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68.パキスタン音楽とスーフィー・ロック = JUNOONからTakatakまで

パキスタン音楽が面白い! 今回はパキスタン音楽、スーフィー・ロックがテーマです。

パキスタン・イスラム共和国、通称パキスタン。世界第六位の2億人を超える人口を持つアジアの大国であり、かつて英領インドの一部であった国です。文化圏的にはインダス文明でインドと同根、似た文化もありつつヒンドゥー教とイスラム教という宗教の違いがあり、共通語はウルドゥー語。文化的な差異もあります。

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19世紀には英領インドとしてインドと同一の政府の下に置かれており、独立運動も本来は同一のものであった。しかし、独立運動の中でイスラム教徒とヒンドゥー教徒との対立が深まり、イスラム教徒地域を「パキスタン」として独立させる構想が浮上した。これを避けるための努力は独立寸前までなされたものの、最終的にはヒンドゥー教徒地域がインド、イスラム教徒地域がパキスタンとして分離独立をすることとなった。
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インドはボリウッドに代表される映画と音楽の宝庫ですが、パキスタンも同じように映画産業と音楽産業が盛んです。今回はパキスタン音楽、特にロック音楽について、その進化を見てみましょう。

パキスタンを代表するバンドと言えばJUNOON(جنون‎)。ギタリストのSalman Ahmad(サルマン・アフマド)※1を中心に1990年にラホールで結成され、1991年デビュー。最初の数年はヒットに恵まれず苦労したようですが、1997年、4枚目のアルバム「Azadi」で国外進出を果たしインドでも発売。それ以降、世界的な人気を得るようになっていきます。現在までに全世界で3000万枚のアルバムを売り上げる南アジア最大のバンドであり、NYタイムズには「パキスタンのU2」と紹介されました。

「パキスタンのU2」と称されたのは売り上げや人気面だけでなく、積極的に政治的な発言を行う点にもあります。パキスタンはもともと政教分離を唱えており、比較的音楽や映画などにも寛容でしたが、1977年に軍部によるクーデターが起き、戒厳令が敷かれます。軍事政権の下でイスラム法による検閲が行われ、映画産業、音楽産業は衰退します※2。そんな逆風の中でJUNOONは国際的な活躍を行っていくわけですが、英語版wikiからJUNOONとパキスタン政府の対立の歴史を紐解いてみます。これを見るとJUNOONの歴史と共に、パキスタン政府の検閲の様子も伝わってきます。そして、そうしたパキスタン政権との対立・平和へのメッセージがパキスタン国外、インドや国連によって評価されたことも追い風に、JUNOONは国際的な知名度を得ていきます。

1993年9月23日、セカンドアルバムTalaashに収録された「Talaash」などの曲が政治的な影響を受けて検閲の対象となり、最終的には禁止された。

1995年、シングル「Ehtesaab※3」の物議を醸すビデオリリースで法廷に呼ばれた。これには、高級レストランで食事をする馬(当時の大統領が飼っていた馬の方が大衆より良いものを食べているという皮肉)の映像が含まれていた。多くの人が、この画像はパキスタンの腐敗した政治エリート、特にベナジルブット前首相の起訴であると考えた。政府はそれに迅速に対応し、国営テレビで歌とビデオを放送禁止にした。

1998年、最初のインドツアー、ラクナウ、カンプール、バンガロール、デリーを回って10万人ものファンを集めた。インドがポーカラーンで核兵器をテストしたとき(1998年5月14日)、JUNOONはチャンディーガルにいた。翌日、ニューデリーのホテルの部屋から、核実験に関するCNNとBBCへのインタビューに応じ、「インドとパキスタンの指導者は、大量破壊兵器よりも教育と健康を重視すべきだ」と訴えた。パキスタン政府はJUNOONが国内で演奏することを禁止し、パキスタンのラジオやテレビでも放送禁止にした。パキスタンの情報文化省はインドで「扇動と反逆に相当する」コメントをしたとして、JUNOONを正式に起訴した。

1999年、JUNOONはユネスコによって「音楽と平和で優れた業績」を表彰され、フランス、パリで開催されたユネスコのミレニアム平和コンサートに招待される。

2001年6月、サルマン・アフマドはニューヨークで開催された国連総会に出席し、国連からパキスタンの「親善大使」に任命される。

2001年9月11日の同時多発テロの後、米国を訪れて大学や高校でチャリティーコンサートを行う。

10月9日、バンドは国連(UN)で平和コンサートを行った。彼らは、国連事務総長のコフィ・アナンによって、国連総会に招待された初めてのロックバンドとなった。

12月25日、ジュヌーンは再びパキスタン政府に受け入れられ、当時の大統領であるペルベス・ムシャラフ将軍が、パキスタンの創設者ムハンマド・アリ・ジンナの霊廟でジンナの誕生日に公演するよう招待し、ステージに参加した。
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このように政治にも積極的に発言していきながら人気を高めていったJUNOONですが、2000年代の半ばに実質的な解散状態に陥ります。しかしその後2018年にメンバーが再結集し、現在も活動を続けています。冒頭の映像は2018年の再結集ツアーからです。JUNOONについてもっと詳しくはこちら

