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どれだけ頑張ればいいのか?

 自分の乏しい社会生活を振り返ってみても、大した努力もせずに相手から喜んでもらえることもあるし、かなり頑張ったつもりなのに不満を持たれることもあった。
 世の中、色んな人がいる、ということで済ませてきたんだけど、生きることをビジネスと捉えると、やはり不満は最小限に減らした方がいいだろう。
 そこでマーケティングにおける顧客満足度という概念について調べて見たんだけど、心に刺さらない。
 顧客を対象としたアンケート調査により満足度を数値化して、低い満足度を高めるように製品・サービスを改良していくわけだけど、どこまで顧客のニーズを満足させれば良いのか限界が分からなければ管理不可能と思うんだな。
 スピノザの言う真理とは、真の原因を見いだすことであり、真の原因とは他の可能性を生じさせない必然として結果を産み出すものである。
 すると仕事量は顧客満足の真の原因ではないことが分かる。いくら仕事量を増やしても不満を持つ顧客もいるからだ。
 顧客満足の真の原因は、顧客の期待値を上回る仕事量である。その場合は、必然的に顧客は満足する。顧客自身の期待を上回っているからだ。
 そういう意味では、顧客満足度(CS)より顧客感動(CD)の方が顧客満足の本質的原因を捉えているように思う。
 ただ、その場合でも顧客の期待値が不安定でバラツキがあるなら顧客満足度と同じことである。
 だけど顧客満足はコントロールできないが、顧客の期待値はコントロールできる。それは顧客の期待を調査するのではなく、こちらにどんな能力があり、どんな仕事をするのか、明確にすることだ。そうすれば自分に対する顧客の期待値を一定水準に揃えることができる。そこからすべての顧客を満足させる仕事量が設定できる。
 顧客満足を獲得するには、仕事量よりも、すべての顧客の期待を自分の有限な能力の範囲内で一定に揃えることの方が重要であり、それを怠ると、いくら努力しても不満を持つ顧客が必ずいて、努力が報われないであろう。
 民間企業は広報やブランド化によって期待値のバラツキを平準化する努力をされている。そうした努力をしない行政組織よりも顧客満足度が高いのは当然であろう。
 いわゆるモンスターペアレントと呼ばれる人達は、反社会性のある例外的な場合は別として、授業料が無料であるがゆえに学費分の国庫支出に見合ったサービスの相場に対する単なる無知が原因かもしれず、その責任はむしろ世間相場の確立を怠った経営管理者にある。
 世間相場が明確であれば顧客の期待値は不当に高くはならないだろう。
 例えば立ち食い蕎麦屋では、おしぼりが出ないのが相場だから、それに対して苦情を言う人は誰もいない。
 文科省は学校に対して経営計画書の作成を行政指導されているが、そもそも学校が提供するサービス内容と上限を明示して、生徒父兄がそれを超過する指導サービスを要求される場合は、オプション価格を提示したうえで外注により対応するのが経営管理者としての責務であると考える。さもなければ先生方は無限の仕事量を抱え込むことになるだろう。顧客の要求は限界がないのだから。
 学校に限らず新しいサービス業で相場が不明な場合も同様である。

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