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連載:メタル史 1984年まとめ(+1980年代前半まとめ)

1984年はどんな年だったか。イメージとしては1983年から始まったメタルムーブメントがさらなる盛り上がりを見せていた年です。

USにおける商業的なメタルブーム

いわゆる「メタルブーム」が商業的にどの程度のものであったか。1984年時点で見てみましょう。ビルボードの年間売上を観てみると、1984年最も売れたアルバムはマイケルジャクソンのスリラーです。1983年、1984年両方のトップ。圧倒的に売れていた(→1984年のトップ100)。週間チャートではマイケルジャクソンが前半、PrinceのPurple Rainが後半の一位をひた走る(→1984年の週間1)、いわば「黒人スターがハードロック調のテイストを取り入れたアルバムが大ヒットした年」であったと言えます。

ハードロックブームは1970年からずっと続いており、Led ZeppelineはじめQueenBlack SabbathAlice Cooperが年間チャートに顔を出します。AC/DCKISSAerosmithVan HalenそしてASIAJourneyBOSTONYES(90125)、Rushなどいわゆるプログレハードもチャートインしてくる。「ハードロック」が年間チャートにずっと存在した。

1980年以降だと新顔としてDef Leppardが顔を出します。また、10位以内までは入らないもののMötley CrüeIron MaidenJudas Priestも100位以内には顔を出してくる。1984年でハードロック/メタル(プログレ含)系のアーティストを年間100の売り上げから抜き出してみると下記の通りです。

6位 VAN HALEN / 1984
7位 ZZ TOP / ELIMINATOR
15位 NIGHT RANGER / MIDNIGHT MADNESS
18位 MOTLEY CRUE / SHOUT AT THE DEVIL
21位 YES / 90125
25位 QUIET RIOT / METAL HEALTH
29位 SCORPIONS / LOVE AT FIRST STING
31位 DEF LEPPARD / PYROMANIA
34位 GENESIS / GENESIS
41位 RATT / OUT OF THE CELLAR
48位 38 SPECIAL / TOUR DE FORCE
51位 JUDAS PRIEST / DEFENDERS OF THE FAITH
56位 JOURNEY / FRONTIERS
58位 BON JOVI / BON JOVI
67位 MOTLEY CRUE / TOO FAST FOR LOVE
73位 RUSH / GRACE UNDER PRESSURE
89位 KISS / LICK IT UP
91位 DAVID GILMOUR / ABOUT FACE
92位 OZZY OSBOURNE / BARK AT THE MOON
95位 TWISTED SISTER / STAY HUNGRY

20枚。特にその中でエッジが強めのものを黒字にしましたが、それでも12枚。確かに、大きな勢力になりつつあります。そして上述したようにマイケルジャクソンやプリンスも(ビートや歌唱法は違うものの)ハードロック的なギターを取り入れていましたから、流行音楽、たとえばMTVとかラジオとか、街中で聞こえてくる音楽の中のギターソロやシャウトが日常的になっていたと言えるでしょう。そんな好調なハードロック/メタルシーンでレコード会社もバンド発掘を活発化、さまざまなバンドがアルバムリリースにこぎつけます。

1980年代前半の振り返り

1984年はちょうど80年代の折り返し地点なので、今までの50枚を振り返ってみましょう。まず1980年。

ほぼイギリスです。イギリスはプログレ及びハードロックの震源地でもありましたが、パンクムーブメントを経て「演奏技術が高いこと」という価値観に加えて(基本的にプログレもハードロックも演奏が上手い=価値)、荒々しさ、フレッシュさも価値に加わった。それがN.W.O.B.H.M.であり、そこに触発されてベテラン勢もより激しさ、荒々しさを増したアルバムをリリースします。この年はほとんどメタル史で取り上げたアルバムもイギリス。次々と新しい才能が生まれてきました。

1981年もこの傾向が続きます。ほぼ1980年の続き。引き続き新しい才能が生まれてきますが、それほどメンツは変わらず。主役級のムーブメントを牽引する存在は1980年に出そろっています。そうしたバンド達がさらなる音楽性の深化を遂げた年。

1982年になるとUKではより過激なVenomWitchfinder Generalといったバンドが出てきます。後のスラッシュやドゥームメタルの先駆け。ただ、特異点というわけではなく70年代からのUKハードロックの伝統、そして荒々しさを取り入れたN.W.O.B.H.M.の中で「まだ人がやっていない領域」に少しはみ出した結果の音像だったと言えるでしょう。N.W.O.B.H.M.が飽和して弾けた年とも言える。また、ドイツ、スペインなど周辺国でもヘヴィメタルという音楽が根付いていきます。

