合理はつまらない。
なんでこの記事を書こうと思った?
合理的すぎるとおもんないよね。だって、バカ賢い人が一瞬で出すロジックと、アホが長い時間をかけて組んだロジック、結局はほぼ同じになるんだから。
こんな話をしていた。それをきっかけに、面白そうだと思った文章をいくつか読んでみた。そしたら色々と書きたくなった。
合理はつまらない。感情軸で行こう。
以下引用
これを読んでみて、
こんなメッセージ性だった気がした。全部全部合理的にって言い出したら面白くなくなってしまう。
序盤で言った通り、合理的に考えるってことは、みんなある一定同じ答えにたどり着くということ。それだったら、俺が考える意味がない。
だったら、みんな、画一的な「幸せを手にする手順書」でも読みながら生きていけばいいじゃんか。
個人個人、みんな重きを置く部分が異なる。感性が違う。何にどれほどの幸せを感じるかが違う。だから面白いって思ってるんだけども。
人は、自分が唯一無二とか、オリジナリティを持っているとか言いがち。けど、基本はなにかの模倣の塊でしかなくて。
でも、何をどの程度模倣するか?の度合いが人によって全然違うし、その人生において真似したくなったり、取り込みたくなる対象も全然違う。という意味では、2つとして同じセンス・感性は存在しないから、みんなオンリーワンなのかもね。
合理で考えると、圧倒的な答えにたどり着くはずなんだけど、みんな全然違った価値基準を持っているから、どこまで行っても「絶対的解」には出会えないわけで。
「無駄がない合理的人生」に最大の幸福を見出す人もいないとは言えないけれど、そんなに多くないはず。
合理ベースで、おもしろいこと、幸せなことを台無しにしたくないね。そういう話の腰を折りたくない。
おもしろいから。楽しいから。嬉しいから。幸せだから。
理由なんてこれくらいでいいと思う。
でも、「なんでそれをおもしろい、楽しい、嬉しい、幸せと感じるのか?」の理由は自分のためにも大事にしたい。
ここでビジネスみたいな言葉をぶっこんでごめんけど、それらの感情の「再現性」が高くなって、自分がもっと人生を謳歌出来るようになるから。
ここら辺、俺は結構真剣なんですわ。
ルーティーン。つまらない人生。
上で紹介したnoteの中で紹介されていた文章だ👇
ここら辺の言葉が俺には刺さる。今のルーティーンの毎日、これでいいんだろうか?とは思う。
春からnoteでずっと書いているけれど、仕事に人生が侵食されすぎないようにしたい。
これで良いのか?っていう思い。社会人生活が始まって間もないけど、確実にある。
人生、仕事が全てじゃない。祖父の時代にこんなことは言えていなかったんだろうけど、俺ら世代だったら、この感覚はある一定あるんじゃないだろうか。毎日仕事だけして、それでおしまい。それは悲しいと思う。
YouTubeとかもあるし、自由で多様な働き方の存在を俺らは知っている。
不労所得を生み出して、一生のんびり暮らしたいなんて言っていない。むしろ、それは嫌だ。何も生み出さないで、甘い蜜だけ吸って終える人生は、俺の価値観的には、あんまり魅力的じゃないから。
今のこの生活って、先人の苦労ありきだと思うから、あんまり楽ばっかりしてたら、不義理だと思う。人の助けありきでここまでの人生を生きてきている。
親が仕事を通して、「人の困り事を解決して社会貢献した対価」で俺は今までご飯を食べさせてもらって、教育も受けさせてもらってきた。
次は俺のターンなんだよなあ。今まではただただずっと消費するだけだったけど、今度は何かを生み出すターンなんだよな。
だから、仕事のモチベーションは大きい。大学と違って、頑張りがすごく定量的に評価される。(どこまで行ってもふわふわしたことを、数字に頑張って落とし込んでいるのがビジネスな気がしている。)そしてそれが昇給、昇格に繋がる。全然悪い話じゃない。
今なんか、自分1人じゃとてもじゃないけど、信頼も実力も足りなくて手が届かないような規模の仕事に関わらせてもらえている。ありがとう、会社。
でも、会社で働くってことは、ルールに従うってこと。9:00-18:00は、会社の掟。うちの会社のルールであり、コンサルだから、お客様先のルールでもある。だからしょうがない。
でも、今は理想とはかけ離れている。
もっと短時間で、とっても感謝されるようなことが成し遂げられたとしたら、今の毎日8時間の労働よりも遥かに大きな対価を頂けるかも知れない。
それができたら、8時間じゃなくて、毎日6時間、いや、4時間でも生計が立てられるのかも知れない。実現出来るかどうか?で行くと、出来ると思ってる。
どうやってやるかはまだ、具体的に想像出来ていないけど。周りで現に、そんな働き方をしている知り合いがたくさんいる。絶対できるはず。
「現状のルーティーンへの違和感」から始めたのに、だいぶ話が逸れてしまった。でも、言いたいのは、「既存の仕事の概念」に囚われたり、洗脳されたりすることなく、「今ある社会規範的な正解」を破壊していきたい。社会が思う「正しい人生」の枠組みなんかに俺は縛られないぞ。こういうことだ。
尖ってる発言だな〜と何年かして読み返すのだろうか、このnoteを。わからないけど、これで自分が有言実行出来ていたら、結構カッコいいんじゃないか?
