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折坂悠太 / 呪文

日本のシンガーソングライター、折坂悠太の4作目。前作で知ったアーティストです。

前作は日本人離れした感覚、グローバルポップの感覚を感じて耳が惹かれたのですが本作はどうか。

1.2曲目は前作に比べると大分日本的、純邦楽というよりJ-POPの語法に近づいた感覚。悪い意味ではなく、聴きやすく、口ずさみやすくなっています。かなりメロディが推敲されている。耳障り良いけれど陳腐さがない。

三曲目はやや民謡的な節回し。のんびりした空気が流れます。調べたら今35歳。2014年に結婚しているので25の時に結婚し、10歳のお子さんがいます。なんというか見守る感じがする曲。音楽にはパーソナリティが現れる。体験していないことは表現できない。すべての人生にはそれぞれの体験があり、10代にしか作れない歌、20代にしか作れない歌、〇〇代にしか作れない歌、独身にしか作れない歌、親にしか作れない歌、喪った人にしか作れない歌、様々あるから歌を聞くことは体験としてかけがえがない。

四曲目、リズムが変わる、少し複雑、ジャズ的な感じだけれど跳ねると言うよりマスロック的な、硬質な複雑さ。英語タイトルなCalmlyだが日本語だと凪なのか。なるほど。

5曲目、Shinano Trail。邦題は信濃路。コード進行はブルースの王道的ながら少しずれていってJ-pop的な凝った進行になる。J-popのコード進行ってめちゃ凝ってるんですよ。ブラジル音楽、北欧音楽と同じように。これはインストなのかな。リラックスできる音像。肩の力が抜ける。こういう曲をアルバムのど真ん中に入れる作家性が素敵。

次は英語題がNever、邦題は努努。民謡クルセイダーズのクンビレオコラボ的な南米音楽と日本民謡のコラボみたいな。リズムはちょっとラテンですが節回しが民謡。これは前作を聞いて折坂悠太のオリジナリティだと感じた部分ですが、本作でも受け継がれています。ロシア生まれ鳥取千葉育ちという経歴から来るものか。ラテンというよりバルカンやスラブのビートなのだろうか。ナイアガラのレッツオンドアゲンの進化系的な曲。良い。でもこの曲なんて読むんだろう、調べたら「ゆめゆめ」か。努努忘るべからず。

ここでアコースティックバラード、子守唄や民謡的なメロディ。海外にいたからか日本的なものが対象化されている気がする。無自覚ではなく、「日本」を対象化して把握しているような。そういえばロシアが崩壊したのは日露戦争だし、ロシアにとって日本というのはけっこう研究対象なのかもしれない。昭和天皇を描いたロシア映画「太陽」は知る限り最高の昭和天皇自伝であり(漫画の昭和天皇物語が出る前だった)、多少おかしいところはあるがあれを外国の監督が作ったことは驚いた。思ったより異国から見た日本は本質を知られているのかもしれぬ。英語はSane、邦題は正気。そうか、Insane(狂気)に対する正気か。

続いてまた児童唱歌のような、明治時代の曲のようなメロディ。ただ、そう感じるだけで実際はメロディ展開がしっかりしている。明治大正期よ曲はもっと展開が少なく反復が多い。だけれどそうしたノスタルジーを感じさせるのはこの人の才能だと思う。なんでそう感じるのかなぁ。途中からシューゲイズ色が強まる。ああ、歌メロが基本的にペンタトニック(レミソラシ)をしっかり守っているからか。だから民謡的に感じるんだ。

ラスト。本作は九曲入り39分57秒。前の曲がけっこうしっかり余韻を残して終わったので、本作はライブだとアンコール的な位置付けだろうか。明るく、リスタート的な雰囲気もあるが、アンコールならではのリラックスして親密なムードもある曲。英語はLotus。蓮の花。邦題はハチス。蓮の古語らしい。(蓮の)花弁が蜂の巣に似ているからだそう。なるほど。語りが入ってくる。ジャズと日本民謡、J-popが混ざり合った音楽。

全体としてライブ感が増した。betcover!がアルバムをライブ録音しているのに近い感覚も感じた。刺激を与え合う関係なのかも知れない。前作で感じた心地よさ、独自性を保ちつつより音楽としての楽しさを増した作品。レコーディング作品なのだけれどライブを体験したような満足感を得られました。

それでは良いミュージックライフを。

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