そして1983年、一気にUSにメタルの震源地がシフトします。ロニージェイムスディオが自らのバンドDIOでデビュー。そしてMetallicaMötley CrüeなどLA周辺のメタルシーンから新しい才能が誕生(Metallicaはこの頃はLAが拠点、その後サンフランシスコへ)。Slayerもデビューします。イギリスはUKハードロックの伝統や、ロンドンを中心としたシーンがあったのに比べ、USは広いのでさまざまなシーンの多様性があり、それほど縛られるべき伝統もなかった。飽和して弾けたN.W.O.B.H.M.の種子がUSで自由に芽生えた年とも言えます。アイデアとして提示されていたものをより極端な形、自由な形で自らの音楽として表現し始めた。そして、北欧(デンマーク、スウェーデン)からもメタルの種子が芽吹き始めます。北欧メタルの黎明期。

来る1984年。スラッシュメタルはさらに深化し、特異性を増していきます。N.W.O.B.H.M.の影響下からだんだん離れ、独自の音像に進化していく過程。とはいえまだUKハードロック、欧州メタルの影響がある過渡期ですね。そしてUSでもドゥームメタルが芽吹き始めます。だいたいデビューアルバムをリリースするまでには数年の潜伏期間があるので、1980年ごろ、N.W.O.B.H.M.に影響を受けたバンドがデビューしたり自らの音楽性を確立し始めるのがこの頃。UKに対するUSからの返答が1983年、1984年だったとも言えるでしょう。また、スイスのCeltic Frostのようによりエクストリームなメタルの元型も提示され始めます。

冒頭で見たように、商業的には70年代から続いている「ハードロック枠」がメタル系のアーティストに占められるようになり、ギターサウンド、シャウト、曲構成などがいわゆる「80年代メタル」的なものになってきた。後のグロウルやハードコア的な激しさはまだ見られませんが、だいぶエッジの立ったギターや高音シャウト、音圧強めのドラム、べースサウンドがマーケットに受け容れられるようになっています。若者たちにHeavy Metalが受け入れられ、そうしたサウンドに「時代の先端」感があった。その中で各種レーベルは新しいバンドを探し、様々な才能が発掘されていきます。やはり多くのバンドが契約を得る、デビューするということはその分表現の多様性、可能性が広がります。人生をかけて自分たちなりの音楽、オリジナリティ、新しいものを作ろうとする。この頃は一定の規模で音源をリリースし、人に届けるにはレーベルの協力が不可欠でしたから、商業的なメタルブームによって多くのレーベルがメタルに目が向いたのは追い風でした。一気に発展が進みます。1983年、1984年はさまざまな進化の芽がまだ種の段階でうごめいていた時期と言えるでしょう。

1984年の社会背景

なお、1984年はCDが世の中に出始めた年でもあります。6月4日にブルース・スプリングスティーンが7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・USA』をリリース。このアルバムのCDは米国で製造された最初のCDです。ただ、まだまだLP、レコードの時代。

冷戦構造(1947-1991年)は継続するも、レーガン政権がニクソン以来の高得票率(レーガン59%、ニクソン61%)、米国の失業率も1980年代初頭の不景気が始まる前の水準に低下。政治的にも経済的にも米国は安定期を迎えています。

ほぼすべての州をおさえて大勝したレーガン

一方英国は変わらず不景気、”鉄の女”マーガレットサッチャーの政権下です。失業者数は過去最高の326万人、若年失業者(16‐24歳)が120万人でかなりの就職氷河期。英国政府は炭鉱閉鎖を決定し、全国的なストライキに発展します。また、中国との間で1997年の香港返還に向けた最初の署名が締結。大英帝国の斜陽は続いています。音楽関係ではDef Leppardのドラマー、リックアレンが交通事故で左腕を失ったのもこの年。その後活動休止(からの劇的にカムバックしますが)に入ってしまいます。英国にはあまりいい話題がありませんね。ただ、Iron MaidenJudas Priestの米国進出は一定の成功をおさめ、特にツアーは公表でした。とはいえ、英国の若者、特にハードロック、ヘヴィメタルを支える若年層は非常に苦しい時代。パンクの切実さ、階層・世代間の対立の先鋭化はシリアスです。

1984年、英国における炭鉱夫たちの大規模ストライキ

ドイツも似たようなもの。不景気で失業率が高い。米国が不況からやや回復していたのに比べ、84年は欧州では不景気です。音楽に対する風当たりも強い。世界経済史だと1983年から先進国が回復基調にあったとされている場合もありますが、米国と欧州では雰囲気が違った。

片や日本は1983年の景気回復に乗っかり、1984年は日経平均が初の1万円超え。だんだんと好景気に向かっていきます。昭和59年、もはや戦後はだいぶ遠くなっていますが、戦後復興並みの経済成長率を遂げる。1986年からのバブル景気の前兆を感じさせます。

