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木とひとの間(あわい)と向き合う

 私の故郷と隣接する町で有名建築家により木材を使用したことを誇張した市役所や図書館が建設された。しかし、竣工の喜ばしいニュースが聞える傍ら、同じ建築家による建造物が完成からわずか5年ほどで見るも無惨な姿に朽ち果てているさまが度々ニュースになっている。一方で、同じ町にある神社は200年以上も厳粛な姿を保ち続け、初詣で訪れる私を毎年迎えてくれる。時代背景が異なる建造物であるのは承知であるが、「木」を使った建築物がなぜこれほど異なる運命をたどるのか、その理由について疑問を抱き続けてきた。
 先日、グローカル人材開発センターのワンデイプロジェクトで、京都の社寺建築宮大工集団「匠弘堂」を訪れた。匠弘堂は、開業約20年で全国津々浦々の社寺の修繕・再建・復元に携わり、現在は首里城の再建にも宮大工を送り出す実力集団である(詳しくはこちら)。
 匠弘堂の代表であるセンパイ(あだ名)からは、木や社寺への愛が溢れんばかりの会社説明をお聞きし、日本の社寺建築の技巧や木の文化の奥ゆかしさを体感した。特に、室町時代までに培われた継手(木々を繋ぎ合わせる技法のこと)が木材や建物が長く保つような工夫が施されていることと同時に、宮大工への扱いやすさ・解体のしやすさまでも考慮された叡智の結晶であることに感動した。
 また、後半では台鉋(だいかんな)や槍鉋(やりかんな)で木を削る体験をさせていただいた。鉋への体重の掛け方から道具の持ち方、力の込め方、鉋をかける環境の温度や湿度、そして木の切断のされ方、直前の鉋での削られ方、木の木目の位置(『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』の西岡常一でいう「木のくせ」の1つ)の総体が鉋刃を通ってかんなくずとして立ち現れる。私にとってはとてつもなく難しい作業であり、私の前に現れたかんなくずは宮大工のなべさんのものと比べると、赤子のように可愛げがあるものの、私の不器用さと大雑把さを否応にも語りかけてくる背筋が伸びるような囁きがあった。
 そんな数え切れない体験が詰まった見学の中で、私にとって特に心に残ったのは、匠弘堂の方々の「木との向き合い方」だった。普段、私たち一般の人々は切断された木を目の前にすると、それを単なる「木材」として、目的に応じてどう利用するかという視点で見がちだ。座りたければ椅子を作り、本を終いたければ本棚を作り、暮らす場所が必要であれば人を集めて家を造る。そもそもどこにどんな木材が施されてるかわからないまま、出来上がったモノを使っていることも数多あるかもしれない。そして、そこには個々の木の個性を顧みる余裕はなく、欲望や期限に追われ、目標達成だけを優先してしまう効率的な考えが内在している。
 しかし、匠弘堂の方々が、手がけた社寺について語る際の言葉や鉋で木を削る技術を説明する姿、道具の手入れの仕方などからまるで木の1本1本と対話するような真摯な姿勢を感じた。木は、同じ場所で育ったとしても人間と同じように異なる。木は切って建物の一部となったとしても生き続け、死んだわけでは決してない。これは、西岡常一の『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』に書かれた内容だ。つまり、木は切ってしまえば人間の赴くままに使える材になるのではなく、生きる場所が土から建物に変わるだけで生き続け、人間のように毎日変化している。だからこそ、建物がより長く建て続けられるためには、1本1本の木が最大限の本領を発揮し、他の木々とよい力関係で生き続けられるように木と対話し、そのくせを理解しなければならない。
 では、この技術はAIやテクノロジーの発展によって人から取って変えられるのだろうか。私は、木が「人に近く、単なるものでもない存在(以降、人ともののあわい)」だからこそ、いまだに人間にしかできない技術だと思う。木は人のように個性やくせがあるが、それらが犯された際に人のように声や感情を露わにしてくれない。しかし、とある建築家の建造物のように竣工した数年後に囁きながら訴えてくるのである。そのため、加工する木自身の状態や周囲の環境、加工する己の調子、他の木との相性などを客観と主観を能動的に往来し、加工しているその瞬間に反映させる必要がある。これは、効率的にこれまでの蓄積から最適解を導き出すAIをはじめとした現在のテクノロジーよりも、いまだに人間の五感+叡智(技・知・経験)が優っている。
 私にとって「人ともののあわい」を読み解くことができているものといえば、6年ほど愛用しているジーンズたちくらいだろう。自分の体の特性とジーンズのくせを読み解き、修理に出したり、アレンジしたりしている。匠弘堂さんのように己と扱う対象、己と対象が対話する環境、己と対象が向かう目的の総体として全てのものごとを考えてしまうと、ものを使うことに億劫かつ窮屈になってしまうかもしれない。しかし、匠弘堂の方々の木への向き合い方は、最近の流行り言葉である「よい消費」や「エシカル消費」へ示唆を与えてくれる。人ともののあわいを己の五感や叡智を用いて、焦らずに読み解くことが現在の消費をアップデートするヒントになるのではないだろうか。


松本安弘(やす)



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