム。カレッジラジオで人気となり、インディーズ界隈で話題となったものの全米的な商業的成功まではおさめられなかったバンドですが、DIY感あるインディーズの音像は今聞いてもスリリング。さまざまなノイズが混じったミクスチャー的な音像で、曲によってはかなりストレンジなポップス。ただ、けっこうギターの音はハード。直情的に突進する2.Harnessed In Slumsは突進力強めです。メディアでの評価も高く、weezerのサポートなどもしていましたがいろいろなタイミングがかみ合わずバンドは活動を停止してしまいます。そのあと再結成し、現在も活動中。
Goo Goo Dolls – A Boy Named Goo
USのロックバンド、グーグードールズによる5枚目のアルバム。メロコア的なわかりやすいメロディとくっきりしたバンドサウンドを持ちつつ、メロディにはもっとひねりがあるというか、独特の哀愁味がある。疾走感の追求とりもう少しどっしりとしてテンポの曲調が多く、そこがメロコアとの違いです(1.2倍ぐらいにすればかなりメロコアっぽい)。初期、このアルバムまではメタル色が強いメタルブレイドレコードに所属していたのも特徴、もともとハードロック色が強いバンドなのでしょう。音作りは90年代的な、ちょっとカントリー調でライブ感ある音作りですが、曲構成そのものは80年代のアリーナロック的。実力はあるもののなかなかヒットしなかったことから「アメリカでもっとも有名な無名バンド」という誉め言葉だか悪口だかわからないあだ名があった彼らですが、本作で商業的成功も手にします。
Black Grape – It's Great When You're Straight... Yeah
UKのバンド、ブラックグレープのデビューアルバム。バンドは1993年に元ハッピーマンデーズのメンバーであるショーンライダーとベズによって結成されました。アシッドハウスとロックからの影響が大きいマッドチェスタームーブメントの大物であったハッピーマンデーズのサウンドをさらに進化させたような音で、のちのゴリラズにも通じるような、エレクトロニカやヒップホップも少しミックスした音。不思議な祝祭感があります。ブリットポップのエッセンスを加えたオルタナティブダンスミュージック。
Supergrass – I Should Coco
UKのスーパーグラスのデビュー作。リリース当時まだメンバーは10代。ジャムやキンクス、マッドネスといったバンドに影響を受けたと語っており、ポストパンク的な直情的な音像と、少しひねくれたブリットポップ的なメロディを初期衝動に任せた音像でたたきつけてきます。ジャケットは別々に撮影されたメンバーの顔写真をもとにイラスト化したもの。まさにこの絵のように、こちらに向かって押し寄せてくる音。タイトルは「そう思うべき」という意味の英国スラング。シンプル故に耳に残るアンセム4.Alright収録。
Elastica – Elastica
UKのエラスティカのデビューアルバム。エラスティカは、1992年にロンドンで結成されたブリティッシュロックバンドで、パンクロック、ポストパンク、ニューウェーブミュージックの影響を受けました。元スウェードのバンドメンバーであるジャスティン・フリッシュマンとジャスティン・ウェルチによって結成。16曲入り40分という、1曲1曲が短くて潔い作り。80年代的なポストパンクサウンドの薫りを色濃く残しながら90年代的な洗練されたサウンドで鳴らす、80年代リバイバルなバンドでした。リードシンガーであったジャスティン・フリッシュマンはそのあと音楽業界を引退し、画家として活躍中。
No Doubt – The Beacon Street Collection
USのノー・ダウトのセカンドアルバム。ノー・ダウトは、1986年に結成されたカリフォルニア州アナハイム出身のアメリカのロックバンドで、スカパンクがベースにあり、全世界で3000万枚以上のセールスを達成。ボーカリストのグウェン・ステファニーはソロでも大成功を収めています。とはいえ最初から順風満帆だったわけではなくデビューアルバムは商業的に惨敗。所属していたレーベルから制作予算が出ず、自分たちでスタジオを作り自主制作させたのが本作。デビューアルバムも悪い出来ではなかったのですがグランジブーム真っただ中だったので、このちょっとレトロさも感じさせるスカパンクを取り入れたストレンジなポップロックのスタイルはメインストリートとはかけ離れすぎていました。本作はその奇妙さがグランジ終焉で空白だった時代の波にうまく乗れたのかデビューアルバムに比べると3倍の成功をおさめ、次のステップにバンドの命運をつなぎます。