彼らの音楽はスーフィー・ロックとも呼ばれます。スーフィーというのはイスラム教の一派で、イスラム教の宗教音楽をスーフィー・ミュージックと言います。スーフィー・ミュージックにはいくつか種類がありますが、パキスタンで盛んなのは主唱者と合唱者による輪唱(掛け合い)で、「カッワーリー」と呼ばれます。カッワーリーはいくつかの特徴的な音楽スタイルを持っていて、それ西洋のロック音楽と融合させたのがJUNOONの生み出したスーフィー・ロックです。伝統的なカッワーリーの代表的な歌手、Nusrat Fateh Ali Kahn(ヌスラット・ファテ・アリ・カーン)を紹介しましょう。「神の声」と言われ、世界的な知名度を得た歌手です。

ヌスラットは伝統的な歌手の一族に生まれ、その才能でカッワーリーの代表的な歌手として国内でゆるぎない地位を築きます。西洋音楽とのコラボレーションにも熱心で、ピーター・ガブリエルの主宰するリアル・ワールド・レーベルに参加し、西洋音楽との融合を試みた作品を数多くリリース。何度か来日もしています。残念ながら1997年、48歳の若さで逝去しましたが、彼の声は伝説として語り継がれています。

カッワーリーには多くの特徴や様式がありますが、大まかに私が感じることで言えば次の3つが特長的です。

1.南アジア音楽特有の歌唱法・節回し

これはお聞きいただくのが一番わかりやすいですが、インド音楽のラーガ(旋法)だとか、ヒンドゥー・スケールと呼ばれる独特の音階、声の細かい節回しや揺らぐような音程移動、口(くち)ドラムなど。とても特徴的です。

2.多層的なリズム

複数のパーカッション、合奏者の手拍子により多層的なリズムを奏でます。この構成ではタブラが入っていませんがタブラが入るともっと細かくリズムが分割されます。こうした複数の音が重なっていく感覚は特徴的です。また、曲が盛り上がるにつれてだんだんリズムが早くなる構成も多いです。

3.主唱者と合唱者による輪唱

これはゴスペルにもみられる構造ですが、主唱者の後でコーラスがそのラインをなぞる、コールアンドレスポンス的な構造がある。リズムが重なっていくのと合わせて声も重なっていき、熱狂感を生んでいます。

こうした特徴をうまく西洋のロックの文脈に取り入れたのがJUNOONのスーフィー・ロックと言えるでしょう。「輪唱」は思いっきりカッワーリーを想起させるのであからさまに出てくるわけではありませんが、音階や節回しの共通点はもちろん、様々な音が重なっていく、ポリリズムやポリフォニーによって興奮を生み出していく、高めていく手法は共通のものを感じます。

なお、ヌスラットの死後、彼が進めた伝統的なカッワーリーと西洋音楽との融合をさらに進めているのが甥にあたるRahat Fateh Ali Kahn(ラハット・ファテ・アリ・カーン)です。フォーマットは伝統的なカッワーリーなのですがバックバンドはかなり西洋ロック的な演奏をしており、こちらも今や「スーフィー・ロック」とも呼べる音像になっています。かっこいいので聴いてみてください。2014年、ノーベル授賞式での特別ライブです。

Nusratとはタイプが違いますが伸びやかで素晴らしい声、そして西洋音楽、ロックやフュージョン的な洗練を感じさせる演奏を取り入れつつ伝統音楽と見事に融合させ、カッワーリーならではの歌での法悦、儀式と密接に結びついた太古から伝わる魔法としての音楽の構造でクライマックスに向けだんだんと盛り上がっていく過程がスリリングです。

さて、本家カッワーリーもロックやフュージョンとの融合を果たしていったわけですが、そうしたカッワーリーの近代化の動きとは別に、1990年代半ばからJUNOONの知名度が上がるにつれてパキスタンにロック・ブームが起き、さまざまなバンドが生まれました。その中から出てきて、パキスタンのロックの進化の中で重要な役割を果たしたのがFaraz Anwars(ファラズ・アンワル)です。

