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宇多田ヒカル / Badモード(2022、日本)

Producer – A. G. Cook (曲: 2, 3), Jason "Poo Bear" Boyd* (曲: 9), Nariaki Obukuro (曲: 4, 5, 7, 8), Sam Shepherd (曲: 1, 6, 10), Skrillex (曲: 9), Utada Hikaru

世界レベルのJ-POP ★★★★★

J-POPのトップアーティスト、宇多田ヒカルの新作。本作はUK、USのトッププロデューサーを迎えて作られたアルバムというところが聴き処だろう。大きく4組のプロデューサー(A.G.Cook、Sam Shepherd、Skrillex+Jason "Poo Bear" Boyd、小袋成彬)が関わっている。Skrillex+Jason "Poo Bear" BoydはUSのアーティストだが他は全部ロンドン(小林成彬もロンドン在住)。今宇多田ヒカルが住んでいるのがロンドンだからだろう。UK色の強い音。A.G.CookはHyperPopの始祖ともされるプロデューサーだし、Sam Shepherdは昨年のベストアルバムで様々なところにノミネートされたFloating Pointsの仕掛け人。それらのゲストプロデューサーを迎えたトラックがメインで、小袋成彬のトラックは(ほかのプロデューサーに比べると)宇多田ヒカルの色が強め、というところか。活動休止以降3作目のアルバムとなるけれど、大きな曲調や路線は活動復帰後でそれほど変化はないが、本作はさまざまなプロデューサーの色を取り入れることで新しさと派手さが増している感じ。

今、日本の音楽市場は邦楽の比率が89パーセント、約9割らしい。ふと考えると明治維新以降、一度は邦楽(純邦楽)はかなり下火になり、西洋音楽教育が一気に普及した。ポップス=ポピュラー音楽はつまり「大衆音楽」だから、大衆音楽まで一気に西洋化したわけではないけれど、時間を経てだんだん西洋的な「リズム・ハーモニー(和音)」の感覚を取り入れていき、第二次大戦まではかなり「西洋唱歌」的なものの影響を受けていた。

20世紀は振り返ると「大衆音楽の世紀」であり、一つのビッグバンが1960年代のブリティッシュインベンション、ビートルズに代表されるUKロックの隆興だろう。特に日本はビートルズに衝撃を受けた。洋楽のカバーからJ-POPはスタートし、やがて独自性を獲得していった。この独自性の獲得、確立のタイミングはおそらく90年代であったのだろう。80年代から完成度は上がってきていたけれど、90年代に冷戦が終結し、USは内省的な音楽(グランジオルタナ)が流行る。UKは変わらず「外部に対して開かれた音楽」を鳴らしていたけれど、最大の市場であるUSでヒットしたものを世界中に展開する、というモデルが成り立たなくなった。90年代当時にUSで流行るものは、必ずしも日本の大衆音楽としてしっくりくるものでもなかったから。洋楽は「マニア向けの音楽」に変わっていく。そこを埋めたのが小室サウンドであり、小林武史(サザン、ミスチル)であり、バンドブームの勃興であり、B'zであり椎名林檎であり、一気に90年代に「邦楽(J-POP)」は発展し日本の大衆音楽の主流となった。そんな90年代終わり、98年に現れたのが小室哲哉が「僕を終わらせた」と評した宇多田ヒカルだった。

90年代をJ-POPの確立期とするとそれから30年。すっかり一つのシーン、音楽文化として確立した感のあるJ-POP。その中で変わらずシーンを牽引している宇多田ヒカルは今度は海外のプロデューサーを使うことでJ-POPに「最新の世界の音」を導入してきた(古くはWait&Seeでジャム&ルイスから行っていたことだけれど)。やはり海外のプロデューサーの音は刺激的だし、逆にそうした音に包まれた「J-POPのメロディや日本語歌詞」も普遍的な価値を感じる。

世界的に見て「英語の歌」の共通度はたぶん減っていくんじゃないかと思っている。どこの国も自国の音楽文化が発達していけば、やがて自国語の歌を歌いたくなるだろう。英語が日常的な主言語でない地域では、やはり英語だと生活感覚・日ごろ聞きなれている「音」と違うから。そうなると非英語圏の曲がもっと世界中で聴かれることになると思うのだけれど、その時日本語の歌も「非英語圏の歌」として並列で聴かれるようになるだろう。「J-POP」がより広くグローバル、非日本語圏でも受け入れられる日は来るだろうか。「2022年時点のJ-POPの到達点」とも言える本作を聴きながらそんなことを考えた。