日本においてはまだ商業的にハードロック、メタルブームは訪れず、年間売上ベスト50(オリコン調べ、wiki)に入っているのはVan Halen1984のみ。ただ、年間売上1位がマイケルジャクソンのスリラー、2位がフットルースのサントラなので、ほぼ欧米と同じです。今に比べるとはるかに洋楽の存在感が大きかったと言える。

1984年のヒットアルバムたち

ちなみに世界の音楽市場において、アメリカが1位、日本が2位、イギリスとドイツがほぼ同率3位です。1984年当時の売り上げ規模は信用できるデータを見つけられませんでしたが、2016年時点だと、US約53億1820万ドル、日本約27億4590万ドル、UK約12億5110万ドル(出典)。いつからこの順位だったかわかりませんが、いずれにせよ日本の音楽市場はだいぶ大きい。イギリス、ドイツを合わせたぐらいあります。

日本における大きな出来事

1984年の日本における最大の出来事はBurrn!誌創刊でしょう。1984年9月に創刊。この当時はミュージックライフの別冊で、まだまだ日本ではアンダーグラウンドであったハードロック、ヘヴィメタルに関する(商業誌ではあったものの)なかば同人誌的な立ち位置だった。日本のメタルシーンの文壇というか、世界的にみても売り上げ部数で最大規模の雑誌に成長していくわけですが、この当時は身内(ファンの)ノリ、写真が主体で「ハードロック/ヘヴィメタルってかっこいいよね!」なノリだったそう(40周年記念号で編集長が振り返っていた)。評論とか批評性からスタートしていない。ベースにあるのがファンジンなんですね。

僕も何度も言及していますが一読者として感じてきたことは酒井康氏はディープパープル、リッチー好きなのでディープパープルのファンジン的な要素があるし、創刊当時盛り上がりつつあったグラムメタル、ビジュアル的な要素も強く前面に打ち出していた(だからグラビアページが多かった)。面白いのは炎の伊藤政則氏の回顧によればJudas Priestの最初の来日公演(1978年)の時には男性より女性客の方が多かった、と。まだロブハルフォードが革ジャンではなく王子様のような恰好をしていた時期ですね。洋楽のファン、男性ロックバンドのファンは女性ファンが多かった。もしかしたら1984年時点、Burrn!の読者層って女性の方が多かったのかもしれません。たぶん、スラッシュメタルあたりから男性ファンの方が増えていったのかも。1984年にちょうどB!の最初の表紙だったOzzy Osbourneが来日して中野サンプラザで公演しているのですが、当時の客層ってどうだったんだろう、、、。調べても情報がなかったので、当時のことをご存じの方は教えてください。女性客が多かったのか、いわゆる「メタラー」ファッションは確立されていたのか、等。

1984年、ツアー中、モトリークルーと共にいるオジー

日本における「メタルブーム」の規模

実のところ、日本において商業的に大きな「ハードロック/ヘヴィメタルブーム」というのは存在しない。2010年ぐらいまで見てみたのですが、オリコンの「年間アルバム売上ベスト50」に入るアーティストって基本的にマドンナ、マイケルジャクソン、マライアキャリー、ホイットニーヒューストン、みたいな人たちぐらい。数少ないメタル系で入ったのはBon JoviAerosmithMr.Bigあたりですね。日本のアーティストだと聖飢魔ⅡB'zX Japan

上で見たように日本って世界2位の規模の市場なので、本当は日本だけでもミリオンセラーとか出せるんですよ。日本人アーティストは90年代にミリオンを連発しています。だけれど、海外メタルアーティストで日本でミリオンセラーのアルバムを出したアーティストなんてBon Jovi(クロスロードがミリオン)ぐらいだったはず。「邦楽アーティストと同列に(お茶の間レベルまで浸透するレベルで)売れまくったメタルアーティスト」はほぼ皆無です。なので、年間売上100位以内に10枚以上ハードロック/メタル系のアーティストがランクインしたUSに比べると「メタルブーム」の規模はかなり小さい。Burrn!誌は世界一売れたメタル雑誌になっていくとはいえ、日本の「本流のヒットチャート」に乗るようなアーティストを扱う雑誌ではなかった。熱心なマニアが買う雑誌でした。

ただ、日本には洋楽ファンが一定数いて、特に「音楽好き」とされる人はだいたい洋楽も聞いていた。そして洋楽の中でメタルアーティストの存在感が大きかった時代には、洋楽ファンの多くがメタルのことも知っていた、聞いたことがあった、という程度でしょう。

ちょっと話が広がってしまったのでこの記事ではここまで。この辺りの話は以前も記事にしたことがあります。

まとめるとメタル史において、1984年はUSにおいては「メインストリームのヒットチャートにHR/HM系のミュージシャンが出てきた」けれど「日本ではそこまでの規模ではなかった(音楽好き・洋楽ファンが注目しはじめた、ぐらい)」ということです。

以上、1984年でした。次は1985年です。


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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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