今書いた理想を実現するためには、結構実力が必要。でも、「実力をつけるためには若いうちにプライベートの時間を犠牲にしてでも働き倒せ」みたいな意見は大嫌いだ。
理想にゆっくりでもいいから近づいたら自分は満足だ。別に急いでいない。急ぐあまりに、この目の前の毎日を蔑ろにしたくない。
「今を生きろ」みたいな言葉は、俺のあんまり好きじゃない自己啓発本(大体どれも同じことしか書いてない)に出てきそうだから好きじゃないんだけど、結構これは大事だなって思ってる。
今を大事にしながらも、理想に向かっていく。同じところでは停滞しない。この感覚って幸せなんだろうな。いい塩梅で俺は俺なりのペースでやっていく。俺の価値観が俺の人生においての正解なので。
合理性と信頼
「合理的な人は損をする?あなたは信頼される人ですか?」
上ではカッコつけて、「俺の価値観が俺の人生においての正解」みたいなことを言ったけど、これは本気で思っているし、真理だろう。
経済合理性を取る?人の信頼を取るか?別にどちらも正解だと思う。お金とか損得ベースなら、経済合理性の方が魅力的に映る。人を大切にするなら、お金なんて、所詮お金でしょ?と思える。
いつも思う、人それぞれ。仕事の話でいっても、お客様によってなにを重視するかが異なって、それによって、支援内容が変わってくる。でも、どれを重視しても、正解だ。お客様の中にある正解が、正解なのがコンサルの仕事なのかもしれない。
でも、「経済合理性・人の信頼」の中で、こっちを優先することも大事だと思いますよ。と伝えれば、比重が変わったりもするかも知れない。関わる人全員で、すでにあった「正解」を磨いていくイメージだ。
最初の一文に戻るけれど、「俺の価値観が俺の人生においての正解」の一点張りじゃ、周りが不機嫌になってしまうこともあるだろう。この社会で、他の人と一緒に生きている以上、みんながハッピーな正解をなるべく共有したい。【「人の正解」を潰してしまうような「自分の正解」】を人に押し付けることは、「正解」じゃない。
合理ばっかりじゃ面白くないから、感情軸で自分が思い描く理想を目指していい。でもそれは、この社会を共に生きる仲間たちの幸せを邪魔しない限りにおいてだと思う。
「合理性と信頼」のように、相容れない2つの要素があるときは、やっぱりみんなの中での妥協点・着地点が必要なんだと思う。「合理性と信頼」の両立は厳しいからこそ、価値観をもとに、どちらに重きを置くのかをその場その場で判断していかないといけない。
妥協点の見つけ方(カントに学ぶ)
「私のもの」と「あなたのもの」は違う。「私の価値観」と「あなたの価値観」は違う。「私の価値観(経済合理性が大事)」と「あなたの価値観(信頼が大事)」は違う。このようなシチュエーションにおいての境界線はどこなんだろうか。
パーセンテージとして、何%は経済合理性に振るけど、残りの何%は信頼に振る。そんな感じで、境目が浮き上がってくるんだろう。お互いが、納得して妥協できていれば良いんじゃないだろうか。
まとめ
最後は、かなーり話がズレてしまった。合理の話に戻すと、合理100%はつまらない。それは間違いない。でも、感情100%でも、社会はカオスになってしまう。だからこそ、「ロジックが世界共通言語になる」みたいなことが言われるんじゃないだろうか。
冒頭で書いた「合理的すぎるとおもんないよね」は間違いなくそうだと思う。かといって、逆に感情に振りすぎるのも問題だ。
やっぱりベタ過ぎるけど、バランスが大事なんだなぁ。
どれも偏ると、よろしくない。
配分をどうするかは人それぞれ。
自分の思う正解が正解。
でも、本当に自分が求めているのはなんなんだろう。
これを一生考え続ける。
小難しく書いてしまったけど、偏ってしまって自分を見失いそうになったときには、この「自分の価値観の宣言」にも近しいnoteを読み返したい。
またまた長くなってしまったけど、最近頭の中にあったことを、ここにぶちまけてみた。スッキリした。あまり整然としてはいないけれど、伝わるっていると嬉しい。
んー、結局何が言いたかったんだろう。
こんなもんかな。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。