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[挫折まみれ、転職で鬱病になり人生ドン底]が[パーソナルトレーナー]サマスタ初出場で3位になるまでの道のり/〜人の人生を変えるきっかけを作る〜



[第0章]学生時代/野球漬けの日々/大学で借金200万円

「とにかく自信がない」
ちっちゃい時からとにかく運動が好きだった。
3歳になる前には自転車は補助輪無しで漕ぐ事が出来たし、保育園では1番足が早かった。
僕はサッカーをやりたくて小学校2年の途中までサッカーをやっていた。だがある日、僕の人生が狂い始める。
その日もサッカーの練習が午後からあったので準備をしていたとこ、「何やっているんだ?」とお父さんに言われ、お前はもうサッカーを辞めたぞ、今日から野球だと言われグローブを渡された。とにかく泣き叫んだのは今でも覚えている。
次の日には近所の野球に連れてかれて泣きながらやった。そこから毎日野球漬けの日々。友達とは遊ばせてくれないし監視されながら野球をやらされボコボコにされるのは日常茶飯事。1番嫌だったのは試合の日。お父さんは絶対に試合に見に来ててバックネット裏から物凄く鋭い視線を感じていてミスする度に怒鳴られ、泣きながら試合をするのは当たり前。チームメイトにも「今日、やすの父さん来る?」と聞かれるぐらいでみんなもイヤだったと思う笑笑
そこから常に怒られないように正解を求め続ける性格になり、この答え本当に合っているのか?と確実に合っているのに授業で手が挙げれなかったり人に思っている事を言えなくなった。もちろん好きな子にも気持ちを伝える事は出来なかった。それに関しては大学生まで。そこからどんどん自分に自信が無くなっていった。

僕はとても頭が悪かった為、高校も野球で行くしか選択肢は無かった。
どうせなら県外に行きたい。理由は「実家を出ればお父さんから離れられる」こんな理由だ。ありがたい事に県外の高校がスカウトをして下さって親元を離れて寮生活をする事になった。結局高校では甲子園に出場は出来なかったし補欠メンバーにしかなれなかった。最後の夏に関しては春に肘の手術をしてギリギリでメンバーに入る事は出来たものの自分が投げる場面のはずが1年生が投げているというとても屈辱的で悔しくてたまらなかった。高校野球は終了した。

「大学でビジネスに騙され200万円の借金を抱える」
特にやりたい事もなかったからとりあえず野球で大学に行くことにした。正直、野球よりバイトがメインみたいな感じだった。居酒屋でひたすらバイトをして遊んでの繰り返し。そんな中ビジネスの話をもらい人生初の投資をする事に。
今思えば、大学生にそんな良い話など来るはずがないけど当時はこれで人生変えれるなんて思った。とてもバカだ笑
まさか200万円を借金するとは思ってもいなかった。なぜか借りられた。背中が凍りつく。もう後戻り出来ない。結果はある日飛ばれて何も引き落とす事が出来なくなった。人生終わった、大学生で借金200万円は考えられない。親なんかにとても言えなかった。結局大学2年生から社会人1年目の冬には全部返す事が出来た。
単位はギリギリで取れて何とか学生生活を終えた。

・中学まで親に野球をやらされていた
・中学生時代は5教科はオール2 数学と英語はたまに1 体育だけ4か5
・中学時代の5教科の合計点数は100以下。 1教科100点満点で
・高校時代の評定平均は3.0
・高校野球は補欠で公式戦は1度の出場のみ
・偏差値40のFラン大学に進学
・大学2年生でビジネスで騙され借金200万円(社会人1年目で返済済み)
・大学4年の最後にギリギリで単位取得