1 Badモード 5:03 ★★★★☆

どこかためらいがちというか控えめなキーボード音、丸みを帯びたベース音。UKジャズ、インコグニートとかを想起させる音作り。ボーカルは軽やかな中にもどこか肉体的な重み、リアリティがある歌いまわし。復帰後の特徴的な声。途中からなんとなくチープな(意図的だろう)管楽器を模したキーボード音。「落ち込んだ誰か(大切な人)に寄り添う」的な歌詞で、アルバムジャケットに子供の後ろ姿があるし自分の子供に向けたあやすような曲なのかと思ったら歌詞の中に「Diazepam(ジアゼパム、抗不安剤)」という言葉が出てきてより深刻な悩みをもった大人を慰める歌、とも取れる。プロデューサーはロンドン在住でFloating PointのSam Shepherd。

2 君に夢中 4:17 ★★★★☆

ミドルテンポで言葉が躍るような曲、キーボード・ベースの音がけっこう手数が多くメロディアスなフレーズを反復する。プログレ的とも取れる。プロデューサーのA.G.cookはテクノの人なのだろうか。ロンドン在住のプロデューサー。バブルガム・ベースの旗手、らしい。ベースラインが印象的な曲。英詩と日本誌の切り替わりが自然で、両方の言語がシームレスに繋がっている。

3 One Last Kiss 4:09 ★★★★★

エヴァの主題歌。昨年、日本を席巻した曲だろう。2から続いてA.G.Cookのプロデュース。改めて聞くとミニマルテクノというか、独特なビートと音色を感じる。A.G.CookはHyperPopの始祖の一人とされているようだ。なるほど、そういう文脈に位置づけるとしっくりくる音なのかもしれない。歌メロとビートが絡み合い、メロディアスなのだけれど「音」としても印象に残る。

4 Pink Blood 3:17 ★★★★

プロデューサーは小袋成彬(おぶくろなりあき)、ここ数作でタッグを組んでいて、逆に宇多田ヒカルプロデュースでソロデビューしたりもしている。現在ロンドン在住、ということなので日本人だがロンドンのプロデューサー、と言えるか。全体的にUK、ロンドンのプロデューサーと組んだ曲が多い。複数のボーカルラインが絡み合う、Sakuraドロップス以来の作曲手法。プログレ的というか、Enyaとかも使っていたポリフォニー的な表現。

5 Time 4:58 ★★★★

引き続き小袋プロデュース。最初は初期のころのような90年代的R&Bのビートからスタートするがだんだん引っ掛かりのある独特なビートに変わっていく。ただ、骨子は歌いまわし的にも初期からイメージされる「宇多田ヒカル」な曲。歌謡曲テイストも感じさせるR&B。そこにキーボード音やビートなど新しい要素を持ち込んでいる。「叶わぬ恋」を胸に秘める曲とも取れるし、「いろいろあった男女(なのか同性なのか、いずれにせよ性愛の対象)の友情」とも取れる。小袋さんに向けた曲なのか、と邪推もできるのが面白い。

6 気分じゃないの (Not In The Mood) 7:28 ★★★★

1曲目と同じSam Shepherdのプロデュース。この曲はTIDALだと歌詞が配信されていないな、今までの他の曲はされていたのだけれど。少しジャジーでけだるいボーカル。音作りもUKジャズ感がある、そういう持ち味がSam Shepherdのものなのだろう。だんだんと緊張感が高まっていき、突然終曲して次の曲に移る。アルバムの真ん中で「音の緊張感」を高める位置付けか。

7 誰にも言わない 4:40 ★★★☆

浮遊するような音、この曲は小袋プロデュースに戻った。それぞれのプロデューサーの音の差はあるな。小袋は比較的J-POP的なビートというか、やはり日本人的なビート感覚を持っているような気がする。凝っていないわけではないが理解しやすい。海外の人が聴くとかえって新鮮だったりするのだろうか。あるいは宇多田ヒカルの色、本人の嗜好が強く出ているのかも。昔の宇多田ヒカル(活動休止前)との連続性も感じる音。あくまで「共同プロデューサー」をそれぞれの曲で迎える形なので宇多田ヒカル本人もトラックを作っている。他のプロデューサーはそれぞれの色が確立している、そういう色を取り入れるために依頼しているとも言えるが、小袋の場合はほかのプロデューサーほど独自の色が確立されていないから宇多田本人の色を具現化する、という側面もあるのかもしれない。

