アコンカグア13日目:南米最高峰に立つ
2019年2月2日(土)
出発
サミットプッシュの朝を迎えた。朝4時、まだ日は昇っていない。
そして雪が降っているのか、テントに氷が当たるような音がする。
ヘッドライトを点ける。テントのファスナーを開けて外を見てみると、地面が真っ白になっていた。とりあえず火を起こして、昨日作って寝袋に入れておいた水でお湯を沸かす。
朝食用に取っておいた最後のラーメンを茹でる。
この戦いを今日で終わらせる。そんな気持ちでいたが、もちろん天候によっては途中で引き返さないといけない場合もある。
日本で待ってるみんなのためにも、とにかく生きて帰ってこよう。そう思った。
お湯は魔法瓶のボトルに入れて、ふつうのボトルにはぬるめのお湯にアミノバイタルを溶かす。動かしていないと凍ってしまうので、凍る前に飲まないといけない。
水は合計で1.5リットルくらい持っていく。これで往復12時間を乗り越える。
いくつかのヘッドライトが光るのが見えた。近くのテントにいた登山グループの人たちだ。合計で8人くらいだろうか、今日、サミットプッシュをするんだろう。
日が昇るまで彼らの後についていこう。そう思って、急いで準備を整えた。
ダブルブーツを履いて、ふだんは着けないミトングローブをする。気温はそんなに低くない気がした。
2度目のサミットプッシュへ出発だ。
雪
やはり昨晩、雪が降っていたようだった。軽く積もっている。足跡が見えなくなっているため道を逸れないためにも、なるべく余計な体力を使わないように、前方のグループについていくことにする。
ペースは早すぎず、遅すぎず、ちょうどよかった。12時間も歩くので、とにかく一定のペースを保って息を切らさないように体力を温存しておく。息が上がってしまうと回復するのは難しい。
途中、小休憩を取りながら登っていたので足を止めることもあったが、道が細く一本しかないため追い越すことはできない。
先に行っていいよ、と言われたが、僕にとってもちょうどいいペースだったので、そのまま一緒に行くことにした。
どうやらこのグループはチリから来ている空手のグループだった。僕が日本人だとわかると知ってる日本語を話してくれた。ガイドが2人、そのほか登山者が6人いた。
サミットプッシュは2回目で、前回は6,400mで撤退したことなどを話した。
しばらく登っていくと日が昇ってきた。夜明けだ。ヘッドライトを消す。
前回撤退したインデペンデシアまであと少しだ。
未知の領域
半壊した小屋が見えてきた。ここが僕が前回撤退した6,400mのインデペンデシアだ。登り始めてから3時間くらいだろうか。
前回来たときと様子が変わっていて、前方の登山道が雪道になっていた。
ここから先は未知の領域だ。そして残念なことにアコンカグアの難関はここからなのだ。ここからがアコンカグア本番とも言える。
一つは大トラバースという山の斜面を横切る細い一本道、直接風が当たるので強風だと動けなくなる、一歩足を外したら滑落して死が待っているだろう。
もう一つはグランカナレーターという山頂まで続く急勾配の斜面だ。40〜60度あるという。
大トラバースを進んでいく。前方と距離を保って、ゆっくりと進んでいく。一歩踏み外したらあの世行きだ。
強風で飛ばされたのか、途中まで雪はなかった。ちょうど半分くらいまで来たところで雪が見えてきた。ここでアイゼンを装着する。
アコンカグア登山の最後の日、6,500mを超えたところでようやくアイゼンの登場だ。これがないとこの先登ることはできない。
アイゼンで歩くのはほぼ初めてだ。歯を引っ掛けないように少しガニ股気味に歩くのがポイントだ。歯を引っ掛けると転んでしまうのと、歯でパンツが簡単に破けてしまうので、とにかく慎重に地面にアイゼンが刺さっているのを確認しながら歩いていく。
意外にもアイゼンでの歩行は歩きやすい。歯が雪に刺さって滑らないため踏ん張りが効く。より少ない力で登ることができる。
休憩を挟みながら、確実に頂上に近づいていく。そして大トラバースを通過して、大きな岩場に出た。
最後の難関
前方には一人のアメリカ人とそのガイドがいた。今日の登山者はこれですべてだろう。岩場で最後の休憩をして、頂上を目指すのだが、勾配が急すぎてどこが頂上なのかわからない。
チリ人のガイドに、バックパックをこの岩場に置いて、ボトルだけジャケットの内側に入れて登るようにアドバイスされる。
頂上まであとちょっとのところまで来ているんだ。それだけは確実だ。
おそらく標高は6,700mくらいまでは来ているだろう。山頂まであと300mもないのだが、
イッテQのイモトはこのグランカナレーター前で撤退した。この300mは近いようでとても遠い。