Red House Painters – Ocean Beach
Ocean Beachは、1995年に4ADからリリースされたRed House Paintersによる4枚目のスタジオアルバムです。以前のドローン的な音像からよりフォークな音像に変わったアルバム。このバンドはスローコア/サッドコアと呼ばれるジャンルの代表的なバンドの一つでした。暗い歌詞、控えめなメロディ、遅いテンポを特徴とするオルタナ/インディーズのサブジャンルです。グランジの支配的なエネルギーと攻撃性に対するカウンターとして1990年代初頭に始まり、伝統的なロックの聴衆に静かにゆっくりと演奏することから実験を始めたバンドLowが源流とされます。
1996.70年代80年代への回帰
新しい音像が出てくるというよりはUKはよりガレージ的なロックンロールに。USはポストパンクやカントリーに回帰。ヒップホップやレゲエなどを取り入れたミクスチャーの動きは続いており、グランジ後のオルタナティブロックの在り方を描きつつありますが、全体的には80年代、70年代のシンプルさ、エッジが効いた表現に回帰しつつ90年代のモダンな音質や洗練を取り入れているバンドが新しく表れてきている印象。逆に減っているのはハードロック、メタル的な音像ですね。
Belle & Sebastian – If You're Feeling Sinister
ベルセバの愛称で親しまれたベルアンドセバスチャンのセカンドアルバム。スコットランドのバンドです。90年代のベストアルバムに選ばれることの多い本作はデビューアルバムTigermilkから間を置かずに制作されたアルバムで録音5日、ミックス3日で仕上げられた作品。管楽器も取り入れ、チェンバーポップ感とネオアコ、フォークロックからの影響を織り交ぜた美しいメロディと端正な音像で人気となりました。バンドリーダーのスチュアートマードックは「おそらく本作が最高傑作(ベストの曲のコレクション)」と述べています。
Ash – 1977
北アイルランドのロックバンド、アッシュのデビューアルバム。リリース前に出したEPやシングルが話題となり、ケラングやNME、メロディメーカーといったUKメディアではおおむね好評で年間ベストアルバムに登場し、UK1位を獲得しました。ブリットポップのメロディの流れは汲みつつガレージロックらしい荒々しさも持ち、ダイナソージュニアやソニックユース、バズコックスらと比較されました。アルバムタイトルの1977はパンクロックの年(Sex Pistolsがアルバムリリース)であり、スターウォーズの年であり、バンドメンバーの生まれた年でもあるそう。曲によって直情的なパンクだったりブリットポップだったりするものの、ギターサウンドやリフ、コード進行がグランジムーブメントの影響も感じさせ、グランジとブリットポップをつなぐような独特な音像。
The Bluetones – Expecting to Fly
ブリットポップ全盛期を彩ったUKのブルートーンズのデビュー作。ストーンローゼスのデビューアルバム以来の最高のデビューアルバムと評され、確かにデビューアルバムにして完成度が高い。全英1位を獲得。ジャングルポップ、クラシックロックの影響も感じるややレイドバックした王道UKロック感のあるスケールの大きなサウンドで、こういう高品質でフレッシュなバンドが次々と現れてくるところはUKロックシーンの凄味を感じます。
Wilco – Being There
シカゴを拠点とするUSのロックバンド、ウィルコ。もともとオルタナティブカントリーバンドのアンクル・テューペロが解散した後、元メンバーが中心となって作ったバンドで、デビューアルバムはオルタナティブカントリーの音楽性を引き継いでいましたがセカンドアルバムとなる本作ではその要素に加えてサイケデリックな要素やガレージロック的な要素を追加。独特の都会的な寂寥感がありつつもカントリー(田舎)の風景も浮かぶ音像を作り上げています。本作リリース時に中心メンバーのジェフ・トゥイーディーは父親となり、生活を支えなければならないというプレッシャーを感じながらアルバムを制作したそう。77分の大作となり、結果として2枚組アルバムとなりましたが、2枚組にすると高価になりすぎて買ってもらえないという懸念を持ったため、2枚組ながら値段は1枚の価格に抑えるという条件をレーベルと取り付け、その代わりにバンドの取り分を減らす(2枚組アルバムを1枚の価格で売るとレーベルに損失が発生するため)取引をしたそうです。それによってバンドは60万ドルの利益を失ったが今も後悔していないとのこと。そういえば90年代って長いアルバムが多かった印象ですよね。60分越えのアルバムが多かったというか。