[第1章]目的もなく野球で就職/葛藤の日々

野球で車関係の営業職に入社。
実際に入社してみると営業職ではなく車部品の配達が主だった。コロナ禍もありマスクをしながら仕事をしてマスク意味あるんか?なんて思いながら仕事をしていた。大学からの先輩と一緒に仕事がしたくて入社するもその先輩は入社してすぐ僕に辞めると話をしてきた。理由を聞くとここで働いていて大丈夫かな?そんな疑問が出てきた。野球で入社したものの何となくやっていた。先輩と引き継ぎでこれから担当するお客様のルートをひたすら回る日々を送っていた。その時予期せぬ事が起きた。
その日は野球の試合が午前中にあり試合会場に向かっている時に所長から電話があり、先輩がコロナになったから結果が出るまで車で待機してくれと伝えられた。先輩はコロナになり僕は試合には行かずそのままPCR検査に行った。結果は陽性。僕は無症状だったけど当時はとても厳しい時で陽性が出たらホテルで隔離だった。元気なのにホテルで1人隔離でやる事もなく考え事をしていた。「思い描いてた社会人生活じゃない」僕は社会人はキラキラしているイメージだった。やりたくもない仕事。ただただ給料をもらう為だけに働いてこのまま人生が終わるのか?このままで良いのか?先輩たちもどんどん辞めていく。不安だらけになっていき自分を見つめ直した。だけどコロナが悪い事ばかりではなかった。コロナのおかげで連絡が取れた子が居て気づいたら好きになっていた。当時も凄くネガティブで好きか伝えようか物凄く悩んだが大学の時に好きな子に気持ちを伝える事が出来ずとても後悔をした事があり、このままじゃまた同じ後悔をする。そう思い気持ちを伝えた。そして無事に付き合う事が出来た。彼女が出来た事もあり、仕事に全く不安が無くなった訳では無いけど前よりは充実している感じがした。あんまり仕事の事は考えなくなった。
だがこの後、僕のターニングポイントが起きることになる。

[第2章]人生のターニングポイント1/彼女に振られる

色々合ったけど何らかんらで楽しく過ごしていたある日僕の人生でのターニングポイントでもある出来事が起こる。
これだけはハッキリと言えるがこの出来事が無ければ今の僕は確実に居ない。今ではこの出来事にとても感謝をしている。気付かせてくれた当時の彼女には感謝しかない。そしてこの出来事は正直書きたくないけど全部書く。きっかけを与えてくれたし与えられると思うから。
2 年前の1月1日、新年の始まりに僕は振られた。理由は「男として頼りがない」これが理由だった。他にも理由はあるがこれが圧倒的に1番の理由だ。今思えば納得のいくフラれ方だ。当時の僕は本当に自分に自信が無く思った事が言えない。行動が出来なかった。「これを言ったら嫌われるんじゃないか?」この事が頭の中でぐるぐるしていた。毎回考えながら言葉を選んで、こんな事をしていたら相手はもちろん気付くだろう。この人自信ないな弱い男だな頼れないな。フラれて当然だ。この出来事があり人生が一気に楽しく無くなった。気付けばずっと自分に自信がない人生。そして挫折だらけ。
そんな自分に嫌気が差した。
マジで見返してやるという感情は全く無かった。その現実、現状の自分にクソほどムカついて悔し涙が込み上げた。
僕が1番自分に自信が無かった体を変える為に筋トレを始めた。
人生で5回目の挑戦も1ヶ月も経たずに挫折をした。どうせ俺には無理だ、また諦めた。

