「忠臣蔵」の曲がり角―「四十七人の刺客」30年
時に元禄十五年十二月十四日―、今年も赤穂浪士の討ち入りの日がやってきた。
今回は、高倉健の没後10年を記念して、「日本映画誕生100周年記念作品」として製作された「四十七人の刺客」(1994)を取り上げようと思う。
「四十七人の刺客」とは
原作は池宮彰一郎の同名小説。
大筋は「忠臣蔵」を踏襲しつつも、従来強調されてきた主君への忠義を主とした「義挙」の側面を取り上げず、赤穂浪士と吉良・上杉家との情報戦にフォーカスした作品。
映画は市川崑監督の下、「日本映画100周年」ということで、高倉健・中井貴一・宮沢りえ・西村晃・浅丘ルリ子・森繁久彌など名だたる名優が出演している。
高倉健にとっては、26年振りの時代劇であり生涯最後の時代劇作品でもある。
「忠義」に依らない討ち入りの理由
「忠臣蔵」では、松之廊下の刃傷事件により、主君・浅野内匠頭は即日切腹であったのに対し、吉良上野介はお咎めなしとなったことを不服と感じ、主君の仇討ちを決行する、というのが一般的な流れである。
そこに、吉良の浅野に対する悪辣な仕打ちなどが描かれ、浅野の無念を晴らす「義挙」がより正当化される。
しかし、本作では刃傷事件の真相やその前後の吉良・浅野の関係などが明かされることは無い。
また、実際の赤穂事件では、浅野内匠頭の弟・浅野大学をして浅野家を再興しようとする動きがあるが、本作では赤穂城開城とともに、以下のような理由で早々に討ち入り一択となる。
つまり、主君の仇討ちというより、武士としての誇り・面子を潰されたことに対しての復讐という側面が強調されている。
それが故に、「(吉良を討つ名目となる刃傷の真因は)どのようにでも作り出せる」とし、吉良が「なぜ浅野内匠頭が刃傷に及んだか、その理由を知りたいであろう」と命乞いをした際も、「知りとうない!」と一蹴し吉良を切り伏せたのである。
歴代一マッチョな大石内蔵助
大石内蔵助と言えば、「昼行燈」などと称され鷹揚な人物のようでいて、浅野家再興の根回しや周到に討ち入りを計画する抜け目のない策略家としてのイメージが強いが、高倉健の大石内蔵助はイメージが異なる。
吉良方の刺客は自ら切り伏せるし、吉良邸でも表門に棒立ちではなくずんずん攻め込んでいく。
挙句、定説とは異なり炭小屋に単身飛び込み、自ら吉良を追い詰め首を取りに行くのだ。
また、討ち入りに際しては、長谷川一夫の「各々方、討ち入りでござる」のような重々しい雰囲気ではなく、「今宵、吉良を殺す」「全員斬って捨てろ」と任侠映画の「健さん」を彷彿とさせる怒声が印象的である。
高倉健の大石内蔵助は、一貫して「刺客」「暗殺者」としてのそれであり、とにかく戦闘力が高そうでヒロイックな行動を取る内蔵助なのである。
製作現場の不和と芳しくない評価
「高倉健は現場で座らない」と言われるが、これはひとえに演技への気持ちを切らさないためだという。
演じるまでに役柄を身体に沁み込ませ、フィルムにその「気」を焼き付けるまで気持ちを維持する。そんな演じ方をする高倉健にとって、降旗康男監督のようにリテイクをほぼ行わない一発本番の監督と相性が良いようだ。
その気の入れようは徹底していて、討ち入りのシーンでは長時間の戦闘で疲弊してるはずと、撮影の直前までスタジオ周辺を衣装のままランニングし、吉良を斬るシーンでは、あまりに「刺客」になり切りすぎ、吉良役の西村晃が心底怯えたという。
対して市川崑監督は、自分の思い描く「絵」が撮れるまで何度もリテイクを繰り返す。高倉健のアプローチがどうであれ、自分の「絵」でなければ撮り直す。撮り直しの度にスタジオを走る高倉に待たされるのも面白くない。
お互いにそのキャリアは認めつつも取り組み方の違いや拘りは、現場で軋轢となったようだ。
「日本映画誕生100年」と東宝が威信をかけて製作し、「カツラは似合わない」と渋った高倉健が、出演するからにはと徹底して大石内蔵助になり切って「気」を入れた作品であったが、その年の配給収入トップ10が軒並み10億円を超える中、本作は5億円とイマイチな結果となった。
また、定説の「忠臣蔵」から離れ、「風雲!たけし城」(1986-1989)やバブル期に流行った巨大迷路のように要塞化した吉良邸も評価を下げる要因だったように思う。そもそも、「忠臣蔵」で観客が呼べる時代はとうに過ぎていたのである。
結果、高倉健はより出演する作品を慎重に選ぶようになり、次の「鉄道員(ぽっぽや)」(1999)出演まで、当時自身最長の5年のブランクが生じている。
「忠臣蔵」の曲がり角
本作公開以降も、「忠臣蔵」を題材とした作品は作られているが、日本映画においては、「最後の忠臣蔵」(2010)、「決算!忠臣蔵」(2019)、「身代わり忠臣蔵」(2024)と三作しかなく、いずれも本流の「忠臣蔵」から視点を変えた作品ばかりである。
「忠臣蔵」の多視点化という意味で「四十七人の刺客」はそのターニングポイントだったと言えるかもしれない。
オールスターキャストで「忠臣蔵」を描く、日本映画黄金期の香りも残しつつ、その討ち入りの意味は大きく変容している。
それはちょうど、バブル崩壊とともに会社に忠義の心を抱けなくなっていく世相ともリンクしているのかもしれない。
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