Ocean Colour Scene – Moseley Shoals
ブリットポップ時代に活躍したUKのオーシャンカラーシーンのセカンドアルバム。アルバムタイトルはモーズリー・ショールズで、モーズリーは、英国のバーミンガム南部の郊外の地名。アルバムのタイトルは全体として、1960年代の有名なソウルレコーディングスタジオがいくつかあるアラバマ州マッスルショールズの街にモーズリーをたとえたものと言われています。ビートルズ直伝のUKロック、ブリットポップ感がありながら少しソウル的な雰囲気もあるのが特徴。1stアルバムがあまり成功せず、レーベルからの契約を失ってしまいましたがオアシスのリアムギャラガーがバンドを気に入り、ツアーサポートに起用したことで再び契約を得てリリースした本作で全英2位を獲得する商業的成功をおさめ、バンドを軌道に乗せます。現在も活動中。
Placebo – Placebo
ブリットポップ最盛期にデビューしたUKのプラシーボ。音像的にはブリットポップ期のバンドにしてはかなりとがっておりポストパンク、ガレージロック的。夢見るようなシューゲイズサウンドからクリアなロックサウンド、ガレージサウンドへの過渡期にあるようなバンドです。ボーカルが女装し、両性具有のイメージを出すなどビジュアル面でも異質だったバンド。ちなみにこの印象的なジャケット写真に写っている少年はリリース後に周囲からかなりからかわれたらしく、バンドを訴えると脅していた時期もあったそう。
Sleater-Kinney – Call the Doctor
スリーターキニーはUSのパンクロックバンドで、女性3人組のバンド、Riot grrrlムーブメント(1990年代初頭に米国内のオリンピア、ワシントン、および太平洋岸北西部で始まり、少なくとも26か国に拡大したアンダーグラウンドでのフェミニストパンク運動。ライオット・ガールは、フェミニズム、パンク音楽、政治を組み合わせたサブカルチャー運動であり、それはしばしば第三波フェミニズムの発生源の一つであると指摘される。このジャンルはインディーロックから生まれたもので、パンクシーンで男性と同じように女性が自分自身を表現できることを体現したバンド群)の一員であり、アメリカのインディーズシーンの重要な一部を占めているバンド。本作はセカンドアルバムであり、3週間で作曲され4日間で録音されたそう。アルバムのテーマはボーカルギターのコリン・タッカーによると、彼女の「くだらない」仕事と、人々が社会によってどのように「消費され、商品化」されているかに基づいて描かれているとのこと。
Sublime – Sublime
サブライムは1988年に結成されたUSのレゲエロックとスカパンクのバンド。本作が3作目にしてラストアルバムとなりました。本作のリリース2か月前に主要メンバーがヘロインの過剰摂取で死亡。本作が遺作となってしまいますが、スカ、レゲエ、パンク、ヒップホップ、ダンスホールなどを取り込んだ多様でミクスチャーな音楽性が大ヒット。すでにバンドは存在しておらず、ツアーなどのサポートもない中でしたがスケボー/サーフィン文化の中で広く支持されるアルバムとなり、一般にも波及しUSだけで500万枚以上を売る大ヒットとなりました。
Super Furry Animals – Fuzzy Logic
UK、ウェールズのロックバンド、スーパーフューリーアニマルズのデビュー作。グラムロックとサイケデリックミュージックをミックスした音像が好評を得ました。ブリットポップ時代のアルバムですが、もっとレトロなクラシックロックへの回帰色が強いアルバム。「60年代のポップ、パンクロック、サイケデリアと、根底にある90年代のダンスの感性」を融合したと評されました。デビューして3年後の1999年にNMEで「最高のニューバンド」と選ばれました。なんで3年も経ってから選ばれたんでしょうね。このバンドは、1990年代のウェールズ音楽(および芸術、文学)のルネッサンスの一部と見なされています。当時の他のウェールズバンドには、マニックストリートプリーチャーズ、ステレオフォニックス、カタトニアなどがあります。