[第3章]現状を変える為コーチング受講を決断/受講料60万円/人生が進み始める

僕は現実を変えたくてひたすら調べた。何をすれば変われるか。そんな中でコーチングというものにYouTubeで知った。後にこの方に人生を救われる事になる
その方はAKIO BLOGさん。凄く熱量が高く凄い人だなと最初はその程度ぐらいに思っていた。その方が「全人類コーチングを受けるべき」と言っていたそうだ、まず自分のマインドを変えるべきだ。この考えに行き着いた。そんな中でもう1つ自分に自信が無かったのが当時働いていた仕事だった。転職をしたいと思い当時、僕の保険を担当して下さっている方に連絡をするとすぐに繋いで下さった。その方は転職支援とコーチングをやられている方だった。これはチャンスだと思った。自分が興味ある事を全部出来る。最初は転職支援だけだったがコーチングの話を聞きすぐにやると決断した。コーチング受講料の60万円をぶち込んだ。
この決断は本当に良かったと今でも思っている。
色んな挑戦をした。転職をすると決断、月50万稼ぐと決断、毎日noteでブログを書いたりプログラミングに挑戦、片っ端から副業に挑戦をした。結果はどれも失敗に終わった。だけど僕の中ではかなりの成長だった。なぜならば今までの自分は変化を恐れて挑戦をする事を恐れていたから。そんな自分が変化をしようと行動をする事が出来たからだ。コーチングのおかげで自分の思考が確実に変わっていった。
それと同時に進めていた転職活動は半年程かかったがIT系の一部上場企業に内定を頂き、夏のボーナスを頂き退職をした。これからは大学振りの名古屋生活!ここから人生変えるぞ!と意気込んで名古屋へ飛び立った。
だが、更なる悲劇が起こるとは。

[第4章]人生のターニングポイント2/転職先で鬱病/心を動かされたYouTuberとの出会い

この出来事もまた僕を変えるきっかけだった。転職して僕は1ヶ月で鬱病になった。まさか自分がなるとは思ってもいなかった。
内定を頂いた会社はバリバリの新規営業で毎日テレアポで大変だった。そんな中やっていて分からない事があり上司に聞くのだが、「なんでこれが分からんの?」このスタンスだった聞いても良く思われないのでそれが悔しくて仕事が終わっても会社のノートパソコンを家に持ち帰って睡眠時間1〜2時間ぐらいでずっとやっていた。最初は何とも無かった。ある日の朝、会社に行く前に嘔吐した。何も食べていないのに。それがずっと続き何でだろうと思っていた。次第に会社に行くのが嫌になってきて足取りが重くなっていき嫌な気持ちで仕事をするようになった。そんなある日の事。いつも通り仕事に行こうと思いベットから起きあがろうとするが体が動かない。金縛りにあった感覚だった。気づいたら涙を流していた。
その時に初めて気づき「あ、俺終わった」そう思った。気づいた時にはもう手遅れだった。まさか自分が鬱病になるなんて思ってもいなかった。とりあえず泣きながら会社に電話をして2日間休みを頂く事になった。その2日間で治るだろうと思っていたが治ることは無かった。誰とも連絡を取りたくない会いたくない外に出たくない。そんな日々が続きほとんど携帯を見る事は無かった。転職支援をして下さった方と大学からの仲の良い先輩にだけ伝えた。
大学から仲の良い先輩がたまたま僕が住んでいた場所の近くに引っ越してきたので話を聞いてもらった。とにかく泣きまくった。本当に辛かった。自分が鬱病になった事を中々受け止めきれなかった。そんなある日の事、流石にやる事もなく携帯でYouTubeを見る事にした。そこで僕はある動画に救われた。その動画がこちら↓

この動画がおすすめの1番上にあったので「筋肉凄いな〜」ぐらいの感覚で視聴した。そこには当時の自分とは真逆の人生を送っている姿が映し出されていた。動画の最初で目標を宣言してコメント欄で馬鹿にされながらも目標を叶える姿、毎日自分自身を高めている、やりたい事を全部やっていてこんなに人生楽しく生きれるのか?と思った。「今の自分は何をやっているんだ?」鬱病になってメンタルがやられている自分に悔しすぎてクソ泣いた。そして、「人生もう1度頑張ってみよう」そう思うようになった。この動画に出会う事が出来たからこそ立ち直れたなと今、凄く思う。

[第5章]新たなる決断/映像制作✖️バス釣りで生きる/パソコンに50万円/釣りの道具に100万円の自己投資

鬱病になった事でコーチングの受講が中断していたが再開した。これからどうする?この問いに会社を辞めて再就職しない事を決断した。
親にその事を伝えるともう反対。「あんた何を考えてるの?」こんな事を言われた。親なら当然心配だろう。だけどもう他人の人生で生きたくない、親のレールに敷かれた人生はもう送りたくない。今までがそうだったから。
自分の人生だからこそ自分軸で生きろ。このフレーズが僕の心に刺さり親の言うことを無視して決断をした。
自分のやりたい事は何だろう。ひたすら考えた。そして出てきたのが2つ。
①結婚式のムービーを作って式場で流す    ②バス釣りのプロになりたい

