相手の話を聴くときに本当に必要なこと …その1
こんにちは。段々めんどくさくなくなってきちゃってるめんどくさい研班長の辻本です。
人の話をよく聞いてわかろうとする姿勢のことを「傾聴する」と言いますね。とても大事なことなので、どうしたら傾聴できるのかという話がいっぱい出ています。
これ、自分の気が逸れていると傾聴できないんですよね。
というところから話を進めてみたいと思います。
相手の話すことをちゃんと聞いてやろうと思って相手の顔を見ていても、聞きながら自分の気があっちこっち向いている時は耳に頭に入ってこないんですよ…いやこれマジで。ましてやスマホいじりながら人の話を聞くとか、絶対無理ですよね〜。みなさんも自覚経験ありません? 特に家族とか、親しい間柄だと、なんか上の空で話を聞いちゃうとか、別のこと考えながらウンウン相槌を打っちゃっているとか…。話す側になった時に相手にそういう態度をとられて話す気が失せたとか。
聴いて欲しいのにちゃんと聴いてもらえてないと、無意識のうちに不満がたまったりするものです。その不満を解消するために、だんだんと「聴いてもらえないけど別にいいや」と自分を守る「スキル」が上がっていくわけです…。自分の言いたいことだけ言うとか、そもそも話さなくなるとかで現れてきますかね。もしくは面白い話にしてみるとか、話を大きくしちゃうとかの聞いてもらう工夫に走るなどもあると思いますが、とにかく聴いてもらえないっことて、結構ダメージあることだと思います。
例えば“親と子”や“先生と生徒”みたいな大人と子どもの関係。生きる体力のある子どもだと、相手が聴いてくれるまで諦めずに働きかけます。自分の要求を満たしたいですからね(これを「わがまま」と見みないことです)。話を聴けない大人は要求を満たそうとする態度を「しつこい!」と感じてしまい余計に聴けなくなります。一方、要求を満たされない子ども側は、聴いてくれるまで諦めないか、諦めた後に無力感でいじけたり斜に構えたり、もっと簡単に注意を集める方法…大人を困らせることをする…ということになり、関係は悪化してしまいます。子どもが“いい子”でいることを選ぶと、関係は悪化しないけれども今度は自分のほんとの要求を表に出せなくなってくるか、自分の要求がそもそもなにかわからなくなってきます。分かり合えてない状態が積み重なるのは双方にとってかなり残念なことです。
では、体の上ではどこが聴くことと関係するんでしょうか。
はい!もちろん耳です!
ですよね、まずは。
「聴」の字を分解すると耳・目・心になるっていいますよね。目と耳と心で聴く。グッとくる説明です。
で・も。
耳は音の入り口ではありますが、相手の話を聴くのは、体全部です(大きく出た!)。目と心も含めた体全部。
「相手の話を聴けない」のは頭に気が上ったままおりてこない状態でもあります。せわしなく情報が入ってくるまたは過剰に入れ込む状態が続いていて麻痺しているような。もしくは心配事がいっぱいありすぎる状態とか。それを解決しようとワーとなっている状態であるとか。いわゆるわちゃわちゃしているような時。そういう時はなかなか人の話を集中して聴けないものなのです。
こういう見方をすると、しつこくして大人を困らせる子どもよりも、聴けない大人の方がやばくね? という風に考えられませんか? もし聴けていたら、子どもの要求が満たされたかもしれませんからね。
少し話はそれますが、要求ということについてちょっとだけ触れます。生きているかぎり、要求を満たしたいという思いは、生き物すべてが持っています。その要求が何なのか、表面的な要求(例えば子どもがダダをこねているときのダダの部分)の奥には何があるのか(排泄要求が満たされたらダダをこねなくなったなど)を大人は理解しようとする必要があると思います。「子どもが大人に要求していることを全て飲む」のような表面的な要求を聴いているだけでは、本当の意味では要求を満たしたことにはならない、という想像はつくかと思います。
本当の要求はなんなのか、は、自分が全身で相手から感じるものであって、「こういう時はこう」みたいな決まったルールはありません。上記のダダと排泄がつながっているみたいな傾向的なパターンはありますが、それをやったからいい、というものではないのです。そういう傾向的パターンを適用して相手を制するみたいな考えではなく、相手の要求の元を理解して快の状態にしてあげるという、愛あるコミュニケーションがベースになって、生きていくとか育つということがうまくまわっていきます。
その1をまとめると、「聴く」は耳・頭の単体ではなく、全身で聴く(感じ取る)必要があり、しかもそれは表面的な要求を飲むことなのではなく、相手の本当の要求を満たすためである、ということになるかと思います。「聴く方の全身が今ちゃんと聴ける状態になってる?」ということを考える必要があることの説明になったでしょうか。
数多くの中からここに出会ってくれてありがとう!