1997.ブリットポップの終焉
ブリットポップの中心人物のひとりであったブラーのデーモンアルバーンが「ブリットポップは死んだ」と発言。OASISのビィ・ヒア・ナウも賛否両論を生み、PULPのニューアルバムも暗めの作風だったことからブリットポップ時代が終焉したとみなされます。同時にレディオヘッド、ヴァーヴ、スピリチュアライズドがそれぞれ重要なアルバムを出しUKロックシーンを先導していきます。一方、USでは再びハードなエッジが効いたハードロック、ポップパンク的な音が復権気味。ただ、メロディはポップで聞きやすいものに変わっています。
Mogwai – Mogwai Young Team
スコットランドのポストロックグループ、モグワイのデビューアルバム。ダイナミックなコントラスト、メロディックなベースギターのライン、歪みとエフェクトの多用を特徴とするサウンドで、基本的にインスト(歌なし)のバンドです。Fugazi、MC5、My Bloody Valentine、Sonic Youth、Pixies、The Cure、ポストロックのパイオニアであるSlintらから影響を受け、本作は「驚くほどダイナミックで、静かで荒涼とした美しいサウンドスケープから、脳をスクランブリングするホワイトノイズやハンマーのリフにシームレスに移行する」と評されました。ジャケットは富士銀行の渋谷支店の反転画像。当時、ちょうどバブル崩壊(山一証券が破綻し、メインバンクだった富士銀行の株価も暴落)の象徴に興味を持ったのでしょうか。
Spiritualized – Ladies and Gentlemen We Are Floating in Space
UKのスペースロックバンド、スピリチュアライズドの3枚目のアルバム。長いタイトル「紳士淑女の皆さん、私たちは宇宙遊泳している」はヨースタイン・ガーダーによる哲学的小説”ソフィーの世界”からの抜粋で、文脈は次のとおり。
スペースロック、ネオサイケデリア、ゴスペルが混じったスペーシーで荘厳な音像。2020年、Rolling Stone誌は、「史上最高のストーナーアルバム」のリストで本作を13位にランク付けしました。
The Verve – Urban Hymns
UKのバンド、ヴァーヴの3枚目のアルバムにしてブリットポップ時代の傑作。リリース時にほぼ満場一致の批評家の称賛を獲得し、バンドのベストセラーリリースと1997年最も売れたアルバムの1つになりました。2019年の時点で、 Urban Hymnsは英国のチャート史上18番目に売れているアルバムにランクされており、世界中で1,000万枚以上を売り上げています。オーケストラサウンドも取り入れた壮大なロックサウンドでOASISやのちのColdplayにも通じる、ブリットポップを通過したアリーナロックという趣。Allmusicでは「現代的とは思えないほどロックの伝統を活性化するリッチなアルバム」と評されています。1997年、RadioheadのOK Computer、SpiritualizedのLadies and Gentlemen We Are Floating in Space(宇宙遊泳)、そして本作の3枚がUKロックを未来に進めた3枚と言えます。
Yo La Tengo / I Can Hear the Heart Beating as One
Yo La Tengo(YLTと略される:スペイン語で「I Have It」の意味)は、1984年にニュージャージー州ホーボーケンで結成されたアメリカのインディーロックバンドです。本作が8作目のアルバムで、ギターベースのポップを拡張して、ボサノバ、クラウトロック、電子音楽など、他のさまざまな音楽ジャンルを網羅しています。ノイズポップと称されることも。アルバムのほとんどの曲は憂鬱な感情を扱っており、短くて壊れやすいバラードから長くて自由な不協和音までさまざまです。ポップミュージックの領域を広げた作品として批評家からは高い評価を得て、さまざまな「ベストアルバムのリスト」に含まれています。Spin誌の90年代のベスト90や、Pitchfolkが2003年にまとめた1990年代のトップ100の25位、RollingStone誌が2010年にまとめた1990年代のトップ100で86位、など。
Modest Mouse – The Lonesome Crowded West