結婚式のムービーは僕が人生で初めての結婚式で見たムービーにとても感動した。俺もいつかこんな動画作りたい。そう思ってから2年ぐらい経っていた。
バス釣りのプロは僕が中学校の時に1度諦めた夢だった。高校を決めるときに僕は本気で釣りの学校に行きたくて親に言うも却下。強制的に野球の道しかなく諦めていた。この夢、全部叶えよう。そう決断した。
それと同時に5回挫折した筋トレを再開する事を決断する。ネガティブで弱い自分のままじゃ嫌だまじで変えてやる。この意志でまた再開した。
社会人1年目で貯金は120万円程あったがコーチング、引っ越しに使い貯金はほぼゼロだった。
この時日雇いとパチンコ屋でバイトをしていた。当然お金はない。
動画を編集出来るスペックのパソコンが必要と知り50万借金をして購入した。
釣りのプロになるには大会に出て結果を出すのが1番手っ取り早い事を知った。竿とかがあればいけると思っていたがそう甘くは無かった。ボートを動かす道具、魚探など必要な物だらけ、100万程掛かった。これも借金をした。
僕はやるしか無かった。

[第6章]人生のターニングポイント3/言い訳、自分に対する甘えで色んな物を失う/言い訳をしない事を決断する

僕は転職支援、コーチングをして下さった方の紹介でこれから立ち上げる映像制作チームの一員となる事になった。そこでは市のPR動画制作やストリートスナップのムービー版、自分の作品作りなど色々な事を経験させて頂いた。撮影で県外に行かせて頂いたり、企業や夜に名古屋の街で片っ端から声をかけてストリートスナップを撮らせてもらうなど様々な体験をした。このおかげで今まで人見知りだったけど完全に無くなり自信になっていた。僕に付きっきりで撮影の仕方や編集など教えて下さった。パチンコ屋のバイトをしながら1人暮らしでお金もない中、師匠は助けて下さり家でご飯を食べさせて下さった。本当に助けて下さって凄く感謝をしている。
そんな中自分の甘い行動で亀裂が入る事になった。釣りの大会に出場しながらバイト、そして空いてる時間は全部、動画関係に打ち込んでいた。
そんな中、30歳以下しか出る事の出来ない釣りの大会に出場する事になった。意気込み動画を運営に送り通った者だけが出れる大会だ。バス釣り業界で凄く注目されていた大会だけに相当気合いが入っていた。
結果は全然ダメだった。そこで感じた事は「釣りで振り切ってるやつは強い」。
上位にいた選手はみんな釣りだけに集中している方達ばっかりだった。その人達が強いのも無理はない。
今の自分って凄く中途半端な気がする。こんな感情が湧いてきたバス釣りのプロになると決めたのにその時のメインは動画関係だった。悔しさと同時に今の自分はどうするべきなのかと考えながら4時間程車を運転して帰る事になった。
その時に頼まれていた仕事があったが気持ちが乗らず、そして連絡を取りたくなく携帯の電源を落とした。次の日になり携帯を見ると大量の連絡が来ていて謝罪をして返したのと同時に話がありますと伝えた。そこで釣りの時に感じた事を話すと映像制作チームの人にも伝えてみると師匠が言って下さった。
そこから亀裂が入りチームは解散した。だけど師匠は僕を拾ってくれた。もう一度動画を頑張ろうと決意し頑張る事にしたが何か気持ちが乗らず頼まれていた事の提出期限を破ってばっかりいた。僕はその時の感情で動いていて信頼を無くす行為を繰り返した。ある日、師匠から長文が送られてきて別れを告げられる事になった。
簡単に要約するともう信用は出来ない仕事を任せる事は出来ない覚悟を決めて甘えを捨てて、自立の出来る人間になれ。もう協力はしない。
その時、自分がやった行為がどれだけ良くない事をしたのかをこの時初めて感じた。この出来事と同時期ぐらいに知り合いから結婚式のムービー制作を頼まれる事になるが自分は諦めて業者に頼んだ。
メンタルは病みお金がつき、家賃が払えなくなり親に払ってもらった。最低な事をした。そして実家に戻る事に。
ここで学んだ事は自分の甘えや諦めた事で人生が何も変わる事は無かった。この体験が無かったら今頃、夢は叶える事は出来なかったと思う。
ここでもう自分に言い訳をするのは辞めよう。諦める事、妥協はしない事を決断する事になる。

