お金の歴史~物々交換から紙切れへ~【経済】
今回は「お金の成り立ち」についてアウトプットも兼ねて解説していきます。
物々交換の罠
まず経済の始まりは物々交換でした。
もしここが理解できていない場合は、下記のnoteを読んでみてください。
物々交換は、お互いの持っている価値に大差がなければ成立する仕組みでした。
この前の例で言えば、リンゴ1個と魚1匹の価値はあまり変わらないということです。
では下記の例ではどうでしょう?
「リンゴ農家が家を建築して欲しいから、リンゴ10年分と交換してくれ」と言われたら?
さすがに困りますよね笑
そのため、交換をする時に何か「価値の仲介」をするものが必要とされました。
金本位制~価値の仲介としてのお金~
多くの地域で、様々なモノが価値の仲介に使われました。
しかし、広い地域で交換を行おうとした場合、どの地域でも価値があると思うモノを仲介に使う必要がありました。
そこで選ばれたのが「金」でした。
金は、モノとモノの交換に比べれば、はるかに便利でした。
しかし、その金にも課題がありました。
それは持ち運びをする際に「重い」ということです。
そのため、お金はいつも金庫に保管されていて、金の預り証が、金と同じ価値を持つものとして流通し始めました。
これを「金本位制」と呼びます。
しかし、その紙幣にもまた問題が起きました。
18世紀のイギリスで産業革命が起きました。
それによって、経済における供給量、つまり「作られるモノの量」が爆発的に拡大しました。
そうしたら何が起きたか?
経済おける基本原則を振り返りましょう。
「価値の低いモノから価値の高いモノへ」
「モノの価値は、量が多いモノは低く、少ないモノは高い」
当時、金の価値の裏付けだった紙幣が、交換の仲介として使われていました。
では、モノの量が増えるのに比べ、金の量は簡単に増えますか?
もちろん増えませんよね。
当時は金の量を増やすには、鉱山から採掘しなければなりませんでしたから!
モノの量が増えてモノの価値が下がっても、金の量は変わらず希少です。
そうなると、お金からモノへの交換、つまり需要が減った結果、交換が起きづらくなり、需要不足でデフレになりますね!
実際に当時、いま説明した理由で「ビクトリアデフレ」という現象が起きました。
金本位制から不換紙幣の時代へ
そして20世紀になり、しばらくの間は新しい金鉱山の採掘で金の量を増やして、金に価値を裏付けられたお金、金本位制を取っていました。
しかし、経済の交換をスムーズに行うのが難しくなり、やがて、「不換紙幣」を使うようになりました。
不換紙幣とは、金の価値に裏付けられないで発行できる法定紙幣です。
これが現在のお金の形です。
昔の紙幣は、同じ価値の金が価値の裏付けになっていました。
しかし現在の紙幣は、私たちが「お金」と思い込んでいるただの紙切れに過ぎません。
そんなものに物質的な価値などありません!
でも、ほとんどの人々が不換紙幣に価値があると信じ込んでいます。
その理由は主に3つです。
信用
裏付け
量
順番に解説していきます。
①信用
私たちが紙幣という”紙切れ”をお金だと思っている理由は、店に行けば紙に書かれた数字と同じ値段の商品と交換できるから。
それを政府が担保しているからです。
②裏付け
金本位制の頃は、紙幣の価値の裏付けは金でした。
同様に不換紙幣にも、その価値を担保する裏付けがあります。
それは紙幣という”紙切れ”が交換を担保する地域全体の経済力です。
分かりやすく言えば、一国の中で作られているモノの総量です。
紙幣は大量のモノと交換できる価値があるので、必然的にその紙幣が交換できるモノの量が価値の裏付けになるということです!
そのため「お金の量 = 作られたモノの量」となるのです!
③量
一国のお金とモノの価値が同じなら、モノよりお金の価値が高くなるのはどのようなときでしょう?
もちろん、モノの量よりお金の量が少ないときですよね!
だからデフレの原因は、お金の量が少ないからなのです!
そもそも不換紙幣自体は、お金の価値とモノの価値をバランスさせるために導入された仕組みです。
バランスが崩れて、お金の価値が高くなりすぎているなら、原因はモノに比べてお金の量が少ないからなのです!
だから、デフレは貨幣現象によって起こる総需要の不足なんです!
お金の歴史が分かれば、デフレの原因も分かるのです!
これでもデフレは違う原因だと言うのであれば、ぜひTwitterでもnoteのコメントでも何でもください!
最後までお読みいただきありがとうございました!
参考
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