チリ人の一人はここでガイドと一緒に下山するようだ。顔色が真っ白になっている。多くの登山者がこのグランカナレーターを前にして下山しただろう。
ここまできて引き返すのはとても勇気がいる。
アメリカ人を先頭に、チリ人のグループ、僕と頂上に向けて出発した。
登ってすぐ実感した。このグランカナレーターはかなりキツイ。いままで苦労して登ってきたのが嘘かのように、容赦なく立ちはだかっている。
出発からすでに8時間くらい経っているだろうか、この標高で、これだけ歩いたあとに、グランカナレーターが登山者の行く手を阻む。
さらに酸素は地上の半分以下。
まさにラスボス。
登りたくても登れない。進みたくても進めない。本当にそんな感じなのだ。体が思うように動かない。山頂はどこなんだ。何度もそう思った。
そして不運なことに、あとちょっとのところで天候が悪化し、雪が降ってきた。
南米の頂点
先頭のアメリカ人はかなりつらそうだ。ほとんど歩けていない。僕もかなりつらかった。
一本道で勾配のある雪道だ。追い越すことはできない。みんなで一緒に登頂する!そういう気持ちだった。
雪がなくなってまた岩場になった。そこを登ったら山頂だよ、とチリ人のガイドが教えてくれた。
この岩場も段差が大きい。ツライ。しかしその段差を越えるとそこは、大きく開けていた。周りの景色を遮るものも何一つなかった。
中央には「Aconcagua」と書かれた旗があった。紛れもなくここがアコンカグアの山頂だった。自然と涙が出た。
2度目のサミットプッシュ、入山から13日目。ついに僕は南米最高峰6,962mに到達した。
しかし感動は一瞬だった。呼吸がキツかったのと、明らかに天候が悪化して吹雪いてきていた。周りはホワイトアウトしていて何も見えない。山頂からの絶景を期待していたのに、これがアコンカグア名物ビエント・ブランコ(白い悪魔)だ。
こんなにいろんなことを経験させてくれて、アコンカグアのフルコースを体験してもう十分だ。
早く下山したい。早くシャワーを浴びたい、ステーキを食べたい、ワインを飲みたい、早く下山したい、早く下山したい、それだけだった。
僕が登頂して数分後、2, 3人登山者が登ってきた。見たことがあるモンベルの服装だ。
あ!あのときの日本人!
今日登ってたんだ。C3にはいなかったはず。
僕はすでに話す元気もないくらい消耗していたが、彼は先日C2からサミットプッシュをしたけど、撤退して、今日またC2から登ってきたそうだ。
C2から登り始めて僕よりも遅い登頂なので、けっこうゆっくり登ってきたんだなと思った。そしてこれからC2まで戻るのか。大変だ。
名前はジュンヤさんと言うそうだ。ベースキャンプでまた会おう。そう言って僕は先に下山を開始した。
白い悪魔
時刻はすでに16時を過ぎていた。4時間くらいあればC3に戻れるので、日没までには帰れそうだ。
しかし吹雪はさらにひどくなってきていて、目の前は見えなくなっていた。
これがアコンカグア名物のビエントブランコ、別名「白い悪魔」と呼ばれている。これがアコンカグアが風の山と呼ばれる所以だ。
出発前に見た、映画エベレストが脳裏をよぎる。エベレスト登頂後の下山中に起きた大遭難事件だ。
一人でなかっただけよかったが、僕は冷静ではいられなかったと思う。とてもカメラを回す余裕などなかった。
「Are we OK?」
前方を歩くチリ人のガイドに、そう聞かずにはいられなかった。
そして急勾配のグランカナレーター、登りもキツイが下りもキツイ。40度以上もある勾配を、体を横にしながらゆっくりと下りていく。
荷物を置いてある岩場まで戻ってきた。荷物を回収して大トラバースを下っていく。
このあたりは目の前も見えず、必死だったためかあまり記憶にない。余裕がなかったのだろう。
下山
インデペンデンシアの小屋が見えた。ここまで来たらもう安全だ。空も晴れてきた。
ここからC3を見下ろす景色が絶景だった。雲の上を歩いている、そんな感覚なのだが実際にそうだ。
頂上では雲で何も見えなかったため、これがアコンカグアで一番の絶景だったように感じた。
さすがに疲れが溜まっていたのか、前方のチリ人のグループとの距離が離れてしまった。
だんだんと日が暮れてきていた。
20時を過ぎて、ようやくC3コレラに帰ってきた。チリ人のグループ全員とハグをした。
往復15時間もかかってしまったが、2度目の挑戦で南米最高峰に到達することができた。
間違いなく自分の実力を超えた挑戦だった。今までの人生で経験したことのない大冒険だった。
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