USのロックバンド、モデストマウスのセカンドアルバム。ジャケットの建物はシアトルのウェスティンホテル。彼らはシアトルのバンドではなくワシントンで結成され、現在はオレゴンに拠点を置いているのでシアトルムーブメント(グランジ)とは無関係。一時期、元スミスのジョニーマーも参加していたバンドです。さまざまなスタイルの楽曲が収録されたふり幅の広いアルバムで、90年代半ばのUSインディーロックの範囲を定義したアルバムとも。Allmusicは「 『Bankrupt on Selling』のような静かで陰気な音響と 『Cowboy Dan』のような暗くてドキドキするショックロック」が含まれている多様性を称賛し、アルバムを「最高のインディーロック」と呼んでいます。
Built to Spill – Perfect from Now On
USのインディーロックバンド、ビルトトゥスピルの3枚目のアルバム。それまでの作品よりさらに長くて複雑になった曲調と哲学的で難解な歌詞で、セルアウトとは真逆の進化。本作がメジャーデビューアルバムですが、そうした姿勢が評価されたのか「インディーズの名盤」として語り継がれています。本作は3回録音されており、1度目は過剰なアレンジが気に入らず再録音、2回目は輸送中に熱でテープが破損、3回目の正直ということでついにリリースされました。史上最高のインディーロックアルバムの1つとして頻繁に引用され、多くの現代のオルタナティヴ、ロック、インディーアクトに影響を与えるようになりました。余談ですが、防弾少年団が出てくるまでBTSといえばこのバンドのことでした。なので、BTSの会話がどうもかみ合わなければ「もしかしてBuilt To Spillのことを言ってます?」と聞いてみてください。
Blink 182 – Dude Ranch
USのポップパンクバンド、ブリンク182のセカンドアルバムにしてメジャーデビューアルバム。若さを燃料に突き進むポップパンクアルバムであり、速いテンポ、キャッチーなメロディー、ディストーションギター、パワーコードによって定義されるポップパンク。本作はメジャーデビューしたことで(Green Dayと同じく)セルアウトしたといわれ、コアなファン層からそっぽを向かれますがラジオ局から火が付きスマッシュヒット。地道な全米ツアーでの熱演もあいまって次作で大ブレイクしたブリンク182は、ミレニアムの変わり目に最も人気のあるロックバンドの1つとなり、ポップパンクの第二次ムーブメントの先頭に立つことになります。
HIM – Greatest Love Songs Vol. 666
フィンランドから現れたHIMのデビューアルバム。ゴシックロックとハードロックを組み合わせた独自の音像で、北欧メタルの復権を告げる唐突な登場。USでもっとも成功したフィンランドのバンドであり、のちのghost(スウェーデン)などにもつながっていきます。80年代的なきらびやかな欧州メタルが唐突に復活し、USでも一定の成功を収めた特異な例と言えます。ただ、ビジュアルやボーカルスタイルがヘアメタル然としたスタイルではなく、シアトリカルでゴシックな世界観とハードロックの組み合わせ、そして北欧のメロディが新鮮に響いたのかもしれません。歌だけ取り出せばニューウェーブ、ポストパンクであるゴスの流れなんですよね。
Mansun – Attack of the Grey Lantern
UKのロックバンド、マンサンのデビューアルバム。完全にではないもののアルバムにはコンセプトらしきものがあり、半コンセプトアルバムとされています。レコードの大部分は、ドレーパー自身を装った「グレイランタン」として知られるスーパーヒーローのコンセプトに集中しています。アルバム全体を通して、主人公は架空の英国の村で多くの不道徳な住民に遭遇します。英国では成功をおさめチャート1位に。かなりいろいろなファッションスタイルを試し、まるでコスプレのような姿も話題になりました。ボウイのように変幻自在なイメージにあこがれていたそうですが、後で振り返って「やりすぎた(おそらく過度の熱意だった)」と後年インタビューで語っています。ヴァーヴのようなオーケストラの導入、オアシスのような歌メロ、そしてスピリチュアライズドのような浮遊感を持ち、UKロックシーンのトレンドの中で「最新系の音」として出てきたバンドの印象を受けます。
Sixpence None the Richer - Sixpence None the Richer
