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こんにちは〜^ ^ 自由気ままに生きたい主婦、miyabiです(^^♪ 今日は○○○でぶっ倒れたというお話です。 結局何の話かといいますと 昨年の秋ごろにですね トイレでぶっ倒れた話です(-_-) あっ、家のトイレです 笑 (運転中とかじゃなくてよかった) 座った時に 立ち眩みみたいになって (座ったんだけどね、、) あ~いつもの立ち眩み系か~ と思ってじっとしてたんだけど 気づいたら床の上でした(-_-) 気が付いたときは 「ここどこ??夢?」 って感じで頭が
こんにちは〜^ ^ 自由気ままに生きたい主婦、miyabiです(^^♪ 今日は私がなぜネットでビジネスを始めたのか 今どういう状況かとかお話しようと思います^^ まず、私は今子育て、仕事、家事に追われ 平日も休日も毎日バタバタしています。 自分の自由時間が…ない(-_-) …という理想とは真逆の状態です。 (自由気ままに生きたいのです…) 仕事が理由で 子供に我慢させていると感じることもあります。 このまま会社に勤めてていいんだろうか… と思うようになりました。
こんにちは〜^^ 自由気ままに生きたい主婦、miyabiです^ ^ 今日はですね、 私が19歳くらいの時に 父から言われた 働き方の 価値観の違う考え方のお話です。 私は父が40過ぎの時に生まれたのですが (兄姉がおります) なんというか 私からすると 仕事に対して古い考えを持ってる という印象を持ってました。 小さい頃の私から見た父は 朝起きて朝食食べて コーヒー飲んで 7:30には家を出発して 夜は19時過ぎ頃帰ってきて 晩ごはん食べて ビール飲んで テレ
こんにちは^ ^ 自由気ままに生きたい主婦、miyabiです(^^♪ 今回は 「個人で稼ぐ教育を受けてこなかった私たち」 というお話です。 とある方のラジオで 「私たちは雇われる為の教育を受けてきた」 と言う事をお話しされてまして。 そうだったのか( ゚Д゚)! と気づかされましたので 私の昔話とともにお話したいと思います^^ 私は学生の頃 何のために勉強してるかも分からず 興味の持てない事も勉強して かと言って 自分がしたい事も分からず… なんの為に勉強してる
化粧品コーナーにて。 誰かが教えたわけでもないのにどこからか仕入れた知識で(YouTubeかな?)アレコレ知っているらしく、興味深そうに色々見てる。 俺が昔本屋さんで色んな漫画眺めてたような感覚なのかな? 買いはしないけど、「へ〜こんなのあるんだぁ」ってワクワクしながら見てる感じ。 「若くて可愛いし、肌だってプリンプリンなんだから化粧なんかしなくていいのに」とパパやママはつい言っちゃうけど、そういうことじゃないんだろうな。 たまにママの化粧品を勝手に使ってほっぺたや
学級懇談会だった。 参加人数は少ないながらも、学級の現状を憂いている人達が集まったので色々な情報が聞けて有意義だった。 まぁ、この学級は良くない。 悪い状況がずっと続いている。 この日も懇談会を始めようというのに教室で話し声するから何かと思えば、携帯を持ってきていたらしい。 授業は中断されることがあったし、誰彼構わず囃し立てるのもあったようだ(これにうちの子が被害にあっている)。 まあそりゃ行かなくなるわ。と呆れる程のエピソードに、私の子供の現状を話すよりも知らなかった事
中1、2の恩師U先生 長男の2回目不登校を語るにあたり、中1、2の担任だったU先生を忘れてはいけない。U先生はお若い小柄な体に、どこからその熱意が出てくるのだろう?と思えるほど、愛にあふれた先生だった。 実は長男の学校にはコースがあって、どういうわけか?長男は特進コースに入っていた。しかも中1の最初の頃は、ある程度の上位層に食い込んでいた。しかし2学期以降、だんだんと体調を崩し始めてから、成績も下降気味になっていた。 U先生には、小学校の頃の不登校について、起立性調節障害