Faraz Anwarはパキスタンのメタルシーンを代表するギタリストの一人で、さまざまなバンドで活動しています。1996年にパキスタン初のメタルバンドとされるDusk※4に参加(2004年に脱退)、そちらでも活動しながら1997年にMizraab※5というバンドを結成、デビューし、デビューアルバムPanchiはメタルのジャンルでは今までで最大の成功を収めました。その後、ソロでインストアルバムをリリースし、パキスタンのプログ・メタルのマスターと言われています。2020年にソロアルバムとしては19年ぶりのセカンドアルバム「ISHQ KI SUBAH(愛の国)」をリリース。そこからのナンバーをどうぞ。

パキスタンならではの節回しと多層的なリズム、スーフィー・ロックの文脈で他の地域にはない音像を作り出しています。このアルバムではすべての楽器を本人が演奏しているマルチプレイヤーです。影響を受けたアーティストはイングウェイ・マルムスティーン※6やアラン・ホールワーズだそう。独特なメロディセンスがあり、ギターの音色も色気があります。このアルバムは83分もの大作ですが、さまざまなアイデアが盛り込まれた佳作でした。

続いてはスーフィー・ロックの現時点での最新系、Takatakです。今回のテーマを書いてみようと思ったきっかけになったバンド。中央アジア・パキスタンの伝統音楽と現代的なアグレッション・演奏手法を融合させた音楽を作り上げています。簡単にTakatakのバイオをご紹介します。

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タカタクは10年前、パキスタンで2番目に大きな都市であり、パンジャブ州で最大の都市であるラホール市に設立されました。スパイシーなパキスタンの肉料理にちなんで名付けられたタカタクという名前は、香辛料やハーブで調理しているときに、へらがホットプレートや鉄板にぶつかり、食べ物を小さな塊に砕く音を表しています。タカタクはチョッピングのリズムです。
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いわゆるジェントとかマス(数学的)ロック、メタルコア(スクリームなどの激烈パートがありつつクリーンでメロディアスなパートもある)などと呼ばれる音楽です。聴いて思ったのは、西洋的な洗練、現代的な激烈音楽の手法に加えてスーフィー宗教音楽(カッワーリー)の要素も感じるなと。具体的にはポリリズム(複合リズム)や声のポリフォニーの組み方がカッワーリーを想起させる部分があるし、メインのボーカルとコーラスが絡み合うコールアンドレスポンスのパートがところどころに出てくるのもカッワーリーを想起させる。あとは発声法や節回し、やはり高音の節回し(や声の出し方)も西洋とは違う、ハードコア的なスクリームというよりは中央アジア的絶唱を感じます。発声法についてはだいたい西洋のエクストリームボーカリストも似てきていますが、そもそも今のエクストリームなボーカル、デスボイスはモンゴル~トゥバの喉笛的な使い方だったり、チベットのモンクの歌唱法(声帯を反響させて同時に二音出す=声を割る)などの影響を受けている、ルーツの一部もあるのでむしろこちらが本場な気がします。

あとは、アルバム全体を通して聴くと今のプログメタルやドゥームのトレンドであるサイケ色も感じますが、サイケというのももともとインド音楽です。ジョージ・ハリスンやジョン・マクラフリンがインド古典音楽に傾倒していき、ドローン(単一のコードで和音が続く)の上で展開するメロディ、細かく分割されたリズム、シタールのすこし緩んだ響きなどが西洋ロックに取り入れられ、サイケデリックロック※7が芽吹きます。フラワームーブメントの最中、1967年のモントルーポップにラヴィ・シャンカールが呼ばれて衝撃を与えサイケは最高潮に。北インドの「瞑想のための音楽」が西洋的に解釈されたのがサイケなので、本場もインド。最近、ドゥームやプログメタルを中心にサイケの影響が再度出てきていますが、それらのルーツのひとつはインド・パキスタンあたりにあるはずなので、インドやパキスタンから今後も面白い音楽が出てきそうです。

以上、JUNOONから始まり、Faraz Anwar(Mizraab)、Takatakへと進化しているスーフィー・ロック、パキスタンならではのロックを、本家カッワーリーの動きも含めて紹介しました。どのバンドもオリジナリティが高く、世界の他の地域では聞くことのできない独特の音世界を持っています。世界には魅力的な音楽が本当にたくさんありますね。

最後の曲は少しスーフィー・ロックから離れて、パキスタン、ラホールの風景でお別れしましょう。Farhad Humayun & OverloadのLahore(ラホール)。Farhadはビデオアーティスト※8としても活動するシンガーソングライターで、ドラムジャムバンドのOverloadとの活動で知られています。AC/DCやJudas Priestのファンだそう。リズムや曲構成にカッワーリーの影響はあまり感じませんが、節回しは中央アジア的ですね。開放感があって好きな映像です。今日紹介したスーフィーロックのバンドはすべてラホール出身。ラホールの映像を見て思いを馳せてみます。