[第7章]決意を新たにコーチングに110万円/結婚式ムービの夢を叶える/新たな挑戦、パーソナルトレーナー

このままじゃ人生中途半端に終わる。言い訳をしない事を決断し筋トレに夢中になった。少しずつ変わっていく体に嬉しさが込み上げてきた。
新しい風を吹かせたい。僕が大好きなGOAL-Bのコーチングを受ける事を決意。プランは3つあったが迷わず1番高いプランを選んだ。ローンは何とかギリギリに通った。コーチングを受けていくに当たって自分は人に尽くす事が好き、自分の鬱病から這い上がり夢を叶え色んな事に挑戦していく姿を発信して「1人でも多くの人に人生を変えるきっかけを与えたい」。自分のやりたい事が明確になっていった。
筋トレの体験から体が変わる事で自分に自信が付きいつのまにかポジティブになっていた。
それと同時にこの体験を他の人にも体現してもらいたい。そう思いトレーナーをやりたいなと思っていたが体細いしトレーナーになれる訳ないなと思っていた。
けれどこれを思った3日後に大学の時に同じ野球部だった子から話を頂きトレーナーになる事になった。しかも新しく出来るお店の店長として。
迷わずやりたいと言った。
そんな中で保育園の時からの友達が結婚式のムービーを作れるか相談が来た。
1度結婚式ムービーを頼まれた事があるが出来なくて諦めた経験があり怖かった。この話をもらった時に神様から「もう1度チャンスをやる、諦めないで夢を叶えろ」そう言われてる気がした。迷わず作らせてくれとお願いをし挑戦する事になった。
初めての事だらけで分からない事が多すぎて何度も挫折しそうになったが自分に言い訳をしないと決めていたのでとにかく遅くまでやった。
自分が任されるお店の内装をやりながら結婚式ムービーの制作。2日ぐらい寝ないでやった事もあった。色んな方の協力もありお店の内装が完成し結婚式ムービーも完成した。完成したのを見せた時、想像を遥かに超えた。この言葉をくれた時は嬉しすぎて泣きそうになった。
そして4年前に立てた夢の1つでもある結婚式のムービーを作って式場で流す夢を叶える事が出来た。4年も掛かったが叶える事が出来た。しかも偶然にも自分の誕生日の前日にこの夢が叶った。
この体験から人間やれば出来るんだ。この事が分かり凄く自分に自信が付いた。そして「思考は現実化する」事も気付くことが出来た。なぜなら結婚式のムービーも4年前から俺は絶対に作るって言い続けてきて出来たから。

