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僥倖

拙文『母と推し活』が、note創作大賞2024で入選をいただきました。

noteで初めて書いた文章がこんなにも多くの方に読んでいただけて、そして今回このような賞を頂けたことに、ただただ恐縮するばかりです。

正直なところ、note本社で開催された授賞式の序盤では「果たして僕はここに居てもいい人間なのだろうか」という自問が頭の中で渦を巻いていました。

この場にいる方々の殆どは創作を生業としているプロのクリエイターばかりで、僕のような創作とは程遠い業界で働いている人間は少数派です。
加えて、note上に知り合いが一切いない僕は肩身の狭い思いを抱えながら、輝かしい授賞式会場に似つかわしくない陰湿なぼっちと化していました。

授賞式が始まるまでの間、じっと椅子に座って待っていたところ、あるnoteスタッフの方が「作品読みましたよ。感動しました!」と声をかけてくださいました。

僕は咄嗟に「エピソードありきで書いたので、自分は何もすごいことをしていません」と答えましたが、それは謙遜でも何でもなく、僕は本当にただエピソードを文章にしただけの人間に過ぎないという自覚があるからこその返答でした。

すると、そのスタッフの方は「同じ出来事を経験しても私にはこんなふうに書けません」と言ってくださり、その瞬間、僕はこの会場にいることを初めて許されたような気がしたのです。

この記事を投稿したのは今から一年以上も前のことです。書こうと思った動機を改めて思い返してみると、そこには自分なりの使命感があったことを思い出しました。

僕には物語を創作する発想力もなければ、何気ない日常をおもしろおかしく書けるような文才もありません。

ですが、母の闘病生活において経験した奇跡的な出来事や複雑な感情の数々は、他の誰でもない僕が伝えなくてはならないという感覚が、当時確かにありました。

ゼロからイチを創り出すようなクリエイティビティがなくても、現実の出来事をどう伝えるかということも立派な創作のひとつであるということを、そのnoteスタッフの方の言葉で気付くことができました。

記事の中で出てくる推しバンドや推し俳優とのエピソードは、僕の周りで知っている人は殆どいません。ですが、noteという場ではこんなにも多くの方々が知ってくださっています。
そう考えると、このnoteという場は僕にとってもう一つの世界のように感じられるのです。
ここでは、身内や職場には恥ずかしくて言えないような頭の中のことを吐き出しても許される。さらにはそれを評価してもらえることもある。目の前の現実以外にそういった世界があると思うと、何だかちょっとだけ人生が生きやすく感じられます。

noteというプラットフォームに自分の居場所が少しでもできたと思えたことが、今回の授賞式を通じて得た一番大きな収穫でした。

今回の創作大賞では新たにレシピ部門やビジネス部門等が加わり、応募総数は前回の約1.5倍増となる52,750作品が投稿されたと聞いています。投稿された作品のすべてが誰かにとっての創作物だと思うと、創作という言葉に果てしない奥行きが感じられます。人間誰しも頭の中に想いや考えがあって、それをアウトプットする行為の全てが等しく創作であると、身をもって学びました。

より多くの人が気軽に創作できる場を作ること。それによって健全で素敵な世界を作ること。僕が言うのは烏滸がましいですが、懇親会で様々なnoteスタッフの方々とお話しさせていただき、こういった素敵な方々がコンテンツ産業の未来を支えていくのだと感銘を受けました。

我ながらまとまりがない文章ですが、何が言いたいかと言うと、これからも何かしらの文章を書けたらいいなと思ってます。そう思えた、本当に素敵な経験でした。

まさかの地元の新聞紙にも載ってました(父が発見)




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