8 Find Love 4:37 ★★★☆

こちらも小袋プロデュース、英語詩の曲。弾むようなメロディだが、完全に英語詩よりはやはり日本語詞の方が味わいを感じるな。母音も発声法も違う言語だから、宇多田ヒカルがネイティブレベルでスピークできるとはいえ歌い手としての違いはある。言語の差というのは歌に及ぼす影響は大きい。同じ声ではあるのだけれど節回しや聴感、「音」としてはだいぶ異なって聞こえる。

9 Face My Fears (Japanese Version) 3:38 ★★★★★

音の迫力が増す、おお、全然違うな。Skrillexプロデュース。こちらはUSのアーティスト。今のハリウッド映画の主題歌のようなサウンドとも感じる。ダブステップ(のサブジャンルのブロステップ)の代表的なアーティスト。クラブ仕様のトラックで大胆にアレンジしている。宇多田ヒカルの歌声、曲そのものの骨格はそこまで変化していないのに、トラックでここまで変わるのか。ドラマティックなトラック。

10 Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー 11:54 ★★★★☆

最終曲、1曲目と同じくSam Shepherdプロデュース。ジャジーというかUKジャズ、アシッドジャズ/ジャズ・ファンク的なサウンド。そこにエレクトロニカの要素が入ってくる。これも英語詩のようだが音像としっくり合っている。いやぁ、トッププロデューサーっていうのは凄いな。だいぶ歌の余白があるというか、ダンサブルなトラックがあり、その中の構成要素として「声」がある。もちろん、歌声が入っているところは歌声にスポットが当たるのだけれど、全体のアンサンブルの中で声の快楽度を上げるように作られている。ほとんどクラブトラックだが完成度は高い。アルバム終曲。

Bonus Tracks

11 Beautiful World (Da Capo Version) 5:57 ★★★★☆

ここからボートラ。映画(エヴァ)でも使われた過去曲の別バージョン、これは誰がプロデューサーなのだろう、Discogには情報がなかった。ベースだけに組み替えた部分など、アレンジが斬新。セルフリメイク、という情報しか出てこないからセルフプロデュースなのだろうか。いや、どうも小袋プロデュースの様子。なるほど。でもこの曲は彼の持ち味が活きていると言えるかも。ビートは単調だけれどうまく足し引きがなされている。

12 キレイな人 (Find Love) 4:37 ★★★★☆

これはなんでボートラ扱いなんだろう、すでにシングルB面とかで発表済なのかな。ああ、8曲目の日本語バージョンか。こっちの方が全然いいね。もともとSHISEIDOのCMソングか。ということは小袋プロデュースだろう。ボーカル以外は同じなのかな。だいぶ印象が変わるのだけれど、アルバムの中の流れも影響しているのだろう。編曲どうこうもあるけれど、ベースの音の迫力とか「音色・音響」の部分での差異がある。ヘッドホンで聞いているからそういう細かい差異の影響が拡大されるのはあるだろうけれど。

13 Face My Fears (English Version) 3:39 ★★★★

これは9曲目の英語バージョン。トラックは日本語版と同じくSkrillexプロデュースだな。かなり音を切り刻むというか派手な音作り。ただ、これも日本語詞の方がいいな。声を張り上げるところはいいのだけれど、ヴァースなどでつぶやくようなところは発声法の差なのか英語の方がどうも倍音が少なく(声が細く)感じる。日本語だと意味も入ってくるからより耳(脳)が反応して声を聞き取りやすくなることもあるのかもしれないけれど。

14 Face My Fears (A.G. Cook Remix) 5:22 ★★★★☆

同じ曲のA.G.Cookバージョン。USとUKのトッププロデューサー同士で聞き比べできるのは面白い。ピアノフレーズは入ってくるんだな。これはもともとの曲の構成要素なのだろう。そこから電子的な加工が入って加速感が出るのは同じだが、こちらはもっとアンビエント、浮遊感が強めのアレンジ。ただ、いずれにせよ主題歌的なドラマティックな曲だな。音のかけらが飛び散るようなサウンドスケープに。ちょっと攻殻機動隊というかP-MODEL的というか、平沢進的な「人の声をアルペジエーターにかけた」ようなアレンジ。これはこれで面白い。


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