Sixpence None the Richer(別名Sixpence)は、テキサス州ニューブラウンフェルズで結成され、最終的にテネシー州ナッシュビルに定住したアメリカのクリスチャンオルタナティブロックバンドです。本作は3枚目のアルバムでグラミー賞最優秀ロック・ゴスペル・アルバム賞にノミネート。インディーズ、オルタナティブ感の生々しさやとがった感じがありながら題材がキリスト教なのでどこか讃美歌のような整った美しさを感じる不思議な音像。ベルセバなどのネオフォークロック的なインディーポップが一番近い気もしますが、USのバンドということもあり質感はかなり異なります。
Third Eye Blind – Third Eye Blind
サードアイブラインドは、1993年にカリフォルニア州サンフランシスコで結成されたアメリカのロックバンドで、本作がデビューアルバム。このアルバムには、オルタナティブロック、ポストグランジ、パワーポップの要素が組み込まれています。サードアイブラインドの中心的なテーマは喪失であり、アルバムは自殺、覚醒剤中毒、性的虐待などの主題を探求しています。ラップの影響を受けた歌唱スタイルで作曲されたオルタナティブロック・ソング「セミチャームド・ライフ」は、メタンフェタミン(興奮剤、いわゆる”ヒロポン”)中毒に焦点を当てていますが、ソングライターのジェンキンスはそれが人生の時代の変化にもっと広く関係していると主張しています。エッジの効いたギターサウンドはあるものの全体的にはリズミカルでポップ。これがポストグランジの音だったのでしょう。
1998.オルタナティブロックブームの沈静化
この年から新しいバンド、新しい音像があまり出てこなくなります。既存のバンドの新作や名作は出てくるのですが、新しいバンド、ムーブメントはあまり起きない。今までのトレンドをより洗練させる、あるいはグランジ以前のアリーナロック、ポップロック、つまりオルタナティブではなくメインストリームへ回帰していくような音像が生まれてきます。一部、個人的な悲劇によるヒリヒリしたアルバムも生まれてきますが、それは大きな潮流ではありません。尖ったロックより、ポップなものが好まれる時代に。
Hum – Downward Is Heavenward
US、イリノイ州のバンド、ハムのセカンドアルバム。デビューアルバムがスマッシュヒットし、そのあと全米をツアーし、満を持してリリースされたセカンドですがメディアからはおおむね好評だったものの商業的には前作ほど成功せず。シューゲイズ、スペースロック、ポストハードコアなどを織り交ぜた素晴らしいインディーロックアルバムですが、1998年当時としてはややトレンドから外れていたのかもしれません。ただ、名盤として語り継がれ、1999年、Pitchfork Mediaは、1990年代のトップ100アルバムの81位にアルバムを配置。そのあとハムは長い沈黙に入りますが、2020年、22年ぶりのニューアルバムをリリース。こちらも絶賛されています。
Hole – Celebrity Skin
カートコバーンの妻であったコートニーラブ率いるUSのホール。本作は3枚目のアルバムにして第一期ホールのラストアルバム。それまでのグランジとのノイズの影響下にあったサウンドから大きく音像を変え、メインストリーム寄りの音に。Paper誌のJaelGoldfineは、アルバムが「90年代のポストグランジ パワーポップサウンドを定義した」と述べています。スマッシングパンプキンズのビリーコーガンが5曲の作曲に参加。いろいろと新しい取り組みを行った本作でホールは商業的成功も手にしますが、音楽スタイルの変更に伴いレコーディングの過程でドラマーをスタジオミュージシャンに差し替えるなどしたためさまざまな軋轢が生まれ、そのあとマリリンマンソンとのジョイントツアーに出かけたもののマンソンファンからホールは不評を買い、ツアー途中で離脱。そうしたゴタゴタが続きバンドは崩壊してしまいます。今聞くと、グランジの本質にあったUSハードロックサウンドをより純粋に抽出し、80年代に回帰したようなアリーナロック的でもあるサウンド。
Sparklehorse – Good Morning Spider