ラホールは、パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市。ラーホールとも呼ばれる。 面積1,772 km²、2016年の都市圏人口では1,035万人である。パキスタンではカラチに次ぐ人口規模を持つ第二の都市であり、南アジア有数のメガシティである。
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それでは良いミュージックライフを。

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■注釈

※1 サルマン・アフマドはJUNOON結成前にVital Signというバンドに在籍していました。こちらはパキスタン初のヒットを飛ばしたポップロックバンドです。この成功をなげうって、サルマン・アフマドは自分の信じる音楽、よりハードな音楽を追求するためにJUNOONを結成したとされています。Vital Signsのヒット曲で、パキスタン初のロックヒットとされる曲をどうぞ。1989年、TV出演時の映像です。あまり個性がないですね、このままサルマンがVital Signsにいたらスーフィーロックは生まれなかったかもしれません。

※2 現在はだいぶ検閲は緩くなってきているようですが、映画産業、音楽産業は最盛期から比べるとかなり衰退したままのようです。時代の変化によって衰退した音楽産業を守るべく新天地を求めたパキスタンの音楽家たちの挑戦を描いた「ソング・オブ・ラホール」という映画があります。

かつてパキスタンは、インドと同じように映画が盛んだった。その中心地ラホールは、ハリウッドやボリウッドみたいに「ロリウッド」とも呼ばれるほどだった。ところが1970年代にイスラム化が進行し、90年代になるとタリバンも台頭して、映画も音楽も禁止されるようになる。ミュージシャンたちは食えなくなり、ウェイターになったりタクシーの運転手になったりと、ただ生き延びていくしかなかった。
(中略)
パキスタンでは21世紀に入って、ムシャラフ大統領の世俗的な緩和政策があって、ふたたび音楽が演奏できるようになった。イッザト・マジードという人が私費を投じて2005年にラホールに音楽スタジオを設立し、ふたたびミュージシャンたちが集まってくる。最初は伝統的なパキスタン音楽を演奏していたが、継続的な活動をしていくために、新しいフィールドに挑戦するようになる。
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※3 EhtesaabのMVはこちら。皮肉が効いています。

※4 Duskはあまりパキスタンらしさを感じなかったので本文では紹介しませんでした。オーソドックスなデス・ドゥームメタルです。リーダーはボーカル/ベースのBabar Sheikh。結成20周年の2016年時のインタビューはこちら。これによるとJUNOONに衝撃を受けてバンドをスタートしたそう。また、彼も最後に紹介したFarhad Humayunと同じく、映像作家でもあるようです。

※5 Mizraabも良いバンドです。Faraz Anwarのバンドなので彼のソロの音楽性にかなり近いですが、ソロアルバムはFaraz Anwarがほぼすべての楽器を演奏しているのに対してMizraabはバンド感があります。こちらは2004年の曲で、このMVの監督はDuskのBabar Sheikh。

※6 イングウェイ・マルムスティーンはスウェーデン出身のギタリストで、ネオクラシカル奏法でメタルギターの世界に革命を起こしました。西洋音楽が共産圏やアラブ世界に入らない時代でもイングウェイはソ連で人気でしたから(1989年にレニングラードでライブを行っている)、何らかのルートでパキスタンでも人気だったのかも。海賊版のテープがロシア国内でかなり流通していたそうなので、パキスタンにも流通していたのかもしれません。

※7 パキスタンのサイケ音楽の例として一曲どうぞ。1950年代に映画歌手として一世を風靡したIqbal Bano(イクバル・バーノ)の歌うDasht e tanhai mein(私の孤独の砂漠)です。

※8 ラホールはもともと映画の都で、ボリウッドならぬ「ロリウッド」とも呼ばれていたそう。インドでもそうですが、音楽産業と映画産業は近しく、映画の主題歌がヒットする構造になっています。なので、映像の仕事をしているバンドマンが多いのでしょうね。Takatakもおそらくメンバーか近しいスタッフに映像作家がいるのでしょう。Takatakのアルバムにはほとんどの曲にMVがついています。

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Takatakを知ったのはゆーき(高橋祐希)さんの記事から。メタラー、プログレ好きならnoteでフォローすべきアカウント。

インド音楽については何度か取り上げています。最注目しているインドのメタルバンドBloodywood。インドメタルについてもまた別途記事を書きたいと思います。

ボリウッド音楽についてはこちら。

JUNOONの代表曲、「SAYONEE」の訳はこちら。




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