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フリーランスになったら息子が自閉症スペクトラムと分かり不登校になりました

学校に行きたくない

子を持つ親なら一度は言われたことがある言葉ではないでしょうか。

我が家の家族構成としては

・同級生の妻
・小学6年生の長男
・小学2年生の次男
・2歳の三男

地平線まで走ってしまうのではないかと感じるほどに元気な男の子3人がいます。
彼らは毎日兄弟ケンカし、遊び、家が壊れないか心配になりながら毎日過ごしています。
(男は本当に単純だな…と昔の自分を照らし合わせて諦めています)

長男の行き渋り

最初に学校に行きたくないと言ったのは、長男が小学1年生のときだったと思います。
当時は夫婦共働きだったので仕事を急遽休むこともできないし、ただのわがままかなと思い、無理やり行かせていました。

長男の行き渋りは本当にすごかったです。
玄関から連れて行くのも一苦労、車で学校に連れて行っても降ろすのにその数倍の労力を使っていました。
泣きながら行く長男を見て、本当にこのままでいいのか?と思いながらも

だって仕事は休めないのに!
周りに頼れる人もいないのに!

といった都合の良い理由をつけて罪悪感に蓋をし、仕事へ行く日々。

働き方を変えようと決心した日

今でも忘れられないですが、僕が働き方を変えようと決心した日があります。

ある日、長男の行き渋りがあり、僕は家から彼を引きずり出して学校に行かせようとしました。

だけど、そのときはいつもと様子が違う…。
いつもは抵抗しますが、あの日は抵抗もせずに、しくしくと泣いていたんです。

その姿を見たときに本当に後悔しました。

僕が求めていた生活ってこれなのか…?
これじゃあ親が子どもを苦しめているだけじゃん…。

家族のために仕事をしているつもりでしたが、その仕事で家族を蔑ろにしていることに気づき、働き方を変えないといけないと思いました。(遅い)

当時の職業はサービス業でGWや年末年始も仕事。働く時間も不規則だったので臨機応変に動けませんでした。

「あと30年弱もこの仕事は続けていけないな」とも感じていたので、他のスキルを身につけるために副業を始めました。

転職も考えましたが、当時勤めていた会社は沖縄県内で最大手で、同じ業種なら給与も含めて待遇は良くない状況もあり、同業種への転職は難しいと判断。

かといって未経験で転職できるスキルもないし、年齢も30代前半ということもあって副業という選択肢に行き着いたのです。

結果として副業としてInstagramを始めたおかげで12年間勤めた会社を退職し、フリーランスとして活動することができました。

フリーランスになりましたが、それはもう本当に大変でぶっちゃけ

会社員の方が楽!

と何度も思っています。笑

今回の本題ではないのでフリーランスの働き方についてはまた別の記事で書くとして、大変なことが多いですが在宅で働くことができているので、以前よりは家庭中心で動くこともできています。

長男が自閉症スペクトラム(ASD)であると判明

元々長男は小さい頃から「育てるのが大変」と感じることがあったと妻は言います。

「妻が言う」と表現したのは、長男と次男が小さい頃の僕は他責という鎧があればそれは自分のためにあるというほどに他責でした。

仕事が忙しい
仕事でストレスが溜まっているから週に2〜3回飲みに行く
仕事の方が何倍も大変だと思っている

という絵に描いたようなダメ男で、家庭や子育てに向き合うことが少なかったです。

なので正直、2人が小さい頃の子育てはあまり覚えていないです。
そんな僕でも次男に比べると長男はどこか違う感覚を持ってました。

具体的には

長時間じっとしていられない
衝動的で感情的
コミュニケーションが苦手(かなりの人見知りもある)
周りの音に敏感

といった感じです。

学校でも45分の授業を座って受けることが難しく、周りの環境に非常に敏感でコミュニケーションもそこまで上手ではない。

これも特性か。と思っていましたが、うっすらと「発達に問題があるかも?」という考えが浮かんできたので、検査をすることになりました。
僕がフリーランスになって半年経った頃です。

そして検査をしたところ

自閉症スペクトラム(ASD)

発達障害の一種だということが判明しました。
ASDとは発達障害の一種で、以下の特徴があります。

・対人関係の困難さ:他人との関わり方やコミュニケーションの取り方に独特のスタイルがある
・相手の気持ちや状況といったあいまいなことを理解するのが苦手。
・臨機応変な対人関係を築くことが難しく、誤解されやすいことがある。
・こだわりの強さ:特定のものごとやルールに強いこだわりを示し、好き嫌いが極端。
・感覚のかたより(特定の音に過敏に反応するなど)
・体の動かし方が不器用で、運動がぎこちなく苦手な場合がある

これらの特徴は、まさに長男と当てはまる。

このときの僕と妻の感想は、落ち込むのではなく「やっぱりそうだったのか」と腹落ちしたと同時にどこか安心したのを覚えています。

原因が分かれば、ある程度対応できるからです。

もし検査で何もなければ「特性のある子」のままになり、どうすればいいか分からず不安は消えなかったと思います。

なのでASDと分かったときは、適切に対応すれば本人も生きやすくなると感じました。
やはり人間にとって一番の恐怖は、名前や根拠がない事象だと思う。

発達障害などは3歳児検診までに判明することが多いと聞きましたが、分からないものですね。

そこからは障害者手帳の取得や、現在は行政の力も借りて少しではありますが、発達支援も受けています。

長男が不登校に

専門医の協力などもあって、長男への対応も次第にできるようになりました。

彼の特性のひとつに「感覚の偏り」があります。
大衆食堂や大人数など騒がしい場所が苦手で気が滅入ってしまいます。

他には「モノを分解する」という特性もあります。
おもちゃを分解したり、壊すというよりはモノを「分解」してしまうのです。
おかげで(?)寝室のクロスは、ほぼ彼に剥がされています笑

