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感情の消えた夜 境界線 Ⅳ

海の底より濃く

私の日常は小さな会社で簡単な事務を繰り返す事だった。彼の日常は携帯電話のパーツをひたすら同じ様に組み合わせていく事だった。
決定的な違いはその先にある動機ではあったけれど、何かを繰り返す事にはそう大きく違いなかった様な気がする。

彼と私はよく話す様になっていた。と言うか彼がお喋りなのだ。
この頃は週末に喫茶店で食事をした後彼の家で二次会の様に取り留めのない話を聞いたり、彼が弾くギターの音色を聴いたりしながら映画を観たりするのが十八番。

ある金曜を跨いだ深夜二時、彼は一向に口を休めない。

「ものの善し悪しを伝える時にわざわざ比較対象を出して優劣をつけて紹介する人いるじゃん。深夜の通販番組の当社比みたいな。あれってどうかと思うんだよね。確かにわかりやすい気はするんだけれど、伝えたい事の本質がぼやけて伝わりにくいと思うんだよな。本当にお勧めしたいなら単純にそれ自体のメリットとデメリットを伝えればいいと思うんだよ。」となにかと私にとっては割とどうでもいい事の感想を語りたがる。

「何かを蔑んで何かを棚に上げるようなのってあまり好きになれないんだよね。個人的に。良い悪いとかではなくてさ。」

そういう話をあまりにも楽しそうに喋るものだからよくわからなくても愛おしく、彼の好きな部分だったりするのだけれど、今日ただそれを聞いてうなづく気分ではなかった。

「難しいことはわからないけれど、海に落ちた時沈むものは底へ向かうし、そうじゃないものは空へ向かうじゃない。どちらでもいいのよ自分の心が足を向けたいなら。」そう言って私は彼の耳に手を当てて顔を重ねた。

言葉を失う彼はまるで水に溶ける氷の如く、私の海の中では形を保てない。

わずかに震える口元、静かに響く胸。
彼の火をつけた煙草が灰になり煙の色が薄れゆくなか。

今宵、低きに流れ海月は宙を舞う。

感情の消えた夜 - 境界線 Ⅳ - アルバム下書スケッチ 

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