人生で初めて自分に自信が持てた瞬間、充実している、今とても楽しいという感情を味わう事が出来た瞬間だった。

[第8章]筋トレ歴1年でサマスタ初出場/初出場で3位入賞/日本大会の出場権を獲得




僕は今年の6月の初めに9/1日にあるサマスタの東海帝王というボディーメイクの大会に出る事を決断し出場しました。
結果はスタイリッシュガイのルーキー部門で3位、本戦で3位でした。
銅メダルを獲得する事が出来た。
1位では無かったけど結果を残す事が出来ました。
しかも筋トレ歴1年で。
そして12月8日の日本大会の出場権を獲得。
僕が今回出場しようと決めた理由は3つ。
1つ目は「自分のレベルを上げる為」
2つ目は「全ての人に可能性があるを体現する為」。
そして最後3つ目、これが1番の理由。
僕の挑戦がきっかけで1人でも多くの人に挑戦するきっかけを与えたいから」。
本当は来年に出場する予定だった。理由として筋肉量がまだまだ全然少ないという事。ただ、それだけの理由で来年に伸ばす必要はあるのか?
人生1度きりでいつ死ぬかも分からない。そして僕は挑戦する人を増やしたいんじゃないのか?だったら出るしかないでしょう!!出なかったら後悔すると思った。
出場する選手の中で1番体は細いと思うし予選落ちするだろうと言われたしお前には無理だとも言われた。そんなのどうでも良かった。
それを覚悟で出場をした。挑戦する事に意味があるから。
そこから覚悟を決めて3ヶ月の減量期間をやり抜き3位に!
この体験から継続する事の大事さと本当に「全ての人に可能性がある」事を体験出来た瞬間だった。

[第9章]これから成し遂げたい事/人の人生を変えるきっかけを作る

これから成し遂げたい事は夢を追いかける人挑戦する人を1人でも多く増やす事。挑戦を当たり前にしていきたい。そして他人軸ではなく自分軸で生きる人を増やす事。これは絶対にやる。

「なぜ、夢とか挑戦する人を増やしたいのか」
増やしていきたい理由として2つある。
1つ目は挑戦をする事で自分の人生を生きる事が出来るから
2つ目は人生は1度きり。理想だけで終わる人生を送ってほしくないから
3つ目は後悔してほしくないから
僕は元々、挑戦とか変化をするのを避けていたし嫌いでした。自分の人生を生きる事はせずに親の人生、他人の人生で生きてきた。なぜなら自分に自信が無く目立つ事を恐れていたし自分自身を信じていなかったから。
心のどこかに今に満足していない自分何となく生きてる自分お金をもらう為だけに仕事をしている自分。そんな自分にどこか不安を覚え人生の充実感が全くありませんでした。
実際に今の人生楽しくないとか、どうやったらやりたい事挑戦出来る?とありがたい事に相談をされる事が増えてきた。
やっぱり何かしら今の自分に不満だったりやりたい事はあるんだなと話を聞く度に思う。
僕は過去の挫折から今の自分を変えたいと思い勇気を振り絞って挑戦をし続ける事を決断したが今の人生の方が1億倍楽しい!!
学生の頃の目標に向かって頑張っていた部活動。青春時代のあの感覚が今ある感じがするし充実感がある。
自分に問いただして下さい。
本当に今のままで満足していますか?本当はやりたい事挑戦したい事があるんじゃないですか?
僕は大体の人がこの中の何かしらを思っていると思う。
でもお金が〜とか今はその土俵じゃないとか、どうせやっても出来ないとか、こんなような言い訳を言って自分の可能性を潰していませんか?
僕がそうでした。こんな事思いながら何も挑戦しなかった結果、何も変わる事が出来ませんでした。
でも挑戦をすると決意し本当にやりたい事、挑戦したい事をするようになってから今の人生の方が確実に充実しているし成長しています。
だからこそ僕は挑戦や夢に向かって突き進む人を1人でも増やしたい。

[まとめ]最後に伝えたい事

僕が最後に伝えたいのは「人はいつからでも、変わる事ができる」という事。
簡単ではないです。
僕のこれまでを振り返ると失敗も挫折もたくさんしてきました。
自分に自信がない、そんな弱い自分に何度も嫌気がさしていました。
でも「そんな自分を変えたい」と決断した事で変わる事が出来ました。
去年の自分とは比べ物にならないぐらい変われました。
こんな自分でも変わる事が出来たから誰でも変われます。断言します。

これからは「人の人生を変えるきっかけを作る」をテーマに僕に関わってくれた人を1人でも多くの人に人生を変えるきっかけを与え続けます。

これからも色んな挑戦をし僕の生き様を作っていきます。
そして1人でも多くの人にきっかけを与えれたら嬉しいです。




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