診断前はなぜこのような行動をするのか疑問でしたが、今では理解できるようになり、僕たち夫婦の心も落ち着いています。

そんな生活を1年ほど続けていたある日、それは急にきます。

そう、不登校です。

小学5年生の夏休みが終わったあとから休みがちになり、学校に行かなくなりました。

まさかウチの子が不登校になるなんて…

その片鱗は見せていたものの、学校に行かない息子を見てショックを受けましたし、この先の不安な気持ちも大きかったです。

ですが、そのときには僕もフリーランスでしたし、妻も三男を出産して自宅保育をしていたので、受け入れる体制は整っていました。

今になって感じるのは

彼は本当にギリギリだったんじゃないかということです。

人とのコミュニケーションや周りを気にしすぎる性格、45分間座るのが苦痛の授業、周りの状況を察知しワンテンポ遅れる行動といった特性を持つ彼には、最大公約数を軸とした学校は苦しいものだったのかなと思うんです。

むしろ、よく5年間頑張ったといえます。

なので不登校の時期に、僕がフリーランスであったのが本当に良かったです。
もし前職のままであれば、思うようなサポートができていたか分かりません。

というか、もしかしたら彼は、僕も妻も家にいる環境だったからこそ、休むことができたんじゃないかと思うこともあります。
そう思うとフリーランスになったのは運命すら感じる。

そこからは無理に学校に行かせず、ゆっくり休ませています。

でも、ひたすら家でくつろぐ彼を見て
たまには動けよ!!!!
とゲンナリすることもあります笑

とはいっても今は発達支援を受けたり、本人が満足いくまで休めるように見守るしかないのかなと思っています。

ちなみに、不登校の理由については友人関係でなさそうです。
クラスの友人とオンラインゲームをして遊ぶこともありますし、環境が合わないのかなと。

次男も不登校

長男が学校に行かなくなって数ヶ月経った頃、次男も不登校になりました。

嘘やん…

おいおい、長男に続き次男もかい!
とこれまたショックを受けましたが、無理に学校には行かせなたくなかったので、小学2年生の今も学校には行っていません。

次男に関しては、理由がよく分からないんですよね。
多分本人もよく分かっていないような気がします。

そういった意味では次男の方が心配ではありますが、長男と同じようにこちらが色々選択肢を提示しながら見守っていきたいです。

三男が生まれる

少し時系列は遡りますが、2022年に三男が生まれます。
元々子どもは2人の予定でしたので、三男が妊娠したときは正直驚きました。

しかも妊娠が発覚したときは、僕が会社に退職の旨を伝えた2日後だったのです笑
不安も大きかったですが、やるしかないと覚悟が決まった瞬間でもありました。

長男と三男は年齢が9歳、次男とは6歳離れています。
2人とも三男を本当に可愛がってくれて見ていて微笑ましい。

妻とも、三男が産まれてきてくれたのは「長男のため」ではないかとよく話します。
そのくらい長男は三男を溺愛していて、彼の心の拠り所になっていそうです。

不安定な長男と次男を三男が癒してくれていると感じるんです。

時系列がバラバラになったので、まとめますと以下です。

2021年頃:長男の学校の行き渋りが始まる
2022年:僕がフリーランスへ。三男が生まれ、妻も自宅保育。
    長男がASDと診断される
2023年:長男が不登校
2024年:次男が不登校

このように見ると、僕がフリーランスになったのと三男が産まれたのは個人的に大きなターニングポイントでした。

運命というか、なるべくしてなったような気がしてならないのです。

フリーランスになって分かった子育ての大変さ

三男が生まれたときにはフリーランスでしたので、以前はできなかった子育てもできるようになりました。

そこで分かったのは

子育て(特に赤ちゃん)って大変やん!!!

子育ての大変さは分かっているつもりでしたが、実は何も分かっていませんでした。
子育ての上澄みしかできていなかった。

前は会社に出社していたので、子どもの体調不良や有事の際は妻にお願いしていました。
今は何かあっても僕も家にいるので対応できています。

ですが、まぁ時間を取られる…。
しかもちょっとずつ時間を取られるんですよ。

10分に一回話しかけられたり、名もなき家事に翻弄されたりと気づいたら自分の時間がないんですよね。

妻の場合は、多分5秒に一回は話しかけられているのでさらに大変だと思います…笑

妻はこれは10年前からやっているのかと思うと本当に頭が上がりません。

子どものことを優先にしてできる嬉しさやありがたさはありますが、一方で仕事とのバランスも非常に難しいです。
ここはまだまだ課題だらけです…。

最後に

僕がフリーランスになったから、息子たちは不登校になった訳ではありませんが、この数年の出来事は僕たちにとって大きいものです。

そして感じたのが

選択肢を持つことの大切さです。

人生何があるか分からないので、その時々でいろんな選択肢を持った方がいいよなぁと当たり前のことに気付かされました。

だからこそ、大人になってからでも勉強した方がいいし、転職という道を考えていくべきなんだなと。

なんだか取り止めのない文章になってしまいましたが、こんな働き方や家庭もあるんだなと感じてもらえたら嬉しいです!

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