長男を変えたI先生 太ってしまったこと、よくない生活リズムになっていること、ゲームに逃げ込んでいること。 誰よりも長男自身が一番わかっているはずだ。それなのに、食べ物も隠しても見つけて食べるし、運動しようと言っても反発する。 あの頃の長男は、自分の「負」の状態を認めるのが怖いから、目を伏せ続けているように見えた。中2と言えば、世間一般で言う反抗期でもあり、親の言う事なんて、素直に心に響くはずもなく・・・。 その日も相変わらず無愛想、ふてくされた態度の長男を前に、I先生は静か
PTA委員会 私はこれまで、学童保育の保護者役員は3年、小学校の学級代表は2年やったことはありましたが、PTAの中心母体には一度も参戦したことがありませんでした。 にも関わらず、長男が高3になって、ひょんなことから初めて参加してしまいました。 中高一貫校で、6年間のうちの2年間学校に登校できず、その間たくさんの先生方にお世話になり、本当に助けていただきました。 そのお礼が少しでもできたらいいかな・・・と思って、担任の先生からのお願いを断れず(笑)。 細かいことを書いてしま
再び小児科へ 長男はインフルエンザが治った後、中1の2月にはほぼ完全に登校できなくなっていた。電車に乗らなくても頭痛と吐き気が続く。昼過ぎにならないと起きられないし、動けない。 そんな長男の姿に、何か重病が潜んでいる恐怖を感じながらも、別の言葉が再び脳裏をかすめるようになっていた。 「起立性調節障害」 まさか2回目なんてあるはずないと勝手に思い込もうとしていたが、目の前の長男の状態は、どう見ても小学校のあの頃を彷彿させた。 私が直感的に「この先生だ!」と感じた、小児科主任
事態はさらに悪いほうへ 長男自身、バスが一番酔いやすいと感じていたため、最寄り駅まで私が車で送り届けるようにもしてみた。 しかし電車に乗ってすぐに気分が悪くなり、下車して休憩。 それでも「もうちょっと」と再び電車に乗り直し1駅我慢するものの、やはりダメ。結局3回ほど駅で乗り降りをし、嘔吐を繰り返し、心が折れて・・・そのまま帰宅してくるということが起こった。 それでも、私の中ではまだ「長男はただ酔いやすいタイプなのかもしれない」と正常化バイアスがかかっていたのだろう。 でき
中学校生活が始まった 無事に入学した中学校は私立の中高一貫校。 新たな生活が始まった長男。 自宅からはまずバスに乗り、最寄り駅に行って電車に乗る。ドア to ドアで1時間、都会にある学校の割には比較的遠い方だった。 宿題が非常に多い学校で、元より「宿題をする」ことに慣れていなかった(それもどうなんだ!?)長男は、最初は生活に慣れるのが大変だった。 それでも、新しくできた友達とグループLINEで繋がったり、遊びに行ったり、元気に楽しく過ごしていた。 体育祭。 不登校時期に
完全に迷子 前回の記事では自力で前を向いた感じになっていたけれど、まさかひとりで簡単に舵を切れたわけもなく・・・やはりここを書かなきゃいけない。 メンタルを崩壊してしまった人間は、そう簡単には立ち上がれないんだから。 ゼンタングルという絵を描く時間を、少しずつでも持ち始めた私。描いては子供達に見せていたが、子供たちもそんな私を見て喜んでくれていた。 ということは、そろそろ自分を優先してもいいのかもしれないな・・・と、ほんのりと思い始めた。 だが「自分を大切に」という言葉
「執着」を手放す メンタルクリニックに通い始めた頃は 「子供が独立した後に生きていく気力がない」 「年を取った後のことが想像できない」 「誰にも邪魔されずひとりになりたい」 「消えたい」 ・・・そんなことをずっと泣きながら 先生に訴えていました。 これが今からたった1年半前のこと。 負のスパイラルの中に 加速度的に堕ちていくというのも 「うつ」症状だったのですよね。 お薬をちゃんと飲み、 なおかつ睡眠時間を確保すること、 そしてなにより少し“いい加減”になることを 心掛