USのインディーロックバンド、スパークルホースのセカンドアルバム。ギター兼ボーカルのマークリンカスが率いたバンド。デビューアルバムリリース後、ツアー中にヘロイン、アルコール、鎮静剤のオーバードーズで意識を失い、14時間意識不明になったリンカスは(意識不明の間ずっと不自然な姿勢で圧迫したため)足が不自由になり、半年の車椅子生活を経て復帰したもののその時の死の影が大きな影響を与えたアルバム。一時期は薬物による脳へのダメージのため和音が作れなくなったそうですが、リハビリを経て本作の作曲に取り組んだそうです。リンカスは生涯うつ病と戦い2010年に死を選んでしまいますが、そうした死の影と、同居する救いへの祈りや健康だったころへの憧憬が本作に生の輝きを与えています。
Barenaked Ladies – Stunt
カナダのロックバンド、ベアネイキッドレイディーズ(BNL)の4枚目のアルバムにしてUS市場で成功を手にしたアルバム。バンドのスタイルはキャリアを通じて進化し、アコースティックだけで始まった彼らの音楽は、ポップ、ロック、ヒップホップ、ラップなどのミクスチャーサウンドへと変化。カナダで強い影響力を持ったバンドで、オンタリオの著名な音楽史家たちが書いた2018年のカナダ音楽史の中で「BNLは、21世紀のカナダ社会の発展について議論する際に最も影響力のあるバンドの1つだった」と述べられています。ポールマッカートニーのお気に入りバンドでもあり、2008年のインタビューで「彼らのハーモニーは素晴らしいよ、僕とジョンのハーモニーより範囲も広いし」と述べ「将来的に何か一緒にやりたいね」とも述べています。
Eels – Electro-Shock Blues
イールズはもともとEという名前でデビューし、1996年にイールズに改名。もともとレコードショップの棚で「E」の最初のほうに出てくるよう、Eに近い名前ということで選んだ単語(Eels=うなぎ、という意味)でしたが、途中にEaglesとEaeth Wind & Fireの多数のリリースがあることに後で気づいた、とか。さまざまなメンバー変遷を経ており、実質的にメインソングライターのマーク・オリバー・エベレット(通称「E」)のソロプロジェクト。本作が2作目のアルバムで、家族についてのアルバム。妹の自殺と母親の末期肺がんに対応して書かれました。曲の多くは彼らの衰退、喪失への彼の反応、そして突然彼の家族の唯一の生きているメンバーになることを受け入れることをテーマにしています(彼の父親は1982年に心臓発作で亡くなりました;当時19歳のエベレットが第一発見者)。アルバムの多くは表面的には暗いですが、その根底にあるメッセージは悲劇に対処することです。
1999.祭りの後、内省と慟哭
オルタナティブムーブメントは終焉し、UK、USともにギターサウンド、従来のロックサウンドから脱却する、エレクトロニカやほかの音楽との融合が図られていきます。祭りの後を思わせる内省的な音。オルタナティブロックとは別の流れでNu Metalブームも起きていますが、そちらはメタルよりなのでまた別のユーザー層でしょう。同時にロックではポストハードコア、スクリーモやエモが生まれてきます。内省と慟哭の同居する年。
The Flaming Lips – The Soft Bulletin
USインディーロックバンド、フレーミングリップスの9作目。それまでのギター主体のガレージ、オルタナティブロックから変化し、独自のサイケデリックポップを開花させた記念碑的作品です。オーソドックスなバンドサウンドに電子音やシンセサイザーを融合し、壮大で幾重にも重なったシンフォニックサウンドを構築。”1990年代のペットサウンズ”とも呼ばれます。NMEのアルバムオブザイヤー(1999)を獲得。このアルバムリリースに伴うツアーでは、より複雑な音の再現度を高めるために観客にヘッドフォンを配り、PAからも音を出しながらヘッドフォンでも楽しめることを企画。これにより解像度の高いヘッドフォンの音とコンサートのPAスピーカーからの音圧も体験できるという仕掛け。1999年のSXSWでお披露目され、話題となりました。この時のツアーサポートには日本からコーネリアスが参加。
Incubus – Make Yourself
USのオルタナティブメタルバンド、インキュバスの3枚目のアルバム。Kornやリンプビズキット、ディスターブドら、ニューメタル(Nu Metal)のブームに乗り本作でブレイク。ただ、ラップを組み合わせたNu Metalというよりはよりオーソドックスなグランジ、オルタナティブメタルサウンドでむしろ90年代初頭に回帰したような音がこのバンドの持ち味だったように思います。それなりに激しさもありますが、メタルというよりはUSハードロックから地続きのグランジの流れを汲むサウンド。
Sigur Rós – Ágætis byrjun
アイスランドのバンド、シガーロスのセカンドアルバム。ポストロックやポストクラシカル(クラシックの楽器によるアコースティックなサウンドとエレクトロニカの手法を融合して作られた音楽、「クラシック+エレクトロニカ」)に通じる音。すべての歌詞はアイスランド語で、印象的なジャケットとあいまって非常に神秘的な音像。とらえどころのない音楽性ながら新しい音像が衝撃を与え、USでも40万枚を超えるヒット。ローリングストーンズ誌の”2000年代のベストアルバム”で29位など、商業的、評価的にもUSで成功します。アイスランドの風景、オーロラや吹雪、大自然を思わせる幽玄で冷たく、そしてどこか人の暖かさも感じる音像。
Thursday – Waiting
USのポストハードコアバンド、サースデイのデビューアルバム。サースデイは2000年代のポストハードコア音楽シーンの影響力のあるバンドと見なされており、当時注目を集めていた暗いエモサウンドとスクリーモ(悲鳴を上げるボーカルスタイル)を普及させた重要なバンドの1つです。歌詞はかなり暗鬱としたもので、1.Pocelain(磁器)曲は、自殺に関する嘆きと行動の呼びかけです。(メインソングライターの)ジェフ・リックリーの親友であるケビンは、統合失調症に苦しんでサンフランシスコに引っ越した直後に自殺してしまった。彼の自殺の時、ケビンが知る限りサンフランシスコには無料の自殺ホットラインがなく、ケビンは彼の死の時にカウンセリングを求めることができませんでした。3.Ian Curtisは、自殺してしまったUKのグループ、ジョイ・ディヴィジョンの故リードシンガーの曲。7.Dying in New Brunswickは、ジェフ・リックリーがニューブランズウィックに住んでいるときにレイプされたガールフレンドについて書いたもので、そのことで彼がどのように街を嫌い、その街にいると死にかけた気分になったかという内容。……暗鬱。
Travis – The Man Who
UK、グラスゴー出身のトラヴィスのセカンドアルバム。2010年のブリットアワードによって過去30年間のベストブリティッシュアルバムにノミネートされた10枚のアルバムのうちの1枚(1位はオアシスのモーニンググローリー)。レディオヘッドのOK Computerも手掛けたナイジェル・ゴッドリッチのプロデュースで、デビューアルバムがロックンロール主体だったのに比べよりメランコリックでメロディ主体でリリース当時はやや不評だったものの1999年のグラストンベリーの印象的なパフォーマンス(7. Why Does It Always Rain on Me?を歌いだしたとたん、それまで晴れていたのに雨が降り出した)などもありだんだんと評価が高まり、ついには全英1位を獲得。タイトルの「The Man Who」は神経内科医オリヴァー・サックスのベストセラー「妻を帽子と間違えた男(The Man Who Mistook His Wife for a Hat)」から取ったそう。
1990年代の総括
1999年。90年代の終わり。レッドホットチリペッパーズがギタリストのジョンフルシアンテの復帰作「カリフォルニケーション」で(イーグルスが「ホテルカリフォルニア」で60年代、70年代のロック幻想の終わりを歌ったように)再びカリフォルニアの幻想、つまりオルタナティブロックシーンが商業化され、精神性が変わっていったことを歌います。そんな時代の空気を反映し、内省と慟哭の咆哮が響く世紀末。ただ、Radioheadなどに顕著なギターサウンドからの脱却、エレクトロニカとの融合による新しいロックの音像の模索も続き、00年代以降につながっています。
さて、オルタナティブロックはだいたい80年代~90年代で語られることが多い印象ですが、USにおけるオルタナティブロックは90年代からはそれがオルタナティブ=代替ではなくメインストリームとなった。つまり00年代以降の「ロック」といえば80年代、90年代的なオルタナティブロックのサウンドを継承したものを指すようになっている。逆にオルタナティブな要素がないものは「ポップ」と呼ばれる(か、激しいものはメタルと呼ばれる)印象を持っています。オルタナティブロックをこのまま追っていくことで00年代のUS、UKのロックの流れを追えると思うので、次章では00年代のオルタナティブロック史を見ていこうと思います。
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