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清水坂の“焼き”生八ツ橋―旅の途中で
かれこれ20年ほど前になる。
学生の貧乏旅行で京都へ行った時のことである。
格安の夜行バスで午前6時に京都に着いた私は、八条口のなか卯でうどんをすすった後、早朝の京都観光に出かけた。
閉門時間のない仏閣をさまよい歩いて、ようやく店なども開こうかという時間には清水寺に向かっていた。
五条坂から清水寺へ。朝のためか人気がない。
今でこそインバウンドの波を回避するために、早朝の京都観光を勧めるガイドブックなどあるが、当時は平日の清水周辺などは修学旅行生がいる程度であった。ましてや私が旅をしたのは3月上旬。修学旅行生すら見当たらない。
清水寺を参詣後、今度は土産物屋の並ぶ清水坂を下り始めたところで、土産物屋のおばあさんに声を掛けられた。
「お兄さん、これ美味しいから食べてみ」
おばあさんに差し出されたのは、店先の鉄板で軽く焼いた生八ツ橋であった。
「生八ツ橋」と聞くと、三角形をしたあん入りのものを想像するだろが、本来「生八ツ橋」はあの三角形の生地のみを指す。
生地を箏状に湾曲させて堅焼きにしたものを「八ツ橋」、生地を焼かずに長方形に切ったものを「生八ツ橋」という。
では、三角形をしたあん入りのものはというと、本家西尾八ッ橋では「あん入り生八ツ橋」、聖護院八ツ橋総本店では「聖」、井筒八ッ橋本舗では「夕子」とそれぞれの名称が付いている。
おばあさんに差し出されたのは「生八ツ橋」を軽く焼いたもので、表面は香ばしく、中は半生でもっちりとした食感。焼かれたことでニッキの香りが立ち、堅焼きにした「八ツ橋」とは異なる味わいであった。
何よりほんのり温かいのが嬉しい。
ニコニコと微笑むおばあさんの暖かみと、早朝から歩いて空いた小腹を満たす甘味が忘れがたい思い出となった。
惜しむらくは、貧乏旅行でケチってそのお店で生八ツ橋買ってあげなかったことだ。
以来、京都に行くと度々生八ツ橋を買うようになったが、未だに鉄板で焼いたあの味を